10月1日ソワレの観劇記です。
今回のお席は8列目の下手側センターで非常に観やすいお席でした
初日の時にはイマイチ??だった部分が見えたり伝わったりするものがあって楽しめたような気がします
ただし嬉しくないことも……においがぁ~~
タバコがとにかく凄いんですわ。ライターで火をつけてから1分もしないうちにフワ~っと
その日の空調事情もあると思うのですが、スモーキングルームにいる感じで終演後はちょっと喉に閉塞感が
初日の時に2階席でも臭ってきたくらいなので……自分が極めて不得意だから過敏になってしまう部分はあると思うのですが、さすがにちょっとね~~好きな人のでもツライ……
2幕ではトースターでパンを焼く時のにおいも……これまたお腹が空いていると喧嘩を売られているようにしか思えなかったりして
初日から2日、、、既に随分こなれてきたなぁという印象。初日は緊張の糸がピーッと張っている感じで(真っ新な初演初日しか味わえない魅力でもあるんだけど)やり取りが固いかなぁと思う部分や各キャスト同じようにセリフの言い出しで詰まっているなぁと感じる部分があったのですが、今回はとても自然で滑らかなやり取り。ついでに小道具まで滑らか~~
ゴルフバックは倒れるわ、お皿は遠慮なく客席に飛びこむわ~~それはそれはツルッツルのやりたい放題!無理なくスッと自分の中に入ってきたので前回よりも余裕を持って楽しめたように思います。
リーとオースティンの会話を聞いていると何気に感じてしまうお互いの地雷
オースティンが「ここら辺に友達はいるの?」「金が必要なら僕があげるよ」「北部には僕の家族がいるんだ。きっとリーも気に入ると思うから一緒に暮らそう」……後は成功して得るのが地位や名誉じゃなくて牧場という発想も???聞きようによっては結構ムカつくと思うんですよね~~でもリーも同じというか、「IVYリーグの大学を出ていて~」「成功を手に入れて何でも持っている、周りの人たちにチヤホヤされている」みたいな感じのことを逐一言うんですよね~~分が悪くてほぼ負け犬の遠吠え的な言い分なのはリーの方なんだけど、そういう観点でつかれるとこれまた結構ムカつくというか何というか……プライドが許さないところはあるんだろうけど、それ以上に恵まれているように見えて満たされない、自分ではどうにもできない部分を責められているというか……
そんな二人が2幕で逆転するんですよね~~ある意味お互いに無意識のうちに?意識的に??憧れていた、なってみたかった姿なのかもしれないと思うんだけど、やっぱり限界があるというか……リーはオースティンのような社会的成功に近づこうとしているんですよね~~本人はそう思っていなくてもそうさえているように見えるんだけど、結局はそうなれない、そうなろうとすると無理がいく。表現手段を備えていないから努力すればいいんだろうけど、どうしてもそういう性質にはなれない。コツコツ努力したり勉強したりできない、全くの根っこが違う人っているじゃないですか~~差別や偏見じゃないので誤解なきよう
一方のオースティンも然り、、、“枠”からはみ出そう、メチャクチャな奴になろうとするんだけど“優等生”の部分がそこはかとなく漂う……そこが可笑しいんだけど
特にリー、、、やっぱり
フィルターがかかってしまうのですが、もがいている姿を見ると切なくなってしまうんですよね~~そこに人間の汚さと哀しさ……そして一抹の可愛さを感じてしまって胸がキュンと
終盤で母親がアラスカ旅行から帰ってくる……その瞬間からの空気の変化に圧倒されました。それまで喧嘩したりからかい合ったりじゃれ合ったり……そんな兄弟の姿を見ていると一瞬フッと二人が子供だった頃の姿が過ったんですわ。目の前にいるのは明らかに大人のリーとオースティンなのに幼い兄弟の姿が見えて重なり合う……いや~~自分でもビックリしましたね~~映像を見ているようで
成長したのでキツイ言葉を敢えて投げかけたり殺す殺されるの犯罪的な暴力になったり……でも根本的には何も変わっていない。ある意味成長していないバカバカしくて屈託のない兄弟関係が続いているように見えて微笑ましくなってしまうんですよね(いい歳した大人がそんなことを言ったりやったりするかねぇと突っ込みたくなる
)なので最後も……バッドエンドじゃなくて、こんな二人のやった&やられた関係と本当は相手を切り離せなくて思い合っている関係がずっと続けばいいのに~と期待してしまう部分もあったり
結末は観る者に委ねられているのでどちらにでもとることはできるんだけど……bad or happy、どちらにしてもそこに人間対人間の中に生まれる根深いものが存在しているんだろうなぁと思いました。
で、母親が帰ってきてからのガラリと変化した部屋の空気。ピカソに会いに行こうという母に戸惑うリーとオースティン。今回観た時はやっぱり年老いて状況把握能力が
したところがあったのかなぁと思ったり
母親の前での二人もガラリと態度から雰囲気からこれまたガラリと変わったように感じたんですよね~~気を遣いながらもどこか閉塞感のあるオースティンと居心地の悪そうなリー。まぁピカソを知っているかどうかという会話になって「オースティン、貴方は知っているわよね」と一方にだけそういう物言いをするところも何だか家族の形を表しているような気がしたんですけどね~~何かリーが自分の生まれ育った家を離れた理由が見えてくるような???リーの淋しさがソーッと伝わってきて胸が痛くなってしまいました。もちろん母親は二人の息子を同じように愛しているというのは分かるんですよね。その愛情は変わらない、二人が母親を思う気持ちも変わらない、、、そしてやっぱり二人の表現手段も変わらない、いや、変えることができない。特にリーがね~~砂漠に行くと言って聞かないオースティンにここに残れと急に諭し始める。老いていく母親の気持ちを思って、オースティンのことを思って、、、実は屈折した優しさではないかと思ったんですよね~~素直に、知的に、スマートにそれができない不器用なヤツ。あぁ~~ダメだ!またもや愛おしいキャラクターになりつつあるよぉ~~
でもそれだけじゃない激しさの方が上回っているんですけどね
最後に、、、初日から気になっていた食パン
どーして食パンなんだろうって思ってたんですよね~~単に主食だからと言われたらそれまでなんだけど。日本でいうところのお米→ご飯と考えるとちょいと面白いんですよね~~お米って信仰的要素になることがある、、、そう考えるとパンだって……キリストの肉ですから(爆!)それに拘るオースティンと、踏みつけながらもかぶりつくリー。二人の性質に絡めて見るとなかなか可笑しくて巧みな描き方だなぁと思いました。