4月18日ソワレの観劇記です。
今回はステージサイド……東京公演ではラストの舞台上 4回観た中では一番心に沁みたかもしれない。1幕からグイグイ迫ってくるものがあったので2幕ラストは大変なことになりそう と覚悟をして臨んだのですが、まさかのハプニング クローディアスの頭から落ちた王冠が決闘で倒れたレアティーズの背中付近までコロコロコロリン~ ビバ八百屋舞台 気にしなければいいのに気になってしまって集中できない(苦笑)おかげで涙が引っ込み……まぁ最後はやっぱり泣いちゃいましたけどね ステージ席でダダ泣きして収拾がつかなくなるのを避けられたのは良かったのか悪かったのか
ハムレットの狂気とオフィーリアの狂気、、、前者は「狂ったふり」で後者は「本当に狂っている」というのが自然かもしれないけど、この演目を観ていると何が本当なのか/正しいのか/間違っているのか……それを考えること自体が無意味なのかもしれませんが、あらゆる境界線が分からなくなってくる瞬間があるんですよね~~一般的に「異常」「阻害要因」とされるものを追求していくことで逆に真実が解明されることがあるけど(心理学とか…)狂気の中にあるべきものが見えることもあるのかなぁと思ってみたり あと、クローディアスやガートルードの言動についても上辺だけではなく本当にそう思っている部分があるのかもしれないなぁと思ったんですよね。少ないながらも罪の意識と善行は持ち合わせているのかもしれない ハムレットを息子と呼び王位を継がせるといったのも完全に取り繕いから出た言葉ではなく0.0000001%(笑)くらいは本当にそういう気持ちがあったから口をついて出たのかなぁと思ったんですよね。でも不幸にして相手がハムレットだった どこまで見抜いていたのか、はたまた父王の亡霊に翻弄されていたせいだったのか、奥の奥を見抜いてしまった。並の人間なら上手く立ち振る舞って過ぎ去ることができただろうに、できなかったから(それは至極正しい行いなのに)災いを招いてしまったことが不幸だったのではないかと思います。まぁ「卑劣な企みは我が身に返って」くるわけで復讐は復讐しかもたらさないのですが……分かっているんだけどね~~何か悲しくて悔しいわ。
今回は2度目のステージサイドということで本筋のお芝居もさることながらステージサイドの向かい側にある役者陣の待機場所/座る場所もウォッチ!墓掘り場面ではついつい視線上に座っているハムレットに もうぅ~~めちゃめちゃかっこいいんだもん でもちゃんと真面目に観ましたよ~~(笑)ハムレットとローゼンクランツとギルデンスターンが再会して腹の探り合いをしながらもじゃれ合う場面。それをホレイショーは上手側の待機エリアの椅子に座って見ているんだけど、もしかしたら大学ではこんな風に遠くからハムレットたちを見ていたのかもしれないと思ったんですよね。そういう表立った輪の中には入っていないけどハムレットとホレイショー二人だけの世界があって絆を育んでいたのかなと……なので後半のハムレットとホレイショーが語り合うシーンを眺めているローゼンクランツたちを見ながら彼らは何を思っていたのかなぁと気になってしまいました。
ハムレットとホレイショーの関係はホント深いと思うんですよね クローディアスの企みでハムレットをイギリスで殺させるべく学友2人を取り込むけど、それに気づいたハムレットは逆に学友たちがイギリスで殺されるように仕向ける。そのことをホレイショーに話した時に「どうせ人間の命なんて」とハムレットが言い始めた辺りからホレイショーのハムレットを見る目、雰囲気が違ってきているような……何か今までに感じたことのない違和感を感じ取っていたのか、不吉な予感が無意識に過ったのか。でもそういう人だからこそ自分自身の善悪を含めて後の世に正しく伝えられるヤツと見込んでハムレットは全てを託したのではないかと。死ぬ、眠る、普通ならそれで終わる。でも最期にハムレットはホレイショーに生きて真実を伝えるように頼む。死して尚その後に思いを巡らせてしまうハムレットの高潔さと知性は切ないものだなぁと思いましたね~~なーんか最後はいろんな思いが溢れてきてウルッと
ところでこの作品、、、結構演劇論的な皮肉やツッコミがたくさん 自分はそういうものに明るくないので感覚的なものではあるけど、これって当時のイギリス人に対する皮肉?みたいなところもあって思わず笑ってしまうシーンも 壌さん演じるポローニアスのよどみないセリフ回しといかにもイギリス人が考えそうな厭らしさがぐいぐい来て癖になる(笑)堪らんです でも劇中劇を題材に「演劇は人の姿を映し出す鏡」みたいなことを言っている場面、誰しも触れられたくない真を突くところが演劇にはあるよなぁ~と妙に納得してしまいました そして狂ったオフィーリアの言葉から「無意味な言葉がかえって意味を持つ」「聞く者は勝手に憶測し言葉を都合のいいように繋ぎ合わせる」というセリフが出てきますが、ふと……あーでもない、こーでもないとアレコレ妄想しながら頭をフル回転して観劇するのって何気ない言葉に意味を見出す人々の行為と同じことをしているのかなぁと自分自身を突っ込んでしまいました(苦笑)それが楽しんですけどね~~デヘッ
今回はステージサイド……東京公演ではラストの舞台上 4回観た中では一番心に沁みたかもしれない。1幕からグイグイ迫ってくるものがあったので2幕ラストは大変なことになりそう と覚悟をして臨んだのですが、まさかのハプニング クローディアスの頭から落ちた王冠が決闘で倒れたレアティーズの背中付近までコロコロコロリン~ ビバ八百屋舞台 気にしなければいいのに気になってしまって集中できない(苦笑)おかげで涙が引っ込み……まぁ最後はやっぱり泣いちゃいましたけどね ステージ席でダダ泣きして収拾がつかなくなるのを避けられたのは良かったのか悪かったのか
ハムレットの狂気とオフィーリアの狂気、、、前者は「狂ったふり」で後者は「本当に狂っている」というのが自然かもしれないけど、この演目を観ていると何が本当なのか/正しいのか/間違っているのか……それを考えること自体が無意味なのかもしれませんが、あらゆる境界線が分からなくなってくる瞬間があるんですよね~~一般的に「異常」「阻害要因」とされるものを追求していくことで逆に真実が解明されることがあるけど(心理学とか…)狂気の中にあるべきものが見えることもあるのかなぁと思ってみたり あと、クローディアスやガートルードの言動についても上辺だけではなく本当にそう思っている部分があるのかもしれないなぁと思ったんですよね。少ないながらも罪の意識と善行は持ち合わせているのかもしれない ハムレットを息子と呼び王位を継がせるといったのも完全に取り繕いから出た言葉ではなく0.0000001%(笑)くらいは本当にそういう気持ちがあったから口をついて出たのかなぁと思ったんですよね。でも不幸にして相手がハムレットだった どこまで見抜いていたのか、はたまた父王の亡霊に翻弄されていたせいだったのか、奥の奥を見抜いてしまった。並の人間なら上手く立ち振る舞って過ぎ去ることができただろうに、できなかったから(それは至極正しい行いなのに)災いを招いてしまったことが不幸だったのではないかと思います。まぁ「卑劣な企みは我が身に返って」くるわけで復讐は復讐しかもたらさないのですが……分かっているんだけどね~~何か悲しくて悔しいわ。
今回は2度目のステージサイドということで本筋のお芝居もさることながらステージサイドの向かい側にある役者陣の待機場所/座る場所もウォッチ!墓掘り場面ではついつい視線上に座っているハムレットに もうぅ~~めちゃめちゃかっこいいんだもん でもちゃんと真面目に観ましたよ~~(笑)ハムレットとローゼンクランツとギルデンスターンが再会して腹の探り合いをしながらもじゃれ合う場面。それをホレイショーは上手側の待機エリアの椅子に座って見ているんだけど、もしかしたら大学ではこんな風に遠くからハムレットたちを見ていたのかもしれないと思ったんですよね。そういう表立った輪の中には入っていないけどハムレットとホレイショー二人だけの世界があって絆を育んでいたのかなと……なので後半のハムレットとホレイショーが語り合うシーンを眺めているローゼンクランツたちを見ながら彼らは何を思っていたのかなぁと気になってしまいました。
ハムレットとホレイショーの関係はホント深いと思うんですよね クローディアスの企みでハムレットをイギリスで殺させるべく学友2人を取り込むけど、それに気づいたハムレットは逆に学友たちがイギリスで殺されるように仕向ける。そのことをホレイショーに話した時に「どうせ人間の命なんて」とハムレットが言い始めた辺りからホレイショーのハムレットを見る目、雰囲気が違ってきているような……何か今までに感じたことのない違和感を感じ取っていたのか、不吉な予感が無意識に過ったのか。でもそういう人だからこそ自分自身の善悪を含めて後の世に正しく伝えられるヤツと見込んでハムレットは全てを託したのではないかと。死ぬ、眠る、普通ならそれで終わる。でも最期にハムレットはホレイショーに生きて真実を伝えるように頼む。死して尚その後に思いを巡らせてしまうハムレットの高潔さと知性は切ないものだなぁと思いましたね~~なーんか最後はいろんな思いが溢れてきてウルッと
ところでこの作品、、、結構演劇論的な皮肉やツッコミがたくさん 自分はそういうものに明るくないので感覚的なものではあるけど、これって当時のイギリス人に対する皮肉?みたいなところもあって思わず笑ってしまうシーンも 壌さん演じるポローニアスのよどみないセリフ回しといかにもイギリス人が考えそうな厭らしさがぐいぐい来て癖になる(笑)堪らんです でも劇中劇を題材に「演劇は人の姿を映し出す鏡」みたいなことを言っている場面、誰しも触れられたくない真を突くところが演劇にはあるよなぁ~と妙に納得してしまいました そして狂ったオフィーリアの言葉から「無意味な言葉がかえって意味を持つ」「聞く者は勝手に憶測し言葉を都合のいいように繋ぎ合わせる」というセリフが出てきますが、ふと……あーでもない、こーでもないとアレコレ妄想しながら頭をフル回転して観劇するのって何気ない言葉に意味を見出す人々の行為と同じことをしているのかなぁと自分自身を突っ込んでしまいました(苦笑)それが楽しんですけどね~~デヘッ