じいの徒然日記

内野聖陽さんにfall in loveしたじいのおバカな毎日を綴った日記

Past the point of no return the final threshold...

2014-07-01 23:50:26 | その他いろいろ
最初にお断り 今日は激しく面白くない真面目な話です。ここは主義主張やら左右の政治やらを論じる場にするつもりは今までもこれからもないです。歴史的判断の段階ではない現在進行形の時事問題に関する主義主張を表明する目的「のみ」で芸術を論じることはダサいと思っています。でも今日だけは書かずにいられない・・・今日だけは・・・。

私が住んでいる地域の共同体の話。輪番制の役員たちで構成する役員会が執行役を担い、地域の活動や行事・隣人トラブルを話し合う。そして全住民が参加する集会で取り上げる議題を決める。去年うちが役員をやった時に会長職を引き受けたAさん夫婦は実行力があり、目に見える形で身近な問題を解決していく。しかし、何につけても準備不足が否めない。ある地域活動を提案した時のこと。準備された資料が少なくあまりにも不明点が多すぎるので説明を求めたところ、筋道の整った明確な答えは返ってこなかったばかりか「役員会はあくまで地域の集まりで取り上げる議題を決める場であって、最終的な判断を下すのは全住民。役員会だけで決定できるわけがない」「ここで自分の意見を通そうとするのはワガママだ。議題の内容についても役員会等の役割や関係性について少しお勉強された方がいいのでは?」と逆ギレ責められました。しかし、全住民対象の集会は参加率が低く、できるだけ役員の仕事や地域の仕事に関わりたくない家が多い。出席者は1/3、残りは議題に対して賛否を表明した上での欠席、あるいは委任状を出して欠席する。ある時、欠席者の表明した賛否によって結論を出さざるを得ない状況になり、会長の想定した方向に進まなくなった。するとその次の集まりからは出席or議長への委任状の2択しか認められなくなった……というか何の断りもなく欠席者の賛否表明をする項目を削除していた。議長はよほどのことがなければ会長がやるのが慣例なので、役員会の意思、会長の意思が通ることになる。今後、全住民が共同体運営に関心を示さなければ特定の人の恣意を許すことになるだろう。もっとも、意見を言ったところで話し合いには成立しないで「逆ギレ」されるだけなのだが。

集団的自衛権の行使を認めた閣議決定。閣議決定をしたからと言ってすぐに戦争に行くわけではない、それに伴う法整備が必要で国会で話し合う余地が残されている、実際に海外派遣になった時にはこれまた国会での承認が必要である、随分と都合の良い言い分だ。議席の大半を占めている自民党、そこから選出された総理大臣という現状にあっては、内閣の、つまり内閣総理大臣の思いのままになるということだ。今回の閣議決定に反対する決議や意見書を提出した地方議会に対して「日本人なら勉強しろ」と言った人もいた。きちんと“学んだ”からこその意見ではないか。“学んでいない”内閣や与党幹部の国会議員たちに教えてあげようではないか、義務教育で勉強したことを。

憲法第41条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。

憲法第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

第98条第2項について、政治家の先生たちは最高学府で勉強しているんだろうからもう少し難しい話をしてみようか。国際法の中の条約法に関するウィーン条約第27条では「条約の不履行を正当化する根拠として自国の国内法を援用することができない」と定められていて、国内の司法権との関係も併せて憲法>条約が現行で主流の考え方。それだけ憲法は重いということ、解釈変更なんぞで運用できるほど甘いものじゃない。日本国憲法が気に入らないなら堂々と憲法改正をすればいいじゃないか。相手の理解を得る説明や深い見識がないから力任せの強硬手段したのだろう。

最近、ひょんなことから湾岸戦争やイラク戦争で戦った兵士たちのその後、紛争地帯やその周辺で活動しているNGO等々に参加している人たちの経験に触れる瞬間があった。そこで引っかかった箇所……自分が撃たなければ撃たれて殺されていた、テロという言葉は一方的な呼び名であって敵から見ればこちらもテロリストであり、思想信条その他諸々の違いがあるだけで自分たちが正しくて相手は間違っているという意味では同等、相手も自分の信じるものを疑わないから迷いなく命を賭して体当たりしてくる……覚えのある言葉、世界。リチャード・ビーン作「THE BIG FELLAH ビッグ・フェラー」で描かれていたものではないか!それぞれが正しいと思っていることがぶつかり合い、殺し殺されるの永遠の繰り返し。同じ民族が弾圧を受けた、同じ宗教を信じている人が殺された、国民を守るために戦う。でもそれは同じ「括り」ではあっても身近な人ではない。コステロは戦争で家族を失ったわけではないが、別件で家族を失い、その重みを「実感」する。その時に初めて分かった平和の真実。集団的自衛権の行使、実際に戦地に派遣される可能性があるのは自衛隊だ。隊員やその家族は既に戦争が現実のものになっているだろうが、政治家や一般国民にとっては他人事だ。もっとも、10年後に徴兵制が必要になった時に気付いても遅いのだが。力による統治は暴力しか生まない。決して抑止力にはならないのだ。戦争は戦地で行われるだけではない。日本から軍事力が出ることによって海外にいる一般の日本人が狙われる。国内にいても無差別殺人に巻き込まれるかもしれない。被害者は犯人を恨むかもしれない。私はこういう事態をもたらした日本の政治家や時の権力者の支持者を恨みぬいて恨みぬいて、もしかしたら殺すかもしれない。今でもそんな感情が過ることがある。暴力は暴力しか生まないという理性と少しの保身がそれを阻止している。自分が銃を手に取って人を撃つ、家族に銃を持たせて他人の命を奪わせる、そういう覚悟のある人だけが賛成するべきである。

先の大戦、「後で気づいたらあのとき戦争は既に始まっていた」とコメントしたのはノンフィクション作家の澤地久枝さん。今日が戦前のあの日と同じ日にならないように、もう遅いかもしれないが今ならまだ間に合うのではないか。独裁者を許してはならない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする