日常

『ヘルプマン!』くさか里樹

2010-12-07 22:18:14 | 
■『ヘルプマン!』

イブニングで連載中の、『ヘルプマン!』(くさか里樹)という漫画。
すごくおもしろい。すばらしい。なんという漫画だろう。
何度も泣けた。  

『ヘルプマン!』は、介護の現場の話。
イメージではない介護のリアルの世界をとことんまで描いた漫画。 
介護の世界の闇も光も、底の底までえぐるように描いている。何度も胸が痛くなる。  

人間の闇の深さのようなものと、そこを突破する光の強さのようなもの。
両方向に同じくらいの振幅で強く揺さぶられた。


漫画のシーン。
愛情が憎しみにかわるとき。
誰もが人任せで、立場の弱い誰かに押し付ける構図。
システムのせいにして、誰も責任を取らない構図。・・・・
漫画のそれぞれの場面には、圧倒的なリアリティーがある。
見たくないけれど、いづれ誰もが見ないといけない現実を感じる。



■老い

老い。
自分の老いの問題、家族の老いの問題、誰かの老いの問題・・・・
人間である以上、そこを避けて通る事はできない。
僕らは、毎日毎月、生物として老い続けているのだから。


縄文時代、弥生時代・・・昭和、平成・・・
歴史。時の流れ。

その流れの中で、<健康で、元気で、若くて、お金持ちで・・・・>
そんな人こそが一番楽しく生きれるような社会を、結果として作りあげてきている。
色んな「イメージ」を見せて夢から醒めないように注意しながら、そんな社会を良くも悪くも、作り上げてきたように思える。

「光」を求めて、作り続けてきた。

その「光」の背後に、「影」は伸びる。
「影」の中で、ひとびとは孤立化して、個々の関係はバラバラになって、いろんな共同体を消していった。

そんな風に僕らが作り上げ、選んできた社会の中で、取り残された「老い」というものがどういうものになっているのか。
その現実を、介護の現場を通して見せてくれる漫画だと思う。



■光と闇

僕らが見なくなった影や闇は、かならず誰かが背負っている。

でも、この漫画は闇だけではない。最後には光がある。 
闇を作り出すのも人だし、そこを突破する光になるのも、結局は人なのだと思う。

『ヘルプマン!』は、いろんな光と闇を重層的に描く。

介護に関わる家族の闇と光、介護で働くひとたちの闇と光・・・・・・
闇だけではなく光を、光だけでなく闇を。 
イメージだけではなく現実を。
ファンタジーだけではなく眼の前の現実を。

その領域こ関わっているいろんなひとたちの痛みを、引き受けながら描いている。
まるで鎮魂しているように。



・・・・・・・・・・・・・・

話は変わる。

ちょっと前に高校時代の親友と話した。

親友と話すときは、きれいごとの話はしない。
お互い合う時間も限られているので、切実に考えている本音を、ズバリと語り合う。


■「自分」と介護

その中で出た話しで、
『もし親が突然病気で倒れたり介護が必要になったらどうするか。
 施設に預けるのか、自分が関わるのか。
 自分が関わるとしたら、具体的にどういう風に関わるのか。
 仕事をどうするのか、住む場所をどうするのか・・・』 

そんな話をしているときに、親友の口から、この『ヘルプマン!』を強く強く薦められたのです。
だから読んだ。
とても深い場所を揺さぶられる読書体験だった。


■程度や距離

ちなみに、親友とその時にいろいろ話した結論としては、
『やはり自分の親の介護は、「忙しい」というのは単なる言い訳以上のものではありえなくて、何かしら自分で関わるのが当然だろう』
という方向になった。
丸投げして放り投げる事は、決してしないと。


そうなると、「では、どの程度関わるのか」という、「程度問題」になっていく。


どんなことでもそうだ。何かしら関わろうとする時に、「どの程度かかわるのか」という、<程度や距離感>というのが、大きな問題になる。
これは、仕事でも常に起きることだ。


話があまりにも抽象的になっていくと、「話した気になって、なんとなく不安が解消される」モードへと、線路がいつのまにか切り替わる事がある。
だから、あくまでも具体性を重視して、そこからブレないように、話し続けた。

ひとりの人間として、介護とどこまで関わるか、嘘なくやっていくために必要な事を考えた。
「仕事は忙しいからしょうがないよね。仕事のことは置いておけないよね。」
っていう言い訳に逃げる事は、とても簡単なことだから。



■裸一貫

いろいろ話した結論近くとしては、
『どういう状況になるのかは誰にもわからない。
だからこそ、どういう状況でも生きていける準備を忘れてはいけない。

介護の不安は、「いまのこの生活が壊されてしまう」ことへの不安だ。
今までのような生活はできない。
今までのように仕事はできない。・・・

程度問題ではあるけれど、いまの生活を作り変えていく必要がある。
仕事を減らしたり、時には、仕事をやめたりしなくてはいけないこともあるだろう。

あとは、優先順位の問題だ。
自分にとって、短期的ではなく長期的に見て、何が結局たいせつなのか。

何があろうとも、自分をはぐくんだ家族はたいせつだろう。
家族があったからこそ、今の自分は生きて存在している。
その過程に何があろうと、そこが本質だ。
自分がこの世に存在していなければ、こうして考えることすら、ないはずだ。

酸素を吸って僕らが生きているけれど、その酸素の存在をたやすく忘れるように、
根本的な前提は忘れがちだ。
でも、その前提が喪失したり、失ったりした瞬間に、はじめてその存在に改めて気付く。
健康もおなじ。病になってはじめて気づく。
生もおなじ。死を意識してはじめて気づく。


あらゆるものの前提。
いまこうして生きていること。存在していること。

その前提よりも、この世にたいせつなことなんて、果たしてあるのだろうか。
その前提をないがしろにして、僕らが得ることにどれほどの価値があるのだろうか。

「介護」で天秤にかけられるのは、「自分の生活」「自分の仕事」・・たいていはそんなものだ。


介護に必要であれば、自分の仕事を辞めることも、ためらいたくない。
もし、いまの仕事を辞めたとしても、なんとかなるような状況でいるように、準備をすること。
小さいことにこだわるよりも、あらゆる状況に対応できるような自分の実力を、生活でも仕事でも、身につけていくことが大事だ。


自分の仕事にプライドを持つことと、執着してしがみつくことは違う。
いまの環境がどう変わろうとも、どんな環境でも自分が身に付けた何かを応用できるように、
誰かの人為的な評価を超えた強い底力をつけること。



どんな環境でも他者から求められるように、
ひとりの裸の人間として生きていく覚悟を常に持つこと。


今の仕事をプロとしてし続けることはもちろん大事だ。
ただ、そこと並行しながら、その根っこでつながるものを求めて、下へ下へ掘り続けること。


あらゆる時代や環境でも通用していけるようなもの。
原始的で自分の身ひとつでできるものを、見出していくこと。

そして、人は自分ひとりだけでは生きていけないものだから、
他者への感謝の気持ちと、抽象的な気持ちだけではなく、具体的な恩返しも、常に考え続けること。
介護も、そんな恩返しのひとつの営みだろう。』


そういう風に、話は落ち着いた。
あまり介護と関係ないような気もするけれど、
それだからこそ、介護に関わらず自分の中に生かしていける原理だとも、思った。



■「わたし」との関係性

思考実験のようなもの。
それは、どれだけ自分との関係性を保ち続けて、「わたし」と関係性があるものとして想像できるかどうかが大事だ。

そこに「わたし」がないと、どうとでも言えるものだ。
(⇒『「ワタシ」を入れること』(2010-10-14)で書いた内容も近い)

『じゃあ、自分はどうなんだ。』と自問自答して、「わたし」との関連性をつくること。
ひとや社会や・・・自分以外のものに対して何かを指摘するのはいいけれど、まったく同じことを自分自身に突き付けた時、ほんとうに胸を張って自分自身に嘘が無いと言えるのかを考えてみることは大事だ。

バランスが悪いと誰かに言うとき、自分自身が本当にバランスがとれているのか、自分自身にも問うこと。
ニセモノだとか、インチキだとか誰かに言うとき、自分自身が本当にニセモノやインチキに惑わされていないか、自分自身にも問うこと。・・・・・・


自分以外の誰かに向けたものを、自分自身に向けることは、たいてい「痛み」を伴うものだ。
「痛み」を伴うからこそ、「わたし」との関係性が、そこで生まれるのだろう。


そんな些細なことだけで、その思考実験が自分の現実世界に接続したものとなるか、思弁のための思弁の空想世界で終わるか(それは単なる言い訳を探す時間として使われがちだ)、どちらかへと針は振れてしまう。


高校時代の親友と話したこと、介護に関する思考実験のこと。
『ヘルプマン!』を読む前も、読んだ後も、この出来事が自分の中で重層的に分かちがたく重なってくる。



・・・・・・・・・・・・




くさか里樹さんの『ヘルプマン!』は、読者の心の深い場所へと強く訴えかけてくる漫画です。

どの登場人物にも、深い共感を持って、やり場のないかなしみを持って、読み続けることができる。


この漫画を読むと、介護や老いの現場が、自分と関係のない他人事として考える事は、できなくなると思う。
自分への強い結びつきや、自分との強い関係性を、不思議な結び目でつなぎあわせてくれる漫画です。


誰もが、仕事を通して誰かの役に立ちたいと思っていると思う。
自分一人のためだけに生き切るほど、人間は強くない。

光を求めて歩き続けたら、いつのまにかに深い闇の中にまぎれこんでいることがあるかもしれない。
誰かの役に立ちたいと思っていたはずなのに、そこでは結果的にいろんな人を傷つける仕事になってしまっているかもしれない。
こんなはずじゃなかったと、時には頭を冷やして立ち止まるかもしれない。


深い闇を歩き続けた最後には、きっと思いがけないところから光が差す。
そして、そのことに関わっている人たちは、全員がその同じ光を見上げて、それぞれが成長していく。
そして、また一歩一歩、歩き始めることができる。

そんな漫画なのです。



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「ヘルプマン!」(9巻より)
(国家資格の介護士を目指す百太郎に、
死んだ祖母のサダばあが残した手紙)



ばあちゃんは 
いつ死んでも いまさら思い残すこともないが
お前のことだけが気がかりです

人生はお前がおもっているほど
甘いものじゃないよ 百太郎


どんな利口者でも 一度や二度はつまずくものだ
ましてや 出来の悪いおまえのことだ
後先考えず突っ走って
調子がいいといい気になって
そのくせちょっとうまくいかないと
じき やけになって投げだす
およそ地道に努力するということを知らん

介護の仕事も
やがては資格のある
地道で賢い者に追い抜かれて
落ちこぼれるのは目に見えている


だけど
おまえが介護の仕事をやりたいと言ったとき
ばあちゃんは嬉しかったよ


何があろうと
人さまがどう言おうと ばあちゃんはわかっている

おまえは心根の優しい
情のある子だ

人として
一番大事な宝物をおまえは持っている


体に気をつけて
精一杯頑張りなさい

自分を信じて

人生に一度ぐらいはとことん頑張ってみなさい

お前の幸せを祈っているからね


サダばあより


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