日常

自我の溶解炉

2010-10-31 23:02:29 | 考え
仕事の後輩と話していて、なぜ山に登るのかと聞かれた。 

自然は美しいし、色んな理由があるだろう。

ふと思うのは、一時的に自我を溶かす働きもあるんだと思う。  
巨大な自然の中で、小さい自我は溶けてなくなる。  


登山をしていると、あるときから無意識で山も岩も登ってる。
勝手に体が動く。 
そのときの司令塔は、脳とか意識ではなくて、自分の体。 
そのとき、きっと自我は溶けてなくなっている。
ひとつの体を持つ存在なのは変わらないけど、自分の自我は自然に溶ける。



自我を溶かしたり、固くしたり緩くしたり微調整できるようになると、その調節弁を少しひねるだけで、お年寄りにも、子供にも近い状態に合わせることができる。 
同じ目線の高さで、同じような風景を見ることは、普段でも仕事でも応用が利く。

たとえば、自分は在宅医療でも応用しているんだと思う。
自分の自我のモードを変えていかないと、全てはこちら側の世界観でしか、物事を見れなくなる。


熱中するもの、好きなもの、没頭できるもの。
それは、自我の溶解路のような働きがあるんだろう。
時には、広い場所でノビノビと遊びたいんだろう。

2 コメント

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自我 (YUTA)
2010-11-07 15:46:33
最近、更新が多くて嬉しいのですが、難しい話なのでコメントできずにいました。

結局、自我があるゆえに人は苦しむので、仏教では無我が理想の境地とされています。しかし、それでは人類などという知的生物が生まれたのは全くの不幸でしかないということになります。「肯定的な自我」があるかどうかを確かめるのが人類のテーマかもしれません。

カントは、自己(主観)と世界の関係についてヒュームの影響をかなり受けたということですが、私はヒュームを読んだこともないし書店にも置いてないのでまだまだ分かりません。
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無我 (いなば)
2010-11-09 14:59:44
>>>YUTAさん
同じく、更新が多いのにコメントが少なくさびしく感じておりました。笑

そうですね。仏教は自我を解体して「無我」に行けと言いますね。
それは、自我を一度確立したら、それを一度壊せって言ってるんだと思いますね。
そして、イミテーションではなく、自分の手でゼロから自分を作りなおせと言っているようで。

いろんな衝撃的な体験って、そういう効果があると思います。
否応なく、自我は嵐のように吹き飛ばされてしまうというか。まあ、自然を相手にしていても思いますね。


ちなみに、このブログは「我」ではなく、「吾」のほうの「ワレ」なのです。深い意味はなくて直感なんですけど、やはりそういうのに興味あるんでしょうね。



ヒューム。
僕も名前しか知りませんが、西洋哲学史の本には必ずのってる人の気がするので、今度調べてみます。
僕は、哲学そのものより、哲学史の法に興味ありますね。
どういう風に、変遷してきたのかっていう、流れそのものに興味がわきます。
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