
古代ギリシャと古代日本をつなぐ新作能『冥府行 ~ネキア』。
古代ギリシャの長編叙事詩であるホメロス「オデュッセイア」を能に仕立てたものです。
2016/1/20での国立能楽堂での再演を見て、本当に素晴らしい能でした。
【10/11火曜日午後18時30分開演 @京都観世会館】
で再演されます!!京都辺りにお住いの方、是非ご覧ください!!
もういつ再演されるか分かりません。
主人公となるシテは、日本国宝でもある梅若玄祥先生が舞われます。

********************
『冥府行 ~ネキア』は、古代ギリシャの長編叙事詩であるホメロス「オデュッセイア」を能に仕立てたものです。古代ギリシャと古代日本の出会い。
ミハイル・マルマリノスさん(ギリシア人演出家)と、笠井賢一さんの共同作です。
「オデュッセイア」第11章の「ネキア」を下敷きとして、魔女キルケー(梅若玄祥)の助言に従い、死後の世界に行ったオデュッセウス(観世喜正)が、ライバルを含む戦乱の死者たちや、予言者のティレシアス(梅若玄祥 2役)と出会い、思いを聞き、再度帰還してくる物語です。
ブログに以前書いた内容から引用します。
○新作能『冥府行 ~ネキア』(2016-01-24)
私たちが通常起きて生活している表層意識は、「現在」を起点として「過去」と「未来」とを夢想しています。
もちろん、それは現在の現実を変える力をも持ちます。
ただ、私たちが眠っている時、「現在・過去・未来」は一つに入り混じり、「時」という概念すら存在しません。
夢の世界を思い出してみると分かります。夢の中では、わたしたちの現実世界の定点として存在している「時間」や「空間」という概念から自由になっているのではないでしょうか。
どうやら、「時」という概念そのものが、人が通常の生活を送っている表層意識で作り上げた世界での、人類に特有の特殊な現象なのかもしれません。
寝ているときも人間は生きているように、生命は色んな意識の層を行き来することで全体性を取り戻しながら生きています。
能楽は、その特殊な状態を、巧みに鮮やかに扱う芸術なのです。
能楽では、原初の世界である「時」が存在しない状態へ誘うために、特殊な意識状態を前準備として作りあげていきます。
それが、囃しや鼓などの拍子。
他にも、謡いで行われる、言霊の響きそのもの。
ことばには、表層世界での意味内容を伝える以前に、振動や波動としての呪術的な性質が残っています。
合理的なものだけで構成された社会では、言葉の上澄み液としての<意味・内容を伝える働き>だけが残滓として残っていますが、能楽や狂言で行われる「謡い」の言霊には、人類が生み出した「ことば」の原始的で呪術的な性質がいまだに息づいていると感じます。
それは、「あたま」でやり取りすることばの意味以前の世界です。
心や魂で振動として感じる、ことばの力。
そうした様々な身体技法や能舞台の空間設定により、鑑賞者は「時」が溶解する原初的な「一なる世界」へと連れて行かれます。
いのちは、頭ではなく、体全体の体験として、受け継いでいくものなのでしょう。
芸能や芸術からは、そういうことも感じます。
体験として受け継ぐために芸術や芸能や音楽はある。
宇多田ヒカルさんのNHKのSONGSスペシャル「宇多田ヒカル ~人間・宇多田ヒカル 今「母」を歌う~」を見たときも、同じことを感じました。
・・・・・・・・
色々と理屈を述べましたが、
とにかく、全身の細胞で体験してほしいです!
平日ではありますが、近くにお住まいで行ける方は是非!!
●京都観世会館スケジュール
●2016/10/11日(火) 至高の華 京都特別公演 新作能「冥府行~ネキア~」
<参考>
○新作能『冥府行 ~ネキア』(2016-01-24)
○アーツカウンシル東京 平成27年度 第Ⅰ期 東京芸術文化創造発信助成 新作能「冥府行~ネキア NEKYIA」



2015年7月24日(金)~25日(土)(エピダウロス野外劇場)で行われたときの様子。アーツカウンシル東京のHPより。
○BS朝日「世界遺産で神話を舞う ‐人間国宝・能楽師とギリシャ人演出家」(2016年1月3日(日))より




古代ギリシャの長編叙事詩であるホメロス「オデュッセイア」を能に仕立てたものです。
2016/1/20での国立能楽堂での再演を見て、本当に素晴らしい能でした。
【10/11火曜日午後18時30分開演 @京都観世会館】
で再演されます!!京都辺りにお住いの方、是非ご覧ください!!
もういつ再演されるか分かりません。
主人公となるシテは、日本国宝でもある梅若玄祥先生が舞われます。

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『冥府行 ~ネキア』は、古代ギリシャの長編叙事詩であるホメロス「オデュッセイア」を能に仕立てたものです。古代ギリシャと古代日本の出会い。
ミハイル・マルマリノスさん(ギリシア人演出家)と、笠井賢一さんの共同作です。
「オデュッセイア」第11章の「ネキア」を下敷きとして、魔女キルケー(梅若玄祥)の助言に従い、死後の世界に行ったオデュッセウス(観世喜正)が、ライバルを含む戦乱の死者たちや、予言者のティレシアス(梅若玄祥 2役)と出会い、思いを聞き、再度帰還してくる物語です。
ブログに以前書いた内容から引用します。
○新作能『冥府行 ~ネキア』(2016-01-24)
私たちが通常起きて生活している表層意識は、「現在」を起点として「過去」と「未来」とを夢想しています。
もちろん、それは現在の現実を変える力をも持ちます。
ただ、私たちが眠っている時、「現在・過去・未来」は一つに入り混じり、「時」という概念すら存在しません。
夢の世界を思い出してみると分かります。夢の中では、わたしたちの現実世界の定点として存在している「時間」や「空間」という概念から自由になっているのではないでしょうか。
どうやら、「時」という概念そのものが、人が通常の生活を送っている表層意識で作り上げた世界での、人類に特有の特殊な現象なのかもしれません。
寝ているときも人間は生きているように、生命は色んな意識の層を行き来することで全体性を取り戻しながら生きています。
能楽は、その特殊な状態を、巧みに鮮やかに扱う芸術なのです。
能楽では、原初の世界である「時」が存在しない状態へ誘うために、特殊な意識状態を前準備として作りあげていきます。
それが、囃しや鼓などの拍子。
他にも、謡いで行われる、言霊の響きそのもの。
ことばには、表層世界での意味内容を伝える以前に、振動や波動としての呪術的な性質が残っています。
合理的なものだけで構成された社会では、言葉の上澄み液としての<意味・内容を伝える働き>だけが残滓として残っていますが、能楽や狂言で行われる「謡い」の言霊には、人類が生み出した「ことば」の原始的で呪術的な性質がいまだに息づいていると感じます。
それは、「あたま」でやり取りすることばの意味以前の世界です。
心や魂で振動として感じる、ことばの力。
そうした様々な身体技法や能舞台の空間設定により、鑑賞者は「時」が溶解する原初的な「一なる世界」へと連れて行かれます。
いのちは、頭ではなく、体全体の体験として、受け継いでいくものなのでしょう。
芸能や芸術からは、そういうことも感じます。
体験として受け継ぐために芸術や芸能や音楽はある。
宇多田ヒカルさんのNHKのSONGSスペシャル「宇多田ヒカル ~人間・宇多田ヒカル 今「母」を歌う~」を見たときも、同じことを感じました。
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色々と理屈を述べましたが、
とにかく、全身の細胞で体験してほしいです!
平日ではありますが、近くにお住まいで行ける方は是非!!
●京都観世会館スケジュール
●2016/10/11日(火) 至高の華 京都特別公演 新作能「冥府行~ネキア~」
<参考>
○新作能『冥府行 ~ネキア』(2016-01-24)
○アーツカウンシル東京 平成27年度 第Ⅰ期 東京芸術文化創造発信助成 新作能「冥府行~ネキア NEKYIA」



2015年7月24日(金)~25日(土)(エピダウロス野外劇場)で行われたときの様子。アーツカウンシル東京のHPより。
○BS朝日「世界遺産で神話を舞う ‐人間国宝・能楽師とギリシャ人演出家」(2016年1月3日(日))より



