寝ることについて考えてみた。
というのも、今までの人生で「寝る」ことに関してちゃんと考えたことなかった。
むしろ、「寝る時間なんて勿体ない」と思っていた派閥の一員でした。
バリバリと仕事をしている人は、私生活や睡眠時間を犠牲にしている人が多かったし、概してそう言う人がテレビに出てきて派手な印象を与えるので、学生の時はそういう人がかっこいいと思っていた。
しかし、ここ最近は考えが裏返ってきた。
というのも、「寝る」とか「夢」の状態をちゃんと考えてみたからだ。
「無思想の発見」養老孟司(2009-06-20)で自分が書いた文章から引用して簡潔に書くと、
****************************
・僕らが寝ているとき、起きているときと同じ程度のエネルギーを脳は消費しているらしい。
・起きて頭を使って考えると脳の中が無秩序になる。だから眠ることで積極的に脳に秩序を作る。
・意識(起床時)と無意識(睡眠時)は相互に補完関係にあり、相互に助け合っている。
****************************
眠らずに無理して頑張って仕事をしているということは、逆に言えば頭を使ってないからこそできる芸当なのだということに、ふと気づいた。
それは、眠らない状態を続けるために、徐々に頭を使わない状態へと、自分が気づかないうちに意識をダマシダマシ移行していくということかもしれない。
寝ずに創造的な仕事をしていると思うのは単なる錯覚で、寝ないでも自分の「からだ」が維持できているならば、その仕事は単なる事務作業に近いものに過ぎない。
あまり考えてないからこそ、寝ないでも何とか仕事ができるのだ。
無理が来ると、必ず自分の「からだ」が悲鳴を上げるはず。
それは、「こころ(意識)」では絶対に制御できないもの。
「こころ(意識)」中心で考え過ぎて、「からだ」の発想を忘れてしまうと、「寝る」ということが無駄で無意味だと考えるようになってしまう。
それこそ、「こころ」と「からだ」は分離していると考える、「こころ(意識)」中心の「心身二元論」の弊害である。
・・・・・・・・・・・・
実は、自分にも身に覚えがある。
研修医のとき、寝ないで頑張っていた時期があった。
今思うと、あまり物事を考えず、パターン認識で対応していたことに気づく。
無限のパターンを持つ相手や他者を中心に発想することを放棄していた。
自分の意識(こころ)中心で、「からだ」への配慮はなかった。
ただ、今は違う。
社会人になって6年目だけど、社会人になってから無駄に最も考えている時期なのではないかと思う。
それは日常業務の瑣末なことと言うよりも、もっと大きく俯瞰的な視点で見たときの根本に潜む問題とか、そういう深く考えないと見えてこないものを考えてみている。
自分が年下の研修医の先生に教える立場になったから、いい加減なことを教えるわけにはいかないということがきっかけかもしれないが、何かしらの事柄を深く深く考えている日々なのです。
・・・・・・・・
そして、
毎日考えているから、毎日ひたすら眠い!
昼でも、寝ようと思えば10分だけでも寝れる。
しかも目覚めもさわやか。夢もかなり覚えている。
こんなの今までの人生でなかった気がするなぁ。
今までは、なんとなくの惰性で毎日寝てた気がするけど、今は寝ることにプラスの意味を感じながら、かなり積極的に寝ている。
意識と無意識が相互補完的にあるという意味が身に染みてよくわかる。
大雑把に言えば、
「こころ」とは「意識」であり「起きている状態」である。
そこばかりが肥大すると置き忘れてしまう感覚がある。
それは「からだ」に関してである。
「からだ」は、自分が「寝て」「無意識」になっている状態に間違いなく存在している、そんな「無意識(睡眠時)」状態の自分自身の姿である。
自分が起きているときに寝ている自分を見れないから、そんな「からだ」を考慮に入れることを忘れがちになるのかもしれない。
「毎日、ひたすら眠い」と思っているアナタ。
そんなアナタは、きっとすごく多くのことを日々感じて考えている証拠なのだと思う。
ものすごく抽象度の高い問題を、言語化できないレベルで抽象的なモヤモヤのまま、感じ続け・考え続けている人なんだと思う。
だから、そういう人は概して不思議な感じだったり、妄想癖があって人の話を聞き忘れることがあったり、「ボーッ」としていると言われたり、小学生くらいの時代には「ドンくさい」とか言われていじめられたり、人に理解されにくかったり、集団に容易に溶け込めなかったり、なんとなく周りと話が合わなくなったりする。
ただ、僕は気づいてしまった。
日々眠い人は、疲れているというよりも、
毎日感じて考えていることの裏返しなのだ。
そして、そんな「寝ている」「無意識」の状態である「からだ」が、自分の「こころ(意識)」と一体であることを、直感的につかんでいる人なのだと思う。
・・・・・・・・・・・・
今、毎日とにかく眠い!
そして、これはきっといいことなんだと感じています。
1日24時間で8時間寝ているとすると、1日の3分の1は寝ている。
90年生きるとすると、30年は寝ている。
自分史の3分の1程度が睡眠史になるはずなのです。
(ただ、睡眠時無呼吸症候群(SAS:sleep apnea syndrome)という病気だと日中に傾眠傾向になりますので、その病気じゃないかどうかは御注意を~。)
というのも、今までの人生で「寝る」ことに関してちゃんと考えたことなかった。
むしろ、「寝る時間なんて勿体ない」と思っていた派閥の一員でした。
バリバリと仕事をしている人は、私生活や睡眠時間を犠牲にしている人が多かったし、概してそう言う人がテレビに出てきて派手な印象を与えるので、学生の時はそういう人がかっこいいと思っていた。
しかし、ここ最近は考えが裏返ってきた。
というのも、「寝る」とか「夢」の状態をちゃんと考えてみたからだ。
「無思想の発見」養老孟司(2009-06-20)で自分が書いた文章から引用して簡潔に書くと、
****************************
・僕らが寝ているとき、起きているときと同じ程度のエネルギーを脳は消費しているらしい。
・起きて頭を使って考えると脳の中が無秩序になる。だから眠ることで積極的に脳に秩序を作る。
・意識(起床時)と無意識(睡眠時)は相互に補完関係にあり、相互に助け合っている。
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眠らずに無理して頑張って仕事をしているということは、逆に言えば頭を使ってないからこそできる芸当なのだということに、ふと気づいた。
それは、眠らない状態を続けるために、徐々に頭を使わない状態へと、自分が気づかないうちに意識をダマシダマシ移行していくということかもしれない。
寝ずに創造的な仕事をしていると思うのは単なる錯覚で、寝ないでも自分の「からだ」が維持できているならば、その仕事は単なる事務作業に近いものに過ぎない。
あまり考えてないからこそ、寝ないでも何とか仕事ができるのだ。
無理が来ると、必ず自分の「からだ」が悲鳴を上げるはず。
それは、「こころ(意識)」では絶対に制御できないもの。
「こころ(意識)」中心で考え過ぎて、「からだ」の発想を忘れてしまうと、「寝る」ということが無駄で無意味だと考えるようになってしまう。
それこそ、「こころ」と「からだ」は分離していると考える、「こころ(意識)」中心の「心身二元論」の弊害である。
・・・・・・・・・・・・
実は、自分にも身に覚えがある。
研修医のとき、寝ないで頑張っていた時期があった。
今思うと、あまり物事を考えず、パターン認識で対応していたことに気づく。
無限のパターンを持つ相手や他者を中心に発想することを放棄していた。
自分の意識(こころ)中心で、「からだ」への配慮はなかった。
ただ、今は違う。
社会人になって6年目だけど、社会人になってから無駄に最も考えている時期なのではないかと思う。
それは日常業務の瑣末なことと言うよりも、もっと大きく俯瞰的な視点で見たときの根本に潜む問題とか、そういう深く考えないと見えてこないものを考えてみている。
自分が年下の研修医の先生に教える立場になったから、いい加減なことを教えるわけにはいかないということがきっかけかもしれないが、何かしらの事柄を深く深く考えている日々なのです。
・・・・・・・・
そして、
毎日考えているから、毎日ひたすら眠い!
昼でも、寝ようと思えば10分だけでも寝れる。
しかも目覚めもさわやか。夢もかなり覚えている。
こんなの今までの人生でなかった気がするなぁ。
今までは、なんとなくの惰性で毎日寝てた気がするけど、今は寝ることにプラスの意味を感じながら、かなり積極的に寝ている。
意識と無意識が相互補完的にあるという意味が身に染みてよくわかる。
大雑把に言えば、
「こころ」とは「意識」であり「起きている状態」である。
そこばかりが肥大すると置き忘れてしまう感覚がある。
それは「からだ」に関してである。
「からだ」は、自分が「寝て」「無意識」になっている状態に間違いなく存在している、そんな「無意識(睡眠時)」状態の自分自身の姿である。
自分が起きているときに寝ている自分を見れないから、そんな「からだ」を考慮に入れることを忘れがちになるのかもしれない。
「毎日、ひたすら眠い」と思っているアナタ。
そんなアナタは、きっとすごく多くのことを日々感じて考えている証拠なのだと思う。
ものすごく抽象度の高い問題を、言語化できないレベルで抽象的なモヤモヤのまま、感じ続け・考え続けている人なんだと思う。
だから、そういう人は概して不思議な感じだったり、妄想癖があって人の話を聞き忘れることがあったり、「ボーッ」としていると言われたり、小学生くらいの時代には「ドンくさい」とか言われていじめられたり、人に理解されにくかったり、集団に容易に溶け込めなかったり、なんとなく周りと話が合わなくなったりする。
ただ、僕は気づいてしまった。
日々眠い人は、疲れているというよりも、
毎日感じて考えていることの裏返しなのだ。
そして、そんな「寝ている」「無意識」の状態である「からだ」が、自分の「こころ(意識)」と一体であることを、直感的につかんでいる人なのだと思う。
・・・・・・・・・・・・
今、毎日とにかく眠い!
そして、これはきっといいことなんだと感じています。
1日24時間で8時間寝ているとすると、1日の3分の1は寝ている。
90年生きるとすると、30年は寝ている。
自分史の3分の1程度が睡眠史になるはずなのです。
(ただ、睡眠時無呼吸症候群(SAS:sleep apnea syndrome)という病気だと日中に傾眠傾向になりますので、その病気じゃないかどうかは御注意を~。)
>日々眠い人は、疲れているというよりも、
毎日感じて考えていることの裏返しなのだ。
ってとこが励みになりました。
そいえば、糸井さんも
「不眠ナルシズム」って言ってた。
なんか、ある時期ありましたよね。
寝ないことがカッコイイ時期!
「オレ、2徹だよ~」みたいの。
ぼく、割と昔から
パンクチュアルな生活が好きで
でも、確かにある時期、そういうのが
ものすごくかっこ悪い時期があった。
いわゆる「無頼派」イズム。
寝ないで、朝まで飲みつぶれて
生活もめちゃくちゃなのがいいみたいな。
村上春樹、結構好きなのって、
彼は、そういうのを否定してるんですよね。
海辺のカフカの執筆時のエピソードでも
「繰り返しには呪術性があります」
みたいなことを言ってた。
日々、ただ地味に同じことを繰り返すことの魅力。
掃除とか好きなのも結構似たことかも。
秩序をつくる作業の魅力。
直線的時間から円環的な時間
みたい真木悠介『時間の比較社会学』的なテーマでもありますなー。
…と徒然やってたら、
案の定、エンドレス化の予感が!
仕事に戻りまする。
では、また。
特に、勉強を終えて異文化で仕事をして部屋に戻ると頭がびりびりと痺れているのに気がつきます。
そして普段とはちょっと違う頭痛を感じます。
よく1時から少し仮眠をとって、そして仕事に行ったりしますね。
きっと、頭の筋肉痛なんでしょう。そしてその頭痛としびれを経て、言葉のパズルが構築されていっているのだと信じたいものです。
ところで、こんなサイトあるんですよ。
「ねむログ」。眠りをキロクするものです。
■Isくん
>>>>>>>>>>>>>
「不眠ナルシズム」って、最初あるよねー。
いかに眠いでバリバリとマッチョに働けるか、みたいな。
ダラダラ寝る時間あれば働け!みたいな。
今は全然いいと思いませんねー。
寝ないで頑張れてる人は、逆に信用ならん。
おそらく、仕事を考えてやってない証拠なんじゃないかと思い始めてきたし。
実際、自分もそうだったことを素直に認めます、はい。
「無頼派」イズムっておもろいね。
Rockな感じね。とにかくロックンロール!
酒と女とドラッグだー、みたいな。笑
生活が規則正しくちゃんとしてて、
朝早くおきて夜早く寝る。
みたいな、やはり自然の営みに沿った生活がいいなーって思いますね。
夜遅くまで明かりをつけて起きているのはきっと不自然で、本当は年に数回の祭りのときに、火を囲書みながら踊ったり、そんな感じの時だけ夜通しでおきているものだったんだと思います。
掃除とかに関しても、内田樹さんのブログで、村上春樹との関連で確かに語ってたよー。内田樹さんの新しいブログ見てみてー。
秩序と無秩序。
創造と破壊。
有と無。
こんなのをグルグルと繰り返していく、そんな動的な営みこそが静的な状態を作るんでしょうなー。
言葉って対立語とか、不思議だよねー。
二つで一つだし、一つで二つって感じでね。
仕事、頑張ってねー。
そろそろ東京戻ってくるのかなぁ?
>>>>>>>>>>>>>
■Shin.Kくん
>>>>>>>>>>>>>
最近、とにかく眠いのですかー。
やはりそうなんですね。
異分化の中で、常に気を張っていろんなことを無意識に考えまくっているんだと思いますよ。
僕はいいことだと思います。
そこで積極的に夢とか無意識の層に入っていくと、意識世界も相乗効果を生むようになります。
不思議だー。
「ねむログ」、いろんな人がいろんなサイト作るねー。笑
わしも、ちょい前までは夢とは何?ってことに全然興味わかなかったけど、Amazonで見ていると夢関係で面白そうなの己付けから、少し読んでみようって思います。
時間あればブログでも還元しますねー。
○「夢に迷う脳――夜ごと心はどこへ行く?」(J・アラン・ホブソン、池谷 裕二、 池谷 香)
○「人間関係にあらわれる未知なるもの―身体・夢・地球をつなぐ心理療法」(アーノルド・ミンデル (著), 富士見 幸雄 (監訳), 藤崎 亜矢子 (翻訳) )
色々と教えを請うて
…週に一度は美術館に行くこと…等々
戻ります。
内田樹さんはの視点、ホント鋭いですよね。(教育論とか特に)
自炊してみてたとこなので、ナルホド、春樹文学がご飯と掃除で成り立っているというのは腑に落ちます。
以前、自宅を兼ねてる設計事務所にお昼頃電話したら、「スイマセン、今スパゲティ茹でてるんで、折り返します」って言われて、「村上春樹か!」って同僚がツッコミを入れていたけど、
…そういうツッコミが成り立つくらい、確かに春樹文学は料理するんですね。
あと、福岡ゆかりの文学展みたいのやってて、
片山恭一
平野啓一郎
藤野千夜
三崎亜記
白石一文
さんなどが現代作家として出てて、
またまた、「地域」ゆかりの…
というテーマを思いました。
emobile契約して、USB接続で
携帯がモデムになるようになりました。
コレ、すごいですね!
あと、iPhoneの新しいの出ましたね。
ドライブに行ったときナビしたのですが、
今回、コンパスが着いていて、
全くカーナビになってビックリ!
「触ってるだけで楽しい」って感じ。
☐Is
>>>>>>>>>>>>>
最近は大学病院の非効率なシステムのせいで、
かなりの時間を消費させられていました。
当初は人のためであったはずの「システム」が、
徐々に人間を疎外する「システム」になっていくというのは、
村上春樹のエルサレムスピーチで言われたことですね。
⇒「村上春樹「エルサレム賞」より感じたこと」(2009-02-25)
http://blog.goo.ne.jp/usmle1789/e/37194dd05c64bfe99834effaad162985
そういう意味で、最近はそういう「システム」というものに
興味を持ち始めています。
なぜ、誰の為にもならない「システム」のようなものが、
「システム」が「システム」として維持する為だけに存在するのか。
これは、人間とかヒトっていうことにも
応用性が利く議論のような気がします。
ま、悪口を言うのは誰にでもできますが、
その「悪い」と思った根本原因は求め、
とにかく掘っていくってのは大事ですよねー。
今、そんな粗悪なシステムが成り立つ
根本原因を求め、深く深く掘っています。
春樹文学がご飯と掃除で成り立っているというのは、
きっと「生活」というものを重視しているんだと思います。
いろんなものを突き詰めて考えていくと、
「生活」がポッコリ落ちた浮世離れした議論になることって
よくありますよね。
身体がぼろぼろになるまで働くのもそうだし、
自分のプライベートを全て捨てて仕事に打ち込むこと
なんていうのもそうだし。
深夜まで仕事がかかり、食事が不規則になり、
睡眠が不規則になり、変な食事を食べるようになり・・・
そんな自分の「からだ」と「こころ」を根っこで支えている
「生活」の視点が抜けることはよくある。
だからこそ、
普段から質素で清貧でつつましい「生活」を送る延長上に、
いろんな大きな物事っていうのは積み重なっていく気がする。
それが食事(いわゆるグルメとか美食とかじゃなくて)
とか掃除の概念につながっていくんだろうね。
emobileとかiPhoneとか、
テクノロジーの進化はすごいよねー。
人間の飽くなき創造力ってすごいわーって思う。
しかも、ほんのここ数百年での進歩だしね。
久しぶりにテトリスをやって、そんなことを思いました。やはり、テトリスは奥が深い!笑。
テトリス論、またいつかみなさんで話したいです。
■la strada様
>>>>>>>>>>>>>>>>>>
単純なゲームするときって、ほんと頭が空っぽって感じですよね。
もう反射神経とか、動物本能でやってるみたいな感じ。
そうやって、おきながら脳を寝かしてるんだろうね。
マグロとかも、泳ぎながら寝るって言うし。(少し違うかー笑)
テトリスなんて、「秩序を作って、全部ゼロ=無になって、また秩序作って」・・・っていう、近代合理主義から見ると、途方もない非合理なことやり続けるゲームだよねー。
地獄での賽の河原みたいな感じがある。石を積みあげたら、鬼が壊して、また作って・・・それを永久に続ける、みたいな世界観!
テトリス論、考えると深めれるよねー。
あれは、社会における人間関係の縮図ですわ。
そのままだとうまく合わないけど、ちょっと向きを変えるだけでピタリと既存のものと合うとことかね。
しかも、最終的には積み上げて、消えてゼロになるのが目標っていうのが、永遠に終わらない矛盾に満ちた目標だからね。笑
そして、疲れとテトリスの関係は興味深いです。僕も昨年、仕事疲れで入院したときは睡眠が大事にもかかわらず1日10時間くらいパズルゲーム「ルミネス」をやってました。むさぼるように、という表現が正しいくらい、機械的で終わりのない作業を必要とするときってあるものですね。
ああいう、ゲームに没頭する時間と言うのもひとつの眠りといえるのかもしれません・・・
「合理的
石炭使えば不合理で
石油使えば合理的
マッチなんぞは不合理で
ガスライターなら合理的
日本刀は不合理で
水素爆弾合理的
人間使えば不合理で
機械使えば合理的
合利的なら合理的
合理的とは合利的」
「利」で思い浮かべるのは、
利益、利用、便利、利息。
漢和辞典の解読(←これかなり好き。)によると・・・
「禾(いね)+刀」で、
稲束を鋭い刃物でさっと切ること。
刃物がどんどん鋭く使いやすくなって、
大切なものをすぱすぱと切って丸みがなくなっているのが、現代のような気がします。でも誰しもそれに気付いてきているのだから、きっとこれからは丸みを帯びた世界に変わっていけるのではないかと希望的観測。
それにしても眠ること夢見ることって面白いですね。みなさんどんな夢見てるのかな?
・夢の辞典。
http://www.ifnet.or.jp/~kaji/dic/dicframe.html
・検索機能あり。
http://fortune.i-revo.jp/dreambook/
がーん。重複お許しください。