日常

「マッキアイオーリ」展

2010-03-08 10:11:37 | 芸術
東京都庭園美術館「マッキアイオーリ」展を観てきた。


■東京都庭園美術館

東京都庭園美術館はシロガネーゼが住む白金にある。
ここには東大医科学研究所があって、学生のときはここで細胞免疫の実習とかに行ったことがある。

そのときに立ち寄って以来、すごく好きな美術館のひとつ。

ここは、 朝香宮邸として皇族の方が戦前に住まれていた家で、その後、外務大臣・首相公邸、国の迎賓館でも使われたことがある。
だから、建築も素晴らしい。


デザイン自体はアール・デコ様式(LE STYLE 1925:1925年様式とも言う)なのだけど、内装の一部は宮内省の内匠寮(たくみりょう)にいる建築家がデザインしていて、アール・デコと日本の簡素な美意識とのハイブリッド形式になっている。

アール・デコは基本的に直線の幾何学模様が多いけれど、そのシンプルなスタイルは日本の美意識とうまく溶け込む気がする。

そして、ここには庭園もあって、西洋庭園と日本庭園がミックスされて、なんとも言えない不思議な雰囲気になっている。

晴れた日はとても気持ちいい。
近くには目黒自然教育園っていう広大な森もあるし。


■「マッキアイオーリ」

19世紀のイタリアは一つではなくてバラバラに分裂していて、国家統一のためにリソルジメント(国家統一運動)という運動が起きていた。
19世紀、フランスでは印象派(Impressionnistes:写実主義から抽象主義への初期段階)という新しい芸術スタイルが生まれていた。

マッキアは、「斑点」という意味。
そういう斑点模様を駆使して自然の姿をありのまま絵画にしたのが、「マッキア」派の人たちで「マッキアイオーリ」と呼ばれていたらしい。
イタリアの印象派とも言われていて、自然の光、明暗、光と影を駆使している。

当時、「マッキア」には「染み・汚れ」「無法者」という否定的なニュアンスもこめられていたらしいけれど、
あえてそれを受け入れて、自分たちの派の名前にしたと。


そういえば、印象派自体も、最初の展覧会(モネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ピサロ、シスレー・・・)は観客に全く受け入れられず、モネが発表した『印象、日の出(Impression, soleil levant)』のタイトルをもじって、新聞記者が「確かに印象的にヘタクソだ」と揶揄してつけたもの。
そんなマイナスの評価を、プラスへと変換させたのは同じだ。


フランス印象派は、モネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ・・というスーパースターが名前を連ねているけれど、
イタリアの印象派であるマッキアイオーリは、イタリア統一戦争の喧騒にもみ消されて、あまり有名ではない。


宣伝もあまりされてない。
実際の絵も勿論観たことがなかった。


絵は、すごくよかった。

なんというか、すごく静かな絵。
そこには沈黙とか静寂が流れている。

なんとなく物悲しい雰囲気で、異国を想像させてくれる。


■Homeのあやふや

絵を見て強く感じたのは、国がバラバラになることについて。


日本は、国をバラバラにされたことはない。
アメリカ、イギリス、スペインとかに国を三分割されて、その地方で話す言語も全く変わってしまって・・・・というようなことはなかった。


日本から海外に出ても、戻ろうとしたら国が分割されていて戻れなくなったとか、そういうこともない。
常に日本は島国で、そこに一つの国としてあったし、今もそのようにしてある。
そんなHomeとしての安心感が、日本にはある。


19世紀のイタリアを含め、国自体の境界がアヤフヤで、いつ無くなってしまうか分からないという不安。
それは自分の存在への不安にもつながる。

体験したことないけれど、想像するだけでも恐い。
帰るべきHomeがなくなるのではないかという、存在の根拠を否定されそうな不安。


そんな自分のHomeのあやふやさ、存在への不安から、「個」の意識が強くなるのは当然だとも思う。


■分断できないindividualな「個」

個はindividual。
語源は、in(=not)+L.dividuus(=devisible 分けられる)+al(の性質)=分割できない。
国は分割されようとも、誰にも分断されることがないindividualな「個」こそが、自己存在の最後の砦になるのだろう。 


19世紀のイタリアはリソルジメント(国家統一運動)で戦う。
国を分断された、divideされた芸術家たちと、分断されることがないindividualな芸術家たち。
その狭間のようなものが絵から見える。


国は分断されようとも、自然や生活とは分断されない。
そこに「個」の強さを見る。


日本での「個」はprivate,personal,individualがごっちゃにされている。
privateは私的な個。
personalは per+sona=役者が仮面の下から声(sona)を出すことが語源の個。


privateやpersonalのような、他者から閉じて、他者と遊離した「個」は脆い。
individualで分割できないからこそ、他者に開かれた「個」は強靭でしなやかだ。



何の因果か、生まれたときから国がバラバラに分裂していた人たち。
かれらは、未来のために国を一つにしようと、自分の存在のHomeを求めて国家統一運動にあけくれ、絵を描いた。


彼らの根底に流れている、どうしようもなくやるせない「かなしみ」の感情。
そして、時に訪れる、ひとときの憩いの時間。それは自然や生活の匂い。

そんなものを感じました。
3月14日までなので、もう終わっちゃいますねー。

4 コメント

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芸術と骨 (YUTA)
2010-03-10 22:32:04
HPを見てみましたが、フランス印象派に似ていますね。こういうのが「反アカデミズム」だったのですか。それにしても、この時代の芸術は政治のように「何とか派」で動いていたのですね。やはり革命の時代なので、芸術家も人間である以上、社会的・政治的立場を離れて作品を描くのは不可能だった。良くも悪くも闘っていたのだな、という熱意を感じます。

しかし、イタリアは分裂していたというより、ローマ帝国崩壊以後、統一されたことはなかった。それで中世は各小国が繁栄していたし、あのルネサンスの芸術はヨーロッパでずば抜けていた。それでイタリアは統一の必要が無かった、というより、「イタリア人」という概念が無かったのではないでしょうか。フランスやイギリスが統一され強大になっているから、「イタリア」という国家を作らなければ生存できない、とフランス帝国に併合されて思い知ったのでしょう。

話は変わりますが、命の認識展を見てきました。何と言うか、「そこに骨があった」としか言えないですね。できる限り説明を排してただ置いてあるのも、言葉なしで見ろということだし。ただ、衝撃度なら、別室のヒトの骨の方が強かったです。後頭部が膨らんで、脳が大きいんだなあと分かりました。









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 (いなば)
2010-03-12 07:46:23
>>>>Yuta様
なんとか派ってのも、本当にリアルタイムでそう呼ばれていたのか、後々になって今の時代の人がそういうひとくくりでまとめたのかはよくわからんとこもありますが、少なくとも芸術がそういう運動の中にあったっていうのは、やはり現代と少し違う位置づけだったんだろうなーと思いますね。

漫画へうげものでの長谷川等伯を見ていても、信長、秀吉、家康とかの時代の絵師って、それこそ命かけて絵を描いて生きていたわけで、まあ写真もなかった時代だし、なかなか今の時代感覚からでは想像しにくいとこもあるんですかねぇ。


イタリアに関しては、確かにご指摘の通りです!理系で世界史はにわか勉強なので、普通に勉強になります。ありがとうございます。


命の認識展もそうですし、骨って、ただ置いてあるだけで強烈なメッセージ性ありますよね。すごいもんです。形って。
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利休と茶 (YUTA)
2010-03-17 01:46:01
私も最近、千利休の小説を読んだところです。彼はまさに、命懸けで自分の茶を追求し、殺された。芸術活動が権力者によって盛んにもなれば、弾圧もされる。そんな時代では、芸術と政治を切り離すことは考えられないわけで。

しかし、「わび」を貫いて派手好きの秀吉に全く妥協しなかった利休は、まさにindividualでした。彼には権力は無かったけど、安土桃山文化って、彼が茶の湯を信長に認めさせたことで、陶磁器・書画・建築・造園・着物の技術が向上したことらしいです。これにはびっくりでした。

それから、その小説では信長が随分美化されているわけですが、確かに彼が現れたことは日本にとって幸運でした。信長なしには秀吉・家康の天下統一もあり得なかった。すると、日本は独立を保てていたかどうか……。

しかし、個人(individual)の利益や思想や権利を広げ過ぎると社会が分裂して(divide)しまうので、現代では権力とか政治抜きで、各個人が自ら参加したがるような共同体が求められていますね。その点でも、利休は茶によるネットワークを形成して、時代の先を行ってたのだなあ。
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さらし首って・・ (いなば)
2010-03-17 09:30:16
>>>>YUTAさん
確かに、千利休はすごい。
命をかけてindividualを重視したわけで。

漫画へうげものにはまっているので、そこの利休はかっこい。


「情熱大陸」の回でブログにも書きましたが、「場」って大事だと思います。
利休はまさしく茶の湯という不可思議な「場」を、殺し合いばかりしている世界に作り出したわけで、そこで色んな物事が調和される場を作っていたのでしょうね。

個人と他者の問題、そこで生まれる場や共同体やシステムの問題。
掘り返すとどこまでも深く掘れるなぁ。


あと、千利休って、当時切腹させられて晒し首にされたのですよね。

さらし首って、とにかく悪趣味ですよね。
でも、鹿の顔だけの飾りものとか、ああいうのもさらし首みたいなもんで、ときどきゾッとしちゃうことがある。
ヒトって、人間と思わなきゃなんでもできるんでしょうね。怖いもんです。
自分も、そういう時代に生まれてそういう役割についていたら、何の疑問も持たずに平気でやってたんだろうなぁ。
それも含めて、場の力は大事。
そこで倫理とかも生まれるような気がしますし。

それにしても、さらし首って、実は明治明になっても続いてたらしいんですよね。

さらし首は1879年に廃止されて、斬首刑は1882年で廃止。
意外に最近までやってたんだなぁ。つい130年前なんて!

あ、なんか千利休からえらく脱線してすみません。
元はと言えば、僕がへうげものの漫画を例に出したとこからでした!
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