日常

小川洋子「物語の役割」

2011-05-29 23:39:19 | 
小川洋子さんの「物語の役割」(ちくまプリマー新書)はとてもいい本だった。

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<内容>(「BOOK」データベースより)
私たちは日々受け入れられない現実を、自分の心の形に合うように転換している。
誰もが作り出し、必要としている物語を、言葉で表現していくことの喜びを伝える。

<著者略歴> (「BOOK著者紹介情報」より)
小川 洋子
1962年岡山市生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。
88年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞。
91年「妊娠カレンダー」で第104回芥川賞を受賞、その後も様々な作品を通じて、私たちを静謐な世界へと導いてくれている。
2004年には『博士の愛した数式』で読売文学賞、第1回本屋大賞、『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞。
2006年には『ミーナの行進』で谷川潤一郎賞を受賞した。
翻訳された作品も多く、海外での評価も高い。
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ちくまプリマー新書が創刊3周年ということで本屋でフェアをやっていて、そこから選んだ。
そして、ちくま関連だと、ちくま文庫、ちくま学芸文庫、ちくま新書、ちくま選書・・といろいろあるけれど、ちくまプリマー新書は比較的若い世代(中高生?)向けに作られていて読みやすい。ページ数も少ない。


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普段、お年寄りの方と話していると、「物語り」というものの重要性をよく感じる。
80年とか90年の人生を生きた人と話す場合、90年の人生を数分に圧縮された話を聞く。それは、物語化の作業なのだと思う。

臨床現場では、「言う」よりも「聴く(聞く)」ことに重きを置いている。
自分が余計な言葉をあてはめて「言う」ことは、あまりしない。求められたら言うくらいだ。
むしろ、相手がどのような言葉をあてはめ、どのように表現するか。それをありのまま「聴く(聞く)」ことで、相手の世界に寄り添うことができると考えている。
以前も、似たようなことを書いた気がする。(⇒「聞くこと」(2010-08-15)


特に、認知症をふくめて何かしら脳の障害を抱えている人と接するとき、相手の「語り」を時間をかけて聞くことに集中する。

だから、プロのストーリーテラーである小川洋子さんが語る「物語の役割」というものに感じ入ることが多かった。


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『たとえば、非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、 人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、 どうにかして現実を受け入れようとする。もうそこでひとつの物語を作っているわけです。
あるいは現実を記憶していくときでも、ありのままに記憶するわけでは決してなく、やはり自分にとって嬉しいことはうんと膨らませて、悲しいことはうんと小さくしてというふうに、自分の記憶の形に似合うようなものに変えて、現実を物語にして自分の中に積み重ねていく。

そういう意味でいえば、誰でも生きている限りは物語を必要としており、 物語に助けられながら、どうにか現実との折り合いをつけているのです』

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認知症とは、ある意味で記憶の障害で、その断片的に残っている記憶をつなぎあわせることで、僕らと会話をしている。
だから、顔を合わせるたびに「あなたはどなたさんですか?」と聞かれることも多いけれど、そういう人たちも必ず語るべきものを持っている。
語りの中にこそ、間違いなく今のその人にとっての真実があるのだと感じている。



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柳田邦男さんの「犠牲(サクリファイス)」より。
ご次男の洋二郎さんが自殺後に脳死となり、腎移植の臓器提供を選択する。そのとき、「引き継がれた命が星のなかを運ばれていく」と本に書かれている場面を受けて)
『死を生として受け入れるのですから、正反対のことをしているわけです。そのように途方もない働きを見せる人間の心とは、何と深遠なものであろうかと思わずにはいられません。』
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フランクル「夜と霧」より)
『自分は生き残って幸運だと単純に喜べず、むしろどうして自分は生き残ったんだろう、という疑問に突き当たる。
こうした心の動きは、人間の良心とつながっているように見えます。

ここにこうして存在しているのは、決して当たり前のことではない。
自分とは、様々な犠牲の上に成り立つ、ほとんど奇跡と呼んでいい存在なのだ、という良心に基いた物語を獲得するための苦悩なのではないでしょうか。』

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『悲しみとか、孤独とか、絆とか・・・、非常に分かりやすい一行で書けてしまう主題を最初に意識してしまったら、それは小説にならないのです。
言葉で一行で表現できてしまうんならば、別に小説にする必要はない。ここが小説の背負っている難しい矛盾ですが、言葉にできないものを書いているのが小説ではないかと思うのです。』

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『(想像の中で)廃墟に立って浮かび上がってくる映像を観察する。じっと目をこらし、見えてくるものを描写する。
人間の内面という抽象的な問題にとらわれず、目で観察できるものにひたすら集中する。
そこから初めて、目に見えないものの存在が言葉に映し出されてくるのでは、と思っています。』

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この本を読んでいて、小川洋子さんと河合隼雄さんとの対談である「生きるとは、自分の物語をつくること」(新潮文庫)も思い出した。
この本は、結果的に河合先生が生存に出された最後の本になった。


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小川『その魂と魂を触れ合わせるような人間関係を作ろうというとき、大事なのは、お互い限りある人生なんだ、必ず死ぬもの同士なんだという一点を共有しあっていることだと先生もお書きになっていますね。』
河合『やさしさの根本は死ぬ自覚だと思います。』

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河合『了解不能のことというのは、人間を不安にするんです。
そういう時、(カウンセラーで)下手な人ほど、自分が早く了解して安心したいんです。』

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河合『全く矛盾性のない、整合性のあるものは、生き物ではなく機械です。
命というのは、そもそも矛盾をはらんでいるものであって、その矛盾を生きている存在として、自分はこういう風に矛盾しているんだとか、なぜ矛盾しているんだということを、意識して生きていくよりしかたないんじゃないかと、このごろ思ってます。
そして、それをごまかさない。』
『その矛盾をこうして生きました、というところに、個性が光るんじゃないかと思っているんです。』

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河合『いくら自然科学が発展しても、人間の死について論理的な説明ができるようになっても、私の死、私の親しい人の死、については何の解決にもならない。
その恐怖や悲しみを受け入れるために、物語が必要になってくる。
死に続く生、無の中の有を思い描くこと、つまり物語ることによってようやく、死の存在と折り合いをつけられる。
物語をもつことによって、はじめて人間は、身体と精神、外界と内界、意識と無意識を結び付け、自分を一つに統合できる。

人間は表層の悩みによって、深層世界に落ち込んでいる悩みを感じないようにして生きている。
表面的な部分は理性によって強化できるが、内面の深いところにある混沌は論理的な言語では表現できない。
それを表出させ、表層の意識とつなげて心を一つの全体と死、更に他人ともつながってゆく、そのために必要なものが物語である。
物語に託せば、言葉にできない混沌を言葉にする、という不条理が可能になる。
生きるとは、自分にふさわしい、自分の物語を作り上げてゆくことに他ならない。』

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含蓄深い言葉に、感じ入ることが多い。


自分の経験を中に取り込むとき、「記憶」になるプロセスでも何かしらの改変がなされる。そして、自分の中に取り込まれる。
その記憶自体も、自分の人生に従って改変されながらつなぎあわされながら、流動していく。
その記憶を言葉に当てて置き換えるとき、必ず物語りという作業が起きているのだろう。

そして、相手の語りを聞くことは、相手と共に物語を創る共同作業のようなもの。
自分の中の物語と、相手と自分との物語と・・・そういうものが縦糸と横糸として複雑に織り込まれながら、人は一人ではなく共に生きていくんだろう。


ひとは、それぞれの人生を生きている。
その人に流れた同じだけの時間は、その人にしか体験できない。それが、その人の人生だ。
でも、その人の人生を少しの時間でもともに生きようとするとき、その長い人生は「物語り」としてこちらに渡され、共有するのだと思う。

2 コメント

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FMラジオ (Is)
2011-05-31 20:07:48
小川洋子さん、
ぼくは、実作は全然読んでないんだけれど、
最近、FMの日曜朝10:00の
小川洋子さんの番組は、ちょくちょく聴いてます。
http://www.tfm.co.jp/ml/

過去のラインナップみても、
けっこうそれだけでも楽しい。
好きな本について語り合うのって
なんて楽しいんだろうという
単純で純粋な喜び(by村上春樹『若い読者のための短編案内』)の気持ちを呼び起こしてくれる番組です。
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ラジオ番組、面白そう! (いなば)
2011-06-01 17:11:29
>>>Isくん
そうそう。僕も小川洋子さんは読んでなかったのです。

「博士の愛した数式」とか、絶対に面白いのは分かっているのだけど、小説も映画も見たことない。
でも、この本を読んで小川さんの本は絶対に読もうと思った。

小川さんって、自我中心の作り方ではないんですよね。イメージ重視で。
まず、明確なイメージが浮かんで、そこから物語が勝手に生まれてくるっていう創作をしている。そこが春樹さんとも近くてとても親近感を感じる。

自分が好きなのは、上の中の引用にも書いたけど
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『(想像の中で)廃墟に立って浮かび上がってくる映像を観察する。じっと目をこらし、見えてくるものを描写する。
人間の内面という抽象的な問題にとらわれず、目で観察できるものにひたすら集中する。
そこから初めて、目に見えないものの存在が言葉に映し出されてくるのでは、と思っています。』
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このとこ。好きです。

抽象的な問題を最初から扱うのではなくて、具体的なものをいかに詳細に明晰に分析して解析していくか。そういう理性の責任を果たした先に、理性ではとらえられない世界を感知できる。
最初から空想的な目に見えないものばかりに目をうばわれているのは、あまりに非現実的だと思うし。現実があるのが先で、そのあとで非現実な世界が生れてくるわけで。 


FMの小川洋子さんの番組、おもしろそう!!
へー、こんなの知らなかったー。よく知ってるね。さすが情報通だ。
なかなかラジオ聞かないけど、これはかなり興味ある。過去のラインナップみても面白い。
しかも、音楽のお奨めも載せてあるからそれも興味深くて・・。


>好きな本について語り合うのってなんて楽しいんだろうという単純で純粋な喜び(by村上春樹『若い読者のための短編案内』)

その通りです!
自分のブログも最近はブックレビューに近くになってるけど、これは単純な喜びなんですよね。面白かった!っていうだけです。


村上春樹『若い読者のための短編案内』も最高にいい本だよね。
ブログにもいつか書きたいなと思ってる。

この本で春樹さんが書いているエゴとセルフの問題はとてもよかったよね。
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