日常

「逝きし世の面影」(渡辺京二)

2015-04-03 01:39:55 | 
超名著「逝きし世の面影」(渡辺京二)を再読する。

江戸時代末期から明治時代初期に日本を訪れた外国人たちの手記や書簡。日本人への自然な驚き。異国人みんなが感動している。それを読んで、こちらも感動する。この本を読むと、何か不思議と泣けてくる。。。


ほんの150年くらいくらい前の日本人の調和的な生き方。素直さ。素朴さ。
失われたもの。思い出すもの。

過去の生活を思い出してみると、そこから取り戻すものがある。

何かを失うと、その欠乏により大切さに気づき、さらに本質にいたることができる。
それは、人間が病気になると、健康ということを深く知ることができるように。
それは、人間が死に接すると、生ということを深く知ることができるように。

素直で親切で正直で美しい日々を過ごせばいいだけ。
それはきっと難しいことではない。

懐古趣味ではなく、ノスタルジーにひたるのではなく、未来のためにもこういう国にしていきたい。



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「逝きし世の面影」より

■<幸せ>について
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『この人たちは実に日本の大きな魅力である。
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幸福で礼儀正しく穏やかであり、温和しい声で何時もニコニコしながらお喋りをし、ちょっとしたことからも健やかな喜びを吸収する恵まれた素質を持ち、何時間となく続けてトボトボ歩いてあちらこちら見物しても、決してへばらない羨ましい身体と脚を持っているなどの点で、日本の楽しい群衆にひけをとらないものがあると公言できる国など何処にもあるまい』
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『日本の庶民はなんと楽天的で心優しいのだろうか。
なんと満足気に、身ぎれいにこの人たちは見えることだろう(パーマー)』
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『これ以上幸せそうな人びとはどこを探しても見つからない。
喋り笑いながら彼らは行く。人夫は担いだ荷のバランスをとりながら、鼻歌をうたいつつ進む。
遠くでも近くでも、『おはよう』『おはようございます』とか、『さよなら、さよなら』というきれいな挨拶が空気をみたす。
夜なら『おやすみなさい』という挨拶が。
この小さい人びとが街頭でおたがいに交わす深いお辞儀は、優雅さと明白な善意を示していて魅力的だ。
一介の人力車夫でさえ、知り合いと出会ったり、客と取りきめをしたりする時は、一流の行儀作法の先生みたいな様子で身をかがめる(アーノルド,1889)』
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『封建制度一般、つまり日本を現在まで支配してきた機構について何といわれ何と考えられようが、ともかく衆目の一致する点が一つある。
すなわち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、人々は幸せで満足していたのである(ヒューブナー,1871)』
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『彼ら(駕籠かきの三人)はあまり欲もなく、いつも満足して喜んでさえおり、気分にむらがなく、幾分荒々しい外観は呈しているものの、確かに国民のなかで最も健全な人々を代表している。
このような庶民階級に至るまで、行儀は申し分ない(ブスケ,1872)』
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→基本的にどんな状況でもひとは<幸せ>だけれど、それをそう思わせないように社会が囲い込んでいるように見える。
人生は誰かと比較するものではなく、自分が肯定できるかどうかにかかっていると思う。



■<親切で礼儀正しい日本人>について
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『住民が鍵もかけず、なんらの防犯策も講じずに、一日中家を空けて心配しないのは、彼らの正直さを如実に物語っている(クロウ)』
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『私は全ての持ち物を、ささやかなお金を含めて、鍵も掛けずにおいていたが、一度たりとなくなったことはなかった(ムンツィンガー,1890)』
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『彼らは不信を抱いたりあつかましく振舞うことは一度もなく、ときには道案内のために、世話好きであるが控えめな態度でかなりの道のりをついて来たり、あるいは子供たちにそれを命じたりした(オイレンブルク使節団)』
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『もう暗くなっていたのに、その男はそれを探しに一里も引き返し、私が何銭か与えようとしたのを、目的地まですべての物をきちんと届けるのが自分の責任だと言って拒んだ(バート,1878)』
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『彼らの無邪気、率直な親切、むきだしだが不快ではない好奇心、自分で楽しんだり、人を楽しませようとする愉快な意志は、われわれを気持ちよくした。
一方婦人の美しい作法や陽気さには魅力があった。
さらに、通りがかりに休もうとする欧米人はほとんど例外なく歓待され、『おはよう』という気持ちのよい挨拶を受けた。
この挨拶は道で会う人、野良で働く人、あるいは村民からたえず受けるものだった(ブラック)』
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→相互信頼。
心理学者アドラーの「共同体感覚(social interest)」では、
共同体は家庭、学校、職場、地域社会だけではなく、国家や人類も包括した全て。宇宙全体まで含んだすべて。
時間軸においては過去から未来。動植物も無生物までも含まれる。
文字通りのすべて、を共同体とした。

そして、その共同体感覚は「自己受容」と「他者信頼」と「他者貢献」という3つのバランスが必要になる。と述べている。
アドラーの「共同体感覚(social interest)」は、江戸期の日本では実現できてたのかもしれない。


■<暮らし>について
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『柿崎は小さくて貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりしていて、態度は丁寧である。
世界のあらゆる国で貧乏にいつも付き物になっている不潔さというものが、少しも見られない。
彼らの家屋は必要なだけの清潔さを保っている(ハリス,1856)』
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『日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。
すなわち、大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない(カッテンディーケ)』
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『彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。
ーこれが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。
私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。
私は質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも多く日本において見出す。
生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる(ハリス,1857)』
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『貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない(チェンバレン)』
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『金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。
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ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである(チェンバレン)』
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→日々の暮らしの中にさりげない美を添えて日々を楽しくする。



■<農業>について
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『郊外の豊穣さはあらゆる描写を超越している。
山の上まで美事な稲田があり、海の際までことごとく耕作されている。
恐らく日本は天恵を受けた国、地上のパラダイスであろう。
人間がほしいというものが何でも、この幸せな国に集まっている(リュードルフ,1855)』
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『日本の農業は完璧に近い。
その高い段階に達した状態を考慮に置くならば、この国の面積は非常に莫大な人口を収容することができる(カッテンディーケ)』
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→農業は食に関すること。土地に関すること。このあたりも色々な課題がある。過去にすでに模範が。


■<美意識>について
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『日本の職人は本能的に美意識を強く持っているので、金銭的に儲かろうが関係なく、彼らの手から作り出されるものはみな美しいのです。
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庶民が使う安物の陶器を扱っているお店に行くと、色、形、装飾には美の輝きがあります』
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『ここ日本では、貧しい人の食卓でさえも最高級の優美さと繊細さがある(ベーコン)』
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『ヨーロッパ人にとっては、芸術は金に余裕のある裕福な人々の特権にすぎない。
ところが日本では、芸術は万人の所有物なのだ(ヒューブナー)』
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→日本は美の国ですね。
古典を読むと、色んな葛藤を、争いで解決するのではなく、美に昇華させて解決した国なのだと思います。



■<社会>について
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『日本人は身分の高い人物の前に出た時でさえめったに物怖じすることのない国民』
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『青少年に地位と年齢を尊ぶことが教えられる一方、自己の尊厳を主張することも教えられているのである(スエンソン)』
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『日本の上層階級は下層の人々を大変大事に扱う』
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『主人と召使の間には通常、友好的で親密な関係が成り立っており、これは西洋自由諸国にあってまず未知の関係といってよい(スエンソン)』
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→当時の日本人は、どんな仕事の人も独立独歩で誇りを持ち、国の政治がどうあろうが構わず、高い自立心を持っていたようです。



■<こども>について
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『私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。
世界中で日本ほど子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。
ニコニコしているところから判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい(モース)』
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『私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。
子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊技を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。
他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。
父も母も、自分の子に誇りをもっている...(バード)』
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『怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけてゆく』
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『彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。
日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、誤ちを隠したりはしません。
青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです』
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『それでもけっして彼らが甘やかされてだめになることはありません。
分別がつくと見なされる歳になると―いずこも六歳から十歳のあいだですが―
彼はみずから進んで主君としての位を退き、ただの一日のうちに大人になってしまうのです(フレイザー婦人)』
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『十歳から十二歳位の子どもでも、まるで成人した大人のように賢明かつ落着いた態度をとる(ヴェルナー)』
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→こどもは自然そのものだから、子供とどう接している社会か、ということで、自然との関わりが分かりますね。


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この本は本当に名著だと思いますよ。
ぜひ読んでほしいです。