東京駅八重洲口にあるブリヂストン美術館で「没後100年 青木繁展 -よみがえる神話と芸術」(2011年7月17日(日)-9月4日(日))を見てきた。
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<HPより>
100年前の春、福岡の病院で青木繁はひっそりと世を去りました。28歳8カ月でした。
短いながらも、貧しさのなかで奔放に生きたその生涯は、鮮やかな伝説に彩られています。
東京美術学校在学中、日本神話をみずみずしい感覚で描いた作品によって、青木は画壇に颯爽と登場します。
1904(明治37)年、 22歳のときに発表した《海の幸》は、明治浪漫主義とよばれる時代の空気の中で、人々の心を力強くとらえました。青木のすぐれた想像力と創造力の結晶だったからです。
さらに、青木は《わだつみのいろこの宮》など、古事記や聖書に題材をとった作品群を私たちに残しています。
その魅力の源は、時空をこえたかなたに見るものの思いを導くロマンティシズムでした。
青木の愛憎や苦悩、情熱が一つひとつの作品に色濃く反映されています。
没後100年を記念して開催する本展は、油彩作品約70点、水彩・素描約170点、手紙などの資料約60点という、空前の規模でこの画家の全貌をご紹介いたします。
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いやはや、素晴らしかった。
青木繁は福岡県久留米の生まれ。
ブリヂストンの創業者も久留米の生まれです。
芸術を愛する石橋社長(石+橋=bridge+stone=ブリヂストン!)は、地元久留米に石橋美術館をつくってくれました。有り難いことです。さらに有り難いことに、青木繁の作品を多数所蔵しています。
熊本と久留米は比較的近いので、ほんのドライブがてら遊びに行けます。この石橋美術館には何度も足を運びました。
つい先日、ふとテレビ東京の「美の巨人たち」で青木繁の《わだつみのいろこの宮》の絵を偶然見たのです。
思わず目が釘付けに。 無意識のうちに強烈にひきつけられました。
今回の展覧会では、実物の《わだつみのいろこの宮》もあって、やはり本物の実物の絵からは霊感が漂う。素晴らしかった。
あの本物が醸しだすオーラって何なんでしょうね。きっと科学では解明できない「何か」なのでしょう。
ところで、《わだつみのいろこの宮》は「古事記」のひとつの場面です。
兄の海幸彦(ウミサチヒコ)から借りた釣り針を、弟の山幸彦(ヤマサチヒコ)が失くしてしまいます。
その紛失した釣り針を探して、海底にある「魚鱗(いろこ)の如く造れる」宮殿へと山幸彦(ヤマサチヒコ)はくだります。
そこでトヨタマヒメ(豊玉毘売)とその侍女に出会う。
その場面が描かれているのです。
(古事記は神話なので、あらすじを書くと意味不明かもしれません。実際に読んでみることをお薦めします。)
絵の中には泡も描かれていて、完全に海の底の情景。
その中で光輝く山幸彦は神々しく、女性も美しい。
色合いも幻想的。とても美しい絵だった。神秘的だった。
思わずポスターも買ってしまました。今、机の前に貼ってあります。
・・・・・・・・
青木繁は、画家の坂本繁二郎とも仲が良かったのです。
自分は青木繁の絵も好きだし、坂本繁二郎の絵も同じように好きです。そんな二人が仲がよかったというのは、なんだかうれしい。
ふと思い出すのが、数学者の岡潔さんも著作の中で坂本繁二郎さんの絵を絶賛していました。
岡潔さんによると、<ピカソは自我の塊で無明の絵。坂本繁二郎は無我や大我の領域で、真如の絵>と高く評価していたように記憶してます。
坂本繁二郎の絵は、確かに自我の狭い世界を超えた、すごく神秘的な絵なのです。吸い込まれそうな世界がそこにあります。
特に馬の絵が有名ですが、やはり原画で見ないとその良さが伝わらない気がします。東京近代美術館の常設展にあります。
・・・・・
青木繁は28歳という若さで亡くなったからか、絵からは凝縮された生命に込められたエネルギー密度のような濃度を感じます。
溢れるばかりの色彩、生きてうごめくような筆のタッチ。
筆を叩きつけ、色を塗りこめ、色を塗り重ねた動きが見える。
絵を鏡として、鏡の世界の自分自身と闘っているような合わせ鏡の青木繁の存在を、絵の中に感じます。
最後の作品も展示されていました。
題名は「朝日」という作品でした。
穏やかな海。
その海の向こう側から、霧と溶け合うように立ち昇る太陽の朝日。
死の瞬間という現世での生命の終わりを、新しい生命の始まりと捉えたのだと思う。
終わりは、何かの始まり。
自分はそう思います。
「死」はたしかに「生」の終わりかもしれないけど。それは「新しいなにか」の始まりでもあると思う。
「おわり」は「はじまり」へとつながり、「はじまり」は「おわり」へとつながっている。それは単に誰かがひいた境界線の問題。この世界には、境界線なんてものはほんとうはどこにもない。
終わりは始まり、始まりは終わり。
常に円環構造で循環していると思う。
なぜなら、「自然」はそういう仕組みで動いているから。
つねにつながっている。
青木繁の絵には、常に死と生が円環的に同時に存在している気がします。
とても好きな画家です。
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<HPより>
100年前の春、福岡の病院で青木繁はひっそりと世を去りました。28歳8カ月でした。
短いながらも、貧しさのなかで奔放に生きたその生涯は、鮮やかな伝説に彩られています。
東京美術学校在学中、日本神話をみずみずしい感覚で描いた作品によって、青木は画壇に颯爽と登場します。
1904(明治37)年、 22歳のときに発表した《海の幸》は、明治浪漫主義とよばれる時代の空気の中で、人々の心を力強くとらえました。青木のすぐれた想像力と創造力の結晶だったからです。
さらに、青木は《わだつみのいろこの宮》など、古事記や聖書に題材をとった作品群を私たちに残しています。
その魅力の源は、時空をこえたかなたに見るものの思いを導くロマンティシズムでした。
青木の愛憎や苦悩、情熱が一つひとつの作品に色濃く反映されています。
没後100年を記念して開催する本展は、油彩作品約70点、水彩・素描約170点、手紙などの資料約60点という、空前の規模でこの画家の全貌をご紹介いたします。
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いやはや、素晴らしかった。
青木繁は福岡県久留米の生まれ。
ブリヂストンの創業者も久留米の生まれです。
芸術を愛する石橋社長(石+橋=bridge+stone=ブリヂストン!)は、地元久留米に石橋美術館をつくってくれました。有り難いことです。さらに有り難いことに、青木繁の作品を多数所蔵しています。
熊本と久留米は比較的近いので、ほんのドライブがてら遊びに行けます。この石橋美術館には何度も足を運びました。
つい先日、ふとテレビ東京の「美の巨人たち」で青木繁の《わだつみのいろこの宮》の絵を偶然見たのです。
思わず目が釘付けに。 無意識のうちに強烈にひきつけられました。
今回の展覧会では、実物の《わだつみのいろこの宮》もあって、やはり本物の実物の絵からは霊感が漂う。素晴らしかった。
あの本物が醸しだすオーラって何なんでしょうね。きっと科学では解明できない「何か」なのでしょう。
ところで、《わだつみのいろこの宮》は「古事記」のひとつの場面です。
兄の海幸彦(ウミサチヒコ)から借りた釣り針を、弟の山幸彦(ヤマサチヒコ)が失くしてしまいます。
その紛失した釣り針を探して、海底にある「魚鱗(いろこ)の如く造れる」宮殿へと山幸彦(ヤマサチヒコ)はくだります。
そこでトヨタマヒメ(豊玉毘売)とその侍女に出会う。
その場面が描かれているのです。
(古事記は神話なので、あらすじを書くと意味不明かもしれません。実際に読んでみることをお薦めします。)
絵の中には泡も描かれていて、完全に海の底の情景。
その中で光輝く山幸彦は神々しく、女性も美しい。
色合いも幻想的。とても美しい絵だった。神秘的だった。
思わずポスターも買ってしまました。今、机の前に貼ってあります。
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青木繁は、画家の坂本繁二郎とも仲が良かったのです。
自分は青木繁の絵も好きだし、坂本繁二郎の絵も同じように好きです。そんな二人が仲がよかったというのは、なんだかうれしい。
ふと思い出すのが、数学者の岡潔さんも著作の中で坂本繁二郎さんの絵を絶賛していました。
岡潔さんによると、<ピカソは自我の塊で無明の絵。坂本繁二郎は無我や大我の領域で、真如の絵>と高く評価していたように記憶してます。
坂本繁二郎の絵は、確かに自我の狭い世界を超えた、すごく神秘的な絵なのです。吸い込まれそうな世界がそこにあります。
特に馬の絵が有名ですが、やはり原画で見ないとその良さが伝わらない気がします。東京近代美術館の常設展にあります。
・・・・・
青木繁は28歳という若さで亡くなったからか、絵からは凝縮された生命に込められたエネルギー密度のような濃度を感じます。
溢れるばかりの色彩、生きてうごめくような筆のタッチ。
筆を叩きつけ、色を塗りこめ、色を塗り重ねた動きが見える。
絵を鏡として、鏡の世界の自分自身と闘っているような合わせ鏡の青木繁の存在を、絵の中に感じます。
最後の作品も展示されていました。
題名は「朝日」という作品でした。
穏やかな海。
その海の向こう側から、霧と溶け合うように立ち昇る太陽の朝日。
死の瞬間という現世での生命の終わりを、新しい生命の始まりと捉えたのだと思う。
終わりは、何かの始まり。
自分はそう思います。
「死」はたしかに「生」の終わりかもしれないけど。それは「新しいなにか」の始まりでもあると思う。
「おわり」は「はじまり」へとつながり、「はじまり」は「おわり」へとつながっている。それは単に誰かがひいた境界線の問題。この世界には、境界線なんてものはほんとうはどこにもない。
終わりは始まり、始まりは終わり。
常に円環構造で循環していると思う。
なぜなら、「自然」はそういう仕組みで動いているから。
つねにつながっている。
青木繁の絵には、常に死と生が円環的に同時に存在している気がします。
とても好きな画家です。