日常

TUGUMI(つぐみ) (中公文庫)

2008-08-25 00:23:57 | 
ということで、一部ファンのための、よしもとばなな書評に舞い戻ります。

「TUGUMI(つぐみ) (中公文庫)」

よしもとばなな節炸裂でした。第2回山本周五郎賞受賞しとります。

この物語は、主人公の大学生白河まりあが、少女時代をすごした海辺の町に最後の帰省をした夏の思い出の話です。

主な登場人物は、従姉妹の陽子とつぐみ。そしてつぐみが恋をする恭一。この4人でしょうか。
山本屋旅館という旅館(まりあの母親の妹(政子おばさん)の嫁ぎ先)を、まりあの母親も手伝ってます。その政子おばさんの娘が陽子とつぐみ、という構造です(最初読んでるときはどういう関係性かよくわからず読んだ。今まとめて改めて再確認)。

つぐみは超美人ですが、幼い頃から病弱。そのせいで最高に性格・口が悪い。ただ、そこは相手方に合わせるとこもある。裏表がある。  
陽子ちゃんはその立ち居振る舞い、全てが可憐で美しい。そういうキラキラした人物として描かれてます(「キッチン」で言うと、主人公の桜井みかげが働いている料理屋の同僚の二人?でそういう人が出てきた気がします。)


ともかく、この問題児つぐみとまりあの物語がメイン。そこに恋や別れや死を予感させるものが畳み込むように起きるんですよね。

改めて考えると、ばななさんの作品は「死」が通底音として流れてますね。そこが思わず惹かれる理由な気がします。
「死」が予感されることで反転して感じる生。生の儚さ。儚い生の連続である日常自体の切なさ。
そういうものに魅了されているのかなぁ(自己分析)。 
日常の中に、つぐみから発される狂気のようなものが突然現れるんですが、そこも淡々とした日常に不連続点を与えている気がします。
まあ、僕らの日々の平凡な日常もそういうものですよね。テレビで見る事件での狂気にも、同じ人間として何か感じるものがあるのでしょう。
そういうありきたりで当たり前の風景や日常を描くのが、ほんとに素晴らしい。
<ありきたり>で<当たり前>の<日常>というのが何なのか、改めて考えさせられます。



ネタバレしないようにしますが、最終章は「死」や生まれ変わる「生」。そういうものがテーマかな、と思います。
「死」は、単純な肉体的な死だけではなくて、精神的な死も意味しているし、それは精神のある状態から別の状態への移行、という多重な意味も含みます。
過去の自分が死んで、新しい自分が生まれるということでもある。
そういう意味での生や死というものが折り重なって書かれています。


個人的には文章の合間、合間に惹かれる一文とかがすごく魅力的で、全体だけではなく部分部分にも二重構造で魅力(ミルフィーユみたいに)。


何個も気になったページに印つけてしまってますが、そこを少し引用して雰囲気をお伝えします。
前後の文脈がないと、意図するとこは伝わりにくいですが、まあ参考までにね。  ばななさんの文章を模写してると、わしも文章が巧くなるかもしれんし笑


■P10
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愛情はいくらだって注げる、まるで日本国の水道のように、いくら出しっ放ししてもきっとつきない、そんな気がするものね。
と何でだかふと 思ってしまったのだ。
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■P32
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そして海は、見ているものがことさらに感情を移入しなくても、きちんと何かを教えてくれるように思えた。
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■P42
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私は10年もの間、いろいろなものがひとつにあみこまれた大きなベールのようなものに守られていた。
だれもがそこから出てみないとそのぬくもりには絶対に気がつかない。
2度と戻れなくなってからでないと、自分がその中にいることすらわからないくらいに、ちょうどいい温度のベール。
それは海であり、町全体であり、山本さん御一家であり、母であり、遠くに住む父であった。
そんなすべてがあの頃は私をそっと包んでいた。

私はいつでも楽しいし幸せだけれど、ときおりあの頃がたまらなく、悲しいくらいなつかしくなることがある。
そんな時いつも、いちばんによみがえってくるのは、浜で犬と遊ぶつぐみと、にこにこと自転車を引いて夜道を歩く陽子ちゃんの場面だった。
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■P91
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私も情緒の問題とは言っていない。それは感受性の問題なのだ。
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■P91
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「あたしは、最後の一葉をいらいらしてむしりとっちまうような奴だけど、その美しさはおぼえてるよ、そういうことかい」
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■P131
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「恋っていうのは、気がついた時にはしちゃっているものなんだと、いくつになってもね。
しかし、終わりが見えるものと、見えないものにきっぱり分かれている、それは自分がいちばんよくわかっているはずのことだ。

見えない場合は、大掛かりになるしるしだね。
うちの今の妻と知り合ったとき、突如未来が無限に感じられるようになった。
だから別にいっしょにならなくてもよかったのかもしれないね」
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■P134
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ひとり、山本屋へ向かって黄昏の中を歩きながら私は少し淋しかった。
夏の終わりには失われるふるさとの道を行き来する確かな気だるさを心にとめておきたかった。
まるで刻々と姿をかえる夕方の空のように、いろいろな種類の別れに満ちたこの世の中を、ひとつも忘れたくないと思った。
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■P223
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私は自分の中に静かな決意がやはりわけもなく、はっきりした形もないままに満ちてくるのを感じていた。
私はこれからここで、生きてゆく。
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・・・・・・・・・・・・・・・
とまあ、いろいろ引用してると改めてイイ!
全体もいいんだけど、部分もイイ!
ばなな作品の部分と全体、そこがすごく魅力的!


文庫版最後のインタビューで、興味深いとこがありました。

■P244
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------------それでは、ばななさんは、必ずしも人生について肯定的ではないんだ。
吉本:ええ、むしろ否定的です。
あまりにも否定しているので、せめて小説ではそれを救うようなものを書きたいと思っているんです。
・・・・
自分もそういう意味では、ある種のハッピーエンドを絶対書くと決めているんです。

------------それでは、ばななさんの考えている「優しさ」とは何ですか。
吉本:やっぱり「献身」みたいなことだと思います。
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これも深い。
死から生を書いたり、喜びから切なさを書いたり、ばなな作品がもつ多様性を反映している発言。



『「優しさ」は「献身」みたいなことだと思う』っていう発言は、医療に携わっている人に勇気を与える発言ですね。愛も献身みたいなもんだし。


まとめますと、デッドエンド、キッチン、ハチ公と違って、雑誌の連載なので、一つ一つの章がそれ単独でもある意味完成していて、そこが全体としてつながっているという感じがする。
他の作品とはまた違う読後感がありました。
お奨めです!!

(なんか最近書いてることがドンドン長くなってるなぁ)

2 コメント

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センター試験にTSUGUMI (マキ)
2008-08-26 11:19:00
私たちの受けた大学入試センター試験の国語に、TSUGUMIが問題文として出てたよねえ、あれ、一緒に受けた年じゃなかったかなあ(なにせ3回受けてるから、どの年の国語だったかしら)。
最後か、その前の問題で「このときの主人公の気持ちを最も適切に表しているものを以下から選べ」的なマーク問題で、これがまた、本当に自分が読んだ時に”つぐみはこう思っているんだろうなあ”と感じていたような選択肢が一つもなくて、大変焦った記憶があるよ。
でも、さすがにセンター試験では、「文章に書いてあることしか答えにならないルール」みたいのがあるので、不本意ながらそれっぽい答えを選択した覚えがある。
ああいう、個々人にとっていろいろ感じたり、考えさせられたり、とらえ方が十人十色、それでいいし、そうであってほしいとおそらく筆者が思っているような文章を「問題文」としてだされるのって、難しいね。
もちろん素晴らしい文章だと思うから、是非とも学校の教科書とかに載ってくれたりしてほしいと思うけどさあ。

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おぉ! (いなば)
2008-08-27 01:40:20
センター試験にTSUGUMI!ほんと!?それは当時全然わからんかった。俺も現役、浪人の2回センターうけとるけど、どっちのときかなぁ。
そうやって出会ってるって驚きね。やはり、よしもとばなな作品と出会うべくして出会ったのだね(都合の良い解釈)。

俺も、現代文の模範解答とか、ほんと納得できないの多かった気がするなぁ。模範解答で多いのが、「人間のエゴイズムを描いてる」みたいなパターン。んなアホな!そんな単純な思いで書いてるんじゃないわい(偽関西弁)!とか、模範解答を買いとるであろう見知らぬおっさんに一人吠えてたのを思い出します。

センター試験とかだと、消去法的に解答を出したりして(明らかに違うだろー、っていう選択肢があったりするから)、そういう解答の仕方も、作者の意図に反してるなぁとか思ってイヤだったなぁ。


まあ、学校の教科書に載ってた「赤い繭」に感動して、安部公房を好きになって読むようになったり、現代文の問題で素晴らしい文学にであったり、美術の教科書で素晴らしい絵画に出会ったり、そういう意味では感謝することも多かったけどね。
国語の問題文読むのとかほんと心から楽しかったー・浪人中も、一番好きだったのがダントツで現代文!次が数学・物理だったし。あんまり作品の感慨にふけってると解答時間なくなるんだけど。

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安部公房:赤い繭はここに全文が、それこそ問題文形式と一緒にUPされてました。
今読んでも面白いわー。
http://www.e-t.ed.jp/edotori390123/cg-01.htm
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TUGUMIは、表紙の絵を山本容子さんが書いてて、それも雰囲気に近いし、登場人物の陽子さんとLinkしてるからいい感じです。


TUGUMIの次は、「体は全部知っている」を読み始めています。
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