磯田道史さんの「日本人の叡智 (新潮新書)」(2011/4)を読みました。
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<内容(「BOOK」データベースより)>
先達の言葉にこそ、この国の叡智が詰まっている。
仁愛を決断の基本とした小早川隆景、一癖ある者を登用した島津斉彬、時間と進歩の価値を熟知していた秋山真之、
教養の正体を見抜いていた内田百聞(けん)、学問を支えるのは情緒と説いた岡潔…。
約五百年にわたる日本の歴史の道程で生み出された九十八人の言葉と生涯に触れながら、すばらしい日本人を発見する幸福を体感できる珠玉の名言集。
<著者略歴>
磯田/道史
1970(昭和45)年岡山市生れ。茨城大学准教授。
著書に『武士の家計簿』(新潮ドキュメント賞)など
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あまり有名でない人たちの言葉も含め、江戸期を中心としたたくさんの日本人の言葉が紹介されていて勉強になった。
人間は良くも悪くも、時代の集合意識+集合無意識に巻き込まれる。こういう本は、いい形での当時の意識の質感、手触りのようなものを肌で感じることができる。
(最後に写真も載せましたが、勝海舟や山岡鉄舟の顔、表情、目つき・・・全てがなんとも言えない高度なレベルで調和がとれていて美しい。)
どんな些細なことでも、その当時その当時で、それなりの苦労があったことが、言葉という情報体(メモリー)を介して伝わってきた。
人間が何か困難にあい、それを乗り越えていくとき、こうして魂に残るような言葉が痕跡のように残っていく、というのはなんとも不思議なものだ。
DNAが子孫を通じて情報を伝え続けるのと同じように、人類は何かしらの情報を伝え続けていくのかかもしれない。
生きている時点で、何らかの情報を宇宙への痕跡として伝えていくという意味で(意識しようともせずとも)、すべての人間には役割があるのだと思う。
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早川千吉郎(1863-1922年, 明治大正期の官僚、実業家、政治家)
「各人は現代に存すると共に、現代に尽力するの義務あり」
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本間玄調『内科秘録』(1804-1872年, 幕末の水戸藩医)
「治療に臨んでは地球をひとつの大国だと思い、薬品、治療法、医学論まで、地球上で一番良いと思われるものを選び、日に試み、月に験(ため)す」
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水野勝成(1564-1651, 武将。備後福山藩初代藩主)
「味方が多い所では強気になり、味方がいない所では弱気になることは恥」
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中根東里(1694-1765年, 江戸中期の儒者, 陽明学者)
「出る月を待つべし。散る花を追うことなかれ」
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司馬江漢(1747-1818年, 江戸時代の絵師、蘭学者。浮世絵師の鈴木春重と同一人物)
「人、一生涯、衣食住の為に求め得る処の諸器諸家具、己に得んとて利を争いて求め得る処の物は、皆塵なり」
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緒方洪庵(1810-1863年, 江戸時代後期の武士(足守藩士)、医師、蘭学者)
「事に臨んで賎丈夫となるなかれ(いざというとき、いやしい男になるな)」
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本多静六(1866-1952年, 林学博士、造園家)
「知識は小鳥のようなもので、飛んできた時に捕えて籠に入れなければ自分のものにできない」
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西郷隆盛(1828-1877年, 武士(薩摩藩士)、軍人、政治家)
「偉い人とは大臣とか大将とかの地位ではない。財産の有無ではない。世間的な立身出世ではない。一言につくせば、後ろから拝まれる人。死後慕われる人」
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山本玄峰(1866-1961年, 禅僧。静岡県三島市 龍沢寺住職)
「死んでから仏になるはいらぬこと。この世のうちによき人となれ」
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加藤唐九郎(1897-1985年, 陶芸家)
「相手を傷つけないで、自己の欲望だけを満たしていく手段、方法として、人間が最後に発見したものが芸術である」
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勝海舟(1823-1899年, 武士(幕臣)、政治家)
「人材などは騒がなくつても、眼玉一つでどこにでも居るヨ」
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山岡鉄舟(1836-1888年,剣・禅・書の達人)
「困難もひとの所為(せい)だと思ふとたまらぬが、自分の修養と思へば自然楽地のあるものだ。」
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<山岡鉄舟二十訓>
一、 嘘を言うな。
二、 君の御恩を忘れるな。
三、 父母の御恩を忘れるな。
四、 師の御恩を忘れるな。
五、 人の恩を忘れるな。
六、 神仏と年長者を粗末にしてはならない。
七、 幼者を侮るな。
八、 自分の欲しないことを人に求めるな。
九、 腹を立てるのは道に合ったことではない。
十、 何事につけても人の不幸を喜んではならない。
十一、力のかぎり善くなるように努力せよ。
十二、他人のことを考えないで、自分の都合のよいことばかりしてはならない。
十三、食事のたびに農民の辛苦を思え、すべて草木土石でも粗末にしてはならない。
十四、ことさらお洒落をしたり、うわべを繕うのは、わが心に濁りあると思え。
十五、礼儀を乱してはいけない。
十六、いつ誰に対しても客人に接する心がけであれ。
十七、自分の知らないことは、誰でも師と思って教えを受けろ。
十八、学問や技芸は富や名声を得るためにするのではない。己を磨くためにあると心得よ。
十九、人にはすべて得手、不得手がある。不得手をみて一概に人を捨て、笑ってはいけない。
二十、己の善行を誇り顔に人に報せるな。我が行いはすべてが我が心に恥じぬために努力するものと思え。
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<内容(「BOOK」データベースより)>
先達の言葉にこそ、この国の叡智が詰まっている。
仁愛を決断の基本とした小早川隆景、一癖ある者を登用した島津斉彬、時間と進歩の価値を熟知していた秋山真之、
教養の正体を見抜いていた内田百聞(けん)、学問を支えるのは情緒と説いた岡潔…。
約五百年にわたる日本の歴史の道程で生み出された九十八人の言葉と生涯に触れながら、すばらしい日本人を発見する幸福を体感できる珠玉の名言集。
<著者略歴>
磯田/道史
1970(昭和45)年岡山市生れ。茨城大学准教授。
著書に『武士の家計簿』(新潮ドキュメント賞)など
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あまり有名でない人たちの言葉も含め、江戸期を中心としたたくさんの日本人の言葉が紹介されていて勉強になった。
人間は良くも悪くも、時代の集合意識+集合無意識に巻き込まれる。こういう本は、いい形での当時の意識の質感、手触りのようなものを肌で感じることができる。
(最後に写真も載せましたが、勝海舟や山岡鉄舟の顔、表情、目つき・・・全てがなんとも言えない高度なレベルで調和がとれていて美しい。)
どんな些細なことでも、その当時その当時で、それなりの苦労があったことが、言葉という情報体(メモリー)を介して伝わってきた。
人間が何か困難にあい、それを乗り越えていくとき、こうして魂に残るような言葉が痕跡のように残っていく、というのはなんとも不思議なものだ。
DNAが子孫を通じて情報を伝え続けるのと同じように、人類は何かしらの情報を伝え続けていくのかかもしれない。
生きている時点で、何らかの情報を宇宙への痕跡として伝えていくという意味で(意識しようともせずとも)、すべての人間には役割があるのだと思う。
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早川千吉郎(1863-1922年, 明治大正期の官僚、実業家、政治家)
「各人は現代に存すると共に、現代に尽力するの義務あり」
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本間玄調『内科秘録』(1804-1872年, 幕末の水戸藩医)
「治療に臨んでは地球をひとつの大国だと思い、薬品、治療法、医学論まで、地球上で一番良いと思われるものを選び、日に試み、月に験(ため)す」
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水野勝成(1564-1651, 武将。備後福山藩初代藩主)
「味方が多い所では強気になり、味方がいない所では弱気になることは恥」
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中根東里(1694-1765年, 江戸中期の儒者, 陽明学者)
「出る月を待つべし。散る花を追うことなかれ」
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司馬江漢(1747-1818年, 江戸時代の絵師、蘭学者。浮世絵師の鈴木春重と同一人物)
「人、一生涯、衣食住の為に求め得る処の諸器諸家具、己に得んとて利を争いて求め得る処の物は、皆塵なり」
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緒方洪庵(1810-1863年, 江戸時代後期の武士(足守藩士)、医師、蘭学者)
「事に臨んで賎丈夫となるなかれ(いざというとき、いやしい男になるな)」
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本多静六(1866-1952年, 林学博士、造園家)
「知識は小鳥のようなもので、飛んできた時に捕えて籠に入れなければ自分のものにできない」
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西郷隆盛(1828-1877年, 武士(薩摩藩士)、軍人、政治家)
「偉い人とは大臣とか大将とかの地位ではない。財産の有無ではない。世間的な立身出世ではない。一言につくせば、後ろから拝まれる人。死後慕われる人」
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山本玄峰(1866-1961年, 禅僧。静岡県三島市 龍沢寺住職)
「死んでから仏になるはいらぬこと。この世のうちによき人となれ」
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加藤唐九郎(1897-1985年, 陶芸家)
「相手を傷つけないで、自己の欲望だけを満たしていく手段、方法として、人間が最後に発見したものが芸術である」
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勝海舟(1823-1899年, 武士(幕臣)、政治家)
「人材などは騒がなくつても、眼玉一つでどこにでも居るヨ」
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山岡鉄舟(1836-1888年,剣・禅・書の達人)
「困難もひとの所為(せい)だと思ふとたまらぬが、自分の修養と思へば自然楽地のあるものだ。」
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<山岡鉄舟二十訓>
一、 嘘を言うな。
二、 君の御恩を忘れるな。
三、 父母の御恩を忘れるな。
四、 師の御恩を忘れるな。
五、 人の恩を忘れるな。
六、 神仏と年長者を粗末にしてはならない。
七、 幼者を侮るな。
八、 自分の欲しないことを人に求めるな。
九、 腹を立てるのは道に合ったことではない。
十、 何事につけても人の不幸を喜んではならない。
十一、力のかぎり善くなるように努力せよ。
十二、他人のことを考えないで、自分の都合のよいことばかりしてはならない。
十三、食事のたびに農民の辛苦を思え、すべて草木土石でも粗末にしてはならない。
十四、ことさらお洒落をしたり、うわべを繕うのは、わが心に濁りあると思え。
十五、礼儀を乱してはいけない。
十六、いつ誰に対しても客人に接する心がけであれ。
十七、自分の知らないことは、誰でも師と思って教えを受けろ。
十八、学問や技芸は富や名声を得るためにするのではない。己を磨くためにあると心得よ。
十九、人にはすべて得手、不得手がある。不得手をみて一概に人を捨て、笑ってはいけない。
二十、己の善行を誇り顔に人に報せるな。我が行いはすべてが我が心に恥じぬために努力するものと思え。
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