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『Awakenings(邦題:レナードの朝)』(1990年:アメリカ)
ロバート・デ・ニーロ (出演), ロビン・ウィリアムズ (出演), ペニー・マーシャル (監督)
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【2大名優が贈る30年振りの『奇跡』】
1920年代に流行した嗜眠性脳炎によって、30年もの間、半昏睡状態のレナードは、意識はあっても話すことも身動きもできない。
彼に強い関心を抱いた新任ドクターのセイヤーは、レナードに試験的な新薬を投与し、機能回復を試みる。
そしてある朝、レナードは奇跡的な“目覚め”を迎えた…。
人間の尊厳と愛と友情を描き、全世界の話題を独占した2大名優ロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズの初共演も見逃せない。
監督に『ビッグ』のペニー・マーシャル。
第63回アカデミー賞作品賞、主演男優賞、脚色賞ノミネート作品。
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ひさしぶりにこの『Awakenings(邦題:レナードの朝)』(1990年:アメリカ)という映画を見た。
というのも、在宅医療で日々お世話になっている訪問看護師の方やケアマネージャーの方々のリクエストで、パーキンソン病についての講義をすることになり(専門外ではあるのだけど)、いろいろ準備をしてレジュメを作っていたところ、ふとこの映画を思い出したからだ。
講義の中にもこの映画の内容を盛り込もうと思って、もう一度見てみた。
あらためて感動した。
この映画を覚えているのにはもろもろ理由がある。
自分が駿台予備校市ヶ谷校舎に通う浪人生だった時、英語の大島先生と言う名物先生がいた。
当時、自分は熊本からひとり東京に出てきて、予備校生だけの寮に入っていた。
その寮は亀戸にある。だから、亀戸はいまでも懐かしい気持ちになる。
自動改札機を初めて見たというような田舎の熊本から出てきた孤独な自分にとって、大島先生の軽快な英語の授業や、英語と関係がない雑談話はいつも楽しかった。
その大島先生の講義の中で、この映画の話が出てきた。
14年くらいたった今でも、なぜだかそのことを覚えている。
「医療関係を目指す君たちにとってこの映画は絶対に見た方がいい。
そして、タイトルが「レナードの朝」っていうタイトルになってるけど、これはセンスがない。
原題の「Awakenings」っていう意味をよく考えた方がいい。現在進行形だし、複数形だ。この映画を見れば、きっとタイトルの意味が分かる。」
というような内容だった。
映画の内容の解説があったのかなかったのかそれすら覚えていないけれど、「Awakeningsは現在進行形だし、複数形だ」というフレーズはなぜだか克明に覚えていた。
浪人時代は部屋にテレビが無かったので浪人時代は見る事ができず、その後浪人から大学生となり、講義を聞いた1年後くらいにあらためてこの映画を見た。
そのとき、大島先生が言っていた「Awakenings」の意味も、現在進行形の意味も、複数形の意味も、なんだか深く自分の中に伝わってきたのです。そういう流れそのものも覚えている。
この映画は、<嗜眠性脳炎に伴うパーキンソン症候群>というパーキンソン病と同じような症状にかかっている患者さんの実話に基づく話だ。
この映画の原作はオリバー サックスというコロンビア大学の神経内科医。「妻を帽子とまちがえた男」という本の方が有名だ。
パーキンソン病は4徴(1:安静時振戦resting tremor、2:筋強剛rigidity、3:無動akinesia、4:姿勢保持反射障害(postural instability) )という特徴的な症状があるので、知っていれば診断自体は難しくない。
この映画に出てくる嗜眠性脳炎に伴うパーキンソン症候群の患者さんも、丁寧にみると同じような症状がある。
この映画では、嗜眠性脳炎の後遺症で30年以上昏睡状態が続いている患者さんに、当時開発されたばかりのLドーパというパーキンソン病の特効薬を投与してみたところ、一時的に意識状態が回復したという実話に基づいているらしい。
薬自体の効果も、副作用も、実際の臨床に即して映像化されている。
俳優もすごい。ロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズ。
あまり映画にくわしくない自分でも知っている名優。
今見直しても、ロバート・デ・ニーロの演技は患者さんと間違うかのような迫真の演技で、まるで演じているということを忘れて映画の世界に没入させてくれる。
そういう嗜眠性脳炎の患者さんが一時的に意識を戻す。
だから、「AWAKENINGS」というタイトルだ。
それは、「目覚め」であり、単数形ではない「(複数の)目覚め」だ。
だから、「目覚め」というのは患者さんのことだけじゃない。
この難しい症例への治療を通して、周りの医療者や周りの家族、そして映画を見ているひとたちへも、何かの「目覚め」が深い場所で起きる。
そして、それは現在進行形に起きるはずのものだ。
病院には病気で苦しんでいる人が数多くいて、病院から外に出た事がないひとも数多くいる。
ただ、そういう世界に長くいると、医療者側も感覚がマヒしてくることもある。
患者さんの中の広がるこころや精神のことに対して、あらためて思いを馳せる事が少なくなってしまう。
人間の人生はあくまでも有限な時間の中にあるから、「考えないように」物事を省略して生きることが人間の中にプログラムされている。
それは、相手の精神やこころや思い・・を省き、考えなくなることにつながる。
いづれ意識の底に沈み、無意識の底に沈み、眠る。なくなるのではない。眠っている。
そこでポンポンと肩を叩かれると、何かが眠りから目覚める。
「目覚め」、「Awakenings」。
人間はひとりひとりが、ひとつひとつのこころを持っている。
そのこころの中では、奥深くの森のような場所では、暗くてよく見えないだけで日々いろんな葛藤やいろんなドラマが起きている。
外から見た姿や形だけではなくて、ひとりひとりの中に潜む目に見えない奥深くへと意識や注意を働かせる。思いを馳せる。考えてみる。
それが、イメージの力だ。
こころの中では、現在進行形で何が起きているのだろうか。
そのことを深く考え、共に悩む。それでいて顔をあげて胸を張って共に前に歩いて行く。
それこそが医療のプロなんだと思う。医療がどんなに専門分化されても、忘れてはいけないことなのだろうと思う。
あらためて、自分の若き浪人時代のことも思い出しつつ、そうした医療の原点のようなことも思い返した。
医療関係者ではない人が見ても、この映画は隠れた名作だと思う。
『Awakenings(邦題:レナードの朝)』(1990年:アメリカ)
ロバート・デ・ニーロ (出演), ロビン・ウィリアムズ (出演), ペニー・マーシャル (監督)
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【2大名優が贈る30年振りの『奇跡』】
1920年代に流行した嗜眠性脳炎によって、30年もの間、半昏睡状態のレナードは、意識はあっても話すことも身動きもできない。
彼に強い関心を抱いた新任ドクターのセイヤーは、レナードに試験的な新薬を投与し、機能回復を試みる。
そしてある朝、レナードは奇跡的な“目覚め”を迎えた…。
人間の尊厳と愛と友情を描き、全世界の話題を独占した2大名優ロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズの初共演も見逃せない。
監督に『ビッグ』のペニー・マーシャル。
第63回アカデミー賞作品賞、主演男優賞、脚色賞ノミネート作品。
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ひさしぶりにこの『Awakenings(邦題:レナードの朝)』(1990年:アメリカ)という映画を見た。
というのも、在宅医療で日々お世話になっている訪問看護師の方やケアマネージャーの方々のリクエストで、パーキンソン病についての講義をすることになり(専門外ではあるのだけど)、いろいろ準備をしてレジュメを作っていたところ、ふとこの映画を思い出したからだ。
講義の中にもこの映画の内容を盛り込もうと思って、もう一度見てみた。
あらためて感動した。
この映画を覚えているのにはもろもろ理由がある。
自分が駿台予備校市ヶ谷校舎に通う浪人生だった時、英語の大島先生と言う名物先生がいた。
当時、自分は熊本からひとり東京に出てきて、予備校生だけの寮に入っていた。
その寮は亀戸にある。だから、亀戸はいまでも懐かしい気持ちになる。
自動改札機を初めて見たというような田舎の熊本から出てきた孤独な自分にとって、大島先生の軽快な英語の授業や、英語と関係がない雑談話はいつも楽しかった。
その大島先生の講義の中で、この映画の話が出てきた。
14年くらいたった今でも、なぜだかそのことを覚えている。
「医療関係を目指す君たちにとってこの映画は絶対に見た方がいい。
そして、タイトルが「レナードの朝」っていうタイトルになってるけど、これはセンスがない。
原題の「Awakenings」っていう意味をよく考えた方がいい。現在進行形だし、複数形だ。この映画を見れば、きっとタイトルの意味が分かる。」
というような内容だった。
映画の内容の解説があったのかなかったのかそれすら覚えていないけれど、「Awakeningsは現在進行形だし、複数形だ」というフレーズはなぜだか克明に覚えていた。
浪人時代は部屋にテレビが無かったので浪人時代は見る事ができず、その後浪人から大学生となり、講義を聞いた1年後くらいにあらためてこの映画を見た。
そのとき、大島先生が言っていた「Awakenings」の意味も、現在進行形の意味も、複数形の意味も、なんだか深く自分の中に伝わってきたのです。そういう流れそのものも覚えている。
この映画は、<嗜眠性脳炎に伴うパーキンソン症候群>というパーキンソン病と同じような症状にかかっている患者さんの実話に基づく話だ。
この映画の原作はオリバー サックスというコロンビア大学の神経内科医。「妻を帽子とまちがえた男」という本の方が有名だ。
パーキンソン病は4徴(1:安静時振戦resting tremor、2:筋強剛rigidity、3:無動akinesia、4:姿勢保持反射障害(postural instability) )という特徴的な症状があるので、知っていれば診断自体は難しくない。
この映画に出てくる嗜眠性脳炎に伴うパーキンソン症候群の患者さんも、丁寧にみると同じような症状がある。
この映画では、嗜眠性脳炎の後遺症で30年以上昏睡状態が続いている患者さんに、当時開発されたばかりのLドーパというパーキンソン病の特効薬を投与してみたところ、一時的に意識状態が回復したという実話に基づいているらしい。
薬自体の効果も、副作用も、実際の臨床に即して映像化されている。
俳優もすごい。ロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズ。
あまり映画にくわしくない自分でも知っている名優。
今見直しても、ロバート・デ・ニーロの演技は患者さんと間違うかのような迫真の演技で、まるで演じているということを忘れて映画の世界に没入させてくれる。
そういう嗜眠性脳炎の患者さんが一時的に意識を戻す。
だから、「AWAKENINGS」というタイトルだ。
それは、「目覚め」であり、単数形ではない「(複数の)目覚め」だ。
だから、「目覚め」というのは患者さんのことだけじゃない。
この難しい症例への治療を通して、周りの医療者や周りの家族、そして映画を見ているひとたちへも、何かの「目覚め」が深い場所で起きる。
そして、それは現在進行形に起きるはずのものだ。
病院には病気で苦しんでいる人が数多くいて、病院から外に出た事がないひとも数多くいる。
ただ、そういう世界に長くいると、医療者側も感覚がマヒしてくることもある。
患者さんの中の広がるこころや精神のことに対して、あらためて思いを馳せる事が少なくなってしまう。
人間の人生はあくまでも有限な時間の中にあるから、「考えないように」物事を省略して生きることが人間の中にプログラムされている。
それは、相手の精神やこころや思い・・を省き、考えなくなることにつながる。
いづれ意識の底に沈み、無意識の底に沈み、眠る。なくなるのではない。眠っている。
そこでポンポンと肩を叩かれると、何かが眠りから目覚める。
「目覚め」、「Awakenings」。
人間はひとりひとりが、ひとつひとつのこころを持っている。
そのこころの中では、奥深くの森のような場所では、暗くてよく見えないだけで日々いろんな葛藤やいろんなドラマが起きている。
外から見た姿や形だけではなくて、ひとりひとりの中に潜む目に見えない奥深くへと意識や注意を働かせる。思いを馳せる。考えてみる。
それが、イメージの力だ。
こころの中では、現在進行形で何が起きているのだろうか。
そのことを深く考え、共に悩む。それでいて顔をあげて胸を張って共に前に歩いて行く。
それこそが医療のプロなんだと思う。医療がどんなに専門分化されても、忘れてはいけないことなのだろうと思う。
あらためて、自分の若き浪人時代のことも思い出しつつ、そうした医療の原点のようなことも思い返した。
医療関係者ではない人が見ても、この映画は隠れた名作だと思う。