北浦和にある埼玉県立近代美術館で「アール・ブリュット・ジャポネ展」が行われている。(2011年4月9日(土)~5月15日(日))
この展示は、滋賀県にある「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」とスイスのローザンヌにある「アール・ブリュット・コレクション」との連携でヨーロッパを巡回した展示。
パリ市立アル・サン・ピエール美術館での「ART BRUT JAPONAIS アール・ブリュット ジャポネ展」(2010年3月24日~2011年1月2日)の逆輸入盤でもある。
NHKの日曜美術館でもこのパリでの展示が特集で放映されたことがあって(⇒「絶対唯一のアートの衝撃~日本のアール・ブリュット、パリ上陸!」)、見たいなーと思ってただけにうれしい。
このアール・ブリュット(アウトサイダーアートとも言う)の展示が前回日本で開催されたのは3年前の夏。2008年だった。場所は汐留ミュージアム。
そのときも激しい衝撃と感動を受けた。3回も見に行った。(偶然近くに行って偶然時間があったというのもあり。でも、それも引き寄せられるようなものなのかな。)
自分も、当時のブログに書いている。
=================
(過去の自分のブログより)
「アール・ブリュット」2008-06-06
今、汐留ミュージアムにて「アール・ブリュット/交差する魂」という展覧会をやっておるのですが、これが信じられないくらい素晴らしい展覧会でした。
(途中略)
アール・ブリュットとは何かということですが、<アウトサイダー・アート>とも言われます。
どこかに発表することを目的にせず、ただやむにやまれぬ製作や表現の衝動で「何か」を作り続けた人々の作品群を指します。
もともと、ジャン・デュビュッフェという人がこういう作品の素晴らしさを見出し、スイスのローザンヌにアール・ブリュット・コレクションという美術館を作っています。
ただ、日本はまだまだ認知度も低いのが現状。
概して、このような作品は「知的障害者が作る作品は純粋だから全て素晴らしい」などという言説にまとめられてしまうこともありますが、別にそういうことを言いたいわけではなく、世に出すことを目的にしていない、本当に素晴らしい作品を世に出しましょう。というのが本来の目的です。
もちろん、世に出すことを目的にしていない作品という時点で、社会から阻害されてしまった人々、それは精神障害者や知的障害者などが多く含まれているのも事実です。
ただ、作品をみればみるほど、芸術というのは本来こういうものではないかという思いを強くします。子供が何気なく書いた絵が素晴らしいように、本来は表現への得体の知れない衝動に突き動かされてつくったものこそが、表現の最も原始的な形だと思うわけです。
ビジネスを目的としたものを否定するわけではありませんが、そこに色々な思惑が介在する以上、素直に作品を見ることができない自分がいるのも事実です。
(略)
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■「アウトサイダー・アートの世界―東と西のアール・ブリュット」
(紀伊國屋書店)
■「アウトサイダー・アート」(求龍堂)
こういう画集も買った。
今見返しても、あまりのすごさに衝撃を受ける。
そして、美術館に行って生の本物の実物の絵をみるとさらに強い衝撃を受ける。強い感動。たましいをつかまれる感じ。
人間の謎と神秘。
そして生命の奔流。
ひとは、誰もがこころとからだを持っている。「こころ」と「からだ」をつなげるのが「たましい」だ。
色んな理由で抑圧されたり、差別されたり、傷を負ったり、損なわれたりする人がいる。
あるひとは「こころの病い」になり、さらに深刻になると「たましいの病い」になることもあるだろう。
ただ、そのひとたちの奥深くに「病い」として大切にしまわれていたものは、何かの拍子に鍵がはまり扉が開くと、数十年の時を経て新たな生命を持つ。
動き、踊り、奔放に躍動し始める。
それが「形」として見えるものになるとき、ここで展示されている絵や表現のようなものになるのだろう。
絵を見ていると、絵に魂が定着して生命体のように生きているように見える。
人間は謎と神秘に満ちている。
人間は自然の産物なのだから当たり前なのだろう。
その謎や神秘は、可能性でもあり希望でもある。
彼らにとって、描くことや制作することは、生きることそのものだ。
そして、こころやたましいへの治療行為のようなものにもなっている。
芸術にはそういう底知れない力がある。
こういう作品を見ていると、障害とか異常とか正常とか・・そういうのがよくわからなくなる。
そういう境目がどうでもよくなるほど、この作品は見る者の深い場所にダイレクトに貫通してくるのです。
是非、見に行ってください。
これを見逃すと、東京近辺で見られるのが次は3年後くらいになるかもしれません。
ただ、覚悟して見に行ってください。
そこには、剥き出しのたましいがありますから。
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「アール・ブリュット・ジャポネ展」の図録より
『アール・ブリュット、それは「生(き)の芸術」と訳される。
世紀の芸術教育を受けず、発表や評価を望まない、純粋な表現。しかし、純粋であれば十分なのではない。
私や、あなた、そして誰かの感性に強く深く突き刺さる作品だけがこう呼ばれる。
私はここで芸術を語らない。あなたが見てくだされば分かることだから。』
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この展示は、滋賀県にある「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」とスイスのローザンヌにある「アール・ブリュット・コレクション」との連携でヨーロッパを巡回した展示。
パリ市立アル・サン・ピエール美術館での「ART BRUT JAPONAIS アール・ブリュット ジャポネ展」(2010年3月24日~2011年1月2日)の逆輸入盤でもある。
NHKの日曜美術館でもこのパリでの展示が特集で放映されたことがあって(⇒「絶対唯一のアートの衝撃~日本のアール・ブリュット、パリ上陸!」)、見たいなーと思ってただけにうれしい。
このアール・ブリュット(アウトサイダーアートとも言う)の展示が前回日本で開催されたのは3年前の夏。2008年だった。場所は汐留ミュージアム。
そのときも激しい衝撃と感動を受けた。3回も見に行った。(偶然近くに行って偶然時間があったというのもあり。でも、それも引き寄せられるようなものなのかな。)
自分も、当時のブログに書いている。
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(過去の自分のブログより)
「アール・ブリュット」2008-06-06
今、汐留ミュージアムにて「アール・ブリュット/交差する魂」という展覧会をやっておるのですが、これが信じられないくらい素晴らしい展覧会でした。
(途中略)
アール・ブリュットとは何かということですが、<アウトサイダー・アート>とも言われます。
どこかに発表することを目的にせず、ただやむにやまれぬ製作や表現の衝動で「何か」を作り続けた人々の作品群を指します。
もともと、ジャン・デュビュッフェという人がこういう作品の素晴らしさを見出し、スイスのローザンヌにアール・ブリュット・コレクションという美術館を作っています。
ただ、日本はまだまだ認知度も低いのが現状。
概して、このような作品は「知的障害者が作る作品は純粋だから全て素晴らしい」などという言説にまとめられてしまうこともありますが、別にそういうことを言いたいわけではなく、世に出すことを目的にしていない、本当に素晴らしい作品を世に出しましょう。というのが本来の目的です。
もちろん、世に出すことを目的にしていない作品という時点で、社会から阻害されてしまった人々、それは精神障害者や知的障害者などが多く含まれているのも事実です。
ただ、作品をみればみるほど、芸術というのは本来こういうものではないかという思いを強くします。子供が何気なく書いた絵が素晴らしいように、本来は表現への得体の知れない衝動に突き動かされてつくったものこそが、表現の最も原始的な形だと思うわけです。
ビジネスを目的としたものを否定するわけではありませんが、そこに色々な思惑が介在する以上、素直に作品を見ることができない自分がいるのも事実です。
(略)
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■「アウトサイダー・アートの世界―東と西のアール・ブリュット」
(紀伊國屋書店)
■「アウトサイダー・アート」(求龍堂)
こういう画集も買った。
今見返しても、あまりのすごさに衝撃を受ける。
そして、美術館に行って生の本物の実物の絵をみるとさらに強い衝撃を受ける。強い感動。たましいをつかまれる感じ。
人間の謎と神秘。
そして生命の奔流。
ひとは、誰もがこころとからだを持っている。「こころ」と「からだ」をつなげるのが「たましい」だ。
色んな理由で抑圧されたり、差別されたり、傷を負ったり、損なわれたりする人がいる。
あるひとは「こころの病い」になり、さらに深刻になると「たましいの病い」になることもあるだろう。
ただ、そのひとたちの奥深くに「病い」として大切にしまわれていたものは、何かの拍子に鍵がはまり扉が開くと、数十年の時を経て新たな生命を持つ。
動き、踊り、奔放に躍動し始める。
それが「形」として見えるものになるとき、ここで展示されている絵や表現のようなものになるのだろう。
絵を見ていると、絵に魂が定着して生命体のように生きているように見える。
人間は謎と神秘に満ちている。
人間は自然の産物なのだから当たり前なのだろう。
その謎や神秘は、可能性でもあり希望でもある。
彼らにとって、描くことや制作することは、生きることそのものだ。
そして、こころやたましいへの治療行為のようなものにもなっている。
芸術にはそういう底知れない力がある。
こういう作品を見ていると、障害とか異常とか正常とか・・そういうのがよくわからなくなる。
そういう境目がどうでもよくなるほど、この作品は見る者の深い場所にダイレクトに貫通してくるのです。
是非、見に行ってください。
これを見逃すと、東京近辺で見られるのが次は3年後くらいになるかもしれません。
ただ、覚悟して見に行ってください。
そこには、剥き出しのたましいがありますから。
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「アール・ブリュット・ジャポネ展」の図録より
『アール・ブリュット、それは「生(き)の芸術」と訳される。
世紀の芸術教育を受けず、発表や評価を望まない、純粋な表現。しかし、純粋であれば十分なのではない。
私や、あなた、そして誰かの感性に強く深く突き刺さる作品だけがこう呼ばれる。
私はここで芸術を語らない。あなたが見てくだされば分かることだから。』
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