(悩める中1男子との対話)
●中1男子(ひきこもり)「色んな人が自分のことをいいとか悪いとか言うから、気になっちゃう。だから学校にも行きたくない。でも、なんとかしたい、っていうのはある。そこが自分でもよくわからなくなってきた。」
●いなば「そうだよね。いいとかわるいっていう、善悪の二元論でジャッジする考えは、最初に通過しなければいけない登竜門だから、そこは大変だよね。しかも、いま一番流行っている、みんなが夢中になってるゲームみたいだからね。その荒波に飲まれそうになってるのかもね。でも、中1でそれが本能的に違う、ってわかってるのはすごいじゃない!」
●中1男子「流行?ゲーム?」
●いなば「そうだよ。「気づいている」というのはすごいことなんだ。どんなことでも、「きづく」ことでしか先には進めないんだから。 たいていの大人はそんなことすっかり忘れて生活してるでしょ。その上で、誰かがいいとか悪いとか、自分の外を評価し操作することばかりに熱中して、自分の中の問題はさておきになってるんだよね。毎日ゲームに夢中みたいだね。
そこで君が立ち止まっているということは、大事なメッセージなんだ。
何か解決しないといけない、ってことを、君の脳細胞のひとつひとつがそのことを自覚していて、多数決で勝っているわけだからね。全身のからだの細胞も理解しているから、体が動かないわけだからね。
結局、善悪でジャッジしてるは誰かというと、自分の中の表層の部分の判断なんだよね。それも確かにあなたの一部だから一理あるわけだけど、あなたはもっともっと広い存在なんだよ。いいか悪いか、断定的に言えるのは、そういう特性を持った自我(エゴ)って呼ばれる場所が口をはさんでいる。結構図々しい奴だからね。
でも、あなたのご主人様は表層だけではなくて、もっと奥に鎮座しているんだよ。自我っていうのは現実世界になんとか適応するために最前線に出ている活動部隊のようなもの。
この世の現実をなんとか受け入れようとしている現実世界で頑張る自分の一部なんだ。まあ、大変だよね。」
●中1男子「いろんな役割の人がいるんだね。」
●いなば「もちろん。だって人体は100,000,000,000,000近い細胞で構成されているんだから、それだけ色んな個性の人がより集まって、なんとかうまくやっているわけだよね。
どんなものでも、いいか悪いかなんて、誰にも言えないものだよ。
たとえば、外で転んだ。これは悪いこと? でも、転んだおかげでそこで1万円拾った。これはいいこと? でも、骨を折って入院した。これは悪いこと? 入院したおかげで自分の時間を初めて持てた。これはいいこと? ただ、仕事を失った。これは悪いこと? その入院先の看護婦さんと結婚した。これはいいこと?でも、価値観の相違で離婚した。これは悪いこと? でも、そのおかげで自分というものと初めて真剣に向き合った。これはいいこと?
・・・・
こういう風に、この世の人生っていうのはプロセスが無限に続いているわけだよね。すべてつながって途切れないわけだけど、どこで切断して何を評価基準にするかで、いいか悪いかを仮に決めているわけだ。あくまでも仮説としてね。
だから、究極的にはいいも悪いもない。そして、すべてにいい面と悪い面が同居しているんだ。それは種のように潜在的なものなんだ。どちらにも花開く。
そんな中で、自分がどういう人生を生きて選択していくかを常に問われている。君はその分岐点に立っているからこそ、悩んでいる。そして、評価したり評価される人生が違うことを、直感的に分かっている。」
●中1男子「そうなのかぁ。」
●いなば「誰かをジャッジするってことは、同時に自分もジャッジされる人生を選ぶってことなんだ。
同じく、誰かにジャッジされるってことは、同時に自分もジャッジする人生を選ぶってことなんだ。
これはコインの表と裏。同じことなんだよ。
だから、相手にいいとか悪いとかジャッジされたくなければ、まず初めに自分も誰かをジャッジしないこと。
自分をいい悪いでジャッジしている相手を、悪いとジャッジしない、ってことが常にはじまりになるわけだ。常に君の選択がスタートとして与えられている。」
●中1男子「自分はそういう人と違うよー。違う人種だと思ってるもの。」
●いなば「この世は共鳴の原理に基づいている。
相手がジャッジしたい・されたいという世界に生きている時、そこに引きずり込もうと必死に頑張る。相手をなんとかジャッジする・ジャッジされる人間にしたてあげようと誘い込んでくるんだ。
そこで、あなたがジャッジされた、と思ったり、相手をジャッジすると、その時点で相手の思うつぼにはまっている。そのゲームの参加ボタンをポチッと押したことになってしまうんだよ。
だから、あなたがすることはただ一つ。
そのゲームに参加しないという意思を持ち、それを選択する事なんだ。
これは簡単なようで難しく、難しいようで簡単なんだよ。
あなたの意志や勇気次第なんだ。
そして、それは常に君の側に選択権がある。
相手のせいにしようともしまいとも、それは自由なんだけど、選択権を持つのは常に君なんだ。」
●中1男子「むしろ自分はまきこまれているって感じで、そういう人たちさえいなくなればいいいな。とおもうくらいだよ。そういう人も自分も消えればいいなって。自分も、いつのまにか仲間になってるの?」
●いなば「君の最初の話では、相手が自分を善悪でジャッジすることが気になる、ということだったよね。
まずそれは、君が相手と共鳴していると言う事を指している。共鳴自体は決して悪いことではない。愛も悲しみも優しさも、共鳴を基盤にしているから成立しているんだからね。それは認めよう。
でも、たいていの人はその共鳴の原理を無意識に使うことで、あなたをあるゲームの中に誘い込もうとしている。無意識に共鳴するからね。気付いてないわけだ。だから「気付く」ことがスタートだって言ったよね。
相手を評価し評価されるゲームへの誘いは、常に存在している。人生の中には、そういう果てしないゲームを一生やり続けている人もたくさんいる。ただ、それはその人が選んだ人生であって、自分の課題とは別なんだ、ということをまず覚えておこう。しかも、それは今の資本主義というシステムとぴったりフィットしているからこそ、これだけユーザー数も増えちゃった面もあるんだよね。きっと縄文時代はジャッジしたりする概念自体なかったんじゃないかなぁ。
それはともかく、そんな社会制度や時代と、君がどんな人生を選ぶと決めるかはまったく関係ない話しなんだ。ジャッジしてジャッジされるゲームに、君は参加する自由もあるし、参加しない自由さえもある。
そして、ゲームは終わりなく続いていく。
この世界はそんなゲームに熱中している人が大勢いる。
だけど、君のからだはそのことに違和感を感じた。だからひきこもった。なんと君のからだは素晴らしく敏感なんだろう! からだは、既にあなたが行くべき道の方向を教えててくれてるじゃないか。
君のからだというご本尊は、そのゲームから降りることを望んでいる。じゃあ、それを選べばいいんじゃないか?」
●中1男子「だから学校に行かなくなったんだけど。」
●いなば「勇気をもってそのゲームから降りよう。そのことと家でひきこもることは別の話しだよ。家でひきこもっていても、ネットで同じゲームに巻き込まれていたら同じこと。
ただ、相手が自分をジャッジしてくるのも自由なんだよ。それは愛と敬意をもって尊重しよう。誘い込まれなければいいだけだから。淡々と君は君の人生を生きるんだ。それはジャッジしジャッジされる世界を越えた君の新しい人生の始まりなんだ。
誘いや挑発に乗らないこと。相手も百戦錬磨の達人だから、巧みにゲームに参加するようあの手この手を使って勧誘してくる。そして、それは共鳴の原理を使い、君をジャッジすることでそういうゲームに参加させようとしている。
でも、そこで君はからだの声に従って、そのゲームに参加しないことを選ぶんだ。だから、そんな風に誘ってくる相手をダメだとか評価する必要ももちろんないんだよ。ゲームに熱中してるだけだから、飽きたらやめるだろうからね。
同じフィールドに巻き込まれないよう、相手の人生の選択を尊重しながら、君は君の人生を生きるんだ。そうしたら、君はもっと自由になる。」
●中1男子「自分に決めれるとは思えないけど・・・」
●いなば「もちろん、それは君の自由だから押し付けないし、強制しないよ。それは自分が決めるといい。誰にもそこは決められないからね。君の人生の主人公は君だから。
君が評価するとかしないとか、そういうことを越えた場所で生きることを選択したら、そこには、意外にもたくさんの仲間がいることに気づくだろう。今までとは全く異質の人たちばかりだ。そのことに驚くだろう。
そこでは、みんなが愛と調和を持って、よりよい未来を作ろうと、評価されなくとも淡々と生きているんだよ。
そういう先輩たちも、新参者の君をいいとか悪いでジャッジしすることはない。ただ、勇気をもって人生を選択した君に、最大の敬意をもって存在を肯定してくれるだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。
なぜなら、そこに生きる人たちは、自分をジャッジできるのは自分自身しかにないということを知っている人たちばかりだからだ。基準は外にあるわけではなく、すべて自分の中にしかないんだよ。
その世界では、それぞれが内的な判断基準を持ち、その上で互いを尊重し合う社会を作ろうとしている。誰にもジャッジされないからこそ、君は内なる声を聞きながら人生を歩んでいく必要がある。
内なる声というと難しいかもしれないけれど、君の心の声であり、体の声だよ。
だからこそ、君は今後ずっとそこと対話し続けて行かないといけない。それは当たり前なんだ。だって、それも君なんだから。自分のからだやこころの中にしか、君には物差しや羅針盤はないわけだから。
常に自分で自分の道を選び続けないといけない。誰にもジャッジされない代わりに、誰もジャッジしない。
でも、本来はそれこそがその人その人のオリジナルな人生なんだ。
君がこの世に生まれてきている理由は、生まれる前の君が決めてきている。
だから、それは全部君が自由に決めていいんだよ。
そして、それは君のからだやこころの中にに、かならずその痕跡がある。
だから、いろんな人に会って、自分の体の反応と対話してほしい。いろんな場所に行って、自分の体の反応と対話してほしい。
ただ、君の前に提示されるのは常にヒントであって答えではない。
君の前に提示されるヒントをたくさん集めて、自分自身でこの人生の問題を解いていくんだよ。
そうすれば、自分の使命というものは、自然に出てくるよ。
アボリジニーは、この世そのものは、大地が見ている夢だと言っている。だから、僕らはこの人生で与えれている色んな状況や出会いを、自分の夢を解くようにそのメタファーを読み解いていく必要があるんだよ。
おもしろいでしょ?(^^」
●中1男子「うん。とにかく、まず自分がその誘い水に乗らなければいいんだね。相手をジャッジするから自分もジャッジされる。まずは自分が相手をジャッジしない。なんだか、それそのものもゲームみたいだね。
難しそうだけど、<簡単なようで難しい、難しいようで簡単>、って言葉を信じて、まずやってみるよ。」
●いなば「きっとできるよ!自分は先に、ジャッジしないしジャッジされない世界で、待ってるよー。またそこで会おうね!」
●中1男子(ひきこもり)「色んな人が自分のことをいいとか悪いとか言うから、気になっちゃう。だから学校にも行きたくない。でも、なんとかしたい、っていうのはある。そこが自分でもよくわからなくなってきた。」
●いなば「そうだよね。いいとかわるいっていう、善悪の二元論でジャッジする考えは、最初に通過しなければいけない登竜門だから、そこは大変だよね。しかも、いま一番流行っている、みんなが夢中になってるゲームみたいだからね。その荒波に飲まれそうになってるのかもね。でも、中1でそれが本能的に違う、ってわかってるのはすごいじゃない!」
●中1男子「流行?ゲーム?」
●いなば「そうだよ。「気づいている」というのはすごいことなんだ。どんなことでも、「きづく」ことでしか先には進めないんだから。 たいていの大人はそんなことすっかり忘れて生活してるでしょ。その上で、誰かがいいとか悪いとか、自分の外を評価し操作することばかりに熱中して、自分の中の問題はさておきになってるんだよね。毎日ゲームに夢中みたいだね。
そこで君が立ち止まっているということは、大事なメッセージなんだ。
何か解決しないといけない、ってことを、君の脳細胞のひとつひとつがそのことを自覚していて、多数決で勝っているわけだからね。全身のからだの細胞も理解しているから、体が動かないわけだからね。
結局、善悪でジャッジしてるは誰かというと、自分の中の表層の部分の判断なんだよね。それも確かにあなたの一部だから一理あるわけだけど、あなたはもっともっと広い存在なんだよ。いいか悪いか、断定的に言えるのは、そういう特性を持った自我(エゴ)って呼ばれる場所が口をはさんでいる。結構図々しい奴だからね。
でも、あなたのご主人様は表層だけではなくて、もっと奥に鎮座しているんだよ。自我っていうのは現実世界になんとか適応するために最前線に出ている活動部隊のようなもの。
この世の現実をなんとか受け入れようとしている現実世界で頑張る自分の一部なんだ。まあ、大変だよね。」
●中1男子「いろんな役割の人がいるんだね。」
●いなば「もちろん。だって人体は100,000,000,000,000近い細胞で構成されているんだから、それだけ色んな個性の人がより集まって、なんとかうまくやっているわけだよね。
どんなものでも、いいか悪いかなんて、誰にも言えないものだよ。
たとえば、外で転んだ。これは悪いこと? でも、転んだおかげでそこで1万円拾った。これはいいこと? でも、骨を折って入院した。これは悪いこと? 入院したおかげで自分の時間を初めて持てた。これはいいこと? ただ、仕事を失った。これは悪いこと? その入院先の看護婦さんと結婚した。これはいいこと?でも、価値観の相違で離婚した。これは悪いこと? でも、そのおかげで自分というものと初めて真剣に向き合った。これはいいこと?
・・・・
こういう風に、この世の人生っていうのはプロセスが無限に続いているわけだよね。すべてつながって途切れないわけだけど、どこで切断して何を評価基準にするかで、いいか悪いかを仮に決めているわけだ。あくまでも仮説としてね。
だから、究極的にはいいも悪いもない。そして、すべてにいい面と悪い面が同居しているんだ。それは種のように潜在的なものなんだ。どちらにも花開く。
そんな中で、自分がどういう人生を生きて選択していくかを常に問われている。君はその分岐点に立っているからこそ、悩んでいる。そして、評価したり評価される人生が違うことを、直感的に分かっている。」
●中1男子「そうなのかぁ。」
●いなば「誰かをジャッジするってことは、同時に自分もジャッジされる人生を選ぶってことなんだ。
同じく、誰かにジャッジされるってことは、同時に自分もジャッジする人生を選ぶってことなんだ。
これはコインの表と裏。同じことなんだよ。
だから、相手にいいとか悪いとかジャッジされたくなければ、まず初めに自分も誰かをジャッジしないこと。
自分をいい悪いでジャッジしている相手を、悪いとジャッジしない、ってことが常にはじまりになるわけだ。常に君の選択がスタートとして与えられている。」
●中1男子「自分はそういう人と違うよー。違う人種だと思ってるもの。」
●いなば「この世は共鳴の原理に基づいている。
相手がジャッジしたい・されたいという世界に生きている時、そこに引きずり込もうと必死に頑張る。相手をなんとかジャッジする・ジャッジされる人間にしたてあげようと誘い込んでくるんだ。
そこで、あなたがジャッジされた、と思ったり、相手をジャッジすると、その時点で相手の思うつぼにはまっている。そのゲームの参加ボタンをポチッと押したことになってしまうんだよ。
だから、あなたがすることはただ一つ。
そのゲームに参加しないという意思を持ち、それを選択する事なんだ。
これは簡単なようで難しく、難しいようで簡単なんだよ。
あなたの意志や勇気次第なんだ。
そして、それは常に君の側に選択権がある。
相手のせいにしようともしまいとも、それは自由なんだけど、選択権を持つのは常に君なんだ。」
●中1男子「むしろ自分はまきこまれているって感じで、そういう人たちさえいなくなればいいいな。とおもうくらいだよ。そういう人も自分も消えればいいなって。自分も、いつのまにか仲間になってるの?」
●いなば「君の最初の話では、相手が自分を善悪でジャッジすることが気になる、ということだったよね。
まずそれは、君が相手と共鳴していると言う事を指している。共鳴自体は決して悪いことではない。愛も悲しみも優しさも、共鳴を基盤にしているから成立しているんだからね。それは認めよう。
でも、たいていの人はその共鳴の原理を無意識に使うことで、あなたをあるゲームの中に誘い込もうとしている。無意識に共鳴するからね。気付いてないわけだ。だから「気付く」ことがスタートだって言ったよね。
相手を評価し評価されるゲームへの誘いは、常に存在している。人生の中には、そういう果てしないゲームを一生やり続けている人もたくさんいる。ただ、それはその人が選んだ人生であって、自分の課題とは別なんだ、ということをまず覚えておこう。しかも、それは今の資本主義というシステムとぴったりフィットしているからこそ、これだけユーザー数も増えちゃった面もあるんだよね。きっと縄文時代はジャッジしたりする概念自体なかったんじゃないかなぁ。
それはともかく、そんな社会制度や時代と、君がどんな人生を選ぶと決めるかはまったく関係ない話しなんだ。ジャッジしてジャッジされるゲームに、君は参加する自由もあるし、参加しない自由さえもある。
そして、ゲームは終わりなく続いていく。
この世界はそんなゲームに熱中している人が大勢いる。
だけど、君のからだはそのことに違和感を感じた。だからひきこもった。なんと君のからだは素晴らしく敏感なんだろう! からだは、既にあなたが行くべき道の方向を教えててくれてるじゃないか。
君のからだというご本尊は、そのゲームから降りることを望んでいる。じゃあ、それを選べばいいんじゃないか?」
●中1男子「だから学校に行かなくなったんだけど。」
●いなば「勇気をもってそのゲームから降りよう。そのことと家でひきこもることは別の話しだよ。家でひきこもっていても、ネットで同じゲームに巻き込まれていたら同じこと。
ただ、相手が自分をジャッジしてくるのも自由なんだよ。それは愛と敬意をもって尊重しよう。誘い込まれなければいいだけだから。淡々と君は君の人生を生きるんだ。それはジャッジしジャッジされる世界を越えた君の新しい人生の始まりなんだ。
誘いや挑発に乗らないこと。相手も百戦錬磨の達人だから、巧みにゲームに参加するようあの手この手を使って勧誘してくる。そして、それは共鳴の原理を使い、君をジャッジすることでそういうゲームに参加させようとしている。
でも、そこで君はからだの声に従って、そのゲームに参加しないことを選ぶんだ。だから、そんな風に誘ってくる相手をダメだとか評価する必要ももちろんないんだよ。ゲームに熱中してるだけだから、飽きたらやめるだろうからね。
同じフィールドに巻き込まれないよう、相手の人生の選択を尊重しながら、君は君の人生を生きるんだ。そうしたら、君はもっと自由になる。」
●中1男子「自分に決めれるとは思えないけど・・・」
●いなば「もちろん、それは君の自由だから押し付けないし、強制しないよ。それは自分が決めるといい。誰にもそこは決められないからね。君の人生の主人公は君だから。
君が評価するとかしないとか、そういうことを越えた場所で生きることを選択したら、そこには、意外にもたくさんの仲間がいることに気づくだろう。今までとは全く異質の人たちばかりだ。そのことに驚くだろう。
そこでは、みんなが愛と調和を持って、よりよい未来を作ろうと、評価されなくとも淡々と生きているんだよ。
そういう先輩たちも、新参者の君をいいとか悪いでジャッジしすることはない。ただ、勇気をもって人生を選択した君に、最大の敬意をもって存在を肯定してくれるだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。
なぜなら、そこに生きる人たちは、自分をジャッジできるのは自分自身しかにないということを知っている人たちばかりだからだ。基準は外にあるわけではなく、すべて自分の中にしかないんだよ。
その世界では、それぞれが内的な判断基準を持ち、その上で互いを尊重し合う社会を作ろうとしている。誰にもジャッジされないからこそ、君は内なる声を聞きながら人生を歩んでいく必要がある。
内なる声というと難しいかもしれないけれど、君の心の声であり、体の声だよ。
だからこそ、君は今後ずっとそこと対話し続けて行かないといけない。それは当たり前なんだ。だって、それも君なんだから。自分のからだやこころの中にしか、君には物差しや羅針盤はないわけだから。
常に自分で自分の道を選び続けないといけない。誰にもジャッジされない代わりに、誰もジャッジしない。
でも、本来はそれこそがその人その人のオリジナルな人生なんだ。
君がこの世に生まれてきている理由は、生まれる前の君が決めてきている。
だから、それは全部君が自由に決めていいんだよ。
そして、それは君のからだやこころの中にに、かならずその痕跡がある。
だから、いろんな人に会って、自分の体の反応と対話してほしい。いろんな場所に行って、自分の体の反応と対話してほしい。
ただ、君の前に提示されるのは常にヒントであって答えではない。
君の前に提示されるヒントをたくさん集めて、自分自身でこの人生の問題を解いていくんだよ。
そうすれば、自分の使命というものは、自然に出てくるよ。
アボリジニーは、この世そのものは、大地が見ている夢だと言っている。だから、僕らはこの人生で与えれている色んな状況や出会いを、自分の夢を解くようにそのメタファーを読み解いていく必要があるんだよ。
おもしろいでしょ?(^^」
●中1男子「うん。とにかく、まず自分がその誘い水に乗らなければいいんだね。相手をジャッジするから自分もジャッジされる。まずは自分が相手をジャッジしない。なんだか、それそのものもゲームみたいだね。
難しそうだけど、<簡単なようで難しい、難しいようで簡単>、って言葉を信じて、まずやってみるよ。」
●いなば「きっとできるよ!自分は先に、ジャッジしないしジャッジされない世界で、待ってるよー。またそこで会おうね!」
それを生きれば、こころは自由
ですね。
仏教でいえば明鏡止水でしょうか。
頭で考えてもなかなかできませんが、
座禅・瞑想するとできるようになり
ます.但し、時間はかかります、
蟻の歩みの如くに。
残念ながら、棚ボタはありません(笑)。。
自分自身を含めて、誰からもジャッジされずに「安心安全にありのままでいられる」そのような気が致します。
そうですね。
そういう状態が存在する、ということを知っているか知らないか、というだけでも大きな違いだと思いますね。
聖人とされるひとたちもそうですね。そういう方々が現に生きていた、ということを知るだけでも、希望を感じます。
>安藤さま
ありがとうございます。
学生との対話は、あまり難しい言葉を使わずに説明しようとするので、自分でも勉強になる事ばかりなのです。
こちらへたどり着き、
興味あることや、似た趣向に
いろいろ一気に読みいってしまいました。
特に、この「悩める中1男子との対話」は
すごくためになりました。
また時々、寄らせてもらいます。
コメント有難うございます。
論文にシュタイナーを書く、というのはどのような論文なのでしょうか?!素晴らしいですね。
完成したら是非拝読させてほしいです。シュタイナーはもっと発見されてしかるべき人だと思います。個人的には、「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか (ちくま学芸文庫)」が一番読みやすくて好きです。
この「悩める中1男子との対話」は、実際の引きこもりの方のお母様に相談されて、直接話した内容です。
そのおかげなのか分かりませんが、その男性は今はアーティストとして突然開花され、今年に素晴らしい芸術的な年賀状が来て驚きました。(^^
またお越しくださいませ。ありがとうございます。