日常

埴谷雄高「生命・宇宙・人類」

2012-08-22 23:26:52 | 
読書とは不思議なもの。山のようにある本棚をふと見てふと手にする。
1行だけ読むはずがソーメンのようにツルツル行っちゃうと最後まで一気に読んでしまうことがあります。
本を読むというより、読まされるというような感じ。
人生は有限なので、今生で読むべき本も決まっているのかもしれません。


埴谷雄高さんの「生命・宇宙・人類」角川春樹事務所 (1996/03)
を読みました。
この本は立花隆さんがインタビューしています。

自分は古本屋で本を見つけることが多いのですが、この本も中古で300円でした。
いつも毎月膨大に本を買ってますが、数百円の本を買うので食費より安くついてる気がします。

仕事の後輩をご飯に連れて行くときくらいしか、食費は使いません。
普段はうどん、豆腐、納豆、味噌汁、米、野菜・・・くらいなものです。自給自足したい。

自分の中で、本を食事のようなものと位置づけています。
安くておいしく体によいご飯が最高。ご飯は毎日必要なもので。自分のBodyとMindとSoulを形成するもの。


ところで。
この本は表紙の写真とデザインがインパクト強くて思わず買いました。言葉の言い回しが詩人のようでとても新鮮で、すごく面白かった。




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<内容(「BOOK」データベースより)>
立花隆が埴谷雄高のすべてを聞く。
『死霊』の作者は思考する。
わたしはどこから来て、どこへ向かうのか、と
―政治・革命・文学から生・死・コンピュータ・遺伝子・宇宙まで、強靱な思考から放たれる予言が、世紀末を生きる同時代人を震撼させる、衝撃の一書。
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目をつぶって手でずっと目を押さえてますとね、だんだんと星が出てくる。
星がどんどん拡がってね、つまり闇から光が自発してくる。
一時間くらい押さえているとものすごく変化する。
けっきょく人間は自分の中に光を持っている。
自分が光だから光がわかるわけだ。
人間と言うものが光と別のものなら、光は分からないですよ。
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→極度の集中で最終的に見えてくるのは光のようなものですね。これは臨死体験も同じ。
神経細胞(Neuron)一本の発火現象のようなものにまで、自分の存在がミクロ世界へと還元されているのかもしれません。



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自分には三つの部屋がある。
「自意識」の部屋と「革命」の部屋、それに「宇宙論」の部屋の三つで、それが相互にドア一枚でつながりあっている。
自分の作品はすべて、三つの部屋をあっちに行ったりこっちに行ったりしながら書いているんだ。
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薔薇、屈辱、自同律・・つづめて云えば俺はこれだけ。
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結核のもつ陰鬱な不快感に「存在自体が持っている根源的な不安感」と「透明な精神状態」を体験した。
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不可能性の文学とは、ドストエフスキーやポオの小説で、例えばある観念とそれに対立する観念を対話という方法で論理を極限まで引っ張り、時空を超えた不思議な存在の感覚に達する文学である。
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ドストエフスキーは平凡人の中の天才性を発見した人ですが、そればかりでなしに、そのチャンスとなるものも発見した。ひとつは夢、もうひとつは自殺です。
ドストエフスキーは自殺も夢も幽霊も非常にうまく使っているんですね。
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科学はおそろしい思考実験の時代に踏み込んでしまった。
何かを考えることが何かを存在させること、になった。
カント的に、主体の考えるごとくに客体はあることになって、自然淘汰から人為淘汰の世界へ移りつつある。
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しかし、我々にとって最終最後の砦は数量的なものではなく質的なものなんですね。
今の研究も発達も、コンピュータにデータが何万入っているか、脳細胞は何十億あるかとう数や量の問題であって質の問題ではない。
質は人間が最後に持っている最大の領域であって、我々には文学がある。
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芸術からくる創造の世界の究極が「虚」なんです。
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ぼくの言う想像力の極点と狂気とはやはり差があって、現実から切れてないということなんです。
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自分が夢を見ている時は宇宙も夢を見ている。
宇宙の夢が自分に入ってきて、夢において自分と宇宙とが一体化するというのが僕の仮説なんです。
二酸化炭素や窒素をいくら集めても心は出てこない。
ケミストリー(化学)的な人間論では心とか魂の問題は解明できないんです。
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生命が生きている、その在り方そのものが満たされない状態である。
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いま、我々の生きている世界での価値判断じゃなくて、無限の中の価値を言わないとならんのですよ。
無限の中にあるものとして、これはあったほうがいいか、ないほうがいいか。
しかもその価値判断にドラマがなくてはならない。
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埴谷雄高さんと言えば、『死霊』というとんでもない本で有名なお方。
埴谷さんの本はまだ一冊も読んだことがないのに、なぜかこうして対談本を読んでしまった。


【自分が夢を見ている時は宇宙も夢を見ている。
宇宙の夢が自分に入ってきて、夢において自分と宇宙とが一体化するというのが僕の仮説なんです。】
というのはすごくよくわかるなぁ。そのときって、「わたし」の境界がなくなるから、「わたし」は「すべて」と同じものになるんですよね。
ALONE=ALL+ONEというのと同じ。梵我一如。

1 コメント

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埴谷さん (amaoto)
2012-08-22 23:43:52
こんばんは。

いなばさんが埴谷雄高の本を初めてお読みになったと知り驚きとともに大変嬉しく思いました。
私は埴谷雄高さんのファンで「死霊」も読み続けていましたし(未完で終わってしまいましたが…)、埴谷さんの存在自体が私の心の安らぎだったのです。
吉祥寺の埴谷さん宅で4時間以上もお話ししたことも懐かしい思い出になってしまいました。
ちょうどあの時も夏で、埴谷さんは浴衣姿でした
埴谷さんが生きておられたら、今の日本の状態をどのように思われただろうかと、時々考えることがあります。
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