東京都美術館で「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」を観てきました。
東京都美術館がリニューアルオープンしてから初めて行ったけど、中はそんなに変ってなかった。(^^;
ただ、カフェとかレストランとかが綺麗になったようなので、今度人が少ない時にのぞいてみよう。
上野公園内にはスターバックスが出来てみたり、少しずつおしゃれ度が増してます。
でも、自分はホームレスの人がいたり、なんかよくわからんおっさんがいたりする上野の怪しい雰囲気の方が好きなので、あまり画一的におしゃれスポットにしてほしくないっていう矛盾した感覚もあります。
あの聖も濁もすべて包み込む感じの混沌とした上野が好きなので。
今回の「マウリッツハイス美術館展」は、フェルメール「真珠の耳飾りの少女」がメインなわけで、そこだけは30分くらい並ばないと見れない。
しかも、せっかくその順番がまわって来ても、流れるプールのように3秒くらいしか前にはいれません。
「歩きながら見てください。立ち止まらないでください。」と係員に言われながら、流れるプールに流されながら見る名画も斬新!
一見の価値はあります。肉眼で見た方がいいです。
もともと、フェルメールは30数点しか残してなくて、40歳代で若くして亡くなっているので、絶対数が少ない。
その中で、門外不出と思っていた「真珠の耳飾りの少女」がまさか上野で見れるなんて信じられません。
あの深い青。そして、こちらの深層心理や無意識と深く呼応してくるかのような魂を射抜くかのような視線。
なんでも本物を見ると違います。
国立西洋美術館でやっている「ベルリン国立美術館展」にもフェルメールの《真珠の首飾りの少女》が出てます。
ちょうど6月にEULARの発表でベルリンに行ってました(⇒『ベルリンフィルの衝撃』(2012-06-12))。ベルリン国立美術館はベルリンフィルのすぐ隣にあるのですが、フェルメールの絵がなかったのでおかしいなぁと思ったら、まさか東京の上野に来てたなんて夢にも思いませんでした。
夏休みの時期だったから人混みがすごかったー。
流れるプール状態で見るのは新鮮でしたが、一見の価値はありですね。
他に、レンブラントの絵なんかも少しありましたが、いかんせん、他の絵はフェルメール「真珠の耳飾りの少女」のおまけ感が半端なかったです。
東京都美術館がリニューアルオープンしてから初めて行ったけど、中はそんなに変ってなかった。(^^;
ただ、カフェとかレストランとかが綺麗になったようなので、今度人が少ない時にのぞいてみよう。
上野公園内にはスターバックスが出来てみたり、少しずつおしゃれ度が増してます。
でも、自分はホームレスの人がいたり、なんかよくわからんおっさんがいたりする上野の怪しい雰囲気の方が好きなので、あまり画一的におしゃれスポットにしてほしくないっていう矛盾した感覚もあります。
あの聖も濁もすべて包み込む感じの混沌とした上野が好きなので。
今回の「マウリッツハイス美術館展」は、フェルメール「真珠の耳飾りの少女」がメインなわけで、そこだけは30分くらい並ばないと見れない。
しかも、せっかくその順番がまわって来ても、流れるプールのように3秒くらいしか前にはいれません。
「歩きながら見てください。立ち止まらないでください。」と係員に言われながら、流れるプールに流されながら見る名画も斬新!
一見の価値はあります。肉眼で見た方がいいです。
もともと、フェルメールは30数点しか残してなくて、40歳代で若くして亡くなっているので、絶対数が少ない。
その中で、門外不出と思っていた「真珠の耳飾りの少女」がまさか上野で見れるなんて信じられません。
あの深い青。そして、こちらの深層心理や無意識と深く呼応してくるかのような魂を射抜くかのような視線。
なんでも本物を見ると違います。
国立西洋美術館でやっている「ベルリン国立美術館展」にもフェルメールの《真珠の首飾りの少女》が出てます。
ちょうど6月にEULARの発表でベルリンに行ってました(⇒『ベルリンフィルの衝撃』(2012-06-12))。ベルリン国立美術館はベルリンフィルのすぐ隣にあるのですが、フェルメールの絵がなかったのでおかしいなぁと思ったら、まさか東京の上野に来てたなんて夢にも思いませんでした。
夏休みの時期だったから人混みがすごかったー。
流れるプール状態で見るのは新鮮でしたが、一見の価値はありですね。
他に、レンブラントの絵なんかも少しありましたが、いかんせん、他の絵はフェルメール「真珠の耳飾りの少女」のおまけ感が半端なかったです。
4月に東京で美術館はしごした時の幸せ思い出しました。
たしかに本物からでるバイブレーションは違いますよね!
フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』。素晴らしかったです。あの奥深いブルーは根源的なものを感じます。,やはり本物はすごいですね。
今は<本物のような偽物>が多い時代です。<偽物のような本物>や<本物そのもの>を明確に自分の頭で判別していくだけの知性を持ちたいものだと思います。
ダ・ヴィンチの本物絵を見た時も、あまりのオーラにたじろぎました。あの絵の前に、数週間も数ヶ月も数年も立ち続けながら、念を込めながら絵画と格闘していたかと思うと、その余韻のようなものが残存しているのかもしれないな、とおもいますね。
お口ポカ~んとしてます。
昨日のコメントに2007ダ・ヴィンチのこと書かせていただこうかなぁ・・・?と思ったら、今日先生のコメントに書かれているわけで。
平家の亡霊たちへの鎮魂のようなスーパー・シンクロが昨夕も何気ない日常の中で、横尾さん・篠崎さん・三島さん・幣立・そして『いなば先生』絡みで私の目の前に提示されるあたり・・・すでにワタクシぶっ飛んでます。
詳細はメールにて。
毎度そうなんですが・・・電気系統が大変なことになってて、これは吉兆なんでしょうと喜んでます。
佐藤愛子さんの『あの世の話』『冥土のお客』に書かれているような事が、私の日常なので。
既にお読みでしょうか?
もしもまだなら、お勧めです。
自宅のパソコンのメールが消えて?使用できなくなってます。(意味不明でごめんなさい)
だから、先生あてに送信させていただいたメールも届いてませんよね?
近い将来、アクセスさせていただきます。
お楽しみに~!
佐藤愛子さんの本は買ってあるけどまだ読んでませんね。
確か佐藤さんの件で、江原さんは表舞台に出てくるきっかけになったと噂聞きました。
それまでは江原さんは下北沢で知る人ぞ知る、の存在だったとか・・・。
今度是非読んでみますね。
amyjumyさんもいろんな心霊現象を引き付けるタイプの方のようですね。自分は見えない世界があることは確信していますが、あいにくそういう現象を引き寄せることはないようで・・・。
色んなシンクロニシティ―が起きるときは、自我Egoが消えて、自己Selfそのものにちかづいているとき(老子が言う「道(タオ)」に近い時)なんでしょうから、それはいい徴候ですよね。厳密には、シンクロニシティ―が起きるというよりも、シンクロニシティ―に気づくというべきなのかもしれませんが。シンクロニシティ―自体は、きっと自然や宇宙のの法則の中では当たり前のことで、それを人間の自我Egoが壁をして自分で気づきにくくしてるだけのような気もしますしね。