観測にまつわる問題

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共通テストと記述式について

2019-12-18 12:17:16 | 政策関連メモ
 大学入試共通テストで記述式見送りが決ったようですが、筆者は記述式を大学入試共通テスト(旧センター試験)で導入すべきという考え方であり、何故そうなるのか考えたことをここに簡単に纏めておきます。
 まず記述式そのものが重要です。公平不公平いいますが、適当に鉛筆転がしでたまたま点がとれかねない選択式こそ必ずしも公正な試験とは言えません(迷ったから必ず直感になり、迷うことが多いのが当然であって、本当に分かっているかどうかを選択式で問うのは原理的に不可能です。うろ覚えで正解にするのも実力の内で、ある程度理解度は計れると思いますが)。二次試験で論述式をやればいいという考え方もあるかもしれませんが、足切りがあるのであれば、ある程度共通テスト対策をやらねばならず、そこに記述式がない以上、記述式で養成される実力は(共通テストに記述式があるケースより)受験勉強で養われ難いことにどうしてもなってしまいます(時間は有限ですから)。足切りだけならまだしもなのであって、二次試験に合算すればするほど二次試験が記述式に寄らない限り、記述力が問われなくなってしまいます。
 自分も受験生だったから大体分かりますが、楽な道があるとそちらに人間は流れるもので、二次試験も選択式の方が楽なのですから、記述力を問わない大学が有利になる可能性も否定できず、そうでないとしても、受験勉強が安易になる可能性があって、共通テストに記述式という柱があったら、どれだけ大学生になった時の学力が向上しているか分からないと思います。国語で記述力が問われない?読解力や作文力をどう問うのか?数学で記述力が問われない?式とかその人はかけるんでしょうね?英語で記述力が問われないのは国語と同じく大丈夫なんでしょうか?歴史や地理や公民の類だって、どう課題解決能力が養われるのか分からない話です。
 私大は選択式が多いのだそうです(省力だと思いますが、試験日程をずらして膨大な人数が受験しており、これこそ抜本解決が難しいと思います)。私大のために共通テストがある訳ではありませんが、共通テストに記述式があれば、私大生の学力が向上しやすそうです(参加しない選択肢もありますが、受験して欲しい私大こそ足切りの意味があまりないのでは?)。受験生は割合早めに特化した勉強をすると考えられるからです。ハナからやらなくていいということが分かっていれば、やらなくていいやとなるものです。逆に言えば受験生は止めてほしい人が多いのか知りませんが、学力を養わない入学テストなるものは本末転倒も甚だしいのであって、過剰なお客様至上主義の出番ではないと考えます。
 足切りそのものに関して言えば、他の国公立を受験できなくなる足きり制度そのものに問題があると言えます(大人の事情で受験日がズレる私立は足切りをあまりやらないようですが、これは止むを得ないと考えておきます)。大体足切りになるかどうか選択式なら計算しやすいかもしれませんが、実際に足切りにあう人が少なくない訳で(ギリギリと思ったら出願する人は多いでしょうし、ギリギリならば落ちる可能性も大きいものです)、記述式が無くなったところで抜本解決になる訳ではありません(記述式があるかないかは言い訳しやすいか否かに過ぎません)。対策としては①足切りを禁止する。労力は増えるかもしれませんが、共通テストで記述式があるなら、記述式を減らしたり、設問を減らすの対応も考えられます。だからと言って必ずしも学力が落ちる訳でもなく、全体で考える必要があると思います。共通テストの価値は大学間の格差を無くすことにあって、そこで記述式がないことに問題があるということで導入されたはずです。差別化したい学校こそ頭を捻って二次試験すればいいだけで、チャンスは与えた方が、自分の大学に合う特化型が通りやすくなって、没個性対策にならないとも言えません。足切りを廃止したら出願が集中する学校が現れる可能性も否定は出来ませんが、私学が選択式が多いとは言え、対応は出来ています。ある程度合格発表日まで余裕を持った日程を組むことも重要かもしれません。②余裕がある大学が第二志望第三志望を受け入れる想定があってもいいかもしれませんが、現実的に難しいとは思います。入社試験で人気企業は足切りのようなものがあってもいいかもしれませんが(例えば私学と同じで他の企業もあるものでしょう)、入学試験ぐらいはテストの点で勝負する世界(面接や高校の成績も加味するにせよ)であっても良く、チャンスぐらい与えたらどうかと思います。記述で自己採点云々で不公平感は話が小さく、根本的には足切りでチャンスを与えない方に問題があるんじゃないでしょうか?そのイライラは自己採点云々というよりは、本質的に受験に落ちたイライラであり、門前払いされたイライラだと思われます(自分の考えがあって出願するものです)。

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1 コメント

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Unknown (管理人)
2019-12-20 14:47:57
 50万人超の答案をわずか20日間で採点するのはそもそも無理があった、自分の頭で考えねばと何処かの新聞の社説に書いているのを見かけましたが、無理があるものは通常なら決まらないだろうとは考えが及ばなかったようです。
 余裕を持って60万を20日で割ると一日あたり3万の答案を処理すればいいことになります。一科目あたり100人動員したと計算すると、一人300の答案を一日で処理することになります。これは記述式部分のみの話です。労働基準法からはややハードですが繁忙期と見做して一日10時間働けば、一時間で同じ科目の同じ問題を一時間あたり30処理することになります。2分に一つですが、記述式だけです。時間が足りないなら200人動員すれば、4分に一つの答案になります。採点にかかる時間は模擬テストで大体計算でき、時間内で終わらければ延長するだけの話です。大学入試の時期はやることなくて暇な4回生が山ほどいます。まぁ同じ作業を繰り返すのは苦行に思えるのかもしれませんが、工場で働いている人はどうしているのかという話でもあります。自分で考えるということの要諦は自分でシミュレートしてみるということでもあると思うのですが、印象論だけで手間暇をかけてみたかどうか。
 単にスキャンダルになって印象論で撤退を決断しただけの話なのでしょう。これを自分の頭で考えてないと言います。政治は正論がどうというより、大勢の意見に流されやすいものです。もしも本当に物理的に無理だったのならば、早めに撤退を決断するべきですし、導入時に慎重になるべきでしたが、筆者は軽佻浮薄に流れやすい多数決絶対主義を全く信じておらず、全然そうは思えないところがあります。政治は議論を尽くして丁寧に説明した上で決断が下されるべきであり、そうした手続きを踏まえた結論は頑強なのであって、一時の報道で揺らぐものではありません。本件は某都知事の豊洲迷走事件を思い出します。あの時も世論は都知事の味方でしたが、彷徨ったあげく筆者のような正論の通りになりました。文科相は東京都選出だからという訳ではないんでしょうが、都知事に似ているところがあるのかもしれませんね。
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