教育再生実行本部 第十次提言(自由民主党)
今の時代価値創造型人材が必要で高等教育の役割が重要との指摘ですが、その通りなんだろうと思います。別に日本の特徴・良さを変えてしまうつもりもないのですが、これからホワイトカラーの仕事もAIに奪われる時代が来ること確実で、誤解を恐れず言えば機械に出来ることを人間がやることに固執するようでは日本の敗北は確実だろうと思います。少なくとも価値創造は今のところ機械にできない仕事でこれから重要になってくるでしょう。分かりきっている時代の変化にはやはりそれなりに対応しなければなりません。勿論、全員が全員価値創造型になれとも全く思わないのですが・・・。「知立国家 イスラエル」(文春新書)を読むと、0から1を創造することが得意なイスラエル人は危機になるまで動かないのだそうです(笑)。何処かでそんな人物を見たような気もしますが、イスラエル人ももうちょっと普段の行動を見直すと共に、日本人ももうちょっと価値を創造することが得意な人間の育成・利用に努めるべきではないでしょうか?この話、ホントかどうかは知りませんよ?でも何かが出来ることと何かが出来ないことは一緒であることも時にはあると思います。
国鉄民営化を成し遂げ憲法改正も提唱して来られた大勲位の長生きの秘訣は森羅万象に興味を持つことのようですが(中曽根元首相、100歳に 現行憲法下の経験者で初 日経新聞 2018/5/27 5:00)、長生きはさておき何か発想をするには知識が必要なところはあると思います。今時検索するにしても検索キーワードを考えるのは自分の脳です。良い発想をするためにどんな知識が必要かは事前に分かりません。誰でも知っているようなことを基にした発想は、誰かが既に考えている可能性は高いでしょう。後は自由が大事ですね。考えているのは自分の脳であり、他人の意見を聞くことはできるでしょうが、自分が納得しないのに人の意見を容れてしまうタイプの人はあまり発想するのに適してはいないと思います。別に多数決で決めるべきことが多数決で決まった後に延々と逆らえと言っている訳ではありませんよ?それは兎も角教養重視で自由な校風と言えば、寧ろ日本の伝統校はそれを目指していたのではないかと思います。日本は国立大学優位の国ですが、国はセンター試験で幅広い教科を要求してきましたし、地域で偏差値が高い高校ほど自由な校風を言ってきたのではないかと思います(少なくとも愛媛ではそうですし、話に聞く東京も同じように見えます)。日本は特にエリート育成で思考力重視を必ずしも意識してなかった訳ではないと思いますが、それは上手くいかなかったということになると思います。
個人的には「try and error」(和製英語)の軽視に問題があるような気がしています。日本はミスや失敗が許されない社会ではないでしょうか?それはそれで良さがあると思いますし、別にそういうところを変えることを目指している訳ではないのですが、誤解を恐れず言えば新しい発想はミスや失敗からしか生まれないような気がするんですよね。始めから上手くいくアイディアなんてありません。分からないなりにチャレンジしてみることが重要な訳ですが、チャレンジに失敗はつきものです。チャレンジしなければ新しいものは生まれない、チャレンジしたら失敗する、だからチャレンジしないでは新しいものは生まれません。新しい価値創造の重要性を認め、その過程でのミスや失敗を許容するかが重要だと思います。別にミスや失敗が素晴らしいと言いたい訳ではありません。進化において突然変異は大体マイナスですが、他にない優位性があると一気に広まることもあるようです。筆者がこう書くと保守じゃないと喚く人が現れるのかもしれませんが、そんなことは既に考えていますし、そうした言を筆者が受け入れる可能性は全くありません。聞く気がない人に説明するのは煩わしいだけということを身をもって知っているので、もはやこの件に関して説明する気は一切ありません。モリカケで延々と追及している人に対して、そのシナリオ(安倍政権アウト)以外で説明したところで、連中が説得される可能性は全くありません。絶対に自分が正しいと考えている人(答えが決まっている人)に対する説明は本来は避けるのが正解だと思っています。逃げたで益々疑惑を深めるでしょうが、否定しても納得せず益々疑惑を深めます。電話なら出なければいいですが、国会の質問やマスコミの追及は時に暴力だと思います。魔女狩りそのもののようにしか思えませんが、冤罪はイカンと言ってきたはずのヒダリな方々が先頭にたって魔女狩りを呼びかける構図は、信念無き政治家のいい加減な仕事ぶりを良く示していると思うのですが、如何でしょうか?話は逸れましたが、新しい発想には失敗もつきものでそこら辺は分かってほしいということです。・・・今ミスや失敗がいいと言うのか?保守じゃないと思った方がフェイクニュース体質です。本人は全くそんなことは言っていません。世の中そう簡単に言い切れることばかりではありません。
とりあえず以上ですが、夜何か書き加えるかもしれません。別のことをしていて発想が生まれることもしばしばあります(単に遊びたいだけですが、遊びにも効用はありますし、遊んでならないということはありません)。憲法改正の絡みでの記事ですので、もうちょっと何かないかとは思っているんですよね。あまり期待せずに待っていただければ。夜にできれば他の記事も1本書きたいとは思っています。
今の時代価値創造型人材が必要で高等教育の役割が重要との指摘ですが、その通りなんだろうと思います。別に日本の特徴・良さを変えてしまうつもりもないのですが、これからホワイトカラーの仕事もAIに奪われる時代が来ること確実で、誤解を恐れず言えば機械に出来ることを人間がやることに固執するようでは日本の敗北は確実だろうと思います。少なくとも価値創造は今のところ機械にできない仕事でこれから重要になってくるでしょう。分かりきっている時代の変化にはやはりそれなりに対応しなければなりません。勿論、全員が全員価値創造型になれとも全く思わないのですが・・・。「知立国家 イスラエル」(文春新書)を読むと、0から1を創造することが得意なイスラエル人は危機になるまで動かないのだそうです(笑)。何処かでそんな人物を見たような気もしますが、イスラエル人ももうちょっと普段の行動を見直すと共に、日本人ももうちょっと価値を創造することが得意な人間の育成・利用に努めるべきではないでしょうか?この話、ホントかどうかは知りませんよ?でも何かが出来ることと何かが出来ないことは一緒であることも時にはあると思います。
国鉄民営化を成し遂げ憲法改正も提唱して来られた大勲位の長生きの秘訣は森羅万象に興味を持つことのようですが(中曽根元首相、100歳に 現行憲法下の経験者で初 日経新聞 2018/5/27 5:00)、長生きはさておき何か発想をするには知識が必要なところはあると思います。今時検索するにしても検索キーワードを考えるのは自分の脳です。良い発想をするためにどんな知識が必要かは事前に分かりません。誰でも知っているようなことを基にした発想は、誰かが既に考えている可能性は高いでしょう。後は自由が大事ですね。考えているのは自分の脳であり、他人の意見を聞くことはできるでしょうが、自分が納得しないのに人の意見を容れてしまうタイプの人はあまり発想するのに適してはいないと思います。別に多数決で決めるべきことが多数決で決まった後に延々と逆らえと言っている訳ではありませんよ?それは兎も角教養重視で自由な校風と言えば、寧ろ日本の伝統校はそれを目指していたのではないかと思います。日本は国立大学優位の国ですが、国はセンター試験で幅広い教科を要求してきましたし、地域で偏差値が高い高校ほど自由な校風を言ってきたのではないかと思います(少なくとも愛媛ではそうですし、話に聞く東京も同じように見えます)。日本は特にエリート育成で思考力重視を必ずしも意識してなかった訳ではないと思いますが、それは上手くいかなかったということになると思います。
個人的には「try and error」(和製英語)の軽視に問題があるような気がしています。日本はミスや失敗が許されない社会ではないでしょうか?それはそれで良さがあると思いますし、別にそういうところを変えることを目指している訳ではないのですが、誤解を恐れず言えば新しい発想はミスや失敗からしか生まれないような気がするんですよね。始めから上手くいくアイディアなんてありません。分からないなりにチャレンジしてみることが重要な訳ですが、チャレンジに失敗はつきものです。チャレンジしなければ新しいものは生まれない、チャレンジしたら失敗する、だからチャレンジしないでは新しいものは生まれません。新しい価値創造の重要性を認め、その過程でのミスや失敗を許容するかが重要だと思います。別にミスや失敗が素晴らしいと言いたい訳ではありません。進化において突然変異は大体マイナスですが、他にない優位性があると一気に広まることもあるようです。筆者がこう書くと保守じゃないと喚く人が現れるのかもしれませんが、そんなことは既に考えていますし、そうした言を筆者が受け入れる可能性は全くありません。聞く気がない人に説明するのは煩わしいだけということを身をもって知っているので、もはやこの件に関して説明する気は一切ありません。モリカケで延々と追及している人に対して、そのシナリオ(安倍政権アウト)以外で説明したところで、連中が説得される可能性は全くありません。絶対に自分が正しいと考えている人(答えが決まっている人)に対する説明は本来は避けるのが正解だと思っています。逃げたで益々疑惑を深めるでしょうが、否定しても納得せず益々疑惑を深めます。電話なら出なければいいですが、国会の質問やマスコミの追及は時に暴力だと思います。魔女狩りそのもののようにしか思えませんが、冤罪はイカンと言ってきたはずのヒダリな方々が先頭にたって魔女狩りを呼びかける構図は、信念無き政治家のいい加減な仕事ぶりを良く示していると思うのですが、如何でしょうか?話は逸れましたが、新しい発想には失敗もつきものでそこら辺は分かってほしいということです。・・・今ミスや失敗がいいと言うのか?保守じゃないと思った方がフェイクニュース体質です。本人は全くそんなことは言っていません。世の中そう簡単に言い切れることばかりではありません。
とりあえず以上ですが、夜何か書き加えるかもしれません。別のことをしていて発想が生まれることもしばしばあります(単に遊びたいだけですが、遊びにも効用はありますし、遊んでならないということはありません)。憲法改正の絡みでの記事ですので、もうちょっと何かないかとは思っているんですよね。あまり期待せずに待っていただければ。夜にできれば他の記事も1本書きたいとは思っています。