三電計装株式会社の社長日記

無線通信分野での事業を通して四国を元気にしたいと思っております。

昔の話

2008-06-26 12:49:45 | Weblog
当社は、無線・監視カメラなどの無線通信事業と太陽光発電システムなどを主力事業として創業から41年目に突入しています。
久々に面白い商談が発生しています。
面白すぎてこの日記には書けませんが・・・

全然関係のない話ですが、当社では13年ほど前に「これからは大型映像の時代や!修行に行って来い!」と、まだペイペイだった私に上司からM電機の京都の工場で半年間修行してこいと業務命令があり10月から翌年3月まで京都で修行してきた時代がありました。

当時は、バブル崩壊したとはいえ未だに箱物行政といいますか、景気を良くするために公共投資をどんどん行っていました。
それに伴い大型映像装置も大型の公共施設・公営競技場・工場のプラント監視等設置場所が次第に広がってきていました。
ということで、修行に行った次第です。

半年間という期間での修行だったため、その工場の寮に住むことになりました。
当時その工場は海外移転もあり最盛期の半分の3000名程に減っていたため一番古い寮の棟には昔の8人部屋に1人で暮らすことになりしかもその棟には私含めて2人しか住んでいなかったため、その階にたった1人で住んでいました。
寮の建物がかなり古かったためさしずめお化け屋敷といった感じでした。

しかし、古い古いといっても風呂はかなり大きく、大きな風呂に1人で満喫ということも良くありました。これだけは良かった点です。

その寮から工場まで通勤は歩いて30分かかりました。往復1時間の徒歩通勤で体重が見る見るやせてきて70Kg程度まで減りました。ちなみに現在90Kgです。

工場で経験したことは、仕事を覚えるのは当たり前ですが、規律(ルール)を守らなければなりません。たばこをいっぷくしたくても所定の場所ですし、昼食時間も3000名も居ますので、部所によって時間が分かれています。私が所属した営業部では昼食の時間が遅かったため人気のメニューはなくなってしまうことも良くありました。田舎者の私がビックリしたのは、食堂でヘビのごとく長だの列で毎日並ばないと昼食にありつけません。初めはビックリで慣れてきたら毎日ならば無くてはならないためこれが一番辛かったです。当時の人気メニューはうどんと菓子パンでした。何で人気かと聞いてみると、どれも美味しくないのでそれだったら早く食べられるこれが一番良いということで一番人気だということでした。
また、工場は海外から来られる方の研修もあります。その方を夜の食事のお相手をするのは営業の仕事でした。ですから工場の営業のほとんどの方は英語が皆さんペラペラです。その研修で来ている外国人との食事のお相手に良く誘っていただきました。私は英語がさっぱりダメですので、営業の方に通訳をしていただき楽しく会話することができました。小さな国際交流です。

工場で一番良かった点はやはりお世話になった方々と未だに交流があることです。当時の営業部長は関連会社の社長となり、当時の課長は部長で昨年も一緒に飲みました。
しかし、修行をして帰ってきてからは、更に景気が悪くなり大型映像の商談は大きく落ち込んでしまい当社としては断念した経緯があります。
せっかく人脈が出来たのに、その仕事が無いのは非常に残念ではあります。

今日はまたとりとめの無い話となってしまいました。
でも若いうちの経験は私自身の財産になっていますし、何らかの影響を受けています。工場で一番ビックリしたというより当然なのは有名大学出身者ばかりで、更にビックリしたのは名刺交換した方で名刺に博士と書いてある方が多いことです。
頭の良い方ばかりの中で、私みたいにろくに勉強してない者が勤まるのか?疑問に思いましたが何とかなるものです。
いくら勉強しても同じ人間です。
これはハッキリわかりましたし、負けなかったことは飲み会で一番目立っていたことです。

何のことか分からなくなってきましたが、とにかく相手が人間であれば何とかなるということです。

ここで一句

学校は あくまで知識を つめるだけ
        社会に出てから 生涯学習
コメント
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