《普通学級の介助のこと》
集団の中で、障害のある一人の子どものそばに初めてついたのは、4歳の知ちゃんに出会ったときでした。
あれから「普通学級の中の介助」、みんなのなかに当たり前にいるための介助、について考えてきました。
普通学級のなかで、自分では食べられない子どもや、言葉を話さない子どもの「介助」をすることで、私は何をしてきたのか…。
「できないから『介助』ではない」。
「介助」という場面で、一番気をつけていたのは、「何かをすることが介助だ、という自分の思いこみ」を捨てることでした。
介助は、私が何かをするのではなく、何かと何かの間で「媒介」する立場であり、時に本人が「向かう」気持ちを、ただそこにいることで応援することでした。
リサが「できない」から、「できる」ようにするために「介助」に入るのではありませんでした。
直史が周りに「迷惑」をかけるから、それを防ぐために「介助」に入るのではありませんでした。
康治が「できない」ことを、代わりに「してあげる」ために入るのでもありませんでした。
「できない」ことがあっても、その「できない」ままの姿で堂々とそこにいて欲しいから、
私は介助という場面に立ち会っていたのでした。
それが、普通学級の介助員という職であっても、「教師」という職であっても、私の立ち位置はいつも同じ、でした。
そこでは介助の場面も中身も、それを通じて子どもたちみんなに伝えたい思いも、「私の役割」としては同じだと感じてやってきました。
採用されている職が、「教員」であるか「介助員」であるかの違いがあっても、子どもたちが「この人はどんな大人だろう」とみるまなざしもまた同じでした。
子どもたちは、私が「先生」であるか「介助」であるかを、見ているのではなく、私が介助を必要としているその子を大切に思っているかどうか、でした。
この子が障害のために「階段を上がれない」とき、2階に車椅子と子どもを運びながら、私は何をしてきたのか。
階段の上の友だちのいる所に行きたい気持ちを、「誰でもそう思うよね」とその子に伝え、まわりの子どもたちにも、「あたりまえのことだよね」と伝えること。
子どもが、自分には障害があるから仕方がないとあきらめてしまわないように。
そんなふうに、この子が「できない」こと以上の寂しさを感じないように。
そんなことを思ってきました。
障害故に「できないこと」と「できること」の間に入り、私は何をしてきたのか。
ようやく分かってきたことは、この子の「私」が、みんなとの「私たち」から零れ落ちないように、ということでした。
一人の子どもの「私の毎日」が、いつしか「私たちの毎日」に変わっていく日々を、私は子どもたちのそばで見せてもらってきました。
入学するときには、「私の学校」「私の先生」から始まる生活がいつしか「私たちの学校」「私たちのクラス」という実感に変わっていく日々。
遠足・運動会・合唱祭という行事が、「私の楽しみ」から、「私たちの楽しみ」になっていく時間を見せてもらってきました。
例えばピストルの音が恐くて1年生の運動会に参加できなった子が、何年か後には、みんなのなかのどこにいるのか見つけられなくなるほど溶け込んでいく姿を見せてもらえました。
そんなふうに一人一人の子どもの「私の学校生活」が、「私たちの学校生活」と感じられるように、そのためのつなぎになりたいと思いました。
例えば、車椅子を押すことが「つなぐこと」だった。みんなのそばに連れていくことが「つなぐこと」でした。
時には、みんなから離れてぽつんとしている子どもの名前を遠くから呼びながら、私が動かないことで、見かねた子どもたちに走っていってもらうことが「つなぐこと」でした。
いつも「いない」のが当たり前になることで、クラスの「私たち」からこの子一人零れ落ちないようにと願いつつ、同時に私がしてきたのは「この子の私」と「この子の私たち」をつなぐことでした。
そのためには担任や周りの子どもに気を遣う、「監視」のような「介助」では、介助も思いも誰にも届くはずがありません。
誰もが当たり前にそこにいる生活の積み重ねのなかで、「介助」という場面を必要としている子どもにも、それを日常の場面として目にする子どもたちにも、人の手を借りることが恥ずかしいことではないと伝えたかったのだと思います。
たとえ何らかの「介助」が必要であっても、誰もが「ひとり」で生きている、という現実があると私は思います。
だからこそ、その「ひとり」で生きるしかない「自分」を、「支える自分」が大切になってくるのだと思うようになりました。
「ひとりで生きる自分」を介助すると同時に、その自分を「支える自分」をこそ援助することが必要です。
表現に迷うのですが、「できない自分」「うまくいかない自分」であったとしても、その自分の姿をあきらめたり見放すことなく、この自分を生きようと「支える自分」。
そこを、援助し応援すること。
障害があっても、言葉が話せなくても、勉強ができなくても、安心して居合える普通学級という場所では、子どものなかの「両方の自分」が確かに育つ環境でした。
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