「介助」者から「対話」者へ(その2)
《対話者に主人公はいない》
あのころ、私がやっていたのは「介助」ではなく、「対話」だった。
そう思い至って、30数年の子どもとの出会いがまっすぐにつながった。
幼児教室で学生のアルバイトだった私は、「介助者」ではなく、「お兄ちゃんせんせい」だった。
はじめから「介助」で子どもと出会っていたのではなかった。
30人の4才の子どもたちと、お兄ちゃんせんせいとして、対話してた。
れいこちゃんは、私が言うことを聞かないと、「おまえなんか、あっちの山にごろごろだぞ」と怒った。「うるせー、お前をごろごろしてやる」と言って、れいこちゃんを転がしながら、私たちは「対話」していた。
そんな元気な子どもたちの中に、ひっそりとしゃべらない知ちゃんがいた。
知ちゃんに出会えたから、いま私はここにいる。
そう、初めから「介助」の出会い方を、私はしていなかった。
なんてラッキーな出会いだったんだろう。
リサやただしや康治、たっくん、あさこ、てっちゃん、けいちゃん…。
わたしがみてきたこと、してきたことは、すべて「対話」だった。
こんなことに、いまさら気づく。
なんて遠回りしてきたんだろう。
ふつう学級とか統合教育とかインクルとか、どれも違った。
幼児教室にいたのは、対話者たちだった。
対話者に主人公はいない。
介助者もいない、そういう子どもの世界だった。
そういう世界を大事にするということを、伊部さんや石川先生に教えてもらったのだった。
あれからずっと言葉を探してた。
「ふつう学級の世界」とは、未だ先入観を持たない幼い人たちが、ただお互いを知り合い、つながりはじめる、世界のことだった。
お互いに身体一つであいてと向かい合い、お互いを対話し合う仲間の一味とみなすしぐさを、見てきたのだった。
その世界に加わりたい、自分も対話者として、子どもたちと対等の世界にあそびたいというまなざしをもった先生や親たちが協力して作る教室を、ふつう学級と言ってきた。
ふつう学級という子どもたちの生きる場のことを、説明できる言葉を私はずっと探してた。
(つづく)
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