《コミュニケーション できないのは だれ?》
(中)
《疑問》
大人は「子どもがコミュニケーションできない」という。
その根拠は何か?
たぶん、自分がその子と「コミュニケーションができなかった」ことなんだろう。
「私はこの子とコミュニケーションができなかった」。
だから、「この子はコミュニケーションができない」のだという。
あれ?
子どもと「コミュニケーション」ができなかったのに、どうして子どものことが「わかる」のだろう?
◇
結局のところ、「子どもがコミュニケーションできない」という根拠は、ないのだ。
この子が「コミュニケーションできない」という大人は、
「私はこの子とコミュニケーションできない」と告白しているだけなのだ。
それが客観的な事実だ。
あるいは、その子は「拒絶」というコミュニケーションをしている。
だから、大人は、そのコミュニケーション表現を、正しく理解した。
でも、自分が拒絶されたことは認めたくない。
自分が子どもとのコミュニケーションが下手なのだと認めたくない。
そういう「こだわり」がある。
それで、すべてを相手の能力のせいにする。
しかも性質の悪いことに、「誰ともコミュニケーションとれない」みたいに決めつけて、もっともコミュニケーション能力が育つ可能性のある同年代の子どもから、引き離してしまおうとする。
自分ができなかった「体験」から、「他の子どもともできない」、という答えの出し方は間違いだ。
まして、「明日もあさっても、できない」、「ふつう学級じゃできない」という「判定」は支離滅裂だ。
だって、私は今まで、ふつう学級で同級生たちとコミュニケーションができない子どもに会ったことがない。
◇
「この子はコミュニケーションができませんね」
「コミュニケーション障害です」
「この子は、他の子どもとコミュニケーションができない」
「だから、ふつう学級は無理ですね」
「もし、無理して、ふつう学級に入れたら、この子は自己肯定感が持てず、二次障害を引き起こします」
…こうしたモノの言い方は、あるカルタ思い出させる。
《い》【いじめられますよと、真顔で脅す校長先生】
これも真実ではない。
その人の思い込みの一つ。
その人間の「子どもたちへの信頼感」のバロメータを表しす言葉。
全国の専門家が使っている業界用語だ。
◇
私なら、その大人を、こう判定する。
「この大人は、子どもと対話することができない」
「つまり、対話能力が低い」
「たぶん、経験不足」
「子どもと対話するためには、時間をかけてひまつぶしすることが肝要だという、キツネの言葉を知らないのだ。」
子ども同士で対話のできない子どもに、私はあったことがない。
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