ワニペディア (11)
【合理的配慮】(その2)
自立援助ホームにいて、いつも考えていること。
「自立」とは何か?
「援助」とは何か?
そもそも「援助する」相手は、どんな「援助」を必要としているのか?
ある日、こんな問いが浮かんだ。
「コミュニケーションできない相手を、援助することはできるか?」
この問いを子どもの側からみれば、こうなる。
「自分とコミュニケーションできない大人を信頼できるか?」
「自分とコミュニケーションできない大人の援助を、素直に受け取ることができるか?」
「いやー、無理無理」
そんなことを考えているとき、ふと「合理的配慮」という言葉を思い出した。
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合理的配慮とは何か?
何が「合理的」か?
誰にとっての「合理的」か。
今現在の社会の「現実」にとって、の「合理的」。
合理的。
理に合っていること。
理とは何か。
誰にとっての理、か。
この子にとっての「理」にかなう「配慮」とは何か?
私が考えたいのは、これ。
他の誰にとって理不尽であっても、この子が生きる、この子の気持ちにそっての「理」にかなう「配慮」とは何か?
そう考えることが、私の考えたいこと、だな。
いままで「合理的配慮」という言葉に感じていた違和感は、こういうことだったらしい。
あれ?
これって、合理的配慮についての「説明」になっているのかな?