ワニなつノート

子どもを分けてはいけない4つの理由 (3)



≪北村小夜さんの、『子どもを分けてはいけない4つの理由』≫

2・ ≪分けたところでできることには限りがある≫ 



これ本当なんですよ。
どんなに頑張ってもね、いっちゃんが専門家に囲まれても手を噛むことしかすることがなかったのと同じように、大人が寄ってたかってやってもできないことは沢山あります。
それは、“はずみ”と言うか、子どもの“勢い”と言うか。
筋道立てて教えてもできないことが、子ども同士のはずみの中でできるようになる。
いくら教えても分からないことが、ある日誰かの刺激でとたんにできる。
だいたい、親が望んでいることではないことをやりますけれどね。

大人のできることというのは、世話とか管理です。
管理は確かに行き届きます。
でも、子どもが望んでいるのは管理ではありません。

子どもが40人いれば40人の響きがある。
教師である私がこの子に何かを問いかけるとします。
私がこの子に問いかけた言葉は、
そこにいる障がい持っている子どもには理解できないかもしれません。

けれど、私の問いに答える友だちの言葉は、どの子にもちゃんと耳に入ります。
跳ね返ってくる友だちの言葉は、40人いれば40通り、
またそれが2倍にも3倍にも響いていきます。
その響き合いがなければいけないと思います。
響き合いがないところでは、教師が一方的に教えるだけ。
子ども同士の響き合いの中で、子どもたちは飛躍的に成長していくと思います。

そういう付き合いの中で、子どもだけでなく教師も成長します。
障がいを持ったお子さんを育てているお母さんが一緒に成長していくように、
教師も障がいを持っている子と付き合えば、それなりに成長します。

私の友人の教師で、組合活動には熱心でしたが、
学校のことは「給料がもらえればいい」という感じの人がいました。
悪口を親御さんから言われてるような人でしたが、権利意識だけはあった。

つよし君というダウン症のお子さんでした。
まだ1メートルにならないくらいの背丈で、小さくて可愛いい子でした。
その子が、どうしても教育委員会に薦められた特殊学級に行かないで
地域の学校に行くと主張した時に、校長先生は困ったんですよね。

で、断る言葉として、
「きっと、誰も受け持つ人はいないと思いますよ。受け持つ先生がいたら引き受けます」と言ったのです。
それを聞いた私の友人は、「そういう子の権利をちゃんと保障しないわけはいかない。僕が受け持ちます。」と言っちゃったわけ。
どうするんだろう、あの人が受け持って大丈夫かしらとみんなハラハラしたんです。

入学式は、教室から体育館の式場まで彼がその子の手を引いて行きました。
教室へ戻って、配られた教科書を点検しました。
机の上にあらかじめ置いておいて、
1冊1冊点検しながらカバンに入れる。
「これは算数の本だよ。みんなある? じゃあ、ランドセルに入れてね」というふうに次々やっていこうとするんですけど、つよし君ね、不器用なんです。
なかなかうまくいかないです。
それを見ていて、私の友人はどうしょうと思うんですね。

でも、この子が障がい児だからみんなで手を貸さなくてはいけないとは言いたくない。
第一、 この子が障がい児だとも言いたくない。
彼はがんばってね、「遅い人がいたら助けてあげて」と言ったんです。

その時に、つよし君の顔を見られなくて、天井向いて言ったとそうです。(笑)

そうしたら、子ども達はもう分かっているわけで、40人がそこに殺到するんです。
彼は慌てて、「あのね、自分でやってできないときには、近くの人が助けてあげてね」と。
教師のほうが1つずつやり方を覚えるんですね。

そのうち給食が始まりました。
つよし君は給食を食べるだけでも容易なことではないし、
給食当番はとうていやらせられないなと彼は思った。
だけど「つよし君だけは給食当番なしね」とは言いにくいのですね。
それは差別ではないかと思うわけです。
そこで彼は考えて、他のクラスは大抵、月曜日は誰が何を運んでどうするとか紙に書いて貼ったりするのですが、彼はそれをやらないで、毎日毎日、「今日は誰が何をして」と言うことにした。

いつまで経っても、つよし君に給食当番が回って来ないようにして、
これでうまくいってるな~と思っていたんですね。

でも、子どもはすぐ見つけて、
「どうして、つよし君だけ給食当番ないの?」と言い始める。
「そうか~。じゃ何だったらできる?」と彼が聞くんです。

子ども達が「ストロー配ればいいよ」と言う。
ストローを1本ずつ配るなんて無理だと彼が考えていると、
子どもが、「つよし君がストローの箱を持って回ればいいよ。僕たちが取るよ。」と教えてくれた。そのうちに、つよし君も考えるわけです。
最初は、1列ずつ前から回っていたんですが、
そのうちに、前から行ったら後ろから戻ってくるのが能率がいいと、
つよし君がわかるわけです。

前から行くときにはみんなに見えてるからいいのですが、
後ろから回るときに、みんながしゃべっていたりして気づかないのですね。
彼は、ハラハラするんです。
「ほら、つよし君が来たじゃないか」と言いたいのだけれど、
それを言ってはいけないと思って彼は我慢している。

そしたらね、しゃべっている子の肩を、
つよし君がトントンと叩いたと言うんです。

それは、彼にとっては大発見なわけです。
私たちはよく集まって、「そういう時はどうするの?」とか話したりする事があったのですが、彼が、「言葉はなくても、ちゃんとコミュニケーションは成り立つんだね」と嬉しそうに言うんですよ。
教師なんていうのはこれくらいで嬉しいのですよ。
喜ばせてやればいいですよね。
そういう感じで彼が成長していくのです。
一緒に働いている教員たちが言っていました。
「彼はつよし君のお陰で救われたね」と。

例えば遠足に行くにしても、「去年の1年生はどこ行った」という感じで、
去年の資料でだいたいの検討でやっていたけれど、
つよし君と行くとなるとやはり詳細に検討しなくてはならない。
丁寧に見て歩いて、
「この坂道は無理だろうからどうする? でも、このぐらいの道は登らせなくちゃ」とか、
いろんな考えながらやるようになって、
本当に彼自身が教師として成長したと思います。

さっきお話した、いっちゃんの事ですが、いっちゃんは残念ながら亡くなりました。
亡くなって、始めに行くはずだった養護学校の先生が、
「うちの学校に来ていたら、もう少し長生きしたかもしれないよ」と言いました。

そんなことは分かりません。
確かに短い一生だったことは残念ですけれど、
お母さんは「短かったけれど、充実した一生だった」と言っています。

7年後にいっちゃんの弟のしんちゃんが同じような障がいで就学を迎えました。
その時、お母さんは迷わず地域の学校と決めたんです。

地域の学校へ「この学校に来ますから」と宣言をしたら、
校長先生が学校の帰りに寄ってくれたのです。
そして、「特別なことはできませんけれど、学校の予算でできること、学校の職員でできることはやりますから、学校を見に来てください」と言ったのです。

前の校長先生とは違いますけど。
お母さんは学校に行って、いろいろ注文してくるわけです。
できる事もありましたが、できない事もありました。
最後に玄関のところに行って、玄関から廊下に上がるほんの少しの段差のところに、
「ここにもスロープがあると助かります」と言って帰ってきた。

入学式の日にしんちゃんと一緒に学校に行ったら、
そこに丁度バギーの幅のスロープが、あり合わせの板で作ってあったんです。
そこを、お腹の大きい先生が「しんちゃんのお陰で楽させてもらってます」と言ったそうです。

お母さんは、「あの先生、いっちゃんが入学したときは何でこんな子がうちの学校に来るんだろうという感じで、私が挨拶しても返事もしてくれない人だったんだよ」と。
それが今はニコニコしながら、「しんちゃんのお陰で楽させてもらってます」と言う。

お母さんは、「人間って出会いがないと変わらないよね」と言います。

いっちゃんとの出会いがあったから、
こういうふうにしんちゃんが迎えられる。
もし、いっちゃんとの出会いがなければ、
しんちゃんが同じ思いをしなければならなかった。

やはり人は出会いがなければ、頭で考えているだけでは変わらない。
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