【13・「日常的に豊かなコミュニケーション」とは何か? 】
[5]
《例えば、神経症的状態になったある盲ろう者が、
カウンセラーや精神科医と面談しようとしたとき、
面談の手段であると共に、それ自体が治療的効果を持ちうる
「相互のコミュニケーション自体」に、
その盲ろう者は、大きなハンディを抱えているのである。》
□ □ □
…この部分は、まさに、「知的・自閉」の子どもたちの
置かれた状態と、同じといっていいでしょう。
ただし、決定的に違う点は、
言葉のない「知的・自閉」の子どもにとって、
指点字のような「明確な通訳手段」は、ありません。
Hideのように「言葉」をもたない子どもが、
「精神科医」のところに行くということ。
(その場合、99%は「親が連れて行く」ということですが。)
そのとき、Hideの言葉を聞くことのできる医師は、
日本に何人くらいいるのでしょう?
(私が直接知っているのは二人だけです。)
《ストレスが増大し、内的緊張が高まり、
情緒は不安定となる。
自己や他者に対する攻撃性が生まれたり、…。≫
といった状態を、周りの人間が「説明」するとき、
ほとんどの医師は、「薬」を使います。
「薬」でその不安や攻撃性を抑えようとします。
子どもは、一言も反論もできません。
その薬の意味も、分かりません。
その子どもにとっての、「通訳」とは何でしょう?
「コミュニケーション」とは何でしょう?
こう考えてくると、「盲ろう者」と、
「知的・自閉」者への援助の手立ての違いを
ちゃんと考えなければいけないことが分かります。
盲ろう者について、福島さんは次のように答えています。
[6]
では、こうした問題にはどのような対処すればよいのだろうか。
基本的には、盲ろう者と心を通わせるコミュニケーションを
日常的に豊かにとることである。
□ □ □
ここでも、うん、うん、とうなずいたあと、
子どもにとって、日常的に豊かなコミュニケーションって、
いったいどういう中身なんだろうと、思います。
Hideやこうちゃんにとっての、
日常的に豊かなコミュニケーションって何だろう?
すぐに分かることは、
Hideやこうちゃんにとっての、
子ども時代の日常的に豊かなコミュニケーションは、
普通学級での日々の中に、確かにあったということです。
「もっと…」という思い、はもちろんあります。
でも、3年浪人してようやく手にした高校生活の日々。
1年浪人してやっと手に入れた高校生活の日々。
いじめられたり、途中の店でもめごとを起こしたりと、
そんなこともありながら、
その後始末のコミュニケーションも含め、
やはり「日常的に豊かなコミュニケーション」
だったのだと思います。
子どもにとって、
「日常的に豊かなコミュニケーション」は、
やはり、普通学級のなかの日常でしか
体験できないと思うのです。
(つづく)
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