ワニなつノート

福島さんとHide&こうちゃん(その12)

【12・「心理的ケア」でいいのか? 】



どうも準備不足のまま、この話題に入ってしまったようです。
自分が何を言いたいのか、何を言えるのか、
まだ自分のなかでまとまりがつきません。

…という訳で、
しばらくは、迷路を探りながら進んでみます。

まずは、福島さんの「回答」で、
わたしが、立ち止まる部分を抜き出します。
といっても、福島さんがここで答えているのは、
「盲ろう者」の困難への対処です。

そして、私が「立ち止まる」とき、
私が主に思い浮かべているのは、
私が出会ってきた子どもたちのことです。
とくに、知的・自閉といわれる子や、
重度身体障害といわれる子どもたちのことです。
でも、そのなかには、「目も見えないし、耳も聞こえない」と
言われていた子どもたちもいました。

だから、福島さんの「困難への対処」の言葉を道案内に、
子どもたちとの関係を言葉にしてみたいと思います。


[1]
一般的な通訳・介助サービスとは別に、
「心理的ケア」の側面が大切だということである。




「心理的ケア」?
「心理的ケア」でいいの?
という思いが、まず最初です。

たとえば、子どもが学校に通っていて、
困難な状況にぶつかる。
その時に、「心理的ケア」が大切、と
まず言ってしまっていいのかな、
というところで立ち止まります。


[2]
盲ろうという障害の本質は、
「見えない」「聞こえない」といった感覚器官の物理的制約以上に、
この【絶対的な孤独】によって引き起こされる、
生活実感の欠如にある。




ここは、素直に「同じ、同じ」と思います。
たとえば、「知的障害」と言われる子どもの、
障害の本質は、「知恵が遅れている」といった制約以上に、
【絶対的な孤独】によって引き起こされる、
ふつうの生活の欠如です。

だからまず、「絶対的な孤独」を絶対に防ぐために、
地域の普通学級でみんなといっしょに
生活することが大切だと思うのです。

「【実存的不安】とでもいうべき、生活実感の欠如にある」
それは、知的・自閉の子どもたちにとっては、
まず「分けられる」ことから、生じるのですから。

[3]
そして、こうした心理的傾向は、
中途盲ろう者において、より顕著にみられるようである。

外出の機会が減り、外部の情報は極端に減少する。
それと並行して、他者との交流は量的にも質的にも貧困となり、
断片的で希薄なコミュニケーションしか交わせなくなっていく……。




「中途盲ろう者において、より顕著」の、
その意味に、ここではまったく触れていません。
でも、それこそが、この問題を考えるときに、
一番大切なことだと思えるのです。

すぐに思い浮かべるのは、『みつこさんの右手』のことです。
4歳のときに、やけどで右手の指をなくしてしまい、
小学校にあがるときに、お母さんが手袋を編んでくれた。
みつこさんは、その手袋を大学生になるまで手放せませんでした。
その話を紹介しながら、浜田さんが同時に書いているのが、
生まれつき指のないまいちゃんのことでした。

また、この後半の三行、「外出の機会が減り…」
と書かれている部分は、
三好さんが老人の問題=「関係障害」として
説明していることそのものです。


[4]
ストレスが増大し、内的緊張が高まり、情緒は不安定となる。
自己や他者に対する攻撃性が生まれたり、…。




ここも、普通学級であれ、特殊学級であれ、
障害のある子どもが「攻撃」的な行動をすると、
「障害」のせいにされてしまうことが多いが、
「攻撃的」になってしまうところまで、
追いつめている側の人間や、環境のことは、
あまりに考慮されない。

ちなみに、当事者として「認知症」の支援について
書いているクリスティーンさんは、次のように言います。

   ☆    ☆    ☆


「朝になっても本人がパジャマを脱ぎたがらない時は、
どうしたらいいでしょう?」と聞かれたことが何度かある。
私はたいてい、こう答える。

「あなたは日曜日の朝はどうされますか?
いつもちゃんと服を着ますか?
また寝たいなと思う時はありませんか?
あるいはパジャマ姿のままで家のまわりを
うろうろすることはありませんか。
いつもパジャマ姿でいることがそんなに問題でしょうか?」

世界は私たちのテンポよりもずっと速く、
目の回るようなスピードで動いているというのに、
私たちはやれこれをしろ、早く答えろ、ゲームをしろ、
グループ活動に参加しろと言われている。

あまりにもスピードが速すぎるので、
本当は、向こうへ行ってほしい、
もっとゆっくりやってほしい、
私にかまわないでほしい、
とにかくあっちへ行ってほしい、と言いたいのだ。

私たちが扱いにくくて協力的でなくなるのは、
たぶん、そういう時かもしれない。

これは、「問題行動」と呼ばれている。
だが私に言わせれば、
これは自分の介護環境に適応しようとしている
「適応行動」である。



『私は私になっていく』 クリスティーン・ブライデン  
クリエイツかもがわ   ¥2000



(つづく)
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