自分のためのメモ(OP・その3)
【と】 ともだちの 声をこころで 抱きとめる
仲間たちの いるところ
わたしたちは ふつう学級をどんなところだと感じてきたか
この子の声を こころで抱きとめようとしてくれる子どもに出会えるところ。
ともだちの声を こころで抱きとめる仲間のいるところ。
大人がよけいなじゃまをしなければ、その関係が行き交う場所だと思っている。
子どもの声を抱きとめようとする大人がそばにいれば、
子どもたちはさらにのびのびと、
お互いを受け止め合うことのできる場所だと、私たちはおもってきた。
「この子はどうしてしゃべらないの?」
「この子はどうしてすぐにいなくなっちゃうの?」
「この子は赤ちゃんなの?」
はじめてみるタイプの子どものことを、子どもは知りたがる。
新たな理解とは、知識だけで得られるものではない。
新たな理解は、感情体験を共有することで生まれる。
その外見や行動は「はじめて」でも、笑顔や泣き声や、怒り顏、ははじめからわかる。
だから、新たな理解を生み出すことにかけては、大人より子どもたちの方が得意だ。
感情体験を含めた理解は、その場にいるみんなが新たにいきいきと結びつくということである。
「応答しあう」とは、ことばだけのものじゃない。
笑顔や泣き顔でも、子どもは応答しあえる。
それは互いの心の内に目を向けることであり、それによって子どもたちの考えは、そのクラスの共同の理解につながる。
いろんな子どもがいる、というとき、「障害のない子」が、「障害のある子」を、「いろんな子」としてみているだけじゃない。
障害のある子も、障害のない子を「いろんな子」としてみている。
その「いろんな子」を、含みこんだ教室が、「わたしたちの教室」と感じる理解、
「いろんな子」を、どの子も大切にする先生が、「わたしたちの先生」と感じる理解、
いろんな子同士が、それぞれに相手の子どもの行動や言葉や考え方、ものの見方を尊重することで、子どもたちには、大人とは別の多様な世界の理解へと進んでいくのだろう。
ふつう学級という暮らしに参加している子どもたちは、そのこころの内では他の子どもたちの「こえ」や「おもい」を抱きとめようとしているのだ。
そうした関係を小学生のころに経験することが、どれほどその子の人生を支えるか、人とのつながりを支えるか、私たちはまだ知らない。
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