突然の脳卒中で、
目覚めたときには左目のまぶたしか動かすことができなくなっていた
ジャン=ドミニク・ボビー。
映画の中では、ジャンドゥと呼ばれる。
二十日間の昏睡状態から、朦朧としたまま目覚めた彼の前で、
白衣を着た人たちがざわめき、動き回り、話しかけてくる。
彼はふつうに質問に答える。
だが、目の前の男たちは首をふって何事かをささやきあう。
自分の声が出ていないことに、次第に彼も気づく。
声だけでなく、体中が動かないことが徐々に分かってくる。
その間に、突然、目の前に現われた男が、
右目の瞼を縫い合わせ始める。
そのシーンを、彼の「目線」で映像化されている。
観客は、自分の目を見開いたまま、縫い閉じられる感覚を味わえる…。
これで、彼に残された世界は、左目だけ。
そうした彼の目からみた病室だけのシーンが続いた後に、
倒れてから初めて、別れた奥さんに会うシーンがある。
その場所が、病室ではなく、病院のテラスなのだが、
遠くに透き通った青い海と空が見える本当にきれいな風景が広がる。
その瞬間、たっくんや康治、ゆうりちゃんや佳ちゃん、
車椅子やバギーでしか動けない子どもたちが、
その人生のなかでどんな風景を見ていたのか、を思った。
そしてまた、徳永進さんの本で読んだいくつかのシーンが浮かんだ。
「あ、桜きれい」
その女の人はがん末期で、40歳でした。
病院の電動ベッドを起こしてもらって窓の向こうに城跡の桜を見たんです。
10年以上前のことですが、小さく叫んだその声が記憶に残っていて。
3日後に亡くなられました。
(『野の花の入院案内』より)
もう一つ、同じように末期の女性が、起き上がることもできず、
手鏡で背中越しの窓の外の風景を見る場面を思い出したのですが、
この場面はまだみつかりません…。
ふだん、私たちは好きなときに、好きな方向を見ることができます。
外の風景も、夕焼けや夜空を見上げることを
いつだって当たり前にできると思っています。
海を見たいと思えば、電車に乗りさえすれば
いつでも見れると思っています。
この映画の最初のテラスのシーンでは、
一瞬、彼の目線で「外の世界」を見ることができます。
自分の見たい景色を、好きなときに見れることは
幸せなことなんだと思いました。
それと同時に、自分を心配して見守ってくれる視線、
自分に向かう視線とは別に、
ただ、となりに座っていっしょに同じ風景を眺める人の存在が、
どれほど大切なものかを感じます。
(つづく)
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