印象主義と呼ばれるドビュッシー。
ドビュッシー作品を演奏しようとするとき、
いつも私がつまずくのことのひとつに、
左右の手で、それぞれ違う旋律を奏でること。
ピアノなんだから、当たり前じゃない!
・・と、言われそうですが、私にとって、
特にドビュッシーは難しいんです。
今手がけている「沈める寺」の場合、
左手では淡々とした旋律を奏でながら、
右手では、もう少し膨らみのある演奏になるのでしょうか。
左手が奏でる旋律は、「曲線」でなければならないのに、
私の演奏では、ところどころに「角」が生じます。
少なくとも、「水」には角がありません。
角ができてしまう原因として、
左右の手の動きの兼ね合いがあります。
つまり、2つの違う表現を、
同時にすることができないんですぅ…。
左手が、右手につられてしまうのでしょうね。
聴いていると、とても耳ざわりの良い部分ですが、
そのように私が演奏することは、
まだまだとても難しそうです。
何も考えずに何となく弾いていれば良いらしいのですが、
それが、どうしても、上手くできません…。
どうにか、キレイに弾けるようになりた~~い!!
ドビュッシー作品を演奏しようとするとき、
いつも私がつまずくのことのひとつに、
左右の手で、それぞれ違う旋律を奏でること。
ピアノなんだから、当たり前じゃない!
・・と、言われそうですが、私にとって、
特にドビュッシーは難しいんです。
今手がけている「沈める寺」の場合、
左手では淡々とした旋律を奏でながら、
右手では、もう少し膨らみのある演奏になるのでしょうか。
左手が奏でる旋律は、「曲線」でなければならないのに、
私の演奏では、ところどころに「角」が生じます。
少なくとも、「水」には角がありません。
角ができてしまう原因として、
左右の手の動きの兼ね合いがあります。
つまり、2つの違う表現を、
同時にすることができないんですぅ…。
左手が、右手につられてしまうのでしょうね。
聴いていると、とても耳ざわりの良い部分ですが、
そのように私が演奏することは、
まだまだとても難しそうです。
何も考えずに何となく弾いていれば良いらしいのですが、
それが、どうしても、上手くできません…。
どうにか、キレイに弾けるようになりた~~い!!