「草の葉」

2011-12-22 17:47:00 | 従って、本来の「ブログ」

                「草の葉」


 かつて、関西での会社勤めを辞めて上京した折、山手線の高田馬

場駅だったと思うが停車した高架駅から何気なく窓の外を見ている

と、夜の帷の中に赤いネオンサインに彩られた看板広告に「何じゃ

これは?」と目を奪われた。そこには「草の葉」だったか「ホイッ

トマン」だったか今では忘れてしまったが、そんな文言がそれも質

屋の看板に書かれていたからだ。私は「ホイットマン」も「草の葉

」も知らないわけではなかったが、ただ、それまで一度も読んだこ

とはなかった。それでも、何故質屋の看板広告にアメリカの詩人ホ

イットマンの「草の葉」をネオンサインにまでして宣伝しなければ

ならないのか、また、それが質屋の営業にどれほどの効果があると

いうのか電車が動き出しても気になって仕方なかった。恐らく、店

主がホイットマンへの共感が嵩じて人々にも知らせたいと思っての

ことだなんだろうが、東京は変な街だなと思ったことを記憶してい

る。ただ、幾ら記憶に残っても、私はその質屋を利用することはな

かったが、ところが、本屋に立ち寄る度に岩波文庫のホイットマン

の「草の葉」が目に障りネオンサインの看板が思い出されて、遂に

それを買ってしまった。

 私は、詩歌というものを字面ばかり追う癖から抜けられずに、叙

情に疎く心情に伝わることが稀だったが、それは恐らく、学校の授

業で生徒が興味を抱けるような詩歌が選ばれなかったからで、例え

ば、万葉集などにしても古文の解読に大半が費やされ、やっと意味

が解ったら月並みな恋の歌だったりで労多くして益少なしで沁みて

くることはなかった。それでも関西に居る時に、それは小林秀雄を

読んだからだと思うがボードレールの全集を買い求め、やっぱり彼

の詩も翻訳の壁があって意味不明で、ただ「火箭」の中の「世界は

終わろうとしている」以下の数行の言葉に衝撃を受けて、自分のそ

れまでの人生など棄ててもいいと思った。つまり、それまでの私の

人生とは数行のボードレールに若かずだった。勤務していたホテル

のフロントカウンターの中で、決められた仕事を何十年も従わなけ

ればならないことに自分の生きる意義を見出せなかったし、そのま

ま朽ちたくなかった。否、朽ちるなら自分の意志で朽ちようと覚悟を

決めた。

 もしも私が、アメリカを代表する詩人は誰かと問われれば、間違

いなくホイットマンだと答えることに躊躇ったりはしないだろう。

彼の理性を超越した叡知を受け入れる寛容な精神こそは将にアメリ

カンマインドの原点ではないだろうか。美徳はもちろん悪徳さえも、

希望はもちろん絶望さえも、生はもちろん死さえも、それらは何れ

も繋がっているのだ。生きていることは如何なる辛いことに見舞わ

れてもそれを補って余りある歓びではないか。将来への不安を抱え

ながら、上京したばかりの激動の首都東京をただ眺めてばかり居た

自分をどれだけ励ましてくれたことか。不安や絶望、失敗や離別と

いった辛ささえも生きていればこそ生まれてくるのではないか。生

きることとは死さえも受け入れることではないか。生きることに挫

けたっていい、しかし、挫けることを怖れて生きるなんて詰まらな

い。そのオプチミズムは死滅をも受け入れ輪廻する自然生成への溢

れんばかりの歓喜に満ちていた。

 
     「わたし 不動なるもの」

わたし 不動なるもの、「自然」のなかに悠然と立ち、

万物の支配者あるいは万物の女王、

理性にそむく物たちのさなかに自若たり、

その物たちのごとく色に染まり、その物たちのごとく

受身で、柔軟で、寡黙、

私の職業、貧弱、悪名、弱点、罪悪、そんなものは

思っていたよりささいなことだと悟り、

わたし メキシコの海を目ざし、あるいはマナハッタか

テネシーの川に、あるいは遥かな北部か奥地にあり、

水上生活者として、あるいは森の住人として、

あるいはこれら諸州か沿岸諸州の、

それとも湖水地方かカナダのどこかで農場暮らし、

わたし たといどこで生活を営もうと、

おお さまざまな偶然事にも泰然として崩れず、

夜にも、嵐にも、飢えにも、嘲りにも、事故にも、挫折にも、

樹木や動物のように、正面から立ち向かわんと願う。


     ウォルト・ホイットマン著「草の葉」より