「無題」
(六)―③
会社を辞めることに決めた。身体を壊してからは、パート主婦で
も出来るやり甲斐のない仕事しかできなかった。自分としてはこう
するべきだという考えはあったが後継ぎ息子とは悉く意見が合わな
かった。そもそも、会社がお客さんからの信用を失ってダメになっ
たのは、世襲社長の指示によって外国産ウナギを国内産と偽装した
ことがバレて摘発され、それを納品した会社の実の弟と共に逮捕さ
れたことがきっかけだった。次男は主に兄のスーパーに納品する下
請け会社の社長だったが、その会社で働いていた元従業員に密告さ
れてあろうことか兄弟揃って逮捕された。それは、消費者の信用だ
けに支えられた小売業にとって致命的な不信感を与えた。バカ息子
は、マス・メディアの前では反省の素振りを見せたが、釈放される
とそんなことは何処の店でもやっていることだと放言して憚らなか
った。しかし、彼の父親が成功したのは何処の店もやっていないこ
とを始めたからだった。顧客相手の商売では経営者一族への不信感
は店の売上にすぐに影響して、創業者が営々と築き上げた信用は一
夜にして崩壊した。ただ、創業者が何も知らずに逝ったことだけが
せめてもの救いだった。そもそも接客商売でオーナーが堂々と客の
前に顔をさらすこともできないで、たとえ他人を立てて後ろで操っ
ても、客の信頼を取り戻すことはできなかった。それに、彼は気が
多くて、新しいビジネスに手を出しては思い通りに行かなくなると
すぐ投げ出してものにならなかった。ああ、もうどうだっていいや、
辞めることに決めたんだ。たとえ私が辞めなくても彼が間もなく会
社を終わらせてくれるに違いないだろう。ただ、心残りは、私を拾
ってくれた創業者に何一つ恩返しができなかったことだけだった。
もちろん、将来への不安はあったが辞めると決めたら緊張が解けて
気が軽くなった。しかし、自分のこともそうだが、やっぱり、娘の美
咲のことが気にかかった。
(つづく)