「明けない夜」 (7)―⑤

2017-08-23 21:45:21 | 「明けない夜」7~⑪

         「明けない夜」

          (7)―⑤


        「社会を捉えなおす」―⑤


「世界限界論」を認識するということは取りも直さず近代科学文明

の限界を認めることであり、それは大きな時代転換の波を予感せず

にはいられない。これまでにも歴史上には幾度も大きな転換期があ

ったが、古い社会が立ち行かなくなり新しい社会をする模索する時

には決まって紛争が起こった。ただ、古代や中世ではその社会規模

から限定的な地域紛争で済んだが、近代に入ってからは科学技術の

発展によってグローバル化が進み対立は世界規模で起こるようにな

った。たとえば、集団的自衛権というのは自国には直接の利害が及

ばないにしても同盟国の国益を守るために軍事援助する権利であり

、過去にはその行使によって二国間対立が連鎖的に拡大して遂には

世界大戦に至ったことを忘れてはならない。わたしは、新しい時代

を展望する前にどうしても争いなく時代転換が起こるとは思えない

ので、本旨からは逸れますがそのことについて少し行を重ねます。

と言うのも、今を生きる我々にとって、新しい時代が破壊なしには

始まらないとすれば、当然「次の」戦争のほうがより大きな関心事

であることは言を俟たないからです。

 さて、パイの大きさが決まっていて分け前に与ろうとする者が増

えれば当然それぞれの分配は減るでしょう。これまで先進国が独占

していた世界市場に全世界の4割を超える人口を抱える新興諸国(

BRICs)が参入してくれば自ずから先進国の分け前は減ります

。新興国は安価な労働コストによって市場参入しますが、しかし決

して新しいパイを持参したりはしません。それでも市場競争に苦し

む生産者は利潤をもたらす生産コストを求めて競って名刺を交わし

ます。ところで「世界限界論」を前提にすれば今後パイの大きさ、

つまり環境規模やエネルギー資源は増えません、限界なのですから

。そうなると、いずれパイの分配を巡って世界中で、或いはそれぞ

れの国内で奪い合いが始まります。敢えて国内問題を取り上げたの

には理由があります。それは国内のインバランスから生じた国民の

不満こそが対外政策に反映されると、少なくともわたしは思ってい

るからです。隣国に向けられた批判の目は格差社会に対する不満に

向けられた目がすこし逸れただけのことではないだろうか。

 かつて近代化を推し進めようとした日本帝国は、対立するロシア

との戦争に勝利して欧米列強に肩を並べるまで近代化を成し遂げた

と自負したが、実際は国内経済は疲弊していて戦争の継続は不可能

な状態で、つまり長期化すれば負けてしまうので、アメリカに仲介

を求めて、ロシア側の戦争賠償金の支払いには一切応じないという

条件を呑まされてポーツマス講和条約は締結された。しかし、格差

社会の底辺で耐え忍んできた国民は納得せず、政府を非難する弾劾

集会が暴動へと拡がって(日比谷焼打事件)、遂には戒厳令まで敷か

れた。作家の司馬遼太郎は著書「昭和という国家」(NHK出版)の

中で、「この群衆こそが日本を誤まらせたのではないか」と言って

ます。そして、「人民が集まって気勢をあげるということが正しい

場合もありますが、日比谷公園に集まった群衆は、やはり日本の近

代を大きく曲げていくスタートになったと思います。」さらに、「

もしそのときに勇気のあるジャーナリズムがあって、日露戦争の実

態を語っていればと思います。」「しかし、そういうジャーナリズ

ムはなかった。」では、今は「そういうジャーナリズム」は健在だ

ろうか?時代がひと回りして今や遅ればせながら近代化を推し進め

ている帝国主義国家中国は、かつての大日本帝国と同様に様々な国

内矛盾を抱えながら経済成長を推し進めることで辛うじて矛盾を封

じ込めているが、いずれパイの分け前に与らなかった人民の内なる

不満を外で晴らそうとしないとも限らない。こうして二国間の対立

はそれぞれの国内情勢が大きな要因となって破壊的な行動さえも正

当化され、やがてその矛先は目の前の対立国に向けられる。しかし、

何より肝心なことは、依然として中国経経済は表向きは成長を維持

していて、もしも彼国がかつての大日本帝国と同じように内を治める

ために外を叩くとすれば、経済の停滞から人民の不満が高まる、むし

ろこれからなのだ。 

                                                                                                  (つづく)


「明けない夜」 (7)―⑥

2017-08-23 21:42:30 | 「明けない夜」7~⑪

         「明けない夜」

          (7)―⑥


         「社会を捉えなおす」―⑥


 パイの大きさが限られた「世界限界論」の下では既得権益に与る

先進国と分け前を求める新興国との間で、さらには新興国と途上国

との間にも対立が生じ、そして国内では格差社会に対する不満が高

まる。われわれの欲求に固より地球資本は応えられなくなって、不

満の波が連鎖してそして戦争へとつながる。では、そうしないため

にはどうすればいいか?答えは意外と簡単で、パイを増やすことが

できないならば平等に分けるしかない。そして平等に分けるために

まず規制しなければならない。そしてそれは国際的な規制でなけれ

ばならない。たとえば、地球温暖化をもたらす温室効果ガスの排出

量をそれぞれの国に預けて果たして減らすことが出来るだろうか?

それは絶滅が危惧されているクロマグロの漁獲規制のように国際的

な規制でなければ意味がない。さらに言えば、産油国の地下に埋蔵

している石油はそもそも産油国の国民だけのものだろうか?或は国

境線で仕切られた大地はその国のものだろうか?こうして「世界限

界論」を認識すればこれまでの国家の枠組みそのものが役に立たな

いだけでなく障壁になる。環境、資源、生存権といったすべての生

き物が共有する世界を個人や国家の自由に任せてはならない。「世

界限界論」の下では自由主義経済は規制され、偏狭な民族意識や

国家意識は希薄化し、何故ならそれらは世界無限の下での共通概念

だから、そして地球人としての意識が優先され、世界そのものが民主

社会主義の方向へと向かわざるを得ない。ただ言葉で答えるだけな

ら簡単かもしれないが、いざ平等に分けるとなると実行は極めて難し

い、何故なら平等の意識こそが不平等の意識を生む源泉だから。

                                                                (つづく)


「明けない夜」 (7)―⑦ 

2017-08-23 21:40:27 | 「明けない夜」7~⑪

         「明けない夜」

         (7)―⑦ 

 

       「社会を捉えなおす」―⑦


 パイが増えないのにその分け前に与る人々だけが増えれば、すで

に世界人口は70億人を突破して今世紀中には100億人に達する

と予測されているが、一人ひとりの分け前が減るのは必定である。

それでも分け前を増やそうとすれば他人の分け前を奪い取るか、す

でに領土を巡る紛争は各地で勃発している、或いは分け前を求める

人間を減らす、つまり殺すしか方法はない。しかし、他人の分け前

を奪い取ったり殺し合わなければ生きていけない社会が果たして文

明社会と呼べるだろうか?こうして人口爆発によっても近代文明の

終焉、つまり「世界限界論」が加速されて迫ってくる。

 では、「世界限界論」から逃れるにはいったいどうすればいいの

だろうか?それにはまずその原因を突き止めなければならないが、

まず近代科学文明こそが自然環境を変化させたことは明らかだ。そ

して飽くなき欲望に支配された産業資本主義が際限なく増殖して大

量に排出された自然循環できない物質が、自然から見ればあたかも

ガン細胞のように地球全体を侵し、今や「自然環境の限界」が迫っ

ている。わたしは、決して科学技術そのものを否定するつもりはな

いが、しかし我々が生存を依存している自然から見ればそれは明ら

かに欠陥技術と言わざるを得ない。それは樹木を伐採し、山を削り

、地中深く穴を掘って念願の宝物を取り出せば後は埋め戻されもせ

ずに放置される。こうして産業資本主義は埋め戻す作業を忌避する

ことによって利益を得る。

 「世界限界論」から見ると近代科学文明は直線的に限界へ近づい

ている。温室効果ガス排出による地球温暖化現象が引き起こす自然

環境の変化、それに伴ってもたらされる食糧危機、地下資源の減少

によるエネルギーコストの高騰、フロンティアを失った資本主義経

済の行き詰まりと経済不安、今世紀中には100億人に達するとい

われる人口爆発、等々。しかし、何れもが直接的に近代社会を崩壊

させる引金にはならないにしても、さらには間接的に起こるであろ

う様々な自然災害や環境汚染、砂漠化、飢饉、恐慌、テロ活動や領

土紛争なども、すでに「喉元過ぎれば熱さを忘れる」特性を身に付

けた近代人にとっては、過ぎてしまえばそのような兆候でさえもす

ぐに忘れられて不吉な啓示とは受け取られないに違いない。ただ、

気にしてもどうすることもできない現実が、ちょうど水の流れがつ

いには岩を砕き山をも崩すように、やがて人々が心に描く明るい近

代社会の夢や希望に暗雲が垂れ込めて、先の見えない不安が社会を

覆い人々の心に影を落とす時、目に見えるカタストロフィなどによ

ってではなく、近代生活を失うくらいなら死んだ方がマシだとばか

りに、不安に駆られた近代人の手によって、ハルマゲドンの火蓋が

切られる。

 近代文明の側から「世界限界論」を回避する方法を探ってきまし

たがどうしても戦争が避けられそうもないので、諦めて、では「世

界限界論」の側からどうすれば避けられるのかを、つまり「ポスト

近代社会」はどうあるべきか、敢えてその理想を語る方が手取り早

いと思いますので、そうします。

 まず、地球温暖化、資源の枯渇、人口爆発などの生存環境の悪化

を国家単位で話し合ってもきっと有効な結論は生まれないでしょう

。最終的にはすべての国が参加する国際会議の下で国際条約が締結

されて違反には厳しい罰則が科されなければなりません。つまり、

国際法の下で政治の一元化が図られて、いわゆる国家と呼ばれる政

治的共同体は解消されます。国家を形成する三要素である領土、国

民、権力、のいずれもが「世界政府」の下に一元化され、地球上で

地球人による地球人のための政治、つまり主権者はすべての地球人

で、当然それは民主主義制度です。しかし、地域差や時差、また生

活習慣などの違いから規制の妨げにならない限りの自治は認められ

るでしょう。分かりやすく言えば、EU(欧州連合)の世界版のよう

なものです。ただし「世界限界論」を回避するための様々な法規制

によって、たとえばもっと厳しい温室効果ガスの削減が求められる

など、自由経済は制限され、つまりそれは資本主義経済の終焉に他

ならない。我々は掘った穴を埋めもどす責任を負わなければならな

い。ただ、規制は誰もが平等に負わなければならない。つまり、規

制された経済活動と平等主義、それは社会主義体制に他ならない。

こうして世界政府は「社会民主主義」体制になるだろう。それらは

いずれも「世界限界論」を回避するための生存手段であって、生命

体の目的はまず生存することである。

 あまりにも荒唐無稽な話だと思われるかもしれない。しかし、す

でにEU(欧州連合)では、マーストリヒト条約以降何度か修正を繰

り返して安全保障、政治、経済、法律など様々な分野での一元化を

図り、28ヶ国が国家や民族の壁を取っ払って加盟する共同体を実

現させている。ただ、アジアの片隅で海面に浮かぶ「岩」の領有を

巡って争っている国から見れば、国家の解体などあり得ないこと

かもしれないが、経済のグローバル化によってすでに東亜以外で

は未来に向けた共栄圏への取り組みは始まっている。ただアジアの

片隅だけが前世紀の呪縛から遁れることができずに過去ばかり振り

返っている。

                      (つづく)

 


「明けない夜」(七)―⑧   

2017-08-23 21:38:24 | 「明けない夜」7~⑪

              「明けない夜」

              (七)―⑧   

 

         「社会を捉えなおす」―⑧


 1972年に民間の研究機関「ローマ・クラブ」がマサチューセ

ッツ工科大学のデニス・メドウズ氏を主査とする国際チームに委託

してシステムダイナミクスの手法を駆使して取り纏めた研究の報告

書『成長の限界』は、高度経済成長に浮かれていた日本国民に冷水

を浴びせ掛け、ちょうどその翌年には中東戦争に端を発する「オイ

ル・ショック」も起こって、科学技術がもたらす明るい未来を信じ

て疑わなかった誰もが不安へと駆り立てられた。あれから40年を

経てその予測結果を検証してみれば、埋もれた鉱物資源の枯渇など

の予測は確かに外れたかもしれないが、しかし大局的な予測、たと

えば地球温暖化や人口爆発といった数値は予測ライン上に収まって

いる。つまり地球は40年前とほとんどその大きさを変えずに自転

しながら太陽の周りを公転し、そこで生きる人間は自然環境を破壊

しながら予測通りに増加して『成長の限界』に近づいたことだけは

紛れもない事実である。つまり『成長の限界』が発表されて以来、

我々の頭の中から「限界」の文字が消えてなくなることはなかった

。しかし、コペルニクスが地動説を著わすずっと前から地球は有限

の惑星だったし、なにも突然地球が小さくなった訳ではない。ただ

我々の成長というか侵蝕と言うべきなのか、近代化に伴ってエネル

ギー消費が膨大に増加し限界を越えた環境への負荷が深刻化してい

る。すでに近代文明社会は自然環境の下で持続性を維持することが

できなくなっています。

 それでは、「世界限界論」を回避するためには一体どうすればい

いのでしょうか?まず、その元凶である近代文明を転換させる「ポ

スト近代」が求められます。そして、それにはどうしても科学技術

は欠かせません。そもそも自然循環に則して暮らしていた前近代で

は地球温暖化も環境破壊も大きな問題ではありませんでした。だか

らといって近代以前に還れと言うのは簡単ですが行えるはずがあり

ません。そこで、「世界限界論」を回避するためには科学技術がも

たらした環境負荷を何としても軽減させなければなりません。つま

り、科学技術が蒔た種は科学技術によって刈り取らねばならない。

その取り組みは既に始まっていますが、その最大のものは代替エネ

ルギーです。そもそも地球上のほとんどのエネルギー源は太陽エネ

ルギーですが、石油とは「有機物が熟成したもの、太陽光による二

酸化炭素の光合成で出来た植物、藻などの有機物が海底に堆積し石

油になったもので」(Wikipedia「石油」)、それら化石燃料はすべ

て過去の太陽エネルギーのレガシー(遺産)であり、遺産はいずれ使

い果たされるでしょう。かつて芸人の上岡竜太郎はテレビ番組で、

「石油は絶対なくなりませんよ。せやかて、これまでに堆積した有

機物が時間とともに石油になっていくんやから」と、まるで「アキ

レスと亀」のパラドックスのような真しやかなジョークを言ってま

したが、実際にはアキレスは亀をすぐに追い抜くように、遺産がど

れほど利子を生んでも膨大な消費に敵うわけがありません。つまり

、そもそも近代文明は過去の遺産に依存して発展してきたのです。

そして太陽光発電を始めとして風力にしろ水力にしろバイオマスに

しても、地熱エネルギー以外それら再生可能エネルギーの源はすべ

て太陽エネルギーです。では、レガシーエネルギーに依存せずに再

生可能エネルギーだけで今の電力消費を賄うことが適うのだろうか

と言うと、いろいろ試算されていますが結論から言えば多分それは

無理です。さらにEV車(電気自動車)が普及すれば電力消費量は桁

違いに跳ね上がります。仮に再生可能エネルギーが現在の消費量の

半分まで代替することが可能だとすれば、それだけで生活を賄うた

めには、我々は1970年代頃まで後戻りしなければなりません。

70年代がそれほど不便な時代だったとは聞きませんが、現在の便

利な暮らしに慣れた人にとっては不便を感じるかもしれません。つ

まり「世界限界論」を回避するためには科学技術の進歩を待つより

も先ず我々自身が変わらなければなりません。多分それは禁煙やダ

イエットによる苦しみよりもはるかに苦しい忍耐が求められること

でしょう。

                       (つづく)


「明けない夜」 (七)―⑨

2017-08-23 21:36:24 | 「明けない夜」7~⑪

         「明けない夜」

          (七)―⑨

 

        「社会を捉えなおす」―⑨


 いずれ化石燃料が枯渇して無くなれば温室効果ガスの排出が減少

して地球温暖化による「限界」は回避されるかもしれませんが、そ

れは同時にレガシーエネルギー(化石燃料)に依存して発展してきた

近代文明の「限界」でもあります。そもそも地球にとって温暖化現

象は初めての出来ごとではありません。原始地球では隕石の衝突や

マグマの噴火などによって今よりもはるかに高温のガスに覆われて

いました。それから長い時間をかけて冷やされると大気中の水蒸気

が雨になって海ができて、やがて原始生物が現れそれらの水と太陽

光から光合成を行ない、二酸化炭素を吸収し酸素を放出して、多様

な生命体が生存する地球環境の原型が形成されました。つまり、化

石燃料とは原始地球の温室効果ガスを吸収して地中深くに閉じ込め

てくれた原始生物の亡骸なのです。ところが、我々はその亡骸を掘

り起こして蘇らせ閉じ込められた亡霊を再び拡散させて大気中に放

出している。こうして近代科学は生命の源である地球環境を生命の

生存が困難だった原始地球に後戻りさせようとしている。いまや我

々は自然環境に依存した自然内存在であることさえ忘れてしまった。

                     (つづく)