「生まれ出づる歓び」(六)

2019-04-08 05:33:10 | 「生まれ出づる歓び」(六)~(十)

         「生まれ出づる歓び」


            (六)

 

 間もなくして佐藤が作ったスマホ専用のAI搭載のアプリが配信

された。「AIによるあなたの将来予測」とサブタイトルがあって

、なんとタイトルは「一炊の夢」だった。そしてこれまでの占いシ

リーズで使われていたコミカルなキャラクターが一変して劇画調で

描かれていた。間近に卒業シーズンを控えていたこともあって、進

路の選択を迫られた若者たちからのダウンロードが瞬く間に激増し

た。それはすぐに業界でも話題になり、ネット上にはAI搭載アプ

リの可能性についての記事が殺到していた。おれはしたり顔の佐藤

を思い浮かべながら何度か祝福のメールを送ったが一度も返信して

来なかった。多分忙しくてそれどころではないのだろうと思って気

に掛けなかった。数日後、いつものように仕事帰りの電車の中で、

すでに空席が目立つ車両の座席に腰を下ろして、スマホでニュース

を見ようとして、一つの見出しに目がいった。

「生保の個人データ200万件流出、売買目的か?関係者を聴取」

おれはすぐに佐藤がつぶやいた言葉を思い出した。

「とにかくデータが欲しいんだ、それも個人の」

早速ニュースの内容を確かめると、流出したのは住所氏名は番号化

された個人情報で、そのデータから特定の個人に辿り着くには更な

る情報が必要だったが、それこそが佐藤が欲しがっていたデータに

他ならなかった。おれは停車した途中の駅で下車して佐藤にデンワ

をしたが繋がらなかった。彼の嫁さんの久美ちゃんにもデンワをし

たが繋がらなかった。そして「間違いない」、佐藤に違いないと思

って、こうなったら彼の家に行くしかないと思って、引き返すため

に対面する反対側のホームへ降りた。

 人影のないホームに佇んで電車が来るのを待っている間に、彼が

作ったアプリ「一炊の夢」を恐る恐る開いた。するとアプリは通常

通りに使うことが出来た。彼のアプリは適職診断のようなアンケー

ト形式で、ただ一択ではなく複数の選択ができた。例えば「好きな

学科は?」という問いには文系と理系の二択があって両方とも選ぶ

ことができたが、そうすると選択の項目が画面をスワイプしなけれ

ばならないほど出てきた。なるほどこれがAIによるのだなと思い

ながら最後まで答えると予測結果が出て、職業、年収、地位、そし

て寿命までも、その確率をパーセンテージで予測してくれた。何と

いっも寿命予測がこのアプリの売りだった。もちろん検査データの

入力は必須だが、他にも既往症や食生活や生活習慣のの嗜好など多

岐にわたっていた。そして今の生活を続ければ何パーセント確率で

寿命何歳と表示された。おれは彼のアプリがまだ削除されずに残っ

ていたことにすこし安堵した。
 
 スマホを弄っていると、ホームのアナウンスが次に来る電車が最

終電車だと告げた。その時、おれはその最終電車に乗ってしまった

ら、もしも佐藤の家に行って留守だったら帰れなくなると気付いた

。「やばい」今日は諦めて明日にしようと思って元の反対のホーム

に戻ろうとした。通路を上っていると最終電車が到着したのが分っ

た。「よかった乗らなくて」と思って元のホームに戻ってくると、

何故かホーム全体が薄暗かった。ちょうど駅員が掃除をしていたの

で、「次は何分後ですか?」と訊くと、「もうとっくに最終電車は

出ましたよ」と言った。そうだ!おれは最終電車に乗っていたのだ

った。おれは向かいのホームにしばらく止まっていた最終電車もベ

ルが鳴ると大きなスカ屁をして出て行った。静まり返ったホームに

独りとり残された自分はしばらく茫然と立っていた。

                        (つづく)


「生まれ出ずる歓び」(七)

2019-04-08 05:30:38 | 「生まれ出づる歓び」(六)~(十)

        「生まれ出ずる歓び」


            (七)


 次々に消されていく照明灯に急かされて改札を出た。そこは初めて降り

た街だったが、すでに東京の街はどこも同じハードウエアによって造られ

ているので殊更とまどったりはしなかった。馴染みのあるビジネスホテル

やコンビニ、そして有名なコーヒー店に多種多様な飲食店など、そしてど

こまでも続くビル街、それらはどこの駅前にもある似通った景観だった。

東京に来たばかりの頃、この人工の建築物が永遠と続く街並みに恐怖を覚

えパニック障害に陥りかけた。特に電車に乗っている時には檻の中に入れ

られた思いがして次第に動悸が治まらなくなって途中下車したこともあっ

た。だからよく用もないのにまだ自然が残されている郊外に足を運んだ。

 帰る術を失ったおれは仕方なく目の前のビジネスホテルに泊まろうとし

たが、思い直してすこし街を歩いてみようと思った。そして歩きながら佐

藤のことを考えた。

 佐藤は若い時からニーチェを愛読していて、話をしている時にもよくニ

ーチェの名前を口にした。佐藤によるニーチェ思想とは、世界は混沌と秩

序からなり、それは生成と真理へも変換される。おれは佐藤に勧められて

ニーチェの処女作「悲劇の誕生」だけは何とか読んだが、そうだ、浅田彰

の「逃走論」にもニーチェが語られていたっけ、しかし、そもそもギリシ

ャ文化にそれほどの造詣がなかったのでチンプンカンプンだった。ただデ

ィオニュソス対アポロの対立概念だけは何となく分ったような気がした。

つまり、混沌と秩序の対立概念は、生成と真理の対立であり、そしてそれ

はディオニュソス対アポロの対立だと思った。そこで、世界とは変動する

生成であるとするならば、固定化した不変の真理というのは成り立たない

ことになる。つまり「真理とは幻想なり」である。近代社会はもとよりそ

の真理の探究によってもたらされた科学技術によって発展した。しかし、

そもそも真理が幻想であるとすれば、当然、科学文明社会も幻想であり、

いずれその限界が訪れるのかもしれない。それはエネルギー資源の枯渇に

よってか、或は環境破壊によってか分らないけれど。

 佐藤は、「変動する生成の世界は循環しながら再生されるけれど、科学

によって生み出された固定化された人工物質は自然回帰しないので再生さ

れない」

「確かにそうだけど・・・」

「それどころか生成の循環を阻害して自然回帰を滞らせている」

「でもさ、だからと言って科学文明を棄てて自然に帰ることなんてできな

いじゃないか」

「何もそこまでは言ってないさ」「ただ、我々はますます生成の世界から

離れて家畜化しているんだ」

「かちくか?」

「そう家畜化」

彼の言ってることがよくわからなかったので黙っていると、

「家畜化とは、つまり生成変化する世界を固定化すること」

「管理社会ってこと?」

「まあそうかな、循環しながら再生進化する生成のしくみから見れば固定

化した科学文明は直線的で、直線って効率的かもしれないけれど円環しな

いから再生できない。再生しない生成は進化しない。進化しない生き物は

家畜ないか」

「科学技術の進化が生成そのものの進化を阻んでいるってことだろ」「ま

あ、それは何となく分るけど、でもしかたがないじゃないか」

「そうだ、しかたない」そして、「確かに科学技術は我々の何とかならな

いかという期待に答えてくれた。ただしそれは自然循環を破壊し、生成と

しての生成の世界を犠牲にしてことなんだ」

彼が言わんとしているのは、たぶん、変動する生成と固定化した科学技術

の相違がやがて文明を破たんさせると言うのだ。そして、生成として変遷

流転する存在であることを忘れた我々は家畜化、それは固定化によって進

化しなくなり、やがて変遷流転する自然循環から外れ再生できずに絶滅す

ると言うのだ。

 佐藤は、彼の地元である福島県が原発事故に遭ってそれまでの科学至上

主義の考え方を疑うようになった。そして、

「福島の問題は実は福島だけの問題じゃないんだよね」

「もちろん、世界中で稼働している原発にとっても他人事ではないけれど

、さらに、さまざまな環境問題が指摘されている近代社会のあり方も問う

ているんだ」「つまり、近代社会の継続か撤退かの」

おれは佐藤ほどの切迫感を持ち合わせていなかったので、原発問題にして

も中途半端な考えしか言えなかった。

「もちろん事故は許されないけど、だけど今の生活は失いたくない」

それは背反だと佐藤は言った。しかしその背反した二律の間隙にこそ我々

が望む暮らしが営まれていた。ただ中途半端な選択の中には最悪の事態、

つまり再び原発事故が起こって、同時に今の生活のすべてを失う可能性も

残されていた。そして佐藤は、それは日本と言う国の消滅にほかならなら

ないと言った。

「もはや豊かさか安全かの選択じゃないんだ。豊かさかそれともこの国の

消滅かの選択なんだ」「それは悲しむ人すら居ない無人の世界だ」

 おれは佐藤の言ってることがまったく解らないわけではなかったが、た

とえば車があるのにそれには乗らないで歩くなんてことは出来るわけがな

いと思った。車が走るという事実の先にはその動力を生む燃料が必要で、

その化石燃料は地球温暖化をもたらし異常気象を引き起こすだとか、或は

原発は一度メルトダウンが起これば放射能汚染の拡散によって深刻な被害

が及ぶだとか言われても、たぶん我々は最後のガソリンを使い切るまで、

もちろん環境は更に悪化するだろうが、或は再び深刻な原発事故が起こる

まで、その時には日本という国家は消滅しているだろうが、あたかも薬物

依存から脱け出せないジャンキーのように、文明への依存から自立するこ

とはできないだろう。ただ、科学技術の進歩は環境の退歩によって賄われ

るゼロサムゲームであることだけはよくわかった。

                            (つづく)