ハイデガー著「ニーチェ」Ⅰ、Ⅱ(平凡社) ー④ー

2019-06-23 11:10:21 | ハイデガー著「ニーチェ」Ⅰ,Ⅱ 細谷貞雄 監訳

       ハイデガー著「ニーチェ」Ⅰ、Ⅱ(平凡社)


             ー④ー


 限界に達した近代科学文明に変わる新たな社会の価値定立とは、

ニーチェ=ハイデガーの命題から導けば、まず「生成」としての世

界の価値を見直すことから始めなければならない。つまり、循環回

帰しながら再生する生成の世界へ後戻りすることになる。それは当

然近代科学文明社会からの転換を意味する。ただ、科学技術は産業

革命以来絶え間なく産み出され革新されて今日に至っているので、

科学技術が産み出すすべての価値を投げ棄てて始原へ戻るべきだと

までは思わない。では、生成の世界にそぐわない技術を見直すとす

れば、まず第一に大量の温室効果ガスを排出する化石燃料と循環再

生しない石油製品などが挙げられるが、それらはすでに再生可能エ

ネルギーや自然素材の代替品の開発が急がれていてその方向性は間

違っていないと思う。私は、生成の世界にそぐわない資源から制作

された製品を見直して循環再生する素材に代えていくことや、これ

までの科学技術を改めて自然環境に配慮して再び科学し直すことを

「リサイエンス(Re-science)」と呼ぶ。流動的な「生成」にそぐわ

ない固定的な欠陥技術を、自然循環に適応した技術に「リサイエン

ス」することによって「生成」の世界を再生しなければならない。

ただ、新しい社会的価値を定立するためには、古い価値からの脱却

が求められるが、近代科学文明から脱け出そうとしない西欧社会以

外の国々は、それらはあまりにも国土が広いために科学技術なしに

は統治が成り立たないか、あるいは近代化が遅れて科学技術なしに

は経済発展が見込めない国々だが、ところがわが国はそのどちらで

もないにもかかわらず、新しい社会的価値の設定を模索することも

なく、従米主義の下に従来通りの「欠陥科学」を見直そうとしない

ことに不甲斐なさを禁じ得ない。そもそも環境技術はわが国が最も

得意とする分野であったはずだが、現政権による従米政治が転換を

積極的に推進しようとはしない。

 ところで、新たな社会の価値定立が「生成」の世界、つまり自然

への回帰だとすれば、個人はいったい何を新たな価値として設定す

ればいいのだろうか。もちろん、そんなことは人それぞれが決める

ことだが、ニーチェは、「芸術は真理よりも多くの価値があ」り、

「芸術は力への意志のもっとも透明で熟知の形態である」と言う。

世界とは変遷流転する「生成」であるとすれば、真理を追い求める

科学的認識(理性)は、絶対不変の真理に到達できずにニヒリズムに

陥る。そこでニーチェは、「われわれは真理のために没落すること

がないようにするために、芸術をもっている。」と言う。なぜなら

「芸術とは、芸術家についての拡張された概念によると、あらゆる

存在者の根本的生起である。すなわち存在者は存在するものである

かぎり、自分自身を創造するもの、創造されたものである」からだ

。つまり「芸術はニヒリズムに対する卓越した反対運動である。」

だから、いずれ忘れ去られる固定化した科学的価値(真理)を追い求

めるよりも、自らも「生成」の世界の存在者として、つまり、いず

れ死に至る者として、「生成」の流れの中で「生」に「陶酔」しな

がら生きるには、芸術こそがもっとも価値があるのだ。

                        (つづく)