「あほリズム」(799)

2021-01-24 11:12:06 | アフォリズム(箴言)ではありません

         「あほリズム」

 

          (799)

 

 世界というキャンバスは一つしかない。

新しい絵を描くには古い絵を消すしかない。

 そして、私というキャンバスには私の絵しか描けない。


「私は『核兵器禁止条約』に個人として参加します」(2)

2021-01-24 03:22:18 | 「個人と社会」

 

 

「私は『核兵器禁止条約』に個人として参加します」(2)


以下は、令和3年1月4日 菅内閣総理大臣記者会見終了後の中国新聞の質問に対する官邸の書面による回答です。https://www.kantei.go.jp/jp/pages/20210104kaiken_shomen.html

 

   *     *     *

「我が国は、唯一の戦争被爆国として、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードする使命を有しており、核兵器禁止条約が目指す核廃絶というゴールは、共有しています。
 一方で、核兵器のない世界を実現するためには、核兵器国を巻き込んで核軍縮を進めていくことが不可欠ですが、現状では、同条約は米国を含む核兵器国の支持が得られていません。さらに、多くの非核兵器国からも支持を得られていません。
 我が国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中、抑止力の維持・強化を含めて、現実の安全保障上の脅威に適切に対処しながら、地道に、現実的に、核軍縮を前進させる道筋を追求していくことが適切であると考えています。
 こうした我が国の立場に照らし、同条約に署名する考えはなく、また、御指摘の会議へのオブザーバー参加については、慎重に見極める必要があると考えています。その上で、我が国としては、引き続き、立場の異なる国々の橋渡しに努め、核軍縮の進展に向けた国際的な議論に積極的に貢献していく考えです。
 こうした政府の考え方について、国会においても、丁寧に説明していく考えです。」

  *     *     *

 さて、「唯一の戦争被爆国として、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードする使命を有」する我が国が、世界に対して「核廃絶」を訴える時に、「核廃絶というゴール」を「共有」しながらも、その訴えに「核兵器国」「非核兵器国」のどちらからも支持を得られていないという理由から参加しないと言うのであれば、そもそもどちらからも支持されるのであれば「取り組みをリードする使命」自体生れて来ないのであるが、つまり、誰もが支持してくれないから訴えないというのは使命からの逃避にほかならない。唯一の被爆国の使命から「止めろ!」と訴えることがそれほど見当違いだろうか?世界最初の核兵器投下からすでに三四半世紀を経て、これまで我が国による「立場の異なる国々の橋渡し」によってどれほどの「核軍縮の進展」が得られたと言うのか?言われているように、我が国はアメリカの核の傘の下でタテマエとして非核中立を謳っているが、そのホンネは世界最大の核兵器保有国アメリカへの「忖度」政治にほかならない。私は安倍・菅政権による忖度政治の元凶は「従米主義」にあると思っている。つまり「一身独立して国家独立す」(福澤諭吉)とすれば、アメリカに依存する我が国の政治家たちは未だアメリカの植民地支配から抜け出せない。たとえば、政府は北朝鮮による拉致問題を我が国の最重要課題だとタテマエでは訴えるが、未だ北朝鮮に対する戦争賠償問題が解決していない日朝間の交渉はどうしてもその問題を避けて通れない。しかし巨額の賠償金支払いは北朝鮮の核開発を望まないアメリカにとって絶対に認められないことである。もちろん日本政府も戦争の被害者である北朝鮮国民には決して償われないことは判っている。我が国の最重要課題だと言いながらまったく「拉致が明かない」。こうして戦勝国アメリカへの忖度政治はタテマエとホンネに二分化されて、タテマエを踏み出せばホンネが立ち尽くすという決して前には進まない「地団駄」政治を繰り返している。