(三)
大阪には百済(くだら)と呼ばれる地名が残っているくらい古来
より朝鮮半島との繋がりがあり、近鉄大阪線の鶴橋駅近くには朝鮮
市場があって、ここは日本かと訝(いぶか)っていると、かつては
近くの工場のビルに「大日本印刷」と一際(ひときわ)大きく書か
れた看板が、「ここは日本だ!」とばかりにデカデカと掲げられて
いたが、なっ何と!そこも今ではパチンコ屋になってしまったらし
い。もともと近鉄鶴橋駅は、海のない大和地方の商人が鉄道を使っ
て鮮魚の買出しに来たことから魚の卸売市場ができ、その外れに朝
鮮市場も占めていた。かつては香辛料なのか馴染みの無い鼻を衝く
臭いに辟易したが、異文化として認知されると不思議なもんでそう
いうものかと慣れてしまった。更に、自動車の発達によって鉄道を
利用しなくてもよくなったことから廃れていった卸売市場とは対照
的に今ではコリアタウンとして広く全国に知られるまでになった。
おれの通う学校はそこから少し行った所にあって在日の生徒も多
く居たが、だからと言って別に何の問題もなかった。部活の部長も
在日の男だった。彼は本名を名乗っていたので疑いようもなかった。
おれより一学年上やったが歳は2コ上やった。父親は手広くパチン
コ屋を経営していた。それはおれが軽音楽部に入ると言うと、同じ
クラスの者が聞いてもいないのにどういう心算(つもり)なのか教
えてくれた。
ただ、彼がなぜ留年したのかだけは教えてくれなかった。それで
も凡その見当はついた。おれが彼と初めて会ったのは新学期が始ま
って一週間近く経ってからやった。つまり、彼はあまり学校が好き
ではなかった。放課後、音楽室でみんなから離れてギターを弾いて
いると、
「尾崎豊か」
後ろから譜面を覗き込んでそう言った。怪訝(けげん)に思って振
り返ると、
「部長のアンや、よろしく」
彼は随分大人びて見えた。男子の成長期特有の豚のような臭いがし
なかった。おれはすぐに女を知ってると直感した。高校生にとって
最大の問題はそれやった。進学を諦めた時に真っ先に頭に浮かんだ
ことは、女のことやった。進学の夢はすぐに「今年中に女とやるこ
と!」に変更された。それは競走馬の騎手が先走りする駄馬と折り
合いがつかずに手綱を持っていかれて御(ぎょ)すことが出来ない
様に、おれもわが身の事とはいえ、この例えから馬並みなどと勘違
いしないでほしいが、人馬一体とはいかなかった。先走る愛馬をな
だめながら、自分になのか馬になのかよく分からないが、硬く誓っ
た。
「あっ、ふっ古木です、よろしく」
あっ!おれのこの「古木」という名前は通名やから、よろしく。
「ごめん、邪魔した?」
「そっそんなこと、ありません」
「あのさ、ここでは自由にしてええから」
「はっはい」
「ただ、一つだけ決まりがある」
「はい」
「ここで敬語は使うな」
「えっ!」
「みんな仲間や、俺はアンちゃんて呼ばれてるが、呼び捨てでもか
まわん。ルールはそれだけや」
「自由に」というのは彼の口癖やった。それにしても礼儀にうるさ
い民族の血を受け継いだ彼が、敬語を使うなと言ったのが信じられ
なかった。彼の言ったことがすぐに理解できずに、例えばタメグチ
から後になって思いも拠らない反感を買う羽目にならないかとか、
そんなことを考えていたら、
「アンちゃん!ちょっとこっち来て」
向こうから副部長の南さんが躊躇うことなく彼を呼んだ。彼女は女
性ユニットのリードボーカルでドラムの生徒と何か言い合っていた。
その度にドラムとシンバルの音が部屋中に響いた。彼女は「アンさ
ん」と同じ学年だったが、彼と違って学校が好きだった。つまりこ
の部活は彼女でもっていた。彼が居なくなると、おれはヘッドホー
ンをして「アンちゃん」と心の中で、距離を置こうとする自分の思
いとどうしても馴染まない彼の呼び方に戸惑いながら、何度も繰り
返して、再びギターを抱いた。
「アンちゃん」と言いながら、その呼び方に「お兄ちゃん」とい
う意味も隠れていて、そっちを意識すれば年上の彼をそう呼ぶのに
抵抗がなかった。例えば、「アンさん」と敬語で呼べば、大阪で暮
らしたことのある人なら解かると思うけど、「何ゆうてはりまんね
ん」と、どうしても続けなければならない。「アンさん」には突き
放したニュアンスが隠れている。そんなことを考えていると敬語を
用いる徒(ただ)ならぬ意味、背後にあるヒエラルキー(身分秩序)
が垣間見えた。弱い犬が本能的に強い犬の前で仰向けになって腹従
するように、敬語には強い階級意識がある。敬語に縛られた議論か
ら立場を超えた自由な意見など出来る訳がない。我々の会話は敬語
の序列意識に囚われて、意見を交わすのではなく、ただ身分秩序へ
の忠誠を誓っているに過ぎない。敬語であれ礼儀であれ、それらは
身分秩序を守る為の重要なアイテムなんや。「自由に」が口癖の彼
は、権力や年功による序列秩序に否定的なのかもしれん。
アンちゃんは、中心街にほど近いマンションに一人で暮らしてい
た。もちろん親から援助されたものだった。彼が「自由に」生きれ
るのもそのお陰に違いなかった。ただ、アンちゃんは何故かおれの
ことを気に入ってくれて、自分の部屋に招いてお気に入りのボブ・
ディランや‘70代ロックを聴かせてくれた。その音楽はどう生き
ればいいのか悩んでいたおれの人生が初めて体験した物凄い衝撃や
った。
(つづく)