「バロックのパソ街!」 (三)

2013-01-21 03:19:21 | 「バロックのパソ街!」(一)―(五)



                  (三)



 大阪には百済(くだら)と呼ばれる地名が残っているくらい古来

より朝鮮半島との繋がりがあり、近鉄大阪線の鶴橋駅近くには朝鮮

市場があって、ここは日本かと訝(いぶか)っていると、かつては

近くの工場のビルに「大日本印刷」と一際(ひときわ)大きく書か

れた看板が、「ここは日本だ!」とばかりにデカデカと掲げられて

いたが、なっ何と!そこも今ではパチンコ屋になってしまったらし

い。もともと近鉄鶴橋駅は、海のない大和地方の商人が鉄道を使っ

て鮮魚の買出しに来たことから魚の卸売市場ができ、その外れに朝

鮮市場も占めていた。かつては香辛料なのか馴染みの無い鼻を衝く

臭いに辟易したが、異文化として認知されると不思議なもんでそう

いうものかと慣れてしまった。更に、自動車の発達によって鉄道を

利用しなくてもよくなったことから廃れていった卸売市場とは対照

的に今ではコリアタウンとして広く全国に知られるまでになった。

 おれの通う学校はそこから少し行った所にあって在日の生徒も多

く居たが、だからと言って別に何の問題もなかった。部活の部長も

在日の男だった。彼は本名を名乗っていたので疑いようもなかった。

おれより一学年上やったが歳は2コ上やった。父親は手広くパチン

コ屋を経営していた。それはおれが軽音楽部に入ると言うと、同じ

クラスの者が聞いてもいないのにどういう心算(つもり)なのか教

えてくれた。

 ただ、彼がなぜ留年したのかだけは教えてくれなかった。それで

も凡その見当はついた。おれが彼と初めて会ったのは新学期が始ま

って一週間近く経ってからやった。つまり、彼はあまり学校が好き

ではなかった。放課後、音楽室でみんなから離れてギターを弾いて

いると、

「尾崎豊か」

後ろから譜面を覗き込んでそう言った。怪訝(けげん)に思って振

り返ると、

「部長のアンや、よろしく」

彼は随分大人びて見えた。男子の成長期特有の豚のような臭いがし

なかった。おれはすぐに女を知ってると直感した。高校生にとって

最大の問題はそれやった。進学を諦めた時に真っ先に頭に浮かんだ

ことは、女のことやった。進学の夢はすぐに「今年中に女とやるこ

と!」に変更された。それは競走馬の騎手が先走りする駄馬と折り

合いがつかずに手綱を持っていかれて御(ぎょ)すことが出来ない

様に、おれもわが身の事とはいえ、この例えから馬並みなどと勘違

いしないでほしいが、人馬一体とはいかなかった。先走る愛馬をな

だめながら、自分になのか馬になのかよく分からないが、硬く誓っ

た。

「あっ、ふっ古木です、よろしく」

あっ!おれのこの「古木」という名前は通名やから、よろしく。

「ごめん、邪魔した?」

「そっそんなこと、ありません」

「あのさ、ここでは自由にしてええから」

「はっはい」

「ただ、一つだけ決まりがある」

「はい」

「ここで敬語は使うな」

「えっ!」

「みんな仲間や、俺はアンちゃんて呼ばれてるが、呼び捨てでもか

まわん。ルールはそれだけや」

「自由に」というのは彼の口癖やった。それにしても礼儀にうるさ

い民族の血を受け継いだ彼が、敬語を使うなと言ったのが信じられ

なかった。彼の言ったことがすぐに理解できずに、例えばタメグチ

から後になって思いも拠らない反感を買う羽目にならないかとか、

そんなことを考えていたら、

「アンちゃん!ちょっとこっち来て」

向こうから副部長の南さんが躊躇うことなく彼を呼んだ。彼女は女

性ユニットのリードボーカルでドラムの生徒と何か言い合っていた。

その度にドラムとシンバルの音が部屋中に響いた。彼女は「アンさ

ん」と同じ学年だったが、彼と違って学校が好きだった。つまりこ

の部活は彼女でもっていた。彼が居なくなると、おれはヘッドホー

ンをして「アンちゃん」と心の中で、距離を置こうとする自分の思

いとどうしても馴染まない彼の呼び方に戸惑いながら、何度も繰り

返して、再びギターを抱いた。

 「アンちゃん」と言いながら、その呼び方に「お兄ちゃん」とい

う意味も隠れていて、そっちを意識すれば年上の彼をそう呼ぶのに

抵抗がなかった。例えば、「アンさん」と敬語で呼べば、大阪で暮

らしたことのある人なら解かると思うけど、「何ゆうてはりまんね

ん」と、どうしても続けなければならない。「アンさん」には突き

放したニュアンスが隠れている。そんなことを考えていると敬語を

用いる徒(ただ)ならぬ意味、背後にあるヒエラルキー(身分秩序)

が垣間見えた。弱い犬が本能的に強い犬の前で仰向けになって腹従

するように、敬語には強い階級意識がある。敬語に縛られた議論か

ら立場を超えた自由な意見など出来る訳がない。我々の会話は敬語

の序列意識に囚われて、意見を交わすのではなく、ただ身分秩序へ

の忠誠を誓っているに過ぎない。敬語であれ礼儀であれ、それらは

身分秩序を守る為の重要なアイテムなんや。「自由に」が口癖の彼

は、権力や年功による序列秩序に否定的なのかもしれん。

 アンちゃんは、中心街にほど近いマンションに一人で暮らしてい

た。もちろん親から援助されたものだった。彼が「自由に」生きれ

るのもそのお陰に違いなかった。ただ、アンちゃんは何故かおれの

ことを気に入ってくれて、自分の部屋に招いてお気に入りのボブ・

ディランや‘70代ロックを聴かせてくれた。その音楽はどう生き

ればいいのか悩んでいたおれの人生が初めて体験した物凄い衝撃や

った。

                                  (つづく)   

「バロックのパソ街!」 (四)

2013-01-21 03:18:21 | 「バロックのパソ街!」(一)―(五)
 


                   (四)




 夏休みに入って早々、おれはアンちゃんに連れられて大阪城公園

でデビューすることになった。始めは恐る々々だったが、徐々に抑

圧してきた様々な感情が音楽という出口を見つけて一機に噴き出し、

熱い思いは無為を憩う人々にも伝わって、日に々々聴衆も増えてい

った。

「ギター上手(うま)なったな」

アンちゃんも上達を認めてくれた。そして何よりも歌うことから自

信が生まれて日常会話も殆んど吃らなくなった。やがて常連のファ

ンが出来て、硬く誓った夢もあっさりと成し遂げた。

 ライブの後、アンちゃんの部屋にファンの娘らを呼んで和みながら、

その時初めて酒を飲まされてすぐに朦朧(もうろう)となって意識を

失い、気が付けばおれの愛馬に見知らぬ女が跨(またが)って腰

を揺すっていた。

「あっ、あんた、誰?」

「あんたのファン」

そう言ってくちづけをしてきた。すでにおれは愛馬の手綱(たづな)

すら操れず馬なりに任せるしか術がなかった。何度も言うようだが、

この例えからおれが馬並みだと決して勘違いしないでもらいたい。

そして今度は酔いとは違う別の快感から再び意識が虚ろになって

果てた。

「せやかて寝てんのに立ってんねんもん」

萎えた愛馬を撫でながら見知らぬ女はそう言った。

 後になって、それはアンちゃんが仕組んだ事と判った。以前、一

緒にНビデオを見ている時、おれは、自分の鳩小屋では見れない

大型画面に映し出される官能の場面を、アンちゃんの呼び掛けに

耳も貸さず鼻血を垂らさんばかりに喰らい着いて見ていたらしい。

ただ、鼻血は出さなかったけど。

「どうやった?あの女、やさしいしてくれたか?」

「えっ!なんで知ってんの?」

「アホっ!俺のベッドやぞ」

「酔うて何も覚えてへん」

「なんて言いよった?あいつ」

「おれのファンや言うてた」

「確か、俺にもそう言うたわ」

彼女はアンちゃんの使いさしやった。それでも彼女とは馬が合う

と言うのか、例えがちょっと違う?つまり、反りが合うというのか、

これもおかしい?要するに何度かおれの愛馬の調教をして頂い

た。彼女はおれの右腕にはなれなかったが、右手の代わりには

なった。

 その夏に、おれは酒も知りタバコも知り、今では許されないが怪

しいタバコも知り、そして調教も万端に整って、やがて大人達が競

い合う本馬場へ放たれようとしていた。

 まもなく夏休みが終わろうとする頃、彼の部屋で二人で寛ぎながら、

「アンちゃん、卒業したらどうすんの?」

彼は長男で、パチンコ屋の跡を継ぐ為に親から強く進学を勧められ

ていたが、ただ、この夏休みも受験勉強などしたことがなかった。

「どうしようか」

「跡継がなあかんねんやろ」

「アホっ!パチンコ屋だけは絶対しとうない言うてるやろ」

「何で?」

「何でかな?とにかく厭や」

「ほんだら何するの?」

彼は少し間を空けてから、

「卒業したらアメリカへ行こと思ってる」

それは何も驚くことでもなかった。彼は普段からその夢を語ってた。

そして親は必ず反対するからと親の援助を当てにせず、路上ライブ

で稼いだ金を少しずつ貯めていた。だから彼が歌う曲は洋曲ばかり

だった。

「アメリカで金に困ったら歌で稼がんとあかんやろ」

彼の「自由に」の口癖はアメリカへの憧れからやった。

 管理された受験競争から早々と脱落してしまった不安を、夏休み

にアンちゃんと「自由に」過した日々が忘れさせてくれた。それは

この道しかないと教え込まれた者が、その道を見失って途方に暮れ

て道遠し時、笑いながら現れた救い主に別の道もあることを教えら

れた思いやった。もちろん「自由に」生きれるほど呑気な社会では

ないが、だからといって受験、就職、出世と何れも競争と呼ばれる

仕組まれたレースを競うことが不安のない生き方だとも言えない。

教え込まれた生き方がそれに耐えて従う辛苦に報いるだけの生きる

歓びを齎(もたら)してくれるんやろうか。不安は消えてなかった、

しかし不安に張り合うだけの自信が生まれた。その自信とは、他人

に委ねた評価から得る自信ではなく、自分の生きる力から生まれて

くる自信やった。つまり、集団から取り残されて全てが自分の判断に

委ねられた大きな不安こそが自信の源だった。

                                  (つづく)

「バロックのパソ街!」 (五)

2013-01-21 03:17:26 | 「バロックのパソ街!」(一)―(五)


                     (五)



 二学期になると三年生は進路準備の為、クラブ活動から身を引く。

次は二年生が中心になって回って行くことになる。新しい部長は恒例

で辞めていく部長が指名することになっていた。アンちゃんはおれを

指名しようとしたが、おれは頑(かたく)なに拒んだ。

「もうそういうのん止めへん」

「どういうことや?」

「辞めていく者が口を挟むの」

「アホっ!俺は何も口を挟もうなんか思とらんわい」

「そら知ってる。ただ、そういう古いきまりを尽(ことごと)く

潰していってくれへん、アンちゃんが」

「ほぉう、なるほど」

「部員が新しい部長を『自由に』選べるように」

「そらそうやな」

 始業式が終わって三年生を送る会が催された。三年生が前に出て

順に別れの言葉を述べ、最後に南さんとアンちゃんが引き受けた。

そしていよいよ次の部長の名前を呼ぶ段になってアンちゃんは、

「本来ならここで次の部長を指名するねんけど、居なくなる者が残

った者につまらんチョッカイするのもおかしな話しなんで、君たちの

リーダーは君らが自由に決めるべきや、自由に」

言い終ると一瞬音楽室は静まり返ったが、おれが拍手をすると徐々

に拍手の波が広がった。椅子に腰を下ろしていた顧問の先生は慌て

て立ち上がって、

「みんな!ほんとにそれでいいの?」

すると全員が大きな拍手を返した。その後、顧問の先生が仕切って、

後日投票による部長選びが決まった。最後にみんなで一緒に校歌を

歌って終わった。

 新しい部長にはピアノの女生徒が選ばれ、彼女はおれを副部長に

指名した。おれは快(こころよ)く引き受けた。

 アンちゃんと雖(いえど)も、例えアメリカへ行くにしても、ア

メリカ村で金髪ギャルをナンパするような訳にはいかなかった。

「ヤバイっ!ちょっと英語勉強するわ」

そう言って英会話の教室に通い始めた。おれはあの眩しかった夏

の余韻から抜け出せないまま深まる秋をやり過ごした。しかし、

夏の陽を浴びて青々と繁っていた木々の葉が、少しずつセピア色

の枯葉に変わって一枚一枚落ちていく様に、夏の日の情景も一枚

一枚記憶から失われて、気が付けば残す月がなかった。

 三年生が抜けた後の部活は、収まりの良くない脱水機のように

ギクシャクして思うように回らなかったが、年末が近づくと音楽

をするものは何かと忙しくなって、収まりの悪いまま勢いよく回

り始めた。しばらくアンちゃんとは会えなかったが、おれは遊び

すぎて再び留年の危機を迎えてしまった、彼は親との話し合いの

結果、アメリカの学校へ留学することで承諾を得た。クリスマス

には彼の部屋に集うことが決まっていた。

「おいッ、彼女連れて来いよ!ベッド貸すから」

 下校の途中、用も無くよく遠回りしてコリアタウンに足を運ん

だ。それは明かりの灯らない鳩小屋へ一人戻りたくなかったから。

街はイルミネーションが灯り年末を控えて賑やかだったが、金融

危機の影響から華やかさが鳴りを潜め、いつもの年末とは違って

いた。

 雨は夜更け過ぎになっても雨のままやった。お呼びの掛かったパ

ーティー会場を梯子して2,3曲歌って、それからアンちゃんの部

屋に辿り着いたのは夜更け過ぎやった。十名余りの男女がアンちゃ

んの歌を聴いていた。アンちゃんはその歌を途中で止めて、

「遅っそいの―、来(く)んのん。おいッ!お前、彼女は?」

「無理!無理!」

「何じゃ!情けない奴っちゃな」

「許してチョンマゲ!」

「よしッ!ほんだら今から外でナンパして来いッ!」

部屋の隅にはシャンパンの空瓶が何本も転がっていた。

「アンさん!何言うてはりまんねん、外は雨で猫も歩いてへんわ。

トナカイもソリが重たい言うて難儀しとったで、滑らんわ―言うて」

「あれなっ!一回止まったら次なかなか動かへんねんって、もう

ええわ、アホっ!」「判った!ほんだら、もうこの中から好きな

女選べ、俺からのクリスマスプレゼントや」

大概はアンちゃんの「使いさし」やった。アンちゃんの独演会は

さらにノッテきた。

「よしッ、みんな目をつぶれ!ええか、今晩こいつと寝てもええ

奴、ゆっくり手を挙げろ!」

「誰や!手あげてる男!」

「おいッ!皆かいっ」

「ほんだら今度、俺と寝たい奴、手を挙げろ!」

「ワッ!誰も居れへんの、何で?」

「俺、大きな勘違いしてたわ。みんなお前来(く)んの待ってたんやわ」

「あの―、ものは相談やけど、誰でもええから一人貸してくれへん?」

そこでおれが、

「アカン!お前はおもて行ってトナカイでもナンパしとれ!」

「そらアカンは、あんた、サンタさんが怒るもん」

「そないサンタクロースいうのはウルサイんか?」

「そらぁ、あんた!相手がサンタクロースだけに説得するのに、

散々苦労する」

おれとアンちゃんは一緒に頭を下げて、

「失礼しました!」

皆は大きな拍手で迎えてくれた。そして、

「メリークリスマス!」

みんなが、

「メリークリスマス!」

 パーティは盛り上がって明け方まで続いた。

                                 (つづく)

「バロックのパソ街!」 (六)

2013-01-21 03:13:02 | 「バロックのパソ街!」(六)―(十)



               (六)




 新年がいい年になりますようにと、バブル経済の破綻による将来

への不安から誰もが一際(ひときわ)強い想いで初日の出に祈ったが、

そんなことを知ってか知らずか去年の昨日と同じ朝日は、家々が犇

(ひし)めき合う屋根の端から、排気ガスが消えた都市の澄みきった

青空に鮮血のような朱色を滲ませた。

 冬休みが終わると、おれは追試が待っていたので、新年早々、早

くこの年が終わってくれないかと願いながら、三ヶ日を鳩小屋にこ

もって勉強していた。二人で大空を自由に翔んだアンちゃんとはあ

のクリスマス・イブ以来会えなかった。いや、実は、もう二度と会

えなくなってしまった。

 三ヶ日が終わっていたる所の機械のスイッチがオンに切り替わっ

た日の朝、缶コーヒーを取りに台所へ行くと、母がソファに体を預

けて夢を見てる横で、家庭の空気を読めないテレビが現(うつつ)を

伝えていた。ニュースは新年の東京の街の様子を中継して、その後、

今年の景気はどうなるかと専門家に聞いていた。おれは母の向かい

に腰を下ろして缶コーヒーの蓋を開けた。コーヒーを飲んでぼーっ

とテレビを見ていたので、今年がどんな年になるのか聞き逃したが、

聞いたからと言って何の役にも立たなかった。そんなものは週が変

われば誰も忘れてしまうだろ。テレビは社会の非日常を伝える為に

在る。その為に普段は退屈な日常を伝えているのだ。ニュースは大

阪で起きた殺人事件に切り替わった。今や殺人でさえ日常なのだ。

 ところが、

「府下に六店の遊技施設を経営する囗山囗雄さん72歳が自宅の居

間で血を流して死んでいるのを帰宅した家族が見つけ、警察に通報

しました。警察は殺人事件として犯人を捜しています」

アンちゃんの実家だった。殺されたのはアンちゃんのおじいさんに

間違いない。さらに、

「なお、被害者の孫に当たる高校生、安囗囗19才が一人で暮らす

マンションで首を吊って自殺しているのが警察の調べで分かりまし

た。警察では関連を含めて捜査しています。」「次のニュースです

・・・」

 「あっ!アンちゃんだ!」

 いったい何が起こったのか全く解からなかった。すぐに電話を掛

けたがやっぱり繋がらなかった。学校に掛けてもダメだった。バタ

バタしていると母が目を覚ました。

「何があったの?」

「うん、ちょっと出てくる」

おれはチャリを漕いで正月気分が残る街を抜け、ひたすらアンちゃ

んのマンションを目差した。しかし、マンションのある通りは通行

規制のテープが引かれ警官が立ってた。それを見て愕然としたが、

アンちゃんの名前を言って確かめても警官は何も答えなかった。

仕方なく遠くで眺めてるオバちゃんに聞くと、アンちゃんに間違い

なかった。居た堪れなくなってすぐにチャリを押してそこを離れた。

「いったい何があったんや」

何度も呟きながら何処へ行くとも無くチャリを漕いだ。気が付くと

大阪城公園に着いていた。知った者に会いたくなかったので馴染み

の城天(しろてん)には行かず、アンちゃんと一緒にライブやった場

所を遠くから眺めていた。正月休みやからか多くのミュージシャン

が人々の心に愛を訴えかけていた。

 ただ、どの歌もおれの耳には届かなかった。愛という言葉に虫唾

(むしず)が走った。

 留年は確定的だった。全く勉強する気にならなかった。ベットに

仰向けになってアンちゃんのライブ録音を何度も聴いていた。

 間もなく警察は、お祖父さんを殺害したのは自殺したアンちゃん

と断定した。事件は三日の昼過ぎに起きた。ただその動機がはっき

りしない。実家にはお祖父さんとアンちゃんだけが残されて、その

二人共死んでしまったからだ。お父さんは年末から仕事(パチンコ屋)

が忙しく各店を駆け回り、お母さんと妹(妹がいた)は来客が帰った

後、介護施設に寝たっきりの伯母さんを見舞っていた。そんな時に

アンちゃんが実家に戻った。そこで何らの諍(いさか)いがあったの

かもしれない。

 次の日の朝、母が届いたばかりの数枚の年賀状を見ながら、

「何っ!これっ、変な年賀状。名前がないわ、あんたに」

そう言って中から一枚だけをおれに寄こした。アンちゃんからやっ

た。驚いた。恐らく首を吊る直前に書いたんや。字が震えて乱れて

いた。

  「自由をしばるものを許すな

  序列秩序をぶっ壊せ  

  これは革命や  反儒教革命や

  自由をおそれるな 勇気をおそれるな

  おまえといっしょで楽しかった

  ありがとう 古木 」

「死んだら革命にならないよ、アンちゃん!」

 アンちゃんの葬式はお祖父さんとは別に身内だけでひっそりと行

われようとしていた。儒教道徳を尊ぶ朝鮮民族の人々にとって、直

系の祖父を殺めるという行為は民族そのものを貶める行為だった。

告別式には同窓生や部活の生徒も並んだが、おれは行かなかった。

告別式とは別れを告げる場所なので、アンちゃんに別れを告げるつ

もりは無かった。そして思ったとおり留年が決まった。母に言った

ら、もう何も言わなかった。ただ自分の学費は週末の路上ライブで

稼いでいた。城天(大阪城公園の路上ライブ)にはアンちゃんのファ

ンだった者が同情を持ち寄るので行かなかった。学校もあまり行か

なくなった。同じ授業をもう一度受けるのがこんなに退屈なもんだ

とは思わなかった。生徒に人気のある先生は、去年の生徒が笑った

ところで同じ冗談を言った。彼はきっと二十数年同じところで同じ

冗談を言ってるのだ。何れ教師というのはコンピューターに代わる

に違いない。そうなればわざわざ登校する必要も無くなるだろう。

おれは少し早く生まれ過ぎたんだ。ただ、母が「高校ぐらいはちゃ

んと出ときなさい」と、うるさく言うので仕方なく登校した。教室

の机に座って、アンちゃんが最後に書いた年賀状を見ながら、彼が

言った「反儒教革命」の意味について考えていた。

 随分たってから、アンちゃんのお母さんから電話があって、息子

の事について何か知らないかと聞いてきた。年賀状のことを話すと、

ぜひ見たいというのでそれとアンちゃんが残したものを持って会い

に行った。

                                   (つづく) 

「バロックのパソ街!」 (七)

2013-01-21 03:12:00 | 「バロックのパソ街!」(六)―(十)
 


           (七)




「息子の部屋知ってます?」

「ええ」

「そこでいいかしら?」

「はっ、はい」

 まさかアンちゃんが死んだ部屋へ呼び出すとは思わなかったが、

おれもなぜ彼がそんなことになったのかその一端でも知りたかった

ので従った。

 信仰など持ち合わていなかったが、心の中で手を合わして部屋に

入った。シャンパンの空き瓶が転がっていた部屋はきれいに掃除さ

れて、まるで別の部屋のように広くなっていて、改めてアンちゃんと

一緒に居た時の乱雑さを思い知らされた。奥の部屋には白布の掛

けられた台の上に遺影が置かれてあった。おれは進んでそこに跪

(ひざまず)いて笑ってる彼の遺影に、お母さんの目を気にしながら

心のない合掌を済ました。ただそのあと悔やみの言葉など用意し

てなかったので言葉が出てこなかった。するとお母さんが、

「そこで死んでたんですよ、あの子」

そう言われて思わず怯んだ。上を覗くと隣の部屋と境に梁があった。

おれは早速アンちゃんから送られてきた年賀状を渡した。

「ごめんなさいね、わざわざ持って来て頂いて」

「いいえ、それからアンちゃんのライブのCDとビデオです」

「やっぱりそうなんや」

お母さんは年賀状を見ながらそう呟(つぶや)いた。

「いったい何でそんなことになったんですか?」

「あの子のものを整理していたらあなたの名前と電話番号があった

ものですから、ごめんなさいね、電話なんかかけて」

「いいえ」

お母さんはおれの問い掛けには答えなかった。いつの間にか彼女の

後ろから少女が現れた。

「こんにちは」

そう言って頭を下げた。アンちゃんから5コ下の妹がいるのは聞い

ていた。お母さんが慌てて年賀状から目を離して、

「あっ、良子です、あの子の妹です」

「こんにちわ」

おれはお母さんにそっくりの妹に頭を下げた。彼女はコンビニのレ

ジ袋から缶コーヒーを出して、

「はい、これ」

おれは軽く頭を下げてそれを受け取った。お母さんは年賀状を娘に

差し出した。そして、

「あの子、前にも死のうとしたことがあったんです」

お母さんは小さな声でそう言った。

「えっ!どうして死のうと思ったんですか?」

「それがね、よく解からんのやけど、突然そんなことを言い出して、

反抗期かもしれんけど」

「ええ」

「あれは、高校に進学したばかりの頃だったかしら、お父さんは仕

事で居なかったんですが、みんなで夕飯を食べていると、多分テレ

ビのニュースだったと思うんですけど高校生の自殺を伝えていて、

お祖父さんが『親の心子知らずだ』と言ったら、あの子、別に子供

は親の為に生まれてくる訳やない、と言ったんですよ・・・」

 お母さんの話を引き継ぐと、

そうするとお祖父さんが血相を変えて怒り出して、

「お前は親を馬鹿にするのか!祖先に感謝せんのか!」

と、すると彼は、

「親には感謝はしてるが、家系に縛られて生きとうない。犬じゃあ

るまいし、自由に生きたい。もしも祖先の為に生きなアカンねん

やったら、きっと俺は間違うて生まれてきたんや。自分の思うよう

に生きられへんねんやったら、明日にでも死んだるわ!」

すると、お祖父さんは、

「何をっ!この親不孝者がっ!おおっ、死ねるもんなら死んでみい」

そこで、おれは思わず口を挟んだ。

「そっ、それで、自殺したんですか?」

「ええ」

するとそれを聞いていた妹が、

「違うよ!」

と叫んだ。

「お兄ちゃんは、前から死にたい言うてた」

「えっ!」

 妹によると、彼はいつも、

「生きることは大体解かった、ただ、死ぬことがよう解からん」

そう言っていた。彼女が、

「それでも何時か人間は死ぬやん」

と言うと、

「生きてるうちに死ぬことが解からんと意味がないんや。死んでか

ら生きる意味が解かっても間に合わんやろ。それと同じや」

 つまり彼は、無意識のうちに生まれてくる人間は、意識を獲得し

た後に今度は自らの意思で、もう一度生きるかそれとも生きない

かの決意をしなければならない。ところが死ぬとはどういうことな

のか全く認識できない。そこで、

「いっぺん死んでみんと解からん」

そう言って、彼はゴミ袋を被って呼吸困難に陥り、意識不明になっ

て窒息死寸前で妹に見つけられて一命を取り止めた。意識を取り

戻した彼は、

「仕方ない、生きるわ」

そう言った。その後、入院や治療の為半年あまり学校を休んだので

留年することになった。ただ、それからの彼は人が変わったように積

極的になった。

 お祖父さんは、戦後の廃品回収業から身を起こして、一代で資産

を築き上げた人だった。そのワンマン経営は経済の膨張に伴って時

流に乗り、パチンコ屋を皮切りに不動産や飲食店、一時はゴルフ場

にまで手を出していた。ただ、今回のバブル経済の破綻によってそ

れらの多くを失い、それを機に事業を息子に引き継いで引退した。

とは言っても、経営を任されたアンちゃんのお父さんは、彼の承諾

が無ければ自分で何一つ決められない肩書きだけの社長だった。

 以上は、漏れ伝わってくる風聞に関心を寄せて集めた噂話だが、

もちろんそれ以外に、くちさが無い世間では眉をしかめる人と為り

を敢えて吹聴する者も少なからずいた。その中で気になったのは、

真偽は量りかねるが、アンちゃんのお母さんは日本の人だというこ

とだった。

「あれはイカサマ商売や」

アンちゃんはパチンコ屋を嫌っていた。その矛先は、係属や身内の

繁栄しか願わない狭義の序列に拘る儒教道徳へ向けられた。

「俺たちはパチンコ玉なんや。儒教道徳という箱が無かったらバラ

バラになってしまうんや。個性や意思を削られ礼儀や敬語に浸けら

れて、気が付いたらツルッツルのパチンコ玉にされて、自分の力で

は生きられずに、頭を下げて箱の中に戻っていくんや」

アンちゃんの言葉を思い出したが、それは今の日本の現状とも重

なった。誰もが箱の中ばかり見て、箱の外を見ようとしない。我々

は箱の中でしか生きられないのだ。儒教道徳の最大の欠陥は身

内の秩序ばかりに拘るその排他性にある。我々の理想は過去に

こそあって、過去に理想を求める限り未来は破滅への道でしかな

い。未来に希望を求めるならば過去ばかり振り返って後ろ向きに

歩いてはいけない。そして我々が儒教道徳に洗脳されたパチンコ

玉である限り、従って日本は元より韓国も中国も、更にアジアさえ

決して一つにはなれないだろう。

 突然、妹の良子ちゃんが、

「お兄ちゃんが好きやった曲、弾いてくれへん?」

「ごめん、ギター持ってきてへんわ」

「お兄ちゃんのがある」

そう言って遺影の台に立掛けてあるギターを持ってきた。

「何がええ?」

弦のチューニングをしながら聞いた。すると彼女は、

「イマジン!」

彼がライブの最後に必ず歌う曲だった。

「良子ちゃん、そんなん好きなんか、よしわかった」

おれはアンちゃんの遺影の前に座ってギターを弾いた。

  Imagine there's no Heaven      想わへんか、  
  It's easy if you try          あの世なんか無い
  No Hell below us           ただ空と大地があるだけやって
  Above us only sky          想わへんか、みんな
  Imagine all the people          今を生きてるだけやって   
  Living for today...       
  

  Imagine there's no countries     想わへんか
  It isn't hard to do           国なんかなかったら
  Nothing to kill or die for        殺しあう必要もないし
  And no religion too          神さんもいらんって
  Imagine all the people        想わへんか、みんな
  Living life in peace          楽しく生きてるだけやって

  You may say I'm a dreamer    夢みたいって言うけど 
  But I'm not the only one      俺だけとちゃうって
  I hope someday you'll join us   皆がそう想ったら
  And the world will be as one    きっと世界は一つになれるって

  Imagine no possessions         想わへんか       
  I wonder if you can          何も要らんてスゴイって
  No need for greed or hunger     奪ったり失くしたりせんでも 
  A brotherhood of man        誰もが仲良くなれるって
  Imagine all the people        想わへんか、みんな
  Sharing all the world         世界は誰のもんでもないって
                            
  You may say I'm a dreamer     夢みたいや言うけど
  But I'm not the only one       俺だけとちゃうって
  I hope someday you'll join us      みんながそう想ったら
  And the world will be as one      きっと世界は一つになれるって

   「IMAGINE」by JOHN LENNON   「なぁ想わんか」byアンちゃん 

 妹も、そしてお母さんも一緒に歌ってくれた。そして、

遺影のアンちゃんも笑いながら一緒に歌っていた。

                                   (つづく)