「バロックのパソ街!」 (八)

2013-01-21 03:09:10 | 「バロックのパソ街!」(六)―(十)



                 (八)




 お母さんによると、アンちゃんのアメリカ留学をお祖父さんには

知らせてなかった。長男であるアンちゃんが事業を継いでくれると

期待していたお祖父さんにそのことを言い出せなかった。アメリカ

へ行かせると言えば理由も聞かず反対するだろう。お祖父さんは「

異」邦人という邦人社会から見棄てられた厳しい環境の中で、同胞

と悔しさを慰め合いながら生きてきた。明るい話しは全て日本人の

もので、反して自分達は今日明日をどう凌ぐかが精一杯だった。し

かも「自由」を夢見た多くの同胞は無残に散った。「生きるとは不

自由なことである」そして「自由などというのは不自由の中でしか

生まれない」つまり「不自由を乗り越えない限り自由にはなれない

のだ」そのことをどうしても孫のアンちゃんに伝えたかった。

 アンちゃんはアメリカ留学の手続きの為実家に帰ったのだ。二人

でどんな言い争いがあったのか解からないが、自由を主張するアン

ちゃんと一族の秩序を重んじ独断を押し付けてくるお祖父さんとの

確執は以前から高まっていたという。彼は祖先を敬う儒教思想を、

「猿を崇める」

と言った。

「だから俺たちは進化しないんや」

更に、アンちゃんはパチンコ屋という事業を嫌がっていたので汚く

罵ったかもしれない。

「イカサマ商売!」

お祖父さんは一族を支え今の暮らしをもたらした仕事を貶されたこ

とに耐えられなかっただろう。更に、自分達の置かれた環境も考え

ず、殊更「自由」を口にする孫を嗜(たしな)めたに違いない。そし

て、

「アメリカへは絶対行かせない!」

 人を殺す者の心理は、優れた推理小説といえども正しく描写され

た例(ためし)が無いし、況(ま)しておれには察することさえ敵わず

、ただ、その結果だけが現在する。アンちゃんは少年時代のバット

を持ち出して、お祖父さんの頭部を数回殴った。お母さんと妹が戻

ってきた時、妹は居間に散らばった黄色いかしわ(鶏肉)の脂肪の

ようなものを何だか解からずに指で触った。そして奥の部屋で眠っ

ているお祖父さんの頭から大量の血が流れていることに気付き、

割れた頭部からはみ出した脳漿を見て、さっき指で触れたのはお

祖父さんの脳みそだと知って大声を上げた。お祖父さんの身体は

アンちゃんが布団まで運んだと思われる。それが結果だった。

「お祖父さんの脳みそ触っちゃった。まだ感触が残ってる」

妹は指を見ながらそう言った。

 お母さんと妹の話しを聞いて、おれが推理した事件の顛末である。

アンちゃんの遺影に別れを告げた。

 間もなくしてアンちゃんのお父さんは日本へ帰化された。

 時代は明かに変わろうとしていた。しかし、この国は相変わらず

古い政治、古い道徳、古い価値を守る為に、古い人間が支配して

いる。新しい時代は古いシステムを破壊しなければ生まれない。

失敗を恐れて服従していては何も変わらない。明治維新は力のな

い下級武士の若者たちによって成し遂げられたのだ。我々は、今

一度この国を「せんたく」せねばならない。

 おれは、アンちゃんの残した「反儒教革命」を実践することを彼

の遺影に誓った。それには学校が絶好の実験室だと思った。そうす

れば、退屈な授業にも少しは付き合ってられるかもしれない。恐ら

く学校の秩序を乱すことになると思うが、「革命」なんだから仕方

ない。そうは言っても、同士を募って徒党を組み圧力を行使して「

序列秩序」の糾弾をしようとは思っていない。それは納得のいかな

い譲歩は必ず反発を招き、結果断絶に至ることは安保闘争から明か

だ。これは「たった一人の反乱」である。その反乱を企てる根拠と

なる思想は、日本国憲法第三章第14条における「法の下の平等」

に沿って行われる。つまり第1項に謳う、「すべて国民は、法の下

に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、

政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」に依る。

未成年と雖(いえど)も国民の一人である。つまり、これは憲法に則

った順法闘争なのだ。挨拶や敬語を疎かにしたからといって憲法に

反さない。否、それどころかそういう言葉による階級差別こそ憲法

違反なのだ。弱年者のみに礼儀や敬語を強いるのは「法の下の平等」

に反する、謂わば不道徳な習慣なのだ。何だか気持ちが昂ぶってき

た。まず最初に決めたことは次の二点だ。

 ①敬語を使わない。但し丁寧語は用い、相手を蔑む言葉は

  厳に慎しむ。

 ②礼儀は年功序列を慮(おもんぱか)らず、徒(いたずら)に謙(へ

  りくだ)らず、常に平等を重んじる。

つまり飽くまでも「平等」に拘り、人が年功を理由に私(おれ)の上

に立つことを認めず、同じ理由によって私(おれ)が人の上に立つこ

とも認めない。それでも対等の関係が損なわれる時はその都度修正

することとする。

 以上が私(おれ)自身に誓った私(おれ)の「反儒教革命」の宣誓文

である。

 先行きを危ぶむかのように満開の桜を散らす妬み雨の中、新入生

を校門で見守る生活指導の北森「先生」に、あっ違う!北森「さん」

に、自転車を降りて、早速、

「お早う御座います」

と言ってしまい、更に深々と頭を下げてしまった!すると、

「遅いぞ!」

と上から頭ごなしに言われて、「わが闘争!」は改革の端緒から躓

(つまずい)いてしまった。

「くそっ!」

そこで早速アンちゃんの言葉を自分に言い聞かせた。

「自由をおそれるな!、勇気をおそれるな!」

 桜花舞い散る自転車置き場に着くと意思を通せなかった無念の想

いが込み上げて来た。すぐに授業の始まりを告げる予鈴が鳴った。

「このままではアカン!」

そう思って、おれはもう一度北森「さん」がいる校門へ歩いて行き、

校門の柵を閉めようとしている彼の背後から、

「北森さん、おはよう!」

と意を決して叫んだ。すると彼は意外にも、

「おはよう」と、

背中を向けたままおれの挨拶に応えた。彼はおれを誰かと間違えた

のだ。それは彼が振り返っておれを見るなり、

「何じゃお前は!」と、

吐き棄てるように言ったことから推理できた。

「もう授業が始まっとるやろ!」

おれは、

「知ってますよ、北森さん」

「はあ?お前は『先生』と言えんのか」

「ははっ、自分から『先生』と呼べとは恥ずかしくないですか?」

「なっ何やとっ!」

北森さんは真っ赤になっていた。

「あっ!もう授業が始まるんで。ただちゃんと挨拶しようと思った

だけですから」

そう言ってから走って教室へ逃げ込んだ。

 先に生まれた先生たちは只管(ひたすら)名分に拘り、後から生ま

れた後生たちに序列や身分の弁(わきまえ)えを押し付けて、自らは

その社会的優位な立場に安心するが、しかし時代は変わったんや。

身分や肩書きだけのヒエラルキー(階級制度)社会は自壊したんや。

                                   (つづく)

「バロックのパソ街!」 (九)

2013-01-21 03:07:35 | 「バロックのパソ街!」(六)―(十)
 


                (九)



 敬語と虚礼を廃すというおれの反儒教革命は、宛(さなが)ら緊迫

した「言語ゲーム」だった。言葉はただ意味を伝える為だけにある

んやなかった。かつて我々が言葉を持たないサルだった頃、叫び声

や仕草によって仲間を確かめたように、言葉の共有は価値の共有を

生み、価値の共有が共同体を創った。ところが、おれが敬語を使わ

無くなっただけで途端に対話がギクシャクして、言葉の共有が失われ、

たとえ価値を共有していても共同体はおれを疎外するようになり、や

がておれの言葉に誰も耳を貸さなくなった。おれが教室で「石板をもっ

てこい!」と叫んでも、譬え級友がその言葉を理解出来たとしてもても、

もちろん「セキバン」を持って来させる理由が理解されないだろうけど、

しかしそこにたまたまセキバンが在ったとしても誰も石板を持って来よ

うとはしなかった。つまり、共同体の中では、言葉はその意味よりも誰

が言ったのかが重要なのだ。やがておれは学校という共同生活の中で

言語を共有しない「他者」として疎んじられた。おれの反儒教革命はま

さに「命がけの飛躍」となった。

 儒教道徳において敬語や虚礼は専ら階序の低い者に強いられる。

そして言葉とはその社会システムの反映に他ならない。つまりこの

国は依然として階級社会のままなのだ。肩書きとは単なる職分では

なく身分なのだ。

 おれが教師と同じように「お早う」と挨拶をすれば、彼らは間違

いなく無視をするだろう。つまり、おれがいくら平等に拘っても敵

わないのだ。そこで、おれは一旦「お早うございます」と敬語で挨

拶を交わして、教師が仕方なく「お早う」と言った後に、すかさず

もう一度おれが「お早う」と敬語を使わずに言い返した。すると、

この試みはおれの立場を一転して優位にした。生徒が「お早うござ

います」と敬語で挨拶しているのに教師は無視するわけにはいかな

かった。すると彼らは「はい、お早う」と挨拶の前に必ず「はい」

を付けて挨拶した。そしてこの「はい」こそが、生徒とは立場が異

なることを暗に伝える彼らの安っぽい矜持に他ならなかった。彼ら

は生徒の挨拶に対等に応じられず、一旦「はい」とはぐらかしてか

ら挨拶を交わした。だが、その時はおれも同じように「はい、お早

う」と言い返してやった。愛国主義者の、従って社会主義者の、社

会主義の対語は個人主義である、従って愛国主義もまた社会主義者

と同じ穴の中で暮らす生き物なのだ、山口という熱血体育教師は歯

茎を覗かせて怒りを顕わにした。

 おれが、「お早うございます」と言う。

すると熱血体育教師の山口が、「はい、お早う」と応える。

すかさずおれが、「はい、お早う!山口さん」と言い返す。

彼は「何じゃお前は!ふざけるな」と怒鳴った。

 このように言語とは、特に複雑な敬語を使う儒教道徳に縛られた

社会の言語は、単に意味を伝える手段としてだけあるばかりでは無

く、詰まらないことだが、階序を確認する為の手段なのだ。

 敬語を使わないというおれの「命がけの飛躍」は、本来の「言語

ゲーム」である「他者」同士が対等の立場で互いに自己を主張する

均衡した言葉の交換が蘇った。儒教思想とは、均衡の不安に耐えら

れない者が安定を図る為に身分の低い者に自己放棄を迫る思想なの

だ。何故なら人間関係に於いて均衡ほど不安定なものはないから。

                          (つづく)          

「バロックのパソ街!」 (十)

2013-01-21 03:02:17 | 「バロックのパソ街!」(六)―(十)



                (十)




 ある日の放課後、北森「教師」に、おれはもう「先生」という曖

昧な敬称は遣うまいと決めた、否、そう呼んであげると満更でない

人にだけ、従ってその人を蔑む時にだけ遣おうと決めた、その北森

さんに職員室へ呼び出されて、乱暴な言葉遣いを注意された。それ

は彼がおれの担任やったから。彼はまだ教師に成り立ての青年やっ

た。

「どうしたんや?最近お前ことば遣いおかしいで」

「実は・・・」

おれは憲法まで持ち出して自分の反儒教革命を説明した。

「・・・おかしい思わへん?何かおれたち道徳に去勢されてるって

感じものすごいするわ」

「福沢諭吉でも読んだのか?」

「福沢諭吉?あの『学問のすヽめ』の?」

「そうっ、一万円札になってる福沢諭吉や」

「いやっ、別に読んでないけど」

「何や知らんのか?」

「教科書に載ってたけど、それ以上は知らん」

すると北森は腰を浮かして、机に積み上げた書類や本の中を探し始

めた。そして、

「在った、これや!」

そしてその文庫本をおれに差し出した。

「いっぺん読んでみ」

そう言って『学問のすヽめ』をおれにすヽめた。

「先生、あっ違う!北森さん、持ってんの?」

「アホっ!曲りなりにも俺は教師やぞ。教師が『学問のすヽめ』を

持ってなかったらそれこそモグリやろ」

「あれっ?『学問のすヽめ』ってこんな長かったん」

「ああ、学校で習うのは始めのとこだけやからな」

おれは福沢諭吉の『学問のすヽめ』がこんなに何編もあることを初

めて知った。

 「学問のすヽめ」を読んで驚いた。それは「学問のすヽめ」とい

うより大半が古(いにしえ)より維新まで継がれたこの国の封建社会

への批判だった。時代は、二百年以上閉ざしていた門戸の閂(かんぬ

き)を欧米列強に破られて、開け放たれた世界には堰を切ったように

近代化の波が押し寄せていた。すでに亜細亜の諸国は西欧帝国主義

の圧倒的な力に屈し植民地にされている。戸惑う国民を啓蒙し近代

化を推し進め独立を守る為には国民が上下貴賎の名分を棄て公に頼

らず、「一身独立して、一国独立す」、個人の不羈独立こそが肝心

だと説いた。ところが自らを頼らず独立の気概に疎い人民は、或は

権力を頼んで政治を曲げ、他は政治を他人事のように眺めるばかり。

その無気無力を養ったものこそ孔孟の教えだというのだ。

「此国の人民、主客の二様に分れ主人たる者は千人の智者にて、よ

きやうに国を支配し其余の者は悉皆(しっかい)何も知らざる客分な

り、既に客分とあれば固(もと)より心配も少なく唯主人にのみ依り

すがりて身を引受ることなきゆゑ、国を患(うれ)ふることも主人の

如くならざるは必然」であって、その結果、「政府は依然たる専制

の政府、人民は依然たる無気無力の愚民のみ」となる。つまり、

「故に今、我が日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり」

 彼の批判が一世紀以上経てもなお変わらずにそのまんま現代社会

への批判として通じることに驚かされた。果たして、我々は個人と

して不羈独立の精神を培ってきただろうか?そうして我が国は国家

として、――抑(そもそも)「国家」という名称が儒教的なんや、国

は家とは違う!――独立しているのだろうか?

 それでは福沢諭吉は儒教思想の何が問題だというのか?彼は「返

す返すも世の中に頼みなきものは名分なり」と言い、「上下貴賎の

名分」の弁(わきま)えを説いたのが儒教だと言うのだ。彼は「儒者

の主義中に包羅する封建門閥の制度も固(もと)より我輩の敵なり」

だから「専ら儒林を攻撃して門閥を排することに勉めた」(掃除破

壊と建置経営・続全集七) それは彼にとって「門閥制度は親の敵

で御座る」(福翁自伝)だからだ。福沢諭吉の儒教批判は熾烈を極め

「腐儒の腐説を一掃して遣ろうと若い時から心掛け」(福翁自伝)た

が、しかし「今世の人が西洋文明の学説に服しながら尚ほ其胸中深

き処に儒魂を存」することを痛歎せねばならなかった。(福翁百話)

 では、どうして多くの人々が彼の書物に親しんだにも拘わらず、

更には彼が「腐儒の腐説」とまで蔑んだのに「儒魂」は残ったのか?

それは彼が専ら儒教の思想批判に終始したからではないだろうか。

しかし儒教は実践に拘った教え(道徳)である。そこでは言動や行為

といった作法(形式)を重んじ、そしてその形式こそが「名分」を弁

(わきま)えさせるのだ。つまり、儒教とは本質ではなく形式こそが

重要なのだ。形式が本質を導くのだ。福沢諭吉は儒教の箱(形式)の

中の「儒魂」を批判したが、しかし「儒魂」は敬語や礼儀といった

箱(形式)にこそ宿っていたのだ。だから、いくら「儒魂」をやっつ

けても、敬語や礼儀といった形式を残したままでは、「上下貴賎の

名分」に拘る「儒魂」は何度でもその形骸からゾンビのように甦っ

てくるのだ。

 我々は明治維新を未だ終えていない。「文明開化」以来の民主主

義という宿題を克服しただろうか?「名分」に頼らない独立不羈の精

神が重んじられているだろうか?「文明転化」を迫る時代の流れの

中で、再び我々の民主主義が試されようとしている。

 北森さんがすヽめてくれた福沢諭吉の「学問のすヽめ」は、おれ

が決めた敬語と虚礼を廃す反儒教革命に大きな自信になった。

                                   (つづく)

「バロックのパソ街!」 (十一)

2013-01-21 03:01:23 | 「バロックのパソ街!」(十一)―(十五)
 


                (十一)




 敬語と虚礼を廃すおれの「反儒教革命」はすぐに頓挫した。それ

は敬語がすでに標準語に取り込まれていたからや。後は「ため口」

しか残されていなかった。しかし、教師との会話は喋っている自分

が吃驚(びっくり)するほど「立場を弁えない」乱暴な言葉遣いに思

えた。そもそも標準語そのものが序列差別を認めているんや。ど

うも儒教道徳の本質はこの「立場を弁える」ことにあるのではない

か。そしてそれこそが福沢諭吉の云う「名分」に違いないと思った。

「おはよう、北森さん」

「おう、おはよう、どうした今日は、早いな?」

「違(ちゃ)うねん。朝まで起きてたから今から寝たら寝過ごす思て、

そんで寝んと来たんや。これから学校で寝よ思て」

「あほか!」

そんなため口は北森さんには通じたが、側で聞いていた教師には訝

しがられた。ある授業で教師が、地球が球体で自転していることは

キリスト教の宣教師によって日本に伝えられた、と言った時、おれ

は手を挙げて、

「山本さん、何で日本ではあっさりと地動説は受け入れられたん?

せやかて西洋では裁判までして地動説を認めなかったやんか」

「山本さんって私のことか?」

「はい」

「君はものを言う前にちゃんと言葉の勉強をしなさい!」

山本教師は腹を立ててしまい、おれの質問には遂に応じなかった。

 おれは、自分の言葉使いに吃驚したからか、克服した筈の吃音に

また悩まされ始めた。ただ、嘗ては阻喪(そそう)からだったが、今

度はことばを失ったことによるものだった。我々は言葉をただ記号

として交わしているだけではなかった。ことばの遣り取りには序列

意識への本能的な執着が隠されている。目上の者への「ため口」は

言葉よりその言い方が彼らのプライドを刺激した。敬語を使わず「

おはよう」と言っても素直に「おはよう」と応えてくれる「先生」

は皆無だった。それどころか、

「誰に言うてんねん?」と凄まれたことさえあった。

 つまり我々は敬語による「立場を弁えた」言葉しか持ち合わせが

無いのだ。それはいかなる共同体であれ、序列を超えた「立場を弁

えない」自由な議論など成り立たないということである。敬語を使

う者は、上司の過ちを指摘したり異なった意見を述べる時には、そ

れこそ切腹する覚悟で挑まなければならない。我々は「先生」の前

では、想っていることが言葉になっても何時も吐かずに飲み込んで

しまう。部下は上司のカツラがずれていることさえも畏れ多くて「

お告げする」ことが出来ないのだ。それをこの国では「奥床しさ」

だとか「惻隠の情」といい、美しい日本語だとさえ思っている。

 おれの吃音は日に日に酷くなって、「わが闘争」を支持してくれ

た北森さんでさえ「おい、大丈夫か?」と心配するほどだった。

「たった一人の反乱」は、武器の不具合から口撃ができなくなり、

「先生方」から逆襲を喰らい「口ほど」の負け犬と罵られて忍従の

日々を過した。幸いすぐに夏休みが始まって「城天」での路上ライ

ブを再開した。人前で歌うことへの不安はあったが、ことばを失っ

た自分にとって予め詩がきまっている歌は全く吃(ども)らなかった。

自信を取り戻すと、あんまり悔しかったので「吃りの唄」まで創っ

てしまった。それはフレーズの始めの発音が全て吃音を繰り返す、

 「 どっどっどっどっどっどっどっどっどうしてだろう

  かっかっかっかっかっかっかっかっかなしささえも

  たったったったったったったったったのしいのは

  きっきっきっきっきっきっきっきっきみがいるから・・・」

 そんな感じ。ほら、読むだけで曲になったやろ。これが信じられ

へんくらい路上オーディエンスに受けた。

                              (つづく)

「バロックのパソ街!」 (十二)

2013-01-21 03:00:30 | 「バロックのパソ街!」(十一)―(十五)



                (十二)




 夏休みが終わって二学期が始まると、三学年担当の教師たちは巣

立つ生徒の進路指導に奔走して、おれの「言語ゲーム」に付き合っ

てくれなくなった。もちろんおれも卒業を控えていたが、この学校

に「露と落ち」た時から「進学のことは夢のまた夢」と、路上ライ

ブの合間に大阪城の天守閣を眺めながら自省の句を残していた。そ

れでも教師は大学がダメなら専門学校、専門学校がダメなら就職と、

パンフレットを変えリーフレットを変えて、欠陥生徒の販売先を探

してきた。が、おれはそのころ城天の路上ライブで、アルバイト学

生が学校をズルしてフルタイムで働いて手にする日給をわずか一時

間足らずで稼いでいた。馬鹿らしくて今さら自由を棄て「お縄を頂

戴します」と自ら牢獄社会へ舞い戻る気など更々なかった。それで

も進路指導の教師は執拗く社会復帰を説得した。それはまるでおれ

の為と云うより彼の営業成績の為だったに違いない。つまり商品の

売れ残りを計上したくなかったのだ。

 軽音楽部の活動も三年生から在校生への引継ぎが行われようとし

ていた。そんな時に新しくアメリカからの帰国男子生徒が入部を申

し込んできた。彼はまだ一年生だった。日本で学生生活を送ること

は初めてで「トマドっている」と言った。何処でどう聞き付けたの

かおれの「反儒教革命」を支持してくれた。

「古木の言うように日本のアイサツは憂ざいよ」

おれは後輩からあっさりと呼び捨てにされたことに快感を覚えた。

「サビリティー(奴隷根性)だね」

その言葉は確かに日本人の、分けても関西人の発音でなくネイティ

ブだった。そして城天でのおれのライブパフォーマンスも見たらし

い。

「クールだった!」

そして、

「悪くなければ一緒に演らせてくれない、古木?」

そう言って、おれが城天で演奏した曲をギターを取って弾いてみせ

た。それは何と言うか、コテコテした関西弁訛りとは違ったネイテ

ィブな演奏だった。

 おれの「反儒教革命」は、教師たちの反発を買って異端視され、

教室では、卒業を控えて進路相談に教師の世話になる級友たちから

も無視され、毎朝、晒し者になる為にわざわざ登校しているような

思いにうち拉がれていたが、それに反して部活では、それぞれが音

楽を通しての繋がりから年下であってもおれを励ましてくれる部員

さえいた。そしてそこにはアンちゃんが決めた唯一つのルールが今

も残されていた。それは「ここでは敬語を使うな!」

 音楽をする目的で部活に入ってくる者にとって部活とはあくまで

もその手段である。組織とは個々(主体)の目的を果たす為の手段に

過ぎない。ところが目的を諦めた者や見失った者は組織にすがり組

織そのものを目的にする。主体にとって手段に過ぎなかった組織が

目的に成り上がるのだ。すると、目的を無くした主体は目的となっ

た組織に「主体」そのものを明け渡し組織の手段に成り下がる。こ

うして、個々と組織の「主体」が入れ替わる転換が起こる。ただ、

目的は唯一つしかないが手段は序列的に存在する。目的を失い手段

に成り下がった個々はその序列に則って秩序化される。序列社会と

は、目的を失った主体が本来手段であったはずの組織を目的に転化

することから始まる。組織そのものが個々の目的になった社会は、

手段となった個々に序列秩序(目的)を与える。つまり、秩序や道徳

を声高に叫ばれる社会は、個々が自分の目的を見失った社会なんや。

福沢諭吉は、社会に隷属する国民に対して独立不羈を説いた。それ

は「自分の目的を見失うな」ということだ。

 黙って聞いていた帰国生は、おれたちは彼を「シカゴ」と呼んだ。

彼はその名の通りアメリカのシカゴで暮らしていたからや。そのシ

カゴが口を開いた、

「それは、つまり東大を目標に受験勉強してきた人が、入学を果た

して目的を見失い仕方なく公務員になるようなもんだね」

「ああ、それはいい例えや。そして成れの果ては愛国主義者となっ

て『国を愛そう』などと道徳を説くんや」

「自分は国家に依存しながら」

「そうや」

 アンちゃんが書いた規則は部室のドアの正面に貼られていた。

A4判くらいの大きさの紙に、右端にマジックで「規則(一)」と縦

書きされ、その真ん中に太い毛筆で「ここでは敬語を使うな!」と

勢いよく書かれ、最後に「軽音楽部部長」そしてアンちゃんの署名

がされていた。アンちゃんが死んだ時、指導の教師はそれを剥がそ

うとしたが、部活の皆の強い反対で今も残されていた。

「それっ、わかる!僕も向こうでバンドを組んでる時、音楽性の違

いでもめたことがあった」

シカゴがそう言った。

「ふんふん」

「その時にリードボーカルの奴にイニシアチブを執られて、まあ、

こっちは演歌やねんから当然といえば当然なんやが、そいつの言い

なりになって結局僕から脱けた」

シカゴが言った出来事はここでも頻繁に起こる。音楽のジャンルが

細分化してしまって、たとえ僅かであっても、リズムに拘る者は緩

慢な旋律に流されたくないし、旋律を重んじる者は単調なリズムの

繰り返しにウンザリする。志向の異なる者がユニットを組み「一つ

の音楽」を目差すのはなかなか平和的にはいかない。僅かの違いが

決定的な亀裂を生む。やがて「一つの音楽」を巡って意見が対立し、

そして対立を避けようと自分の音楽を譲りユニットを優先させる。

遂には本来の自分の音楽を見失い、手段であったはずのユニットそ

のものが目的化する。メンバーたちは外面だけの協調や信頼といっ

た「道徳」を重んじ、そして「一つの音楽」は聞き飽きたメッセー

ジの焼き回しを繰り返しても気付かずにユニットを讃える。しかし、

「ところで自分が目的にしていた音楽はどうなったの?」ってなる。

「じゃあ、どうしたらいいと思う?古木」

「何かもう、愛だとか信じるだとか飽いたよね」

「それじゃあ何を歌えばいいんやろ?」

「んーんっ、例えば、醜さだとか無力感の方がリアリティーあると

思わん」

「あっ!そう言やぁこの前テレビ点けたらドラマのエンディングに

森田童子の曲が流れてたけど、つい最後まで聴き入ったわ」

(知らない人はこちらで)
http://www.youtube.com/watch?v=KF77sQz1hIQ&feature=related

「森田童子か、『みんな夢でありました』はいいと思うけどね。だ

けど、ほんとは沈黙するのが一番いいかもしれん」

「チンモク?」

「うん、静寂。一番足らんのは静けさやないか思う。音の無い世界」

「じゃあ、プレイしないの?」

「例えば、楽器を持って『オリジナル曲【静寂】をやります』と言

って、始めに一小節だけ演奏してその後3分間は何もしないの。物

想いに耽ってるポーズをしてもええな。ホールは水を打ったように

シーンとして、3分経ったらもう一度和音を変えて終いの一小節を

弾いて終わる。そして、『オリジナル曲【静寂】でした』と言って

頭を下げる」

「そんなんアカンわ」

シカゴはアメリカ帰りにも係わらず、おれのボケにタイミング好く

ツッコんでくれた。和んだ会話に誘われて傍にいた女生徒がシカゴ

に話しかけた。

「なあ、シカゴって家はどの辺なん?」

「ボク?ハナテン(放出)!」

「え―っ!信じれへん」

その女子部員はそう言っておれの方を見て、つい最近までアメリカ

のシカゴで暮らして居た青年が、「ハナテン」というローカルな地名を

言ったことに、何故だかおかしくって顔を見合って笑ってしまった。

するとシカゴは真顔になって、

「何や、放出(はなてん)てそんなにおかしいか?」

と怒ったように言った。

                                   (つづく)