「バロックのパソ街!」 (十八)

2013-01-21 02:38:27 | 「バロックのパソ街!」(十六)―(二十)
 


               (十八)




「みんなが受験で休みだしたらお前は毎日学校へ来るんやな」

北森さんに毎日登校するようになったことを揶揄(からか)われた。

「来んでも卒業させてくれるんやったら来(け)えへんで」

 父兄始め卒業生や教師達にとって目障りなおれは、その頃、福沢

諭吉に共感して「反儒教革命」というビラを作って部室の前に誰で

も取れるように紐を通してぶら下げていたが、それが問題になって

校内の風紀が乱れるとの理由で、おれだけでなく軽音楽部まで槍玉

に挙げられた。そのビラには、

「敬語を棄てよう!」

「序列に諂(へつら)うな!」

と銘打って福沢諭吉の言葉を紹介した。ビラは瞬く間に紐だけを残

して無くなった。それでもおれ達は風紀が乱れるなんて思ってもいな

かったが、というのは部活内では以前から敬語なんて使っていなか

ったし、それでも何の問題もなかった。ただ、顧問の女教師は泡を食

って部員を集め緊急の部会を開いた。早速、女教師の清水さんは

誰かに言い含められたように、目上の者や教師に対してきちんと敬

語や礼儀を正しましょうと言った。すぐにおれが口を挟んだ、

「教師が学生に対して敬語を使うならおれ達だってそうするけど、

乱暴な言葉使いはどっちかと言うと教師の方がひどいやないか」

そう言うと一部から拍手が起った。

「だってあなた達は生徒でしょう!」

「だから何なんですか?それがおかしいっていってるんですよ」

「でも教師が生徒に敬語を使う方がおかしいでしょ」

「だから敬語を使うのはやめようと言ってるんや。おれはそういう

封建的な序列意識を改めようと、これはなあ、あなた、革命なんや、

文化革命なんや」

「そんなことはこの中だけにしなさい。学校中に広めないで下さい」

「それでもクラブの皆は賛同してくれたんや」

ここで大きな拍手が起った。

「それで一体何が変わるというの」

「身分や年齢や性別による言葉の差別がなくなる」

「そんなの嘘よ!なくなる訳ないわよ。」

するとシカゴが口を挟んだ、

「なんや、先生も結局差別があることは認めてるんや」

そこでおれがビラに書いてある憲法第14条を読んだ。

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会

的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、

差別されない。」「ほらっ。おれはただ、下の者だけに敬語を強いる

のはやめようと言ってるだけなんや」

「そんなこと学校が認めるわけないでしょ!」

「認めてくれなんて言ってない、ただ、おれ達が使わんだけや」

「そんなことすれば社会に出て困るのはあなた達よ!」

「その考え方が間違っているんや。それじゃあ社会というのは間違

っていると思っても、困りたくないから黙って従ってるんですか?」

教師の清水さんはそれ以上は何も言わなかった。そして、

「わかりました。わたしはもうあなた達を指導することが出来ませ

んので、今日でこのクラブの顧問を辞めます」

そう言って全くこっちを見ずに出て行こうとした。

「先生!待って!」

咄嗟に「先生」という言葉がでてしまった。彼女はドアの寸前で立

ち止まっておれを睨んだ。

「あなたが辞めるのはどう考えてもおかしい。相談もせずに勝手

な運動をしたおれに責任があるんやから、辞めなあかんのは自

分の方です。それに三年生はもう部活をやめる時期やし、この際、

自分がやめます」

実際、一週間後には三年生を送る部会が予定されていた。そして、

「どうか清水さんにはこれからも顧問として残ってもらいたい」

そう言うと皆が一斉に拍手した。おれは信念を捨てて何度も「先生」

という言葉を使って慰留した。すると彼女も渋々ながら考えを翻し

てくれた。その後、女部長が提案して急遽、三年生の送別会をする

ことになった。おれは皆に迷惑を掛けたことを謝って、部長を選ぶ

投票が行われ、女生徒からの圧倒的な支持を得て一年生のシカゴ

が選ばれた。何度も言うがおれ達は学年による分け隔てが無く誰も

がタメで話し合えた。シカゴは堂々と新部長としての抱負を開陳した。

そして清水さんも顧問として、アンちゃんの悲しい出来事に触れた。

「わたしの力不足であなた達を守ってやれなかったことを本当に申

し訳ないと思っています」

そう言って泣き出した。我々の誰もがアンちゃんのことは心の奥底

にしまっていたのだ。思い出した女生徒の多くが連られて泣き出し

た。

「これからはもっとあなた達の相談にのれる顧問になります」

全員が湿った拍手を送った。そして今までどおり一二年生が歌う校

歌に送られて三年生が部室を後にした。

 おれの「反儒教革命」は、おれが部活を辞める事で軽音楽部とし

ての責任を取った形になった。部活内では敬語を排して分け隔てな

く活動していたが、おれはアンちゃんからそれを引き継いで校内に

まで広げようとしたが上手くいかなかった。元々、こうなるだろう

とは予測していた。そしてその時は辞めようとも決めていた。飽く

までもクラブ活動は学校内活動で、学校が認めない限り好き勝手に

出来るわけがなかった。しかし、そんなことを言えば、会社内であ

れ、地域内であれ、それこそ日本国内でも、序列の下の者は異見が

あってもただ黙って命令に従うしかないのだろうか。社員は経営者

に異見を述べてはいけないのだろうか。実際この国ではそうなのだ。

「分を弁えろ!」

そういう封建的な序列秩序こそが、客人のような若者の無関心を蔓

延らせ、独立不羈の志を萎えさせてきたのだ。敢えて言えば、数多

の企業で行われている行動や計画は、ほとんどの若者は命令される

から「仕方なく」取り組んでいるに過ぎない。命じられた成果を残

すことだけに齷齪(あくせく)し本来の意義や展開など知る由もない。

権力に諂い無力の者を嘲ていれば自分の立場が保てる。誰も「独立

不羈」の精神など養ってこなかった。しかし時代はひっくり返った。

若者を客人として迎えてくれる社会など無くなったのだ。卒業生の

多くは企業からの求人が集まらず、仕方なく失業対策の為の専門学

校へ掃きだされようとしていた。

 その後、マスメディアはおれ達バブル崩壊後に社会に出た世代を

「ロストジェネレーション」と呼んだ。元来それは第一次大戦後の

喪失感による厭世的で自堕落な世代を、主にアメリカの作家たちが

作品に描いてそこから生まれた言葉である。ヘミングウェイはそれ

を代表する作家だ。ただ、かつての「ロストジェネレーション」が

戦後の喪失感であったのに対して、我々の「ロスジェネ」はこれか

ら始まる戦争「前夜」の喪失感でないことを願うばかりだ。いや、

「ロスジェネ」世代は戦争アリなのかもしれない。戦争って一瞬で

閉塞状況をぶっ飛ばしてくれそうだし、そうでなきゃ一瞬で自分を

ぶっ飛ばしてくれる。おれもこうなったら「ロスジェネ」作家を目

指して小説でも書こうかな。「日はもう昇らない」とか、或は「武

器を取れ!」とか。

                              (つづく)

「バロックのパソ街!」 (十九)

2013-01-21 02:37:25 | 「バロックのパソ街!」(十六)―(二十)



                (十九)




 おれの「反儒教革命」は、卒業と共に終わろうとしていた。出来

ることなら革命を成し遂げるまで学校に留まって居たかったが、学

校の方がそれを嫌がった。あのビラ事件の後、教育指導の教師たち

に呼び出され、歴代の校長の写真がズラーっと掲げられた部屋で、

おれ達はその部屋を「北朝鮮の間」と呼んでいた、もちろん将軍様

の「御真影」は無かったけれど、その部屋で「教育」の社会的意義

のようなものを懇々と説かれて、要するに大人しく卵を産まなけれ

ばその内バラされるぞと嚇された。おれは、ドアの壁際から窓際ま

で並べられた歴代の校長の醜悪な写真に威圧されて、抗弁できずに

黙っていた。そもそも亡者たちの列に老醜を曝すことに何の恥らい

も持たない彼等の神経が痛ましく思えた。そして最後に教師のひと

りが、

「確か、君は留年したんだよね。だから登校しなくても『卒業させ

てやる』から、もう学校へは来なくていいよ」

そう言った。そこでおれは、

「それじゃあ、さっき「仰った」社会的意義に反するんやないです

か?」

そう言うと、それには答えず、別の教師が、

「おまえが来ると他の生徒の迷惑になるからな」

おれは目上の者や教師に憂ざったいと思われても、決して学生の迷

惑になるような主張をしたつもりはなかった。

「迷惑をしているのは生徒ではなく、あなた達やないんですか?」

「ああ、実際に先生方も迷惑してる」

「それでも、憲法ではそれぞれの思想信条の自由は認められている

やん?」

「そうかもしれん、しかし敬語や礼儀作法というのは長い間培って

きたこの国の文化なんや」

「文化って憲法よりも優先すんの?」

「まあせやな、憲法なんかよりずーっと前からそうしてきたんやか

ら」

 旧き良き時代に戻ろう言うのは現在を見失った者の戯言に過ぎな

い。人生であれ社会であれもう一度後戻りすることなどできないの

だ。過ぎ去った感情は取り戻すことなどできない。それはすでに我

々があの頃の自分にはもう戻れないからだ。尊敬や愛情といった感

情は押し付けたからといって生まれるものではない。この国の原理

主義者たちはその肝心なことがまるで解かっていない。「国を愛そ

う」だとか「親を尊敬しよう」などといくら叫んだところでそうな

るものではない。感情は理性の及ばないところで働く。すでに個人

にとっては、国家や会社や、家族でさえも方便に過ぎないのだ。我

々は「アイデンティティー」を本来の意味する自己自身に求めるし

かないないだろう。ところが、自己を見失っってしまった人々はそ

れを他者に求めようとする。チョンマゲを結った大人たちは全く何

も解かっていない。おれ達は表象だけの愛情や尊敬を「強いられる」

くらいなら、もちろん報われないことは覚悟の上で、むしろ「孤独」

でいる方が「アイデンティティー」を失すことなく自分に素直に生

きられるのだ。おれ達の嗅覚はすでに「道徳」の作為的な疚しさや

偽善的な青臭さに耐えられないのだ。おれ達は世代間の馬鹿げた序

列道徳に幻なりして、社会について話すことにも関わることにさえ

も虚しさを覚える「ロストコミュニティー」世代なのだ。

                                (つづく)

「バロックのパソ街!」 (二十)

2013-01-21 02:36:21 | 「バロックのパソ街!」(十六)―(二十)
 


              (二十)




 毎年の恒例で、一二年生が卒業を迎えて退部する三年生の歓送会

を催してくれた。アンちゃんがいた頃は、彼の親が経営する焼肉店

で開かれていたが、「今年はどうしよう」とシカゴが新部長として

始めての役目に頭を悩ましているところへ、と言うのはアンちゃん

の店なら全く予算の心配がなかったから、ところが程なく、アンち

ゃんのお母さんから顧問の教師へ連絡があって、「是非今年も今ま

で通り使って下さい」と言ってくれた。それを聞いてシカゴは拳を

握り締めて喜んだ。

 数年前までは、深夜になっても寝ることも忘れてハシャいでいた

街も、バブル崩壊後は、家々の屋根まで黄金で葺かれた輝く国「ジ

パング」が、実は藁葺きだったことを聞かされたかのように、今で

は人々も昼間でさえ夢遊病者のように憔悴しきったようにうな垂れ

て歩いていた。部屋の中で暇を持て余すことが惜しく思えるほど浮

かれていた街も、今年は秋の訪れがひときわ心寂しく感じられた。

枯葉を舞い散らす秋風が、これからどう生きればいいのか解からな

い意思を亡くした心の隙間に容赦なく吹き込んできた。歓送会へ向

かう通り道の商店街も人の往来がメッキリ淋しくなって、アーケー

ドにはバブルガム・ブラザースの「Won’t be long」が虚しく流れ

ていた。アンちゃんに教えられて、そしてカモられた麻雀の時によ

く唄った曲だ。相手のリーチに降りようかと思案していると自然と

「降りオリオー」と口ずさんでいた。すると、リーチを掛けた相手

が「やりヤリヤリヤー」とけしかけた。内容のないノリだけの曲だ

ったがバブル崩壊後の目的を見失った時代の気分によく合っていた。

 アンちゃんの親が営む焼肉屋はコリアタウンにあった。商店街の

路地を曲がると直ぐだったが、曲に誘われてつい商店街の外れまで

来てしまった。引き返して店に着くとシカゴが玄関で待っていた。

「遅いよ!古木、何してんの?」

「ごめんごめん!えっ、おれだけ?」

「あんただけや!もう来(け)えへんのか思たで」

シカゴに急かされて店に入ると奥の座敷には部活のみんなが揃って

いた。「Won't be long」どころか危うく「Won't  belong 」

するところだった。

 顧問の清水教師がアンちゃんの両親へ感謝の言葉を述べ、卒業生

が一人ずつ思い出を語って、シカゴが乾杯の音頭をとって歓送会は

始まった。気が付くと、良子ちゃんが店を手伝ってガスコンロに火

を着けて廻っていた。それぞれ五人が座る5台のテーブルの最後に

おれ達の卒業生の席にやってきた。彼女とは彼女が高校受験を控え

ていたのでしばらく会っていなかったが、見違えるほどに女らしく

なっていた。おれが、

「また一緒にお経を聴こうね」

そう言うと、

「あほっ!」

彼女はしっかりと自分の意見を言える女性になっていた。

「何?お経って」

ピアノで音楽学校への進学が決まっている元女部長が退屈して話し

に絡んできた。

「宗教?」

「まあ、そんなもんかもしれん」

「どんな宗教?」

「なんなら今度一緒にお経を聴く?」

それを聞いてた良子ちゃんは着火器でおれの肘を炙(あぶ)った。

「カチッ!」という音と同時に、おれは「熱っつう―!」と叫んだ。

「アッ!ごめんなさい!間違えて火が着いちゃった。大丈夫ですか、

お客さん?」

良子ちゃんはそう言い残して冷たく席を離れた。

 咀嚼に忙しかった口は空腹が満たされると、今度は喋ることに忙

しくなった。顧問の手前もあって禁酒禁煙だったが若い時は美味し

いもので満腹になればそれだけで充分酔えた。席を外してトイレに

行く途中で良子ちゃんが待っていた。

「ばかっ!」

「ごめん」

二人の立場は完全に逆転していた。しばらく会ってないうちにどう

してそうなったのか、一体どんな契機でそうなったのか確めたかっ

たが、彼女が身体を寄せてきて、

「キスして」

「今日はタバコを吸ってないからな、焼肉は食ったけど」

そんな契機はどうでもよくなった。トイレのドアが開いたので二人

はすぐに身体を離した。おれは何もなかったようにトイレに行った

が、戸惑いは勃起したペニスにも伝わってなかなか用が足せなかっ

た。 席に戻るとシカゴが言った、

「古木、卒業したらどうするの?」

「どうもせん」

実際何をすればいいのかまったく解からなかった。ほとんどの学生

は進学や就職が決まっていたが、自分は目的すら見つけられずにい

た。人は生まれてから家族や地域や学校や、またはマスメディアを

含めた社会の中で成長する。その中でそれぞれの生きる目的という

のは実は社会の所与であって自らの意思によるものではない。社会

なんてどうでもいいやと思えば途端に生きる目的を失って、ニート

か引き篭もりになる。彼等の無為は社会批判なのだ。そして社会の

所与ではない自分の意思による生きる目的を必死で捜しているのだ。

もちろん、おれも親父が倒産するまでは社会という大船に乗る心算

だった。ところが、一夜にして総てが崩壊し混乱しているうちに船

は出てしまった。呆然とする自分をもうひとりの自分が覚めた目で

眺めていた。やがて、その進路というのが本当に自分の意思が望ん

だものなのか怪しく思えてきた。深く想わずに「渡りに船」と社会

の所与に縋(すが)って生きていこうとしているのではないか。そう

思って世間を見渡すと、何のことは無い、誰も自分の意思によって

生きている者など一人もいないではないか。箱の中に押し込められ

箱の中で暮らし箱の中で死んでいくのが人間なのか。所与の世界で

しか人間は生きることが出来ないのか?もしそうだだとすれば、我

々は決して生きているのではない、生かされているのだ!社会など

に縋がらなくたって、たとえ船などなくたって独りで世の中を泳いで行

こう。自分で考え自分のやりたいことを自分で決めて生きていこう。

そう考えるようになると、箱の中での功名や他人の評価なんてどうで

もいいと思えるようになった。

「まあ、しばらく歌で凌ぐわ」

「いっそのことそっち目指したら」

「あかん、尾崎豊に先越されてしもた」

バブル期のミュージックシーンは螺旋の円周を狭める様にして過去

の模倣が繰り返され、衝撃を与えるほどのミュージシャンは現れな

かった。その中で唯一異彩を放っていたのが尾崎豊だった。彼は社

会の不条理に抗いながら生きることの苛立ちを歌った。26才の若

さで命を絶ったが、その早すぎる死に驚きはなかった。歌そのまま

に「この世界からの卒業」を果たした。それはまるで楽しみにしてい

た夏祭りで気に入った露店が見つからないまま参道を通り抜け裏

道に出てしまった子供のように、彼はこの退屈な世の中を通り過ぎ

て逝った。もしも、「生きる」ということが死に挑むことだすれば、彼

は命を惜しまずに生きた。

「シカゴ!カラオケ行かへんの?」

誰かが空腹の満たされた元気な声で幹事のシカゴに催促した。歓送

会の二次会は同じビルの上の階にあるカラオケと決まっていた。良

子ちゃんによると、アンちゃんのお父さんはあの事件の後、日本に

帰化してお母さんの氏名を名乗った。彼は祖先から繋がる族系を断

ってしまった。それは父系宗族を重んじる在日の者にとって民族ア

イデンティティーを失うことでもあった。さらにパチンコ屋もいず

れ人に譲る心算でいた。予(かね)てからアンちゃんが訴えていたこ

とだった。イカサマ商売を占有している限り在日は狭い宗族社会か

ら逃れることは出来ない。イカサマ利権は手放さず民族差別だけ訴

えても理解してもらえないだろう。自虐史観は日本だけのことでは

なかった。

「儒教道徳とはそもそも強い者に諂(へつら)う自虐道徳なんや」

アンちゃんはよくそう言った。
 
 軽音楽部の部員たちのカラオケ大会はさすがに聴き応えのあるも

のだった。おれもみんなに担がれて尾崎豊の「卒業」を歌った。カ

ラオケに飽いてそれぞれがオリジナル曲を披露する頃になると、

もう新しい日が始まっていた。

                                 (つづく)

「バロックのパソ街!」 (二十一)

2013-01-21 02:30:19 | 「バロックのパソ街!」(二十一)―(二十
 


                (二十一)  

  

 生活指導の教師から「もう登校するな!」と言われて、歓送会を最

後におれの高校生活は終わった。突然回線を遮断されて頭の中がジー

ンと痺れ、それまでの記憶が何度もリプレイされていた。世間では一

般に学校を終えると「社会に出る」という言い方をするけれど、社会

はそんな開かれたところとは思えなかった。どちらかと言うと「社会

に入信する」と言った方が合っていた。誰もが挙って社会の洗礼を受

けていたが、おれは洗脳されることを拒み自分の穢れた考えのままの、

箱からこぼれ落ちて隅を転がる一個のパチンコ玉だった。学校とは所

詮「会社」人、いや社会人、どっちも一緒か、を生む為の養成機関な

のだ。社会は形の揃った均一の部品を求める。そこで下請けの学校は

注文に答える為に部品検査を欠かせない。生徒の能力は基準を満たし

ているかどうか。記憶を詰め込むのは記憶以外のことで迷わせないた

めだ。不良品のチップは集積回路を忽ち集積「迷路」に変えてしまう。

我々は集積回路に埋め込まれた一個のチップなのだ。チップには一切

の思考は求められない。ただ、メモリー機能があるだけだ。入試が何

時まで経っても改まらないのは単に行政や教育者ばかりの責任ではな

いのだろう。企業は競争を勝ち抜く為には箱からこぼれ落ちる不良品

を引き受ける訳にはいかない。メモリー機能を逸脱して思考するチッ

プは不良品である。つまり、「我々は人間である前にまず社会人でな

ければならない。」

 丸山真男は組織の論理が優先する社会を「たこ壺」社会と言ったが、

「箱」であれ「たこ壺」であれ我々は所与の世界を変えることが出来

ないのだろうか。

 世界は所与されたものでそこで生まれた生き物はその中でしか生存

出来ないとすればそういうことになるだろう。例えば、魚はいくら陸

の上で生きたいと思っても叶わないだろう。しかし、かつて彼等の祖

先の変わり者が、ある日陸に上がることを想い付いて苦しみながら這

い出さない限り、つまり世界は所与されたものでその中でしか生きる

ことが出来ないものと思っている限り、地上で生きる数多の生き物は

存在しなかったのだ。水中では水の抵抗が大き過ぎて進化は限定され

ていたが、抵抗が少ない大気の下で自由を得た生き物は目覚しい進化

を遂げた。もちろんそれまでには計り知れない経過が在っただろうが、

つまり、世界を所与のものとして太古からの伝統に縛られていれば人

間は存在しなかったのだ。あらゆる生き物は所与の環境の中から生ま

れてきても、自らを変えるか、或は環境を変化させて世界をそれぞれ

に適うように創り変えてきたのだ。我々は何の為に存在するのかと言

えば、世界を創り変える為に存在しているのだ。旧い「たこ壺」へ引き

篭もって古(いにしえ)に想いを馳せていれば何時まで経っても新しい

世界を望むことなどできないではないか。もし、「たこ壺」が我々の精

神に合わなくなれば叩き割ったっていいんだ。太古の証しが我々の存

在の正統性を証明してくれるわけではない。仮にそうだとしても、だか

ら何だというのか。たとえ日本語が英語に取って代られるとしても先人

達が残した情感は今も我々の精神に受け継がれている。言葉を亡くし

たからといって我々がその魂までも失うとまで言えない。仮に何もかも

失ったとしても、それはより今日的な何かを手にしたからだ。現に我々

はサルの特性など棄ててしまったではないか。ただ残すばかりが大事

だとは思わない、その伝統を継ぐ者が、従って我々が旧い世界から這い

出して新らしい世界を生むことこそ大事なのではないだろうか。その時、

我々は尚も民族や国家に拘っているだろうか?更には、まだ人間に留

まっているのだろうか?

                                     (つづく)

「バロックのパソ街!」 (二十二)

2013-01-21 02:29:22 | 「バロックのパソ街!」(二十一)―(二十
         


                  (二十二)




 卒業が間近になってくると、卒業生の誰もが新しい社会へ羽搏こう

として変身し、脱ぎ捨てた抜け殻に未練を留めないようにと急にヨソ

ヨソしくなった。それまで愛想好く声を掛けてきた友人でさえ、顔を

合わしても目線を逸らそうとした。誰もが人生の岐路を迎えて飛び立

つ社会への不安と向き合っていた。この国では18才でその後の人生

が決まる。否、高校入試で既に決まっているとも謂われる。それまで

口にもしなかった仕事の職業訓練を目指す者や、事情があって進学を

諦めた優等生など、他人事ではあるが興味が尽きなかった。そんな中

で、大きな夢を語っていたのはお笑い芸人の養成所を受かった者一人

だけだった。

 おれは、登校しなくてもいいことを幸いに相変わらず城天で歌って

いたが、高校生として歌っている時と明らかに周りの見る眼が変わっ

てきて、何らかの決定を強いられるのが耐えられなかった。

「プロになるの?」

そう聞いてくる者もいたが、自分では納得できる曲が全く作れなかっ

た。地元でやり辛くなったのもあるが、城天で歌うことにも飽いてき

た頃、考え事をしていて私鉄電車の駅まで来てしまい、「そうだ!京

都へ行こう」などと思わず、何気なく京都行きの特急電車に吸い込ま

れた。実は、親父は京都生まれだった。テレビの付いた特急電車は「

テレビカー」と呼ばれて今では当たり前かもしれないが、その私鉄で

は随分以前から走っていて、子供の頃はそれに乗りたくて用もないの

に京都に連れて行くようにせがんだ。もちろん家にテレビはあったが、

多くの子供はテレビを持ち歩けるようになればいいのにと思っていた

ので、「テレビカー」は夢の乗り物だった。だから、「ワンセグ」が

出てもそんなに驚きはしなかった。むしろ遅すぎると思った。大阪市

内を離れるとノンストップで京都市内に滑り込み、親父の実家へ行く

時には、終点に着くと下りの各停に乗り換えて通り過ぎた下車駅まで

後戻りした。ただ、両親が離婚してからは一度も訪ねたことはなかっ

た。車窓からその辺りを眺めたが一瞬のうちに通り過ぎてしまった。

しばらく来ないうちに京都は様変わりしていた。碁盤割された洛中に

千年を越えて軒を連ねてきた瓦屋根の平らかな町並みは、盤を誤った

のか将棋の駒のようなビルが大地から生え出して高さを競い、一瞬に

して平安の暮らしを遮ってしまった。「平城」であれ「平安」であれ、

古(いにしえ)の人々は「平」の字に強い願いを込めたのではないだろ

うかと、平成の時代にふと頭に過ぎった。ただ、観光客に人気の街の

一角だけは取って付けたような京風が演出されていた。内外の使い分

けは京都人が古くから培ってきた生活の知恵である。権力の下では人

は面従腹背と懇ろになるしかない。親父はそれを臨機応変と説明した。

おれはその言い換えこそが京都人らしさだと思った。

 終点の三条駅はいつの間にか地下ホームになっていた。地上に出て

すぐに土下座像に驚かされて三条大橋を渡ると、鴨川の川原にはすで

に何組かの者が演奏していた。しばらく眺めてから、コンビニで地図

本を買い、歩いて「イノダコーヒ」へ向かった。そこは京都ではよく

知られた珈琲専門店で、親父と一緒に京都へ来た時は必ず連れて行か

れた。ここのコーヒカップは今も愛用しているほどだ。カウンターに

座って「コーヒ」を頼んで地図を眺めた。さすがにノッけから鴨川の

川原でやるには気が引けた。すぐに砂糖とミルク入りの「コーヒ」が

出てきた。スプーンで混ぜながら地図を見て、「城天」のような場所

を探していると円山公園が眼に留まった。円山公園の野外音楽堂とい

えば、かつて関西フォークの拠点として、高石ともや、岡林信康とい

ったシンガー&ソングライターの草分けを輩出し、あのザ・フォーク

・クルセダーズを産んだ伝説の場所でもあった。

「よしっ、決めた!」

おれは「コーヒ」を飲み干して円山公園に向かった。

 珈琲店を出るとその通りを下って町家を抜けた。京都は大仰に「京

都らしさ」を掲げた処ほど京都らしくない。それは観光客の要望に応

えて外向けに演出されたものだ。ただ、人の訪れることのない忘れ去

られた処で時間が止まった懐かしい風情と出会うことがある。静けさ

が心地よい町家の一角に質素な和菓子屋を見つけ、拳ほどもある牡丹

餅を買った。帰り際にはおばあさんの「おおきに」に送られて、それ

を頬張りながら八坂神社の石段を登った。

 日本の伝統文化といっても今やその精神は忘れ去られようとしてい

る。茶の湯にしても時代が大きく変わって「わび」「さび」さえ伝え

難くなっているのではないだろうか。合戦に明け暮れる戦国時代の武

士(もののふ)たちが、恐怖に苛まれて非道の限りを尽して殺し合い、

死屍累々たる戦場から生還を果たすと、まず、殺めた者への弔いと自

らの救いを神仏に祈り、一方、茶の湯は凄惨な戦場の対極にあって、

「わび」「さび」は儚きものに宿る美意識によって殺人鬼と化した昂

ぶる魂を鎮めて、再び日常を取り戻す為の重要なこころの拠りどころ

であった。こうして信仰や茶の湯といった文化は、武家社会の庇護の

下でその意義が認められた。ところが、武家社会の消滅と共に本来の

意義が失われ、今ではうら若き乙女達の花嫁修業になってしまった。

そこで行われているのは「お茶会ごっこ」である。同じことが寺院に

於いても言える。つまり、伝統文化といってもその由るべき社会が失

われれば意義そのものが希薄に為るのは避けられない。ところが、そ

の精神だけを無理矢理引っ張り出して再び蘇らせようとするところに、

我々のスノビズム、つまり社会そのものはすっかり変わってしまった

のに過去の精神が性懲りもなく現れてきて「武士ごっこ」や「戦争ご

っこ」といった古臭い精神論が語られる。ただ、旧いズボンのポケッ

トに忘れたものを取り戻そうとすれば、ポケットと一緒にズボンも付

いてくるということを忘れてはならない。ただ道に従えば自ずと救わ

れるというのは旧い世界のことだ。大仰に言えば、我々が今求めるべ

きは、新しい社会に相応しい新しい精神ではないのか。

 「古都」京都を蓋っていた厚く重たい歴史の雲は流れ去って、どこ

までも晴れ渡った観光日和の秋の空が「観光地」京都に広がっていた。

                              (つづく)