「人工知能(AI)と人間」

2019-12-06 10:04:36 | 従って、本来の「ブログ」

         「人工知能(AI)と人間」

 

 「プロ棋士」という人たちは将棋というゲームで対戦相手に勝つ

ことで賞金を稼ぎますが、もしも人工知能(AI)がプロ棋士たちよ

りも圧倒的に強くなってしまえば、対戦を人間同士に認めない限り

はやがて「プロ棋士」として賞金を稼ぐことができなくなるかもし

れません。それどころか、AI同士の対戦が認められれば、将棋の

ことなどまったく知らないコンピューター技師でも人工知能の指示

に従って駒を動かすだけでプロ棋士と対戦できるようになります。

ただそれが将棋のゲームとして面白いかどうかは別ですが、すでに

将棋の世界ではAIの脅威は差し迫った問題のようです。では社会

全般ではどうでしょうか。これまで人間が担ってきた知能作業がす

べてAIに取って代わられたら、それは、何もここで私が改めて言

うべきことでもないのですが、すでにAI化が引き起こすさまざま

な社会問題は近未来小説でもテーマとして頻繁に取り上げられてき

ましたが、では、人間はただAIが命じるままに、例えば駒を動か

すだけの単純作業をするだけで問題を解決できるようになれば、い

ったい人間は何を生き甲斐にすればいいのだろうか?すでに自動車

の無人運転は実用化の段階に達しつつあるし、また様々な製造工程

におけるロボット化によって省人化が進み、サービス業務の無人化

や、更に医療診断や医療技術までもAI化したロボットが執刀する

ようにでもなれば、つまり、これまで人間の知能によって構築され

てきた社会システム全般が、それこそ行政はもとより政治や司法ま

でも、つまり三権までもがヒュ―マ二ズムに則ったAIに委ねられ

るようになれば、もちろんそれが圧倒的に近代人の知能や技術より

も優れていなければならないのですが、それでも、たぶん今の政治

だけはいち早くAIに任せた方がより良いに違いないが、そうなれ

ば数多の無能な政治家が不要になって厖大な経費が節約できるはず

だが、ただ、政治権力を持つ政治家が既得権を手放すわけがないに

違いないが、こうして全ての知的判断がAIに委ねられ、人間はた

だ単純作業だけをすれば良いだけのAI化社会で、果たして知能と

技術を代替が可能な機械に委ねた人間は、つまり知能を含めての身

体性を放棄した人間は、ではいったい何のために生きていると言え

るのだろうか?

                         (つづく)


「あほリズム」(617)

2019-12-03 03:12:56 | アフォリズム(箴言)ではありません

         「あほリズム」

 

           (617)

 

 そもそも世界経済が行き詰っているのに中国経済だけが

限りなく成長するなんてことは有り得ないはずで、つまり、

中国の経済成長は遅れていた近代化を取り戻しただけのこ

とで、世界と肩を並べた時に行き詰る。かつての日本経済

のように。

 

 

           (618)

 

 そもそも近代社会は民主主義と共に成長するはずだが、中

国が封建主義的政治を革めることができないのは儒教道徳の

呪縛から逃れられないからだ。しかし、香港の若者たちによ

る民主化運動は燎原の火のごとく中国全土へ燃え広がるかも

しれない。その時、天安門事件が再燃して遅い「北京の春」

が始まる。


「あほリズム」(615)

2019-12-01 04:56:49 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

           (615)

 

 経済成長の陶酔から醒めたらニヒリズムが待っている。

「覚醒」した中国はこれからニヒリズムの時代を迎える。

それは、クスリと自殺が蔓延する「無聊」の時代である。

何故なら、宗教のない社会に芸術は育たないからだ。つま

り、管理主義の下で芸術を棄てた彼らはニヒリズムに陥る。

 

            (616)

 

 ニーチェは、世界とは生成であり、生成の世界とは変遷

流転する世界で、そこでは絶対不変の《真理》とは幻想で

しかなく、固定的な真理(理性)に基づく世界認識はやがて

われわれを没落させると語った。そして「われわれは真理

のために没落することがないようにするために、芸術をも

っている」と言い、そして「芸術はニヒリズムに対する卓

越した反対運動である。」と言うのだ。

 では、芸術を認めない中国社会はいずれ「ニヒリズム」

へと没落するに違いない。これは何も中国だけのことでは

ないが、管理社会は常にニヒリズムの下で営まれるのだ。