lizardbrain

だらだらぼちぼち

人類の進歩と調和 (完) スタンプとトランプとチケット

2020年03月26日 10時59分01秒 | エキスポ"70
いよいよネタが尽きてしまったので、今回で1970年の万博シリーズはおしまいとなる。
つまり、在庫一掃大団円。

まず、記念スタンプ特集。



オーストラリア館。



カナダ館。
パビリオンのスタッフの人がサインしてくれたはず。
ワタクシのようにサイン帳とかスタンプ帳とかパンフレットの余白とかに、サインしてもらおうと群がってた風景を憶えてる。



ラオス王国館。



韓国館。
これもサイン入り。
なんて書いてんの?



松下館。
この記念スタンプの画像を自分で見た感想は、
「後日、こんな風にお目にかける機会があるとわかっていたらば、スタンプをもっと真直ぐに押しとけば良かったなぁ。」
 


『ファンハウス』という乗り物チケットが残っている。
どんな乗り物だったのか憶えていないが、¥100。
これだけが残っているという事は、他の乗り物には乗っていないのだろう。
この『ファンハウス』とやらについてググってみたが、さっぱりわからなかった。
その代わりに、オークションサイトに大阪万博のチケット(使用済みを含む)やら関連グッズやらが出品されているのが見つかったので、驚いた。
そんなもん、買う人、おるんかい?
というのが感想。



お土産に買った(買ってもらった)トランプ。
この形のトランプは扱いにくくて、帰ってからもほとんど使わなかった。
あと、面白がって10色くらいのボールペンも買った(買ってもらった)が、10色もあるとボールペンの軸がすんごく太くなって使いにくく、
インクが切れてもそのボールペンに合う替え芯がどこにも売っていないのを心配してたら、
「ちょっと貸して」
と同級生に言われてうっかりと貸したところ、壊されてしまった、、、、、、、
自分ではほとんど使わない間に、、、、、

昔も今も行列するのは苦手なので混雑している人気パビリオンを避ける傾向があるのが原因で、大した資料が残っていないのが残念だが、
かといって次回の大阪万博には全く興味がわかない事を断言する。

人類の進歩と調和 (12) 日本民芸館パンフレット

2020年03月25日 13時08分06秒 | エキスポ"70
日本民芸館。


表紙。


見開き。


裏表紙には出展企業一覧。

『暮らしの美』をテーマにした出展で、

『手仕事を基調とした古い民芸品』
『伝統的な技法を今日に継承する現代の新作民芸品』
『伝統の民芸品が持つ工芸の本質に即した個人作家の新作品』
に分けた展示をしていたようだ。

人類の進歩と調和 (10) 生活産業館パンフレット

2020年03月23日 11時07分37秒 | エキスポ"70
という事で、1970年の大阪万博について。
小出しにしながら、あと4本追加する。



国内の企業団体が共同で出展した生活産業館。

          

『ハニーハウス』という展示コーナーと、『カルーセル』という回転劇場、そしてレストランで構成されていたらしい。



ハニーハウスは『プロローグ』『朝の家族』『働く人々』『喜びの家族』『団らんの家族』『夢見る喜び』をテーマに展示。



回転劇場とレストラン(新宿中村屋レストラン、日本ハムレストラン、タマノイ酢南海グリルが出店)の案内。
この生活産業館の記憶はほとんどないが、大混雑するレストランで何か食した記憶はある。
あんまり美味しくなかったという事だけははっきり憶えている。



出展企業団体名一覧。

          
記念スタンプ。


人類の進歩と調和 再開します

2020年03月22日 11時19分57秒 | エキスポ"70
ワタクシんちの隣にアヤシゲな美容師夫婦が経営するアパートがあった。
そのアパートは『売家』という看板を掲げていたのだが、3年以上経っても売れずにいた。
そしたらある日、ついに、アヤシゲな美容師夫婦が経営するアパートから出火して、ワタクシんちまで類焼してしまった。
更地になったアパートの敷地は、何年か後にやがて別の人に買われていったわけで、ヤツラにとっては『濡れ手に粟』が実現した。
ヤツラはすぐにベンツに乗り換えて、以来、一言の謝罪もなく、そっくり返っている。

このたまったもんじゃない事件が起きた頃、『Expo”70』というカテゴリーで『人類の進歩と調和』と題して9本の記事をまとめはじめた直後で、もう少しネタがあったのに中断してしまった。
幸い、資料となるパンフレット類のスキャンデータはPCに残っているので、いっそこのカテゴリーを完成させようと思う。
どっこいしょっと(重い腰を上げた音)。

2008年4月にアップした9本の古い記事の画像リンクが切れていたのでそれを修正して、
こいつら人類の進歩と調和(1)(9)を今日の日付で一気にアップした。
リサイクルではなくて、リマスター版として。

短い記事になるが、あと4本分追加する予定。

どっこいしょっと(再び重い腰を上げた音)。

人類の進歩と調和 (9) 三菱未来館パンフレット

2020年03月22日 11時19分09秒 | エキスポ"70
引き出しの中から、1970年の大阪万博の時のパンフレット類が出てきたので、面白がってアップし始めたのだが、情熱の方がだんだんと尻すぼみになってきたような気がする。
困ったもんだ
原因がどこにあるのかというと、当時の記憶のほとんどが欠落している事が一番大きいだろう。
困ったもんだ
な事をぼやきながらも、残り少なくなってきた大阪万博ネタのうち、今回は三菱未来館。

          



前室。

    

50年後のあなたと題して、50年後の生活を予想している。
抜粋すると、家事は全て機械がやるために、主婦は座って電子プログラムにあわせてボタンを押すだけ。
世界中のテレビ中継が見られ、プールや自家用ヘリが一般家庭に普及する。
ミルクはコックをひねるだけで飲め、料理は電子自動調理器で簡単に出来上がる、、、、、、etc, etc, etc,,,,,,
う~ん、、、、、こういった夢いっぱいで楽天的な未来予想が、住宅、学校、オフィス、病院、スポーツ、農業、漁業、の各項目ごとにこれでもかこれでもかと繰り広げられている。
オフィスの項目では、『通勤ラッシュは解消されている』との予想。
ま、あくまでも予想なわけだから、当たったとか外れたとかは言いっこなしか。
1970年から数えて50年後、考えてみると、2020年はまさしく今ではないか

          



この3枚は、展示物の紹介。3枚目(右端)のページに超指向性スピーカーについての説明がある。
このパビリオンに実際に設置されていたようだ。
この頃から超指向性スピーカーが研究されていたとは、今更ながら驚いた


人類の進歩と調和 (7) イラン館パンフレット

2020年03月22日 11時18分41秒 | エキスポ"70
大量に一気に押し寄せる入場者に備えて、パンフレットの方もとにかく大量に印刷する必要があったのだろう。
それはどこのパビリオンでも事情は同じだったようで、産油国として当時からお金持ちだったはずのイラン館のパンフレットに使われた紙もあまり上質の物ではない。



紙質が良くない上に表紙の色合いが暗めなので、この画像ではわかりにくいと思われるが、表紙には、イラン国王からのメッセージが記されている。



これまた翻訳口調なので、一部で回りくどいような表現もあるが、改行位置もそのままに、そのメッセージを表記してみると、



我々が等しく望んでいる理想の世界とは、人間のあらゆる
建設的、創造的思想の力が
-国土、人種、宗教の違いを超越してー
調和的に働く全人類に適した
社會をつくりあげるようなそんな世界である。
イラン国王 モハメッド・レザ・パハラビ・アリヤメヘル陛下





人類の進歩と調和 (6) ソ連館パンフレット

2020年03月22日 11時18分26秒 | エキスポ"70
大阪万博で人気を集めたパビリオンというと、月の石を展示していたアメリカ館とソ連館がダントツの入館者数を誇っていた記憶がある。
人気パビリオンでは、入場待ちに2時間あるいは3時間の行列というのも珍しくなかったようだ。
子供の頃から忍耐力に乏しかったワタクシは、行列が嫌いだったので、アメリカ館へは行っていない。
だが、どうして、ワタクシの手元にソ連館のパンフレットが残っているのだろうか?

          

アメリカ館に行っていない事は断言できるが、ソ連館については行ったかどうかの記憶が心もとない。
例によって、館内にどんな展示物があったのかどうかは記憶していないが、なんとなくソ連館に行ったかもしれない気になってきた。



小学校の修学旅行で万博見学に行った折に、どのパビリオンを見たいかという希望者を何班かに分けてゾロゾロと連なって入館したような気もする。



あの頃は、ソビエト連邦共和国という大国が消滅・分散してしまうなどとは思いもしなかった

人類の進歩と調和 (5) 松下館パンフレット

2020年03月22日 11時17分49秒 | エキスポ"70
そう言えば、小学生の頃、松下電器グループの創設者である松下幸之助氏の伝記本を読んで、いたく感銘を受けた時期があった。
松下幸之助氏がW山県出身であった事も、少なからぬ影響があったと思う。



松下館パンフレットの表紙。



パンフレットは残ってはいるものの、こんな竹の道を歩いた記憶などさっぱりない。



この松下館のタイムカプセルのおかげで、当時のあちこちの学校で、タイムカプセルを校庭に埋めたはずだ。
ワタクシの通っていた小学校でも、下手くそな絵だとか作文を詰め込んだ、タイムカプセルを埋めた事は憶えている。
絵や作文は下手くそながらも、あの頃の純真さはいったいどこへ行ってしまったのだろうか?
そして、あの時埋めたタイムカプセル。あれを掘り出すのは何年後の約束だったのだろうか?
30年後だったのか、それとも50年後だったのか?
30年後ならとっくに過ぎているし、それならとっくに地元の地方新聞の記事になっているはずだ。
という事は、掘り出すのは50年後だったのだろうか?
仮に50年後だったとして、タイムカプセルを校庭のどこへ埋めたかは、小学校に記録が残っているのだろうか?
少なくとも、ワタクシには記憶が残っていない。
果たして、その時まで生命体としての機能を維持できているのだろうか?
タイムカプセルを特に楽しみにしているわけではないが、かといって、既に誰かが掘り出してしまった後だったりすると、グレてしまうかも



松下館のタイムカプセルを開け放つのは、1970年から数えて5,000年後らしい。


人類の進歩と調和 (4) イタリア館パンフレット

2020年03月22日 11時17分31秒 | エキスポ"70
ワタクシが大阪万博会場へ行ったのは、たった4回。
そのうち、最初の1回は、小学校の修学旅行の一環としてだった。
前日に京都に泊まっての1泊2日の行程の2日目が万博見学だったのだが、団体でのバス旅行だったので、現地での滞在時間は短かかった。
午前中に京都を出て、吹田に到着
万博会場のどっかの広場の隅っこに座り込んで、全員で弁当を食したのだが、その弁当のおかずに鮭の切り身が入っていた事は鮮明に覚えている。
その後、夏休みになって、祖父の法事にかこつけて神戸の叔父宅に泊り込んで、3日連続で万博見物に出かけたので、都合4回。
朝、のんびりと起き出してから神戸から吹田まで出向き、会場内で昼食をとり、夕方前には神戸に戻っていたので、この時も現地滞在時間は短かった。
つまり、4回行ったのだが、いったいどんな展示物を見て回ったのかはさっぱり覚えていない。
手元に残った当時のパンフレットを眺めてみても、ほとんど想いだせない、、、、、

今回は、イタリア館のパンフレットの一部を貼り付けよう
想いだせるかな、、、、、?



イタリア館パンフレットの表紙。
ちょいとアヤシ気な画像に見えなくはないが、なにしろ芸術の国イタリアである。
気にしないために、やや小さめのサイズでのアップ。



イタリア館全体図。
このパンフレットの紙質はあまり良くなく、わら半紙みたいにガサガサした紙を使っている。

歴史や経済や文化などの記事の間に、イタリア企業の広告が載っている。
翻訳口調そのものの堅苦しい記事よりも、その広告の方に興味をひかれる。



これは、アリタリア航空の広告。



オリベッティの広告。



アルファ・ロメオ。



フィアット。



ピレリ。

人類の進歩と調和 (3) 入場券、しおり

2020年03月22日 11時17分09秒 | エキスポ"70


1970年の大阪万博の入場券。
上が小人、下のが大人。



入場券を買うと、こんな紙ケースに入れてくれた。



上の紙ケースの内側には、会場周辺図が。
ナショナルのロゴが、なんかレトロやねぇ。



こっちは、お土産用のしおり6枚セット。
紙ケースの表側は、太陽の塔。



紙ケースの裏側は、会場全体像。
中に入っているしおりを、チマチマと1枚ずつ紹介。



上がアメリカ館、下がカナダ館。



上がシンボルゾーンの太陽の塔、下がオーストラリア館。



上がソ連館、下がビルマ連邦館。
今ではミャンマーと呼称されているが、ビルマという国名のほうがなじみが深いぞ。



上がイギリス館、下がオランダ館。



上がキラキラ輝くスイス館、下がエキスポランドの観覧車。



上がフランス館、下がイタリヤ館。この6枚セットのしおりは、¥100。小学生の小遣いで買えるのは、この程度のものだった。


人類の進歩と調和 (2)ガイドマップ

2020年03月22日 11時16分22秒 | エキスポ"70
大阪万博のガイドブックから、もうひとネタ。



きれいにスキャンできなかったが、会場内の乗り物について。

モノレールは無料で、2分半~3分間隔で運行。
無料とは言うものの、これに乗った記憶は全くない。
一番すごいな~と思ったのが、動く歩道
要するに、平面にしたエスカレーターなのだが、大人になる頃には、日本中の道路が動く歩道になっているのではないかと、ワクワク期待したものだ。
社会人になって、梅田の阪急乗り場にこの動く歩道を見つけた時はビックリしたぞ。
しかも、これに乗っている人たちが、動く歩道の上でもセカセカと早足で歩いているのを見た時の驚きといったら、、、、、
ロープウェー、これも乗った覚えがない。
西口と万博ホールの間900メートルを運行していたらしい。
料金は大人¥200、子供¥100。
ファミリ-カーというのもあったのか?
6人乗りの電気自動車らしいが、ゴルフ場のカートそのものではないか。

つづいて、上の画像の下半分に載っている各種料金表について。
入場券は、大人¥800、子供¥400。
15~22歳に適応の青年割引入場券が、¥600。
午後5時以降の夜間割引入場券というのがあって、大人¥400、青年¥300、子供¥200。
会場の近所に住むシアワセな子供達は、この夜間割引入場券で出入りしていたんだろうなぁ。

エキスポランドの乗り物料金は、ダイダラザウルス、宇宙ステーション、回転ジャングルマウス、ハリケーン、急流すべり、ミニレール、大観覧車、ファンハウスが、それぞれ¥100。
アストロジェット、宇宙線シャワー、メリーゴーランド、木馬の散歩道、フライパン、おもちゃのコーラスが、それぞれ¥50。
このうちの何かに乗った記憶があるが、何だったんだろうか?
ダイダラザウルスではなかった。あれは人気者だったから。

万国博美術館入場券は、大人¥200、青年¥150、子供¥100。
美術館まであったのか、な~るほど


人類の進歩と調和 (1)ガイドマップ

2020年03月22日 11時16分06秒 | エキスポ"70
1970年、3月15日から9月13日までのおよそ半年間、大阪府吹田市で、万国博覧会が開催された。
当時のワタクシにとっては、小学5年生から6年生にかけての事。
イナカモノの小学生達にとっては、そりゃあもうドでかいイベントに感じられたのも無理はない。
なんせ、ワタクシの小学校の修学旅行では、定番の京都観光の翌日に大阪万博を見学すると言うコース設定がされたくらいだ。
正直言って、どうしてこんな物を保管していたのかは良くわからないのだが、当時のパンフレット類が手元にあるので、アップして行こうっと。
但し、パンフレットといっても、その数は少ない。
ましてや、入場待ちの観客が長蛇の列を作った、アメリカ館をはじめとする人気パビリオンへは入場できなかったので、悪しからず。



朝日新聞社発行のガイドマップの表紙。
新聞購読者に無料で配布された物だったと思う。
タイトルの『EXPO'70』という文字のところが見づらくなっているが、ここにカラーサインペンで落書きしたのは、ワタクシである。
なにぶん、いたいけな小学生だったのだから、これくらいの事は大目に見てやっていただきたい。



ガイドマップを開いていくと、会場への交通についての案内がある。
当然の事だが、国鉄がまだ存在している。
北大阪急行電鉄というのは、あのモノレールの事だろうか。



会場までの交通網。



こちらは、大阪駅(梅田)周辺の案内図。
この地図では、現在とあまり変化が無いようにも見受けられるが、コテコテの大阪人の目にはどう写るのだろうか?
案内図の下に、名神・東名高速道路の料金表が載っているので見てみると。
例えば、吹田~西宮まで普通車¥250、小型車¥200。吹田~東京が普通車¥4,100、小型車¥3,150。
現在は、吹田~西宮¥800、吹田~東京¥10,650、という事は、3倍以上に値上がりしているのか、、、、



会場図。
観覧時間5時間、7時間、10時間のコース例を紹介している。