先日話したように、達郎シアターイベントのために梅田に泊まってしまった。
翌日の29日は、降りそうで降らないけどそのうちきっと降ってきそうな空の色で、予定していた屋外への外出はやめて、京都文化博物館での『ベネツィア展』を観覧。
ついこないだ、WOWOWで観た『ツーリスト』という映画でヴェネツィアの景色は堪能しているのだが、(ま、それだからこそ今回の展示に興味を持ったのだが)装飾品やら絵画から当時の様子をちょっとばかり覗き見してしまった。
どうやらワタクシにとって一番の収穫は、展示されていた巨大なシャンデリアの実物で、
当然ながら、当時のシャンデリアはロウソクを立てるわけで、こいつのロウソクへの点火担当者はどんなにかハラハラした事だろう。
ひとつ手元が狂って、うっかり500以上の部品で組まれたという高価なシャンデリア自体を落っことしたりすると、どんな罰ゲームが待っているのかわかったもんじゃない、、、、、
などと、恐ろしい妄想に取り付かれてしまった。
上の写真は、1Fエレベーター前の記念撮影コーナー。
こっそり犯罪者的に撮ったわけじゃないので、ご理解を。
大阪に比べると、京都の地下鉄は列車の間合いが長くないかなぁ?
気のせいかなぁ、、、、、、?
かねてから予約していた達郎の1週間限定シアターイベント、早い話、昔で言うところのフィルムコンサート(フィルムじゃないけどね、、、、笑)を鑑賞すべく、梅田ブルク7に乗り込んだ。
ちなみに、映画の前売り券と一緒に9月に発売されるオールタイムベスト盤も一緒に予約してしまった。
映画の前売り券とベスト盤を別々に買うよりも180円くらい安かったというのが真相だが、ワーナーの商売上手さにしてやられたかも。
ブルク7での達郎シアターライヴの上映は1日4回で、そのうちの夜の部の18:40~20:20の回を鑑賞。
さすが達郎が自分で厳しく音質チェックをしたというだけあって、80年代のライヴもついこないだの2012年のライヴも同じくらいのグッドサウンドがブルク7を揺るがした。
本編上映前の予告編の時間を差し引くと、およそ1時間半くらいの上映時間だろうか。
1週間限定とはいえ、もう少し達郎の知名度は低いかもと心配していたのだが、客席は70%強くらいの入りで、ワタクシとしてもなぜかホッと一息。
何よりも、全てのライヴシーン上映が終わっても、エンドロールで使用楽曲の収録年月日とバンドメンバーの一覧がスクロールされるのに皆注目していたのか、全部終わるまで誰も席を立たない。
終了後に、客席のあちこちから拍手が起きていた。
映画の上映終了後に拍手、、、、、、、
小学生の頃に学校の授業で行った映画鑑賞の時には、こんな風に拍手したっけか、と懐かしい気持ち。
「達郎って、80年代の頃は、すんごい厳しい顔で歌っとったけど、最近のは余裕のある表情で歌うとるんやね。」
と、帰りのエレベータの中で一緒になったグループの会話が聞こえてきた。
映画を観てて、ワタクシもそれは感じた。
昔のは、なぜだが眉間に皺を寄せて歌ってる曲が多かったから。
これまでほんの4回ばかり達郎のライヴを観戦したのだが、今回のシアターライヴを観ていて感じたのは、達郎のギターカッティングがすんごく高速な事。
絵だけ見てると早回しかと勘違いしかねない。
こんだけの高速カッティングをやりながらも、あれだけ唄える人だと再認識して、さらに尊敬のまなざし。
曲名は伏せておくが、ラスト曲の映像では最前列の女の子が泣きながら聴いているのも観ながら、泣きそうになった自分自身がいとおしい。
上映は8月31日までの予定だったが、1Fエレベータ出口に、
『好評につき、9月2日まで延長』
と張り紙があった。
こいつをなんとかDVD化してくんないだろうかなぁ?
無理かなぁ、、、、、?
8月19日、神戸国際会館こくさいホールで熱帯ジャズ楽団ライヴを観戦。
熱帯ジャズ楽団は、2010年10月に森ノ宮ピロティホールで綾戸智恵をゲストに迎えた時以来になる。
この日は元町経由でホールに着いたのだが、12時頃に元町を歩いていると交差点に機動隊員が何人か整列していて、いつも静かな神戸の町中が騒がしい。
騒がしい理由はすぐに判明した。
機動隊員が立っている交差点を、フルボリュームで何やらがなりたてながら右翼団体の街宣車が集結しだした。
街宣車のアナウンスによると、教師の組合が神戸で大会をやっているらしい。
教師の組合は、あろう事か、前日まで国際会館に集まっていたらしい。
大会は前日に終了したものの、この日もまだ神戸に分散して何やら会合を開いているのだという。
(この情報は、全てこの時の街宣車からの放送(?)から得た)
15:30の開場前にこくさいホールに着いたら、
国際会館の前の交差点には、たくさんの警察車両が集結。
歩道からの景色はこんな具合で、
国際会館2階からの景色はこんな具合。
2階にあるホール入り口付近からは見晴らしが良いためか、私服刑事も何人かトランシーバを片手に待機している。
私服刑事にできるだけアヤシイ人間に思われないようにしばしたたずんでいたら、入場時間となる。
ワタクシがホールに入場するまでは静かだったで、その後、このあたりの様子がどうなったのかは知る術は無い。
この日のゲストは、『チキンガーリックステーキ』というグループ。
名前だけは聞いた事があったものの、神戸で活動するアカペラコーラスグループだと言うことは初めて知った。
オルゴールの森美術館で予想外に時間を食ってしまったので、予定より遅れて夜になって豊橋に到着。
往路は古いほうの東名高速を通ったのだが、帰路は新東名に乗っかってみた。
新しい道路で確かに走りやすい。
事前に新東名の情報をチェックすると、
『新東名にはまだオービスが設置されていない。』
というのがあった。
ワタクシのカーナビには新東名のデータが入っていないので、取り締まりポイントの存在も良くわからない。
ただやたらに
『覆面パトカーによる取締り中』
という標識が立っていたのが気になって、周囲の流れに乗ったアクセル操作に終始した。
なんたって、エコカーだし。
カーナビの地図に載っていない道路を走行すると、地図上の何にも無いところを走っているわけで、目的地までの距離だとか所要時間だとかが全然表示されない。
下調べをしてるので大体の距離は把握していたが、こういうのもたまには面白いかもしれない。
最終日は豊橋に泊まって、5日目になる翌日は自宅に帰るだけ。
こうして今回の放蕩ツアーは無事終了。
雨にたたられたわけではないが曇り空に悩まされたのが反省点だが、反省したって始まらない。
この次は、きっと、
文句のつけようの無い晴天で、
富士山がそこそこの雪化粧している時期に行ってみたいもんだ。
で、写真は最後のネタ。
富士山周辺を走行していると、見慣れない『富士山』ナンバーをつけたクルマに何台かでくわした。
ご当地ナンバーというやつだろう。
大阪の『なにわ』ナンバーに比べて、『富士山』ナンバーとはなんと美しいナンバーだろうか。
しかし、悔しいなぁ、、、、
今朝、洗濯物を干して15分後に雨が降り出した、、、、、、
ネットの雨雲レーダーの予測図では午後からにわか雨だったはずだが、それを信じたワタクシが愚かだった、、、、、
と、まあ、これを入力中のリアルタイムの出来事は置いといて、河口湖のオルゴールの森美術館の話の続きに戻るとして、
オルゴールの森美術館で写真を撮り過ぎてしまったので2回に分けたわけたのだが、今回がその後編。
入館した後にどうやら順路を間違えていたような気もして、今になってガイドマップと照合しているのだが、まず最初に入った、前編で紹介したオルゴールは第3展示場らしい。
やはり、順路を間違えていたか、、、、、、、
で、こちらは後から入った第1展示場。
展示場に入ると、前面にこんなデカい装置が鎮座している。
六甲山のオルゴールミュージアムにあったのもデカかかったが、六甲山のが大型家具だとすると、こちら河口湖のはまさしく壁と表現するしかないぞ。
部屋の後方からの景色はこんな具合。
左右の壁の上部の装飾も凝っている。
案内板によると、このデカい装置は1920年頃ベルギー製のダンスオルガンだという。
主にスケートリンクやダンスホールで活躍して、数十名編成の管弦楽団に匹敵するのだそうだ。
実際、このオルゴールを演奏するコンサートの時間に居合わせたのだが、この数十名編成の管弦楽団に匹敵するという表現が大げさではなく、確かにすんごい迫力だった。
正面の壁面の一面を占める装置(1枚目の写真)だけがオルゴールだと思っていたのだが、左右の壁面上部の装飾(3枚目と4枚目の写真)もオルゴールの一部で、ここに居る人形達もオルゴールの演奏と同時に動くんだそうだ。
第一印象として、正面のデカいオルゴール装置の意匠に合わせて建物をデザインしたのかと思っていたら、そうではなかったたようで、言うなればこの建物自体が巨大なオルゴールになっているのだ、、、、、
毎時30分からオルゴールコンサートが催されて、今回は1回分しか鑑賞できなかったが、ノンビリできる時間さえあれば一日中でも居られそう。
ほら、このフロアの左右(2枚目の写真)にはふわふわのソファがあって、実際、この時もソファでくつろぎながら熟睡している人達もチラホラ。
河口湖オルゴールの森美術館HPも見直してみたのだが、ホムペのガイドマップにあるのにワタクシの記憶に無い施設もある。
どうやら、順路どおりに進まなかったのが災いしてか見落とした施設もあるようだ。
テラスでアイスコーヒーを飲んでると、時刻はもう16時を過ぎようとしている。
気づかない間に1時間も居たことになる。
今回の富士山放蕩ツアーの終了が近い。
最終宿泊地の豊橋に向かうため、出口近くのローズガーデンを横目にして駐車場に戻った。
あ、そうそう、
チケット売り場で、『平日限定プレミアム招待券 有効期限9月1日~11月30日 本件1枚に付き1名様有効』というのをいただいてしまった。
これを持っていくと無料になるようだ。
おそらくワタクシが賞味期限内に使うことは無いと思われるので、ご希望の方はご覧の宛先までご連絡いただきたい。
7月19日、視界不良の富士山スカイラインから下山して、本栖湖に着いたのが14時過ぎ。
悲しい事に、この日のうちに愛知県豊橋市まで移動しなければならないので、どんなに遅くとも17時頃には近くのインターから高速道路に乗っかっておかなければならない。
という事で、あんまりゆっくり周遊する余裕がなくなってきた。
富士五湖のうち、残る精進湖を一周するとしても、小さい湖なのでそれだけでは時間が余り過ぎる。
忍野八海に行って、その近くにある23年前にバイクでやって来た時に立ち寄った喫茶店で、コーヒーでも飲もうか、、、、、、?
御殿場で2泊すればたいていのところは周遊できるつもりでここにやって来たのだが、そうもいかなかったようだ。
困った、決断を迫られた結果、忍野八海は前回にも行った事だし、いっそオルゴールの美術館へ行く事にした。
河口湖オルゴールの森美術館は、今回の旅程でもしも雨にたたられたら立ち寄ろうと思っていた所のうちの一だが、優先順位が上がってしまったようだ。
15:00、河口湖オルゴールの森美術館に到着。
駐車場にクルマを止めて道路の向かい側の美術に行く途中、レトロ仕様のバスが横切っていった。
最近のどこの観光地でもお目にかかる、ボンネットバス風のスタイル。
ワタクシが子供の頃に走っていたバスは、全部こんな鼻先の長いバスだった。
鼻先が長い分だけ客席が狭くなって、乗車できる人数が少なくなるのだが。
何の予備知識も持たずにエントランスに。
思ったよりも広そうな敷地だ。
展示場に入ると、ちょうど団体客相手にガイドしている最中だった。
遠目に写真を撮りながら、ガイドさんの説明に耳を済ませる。
別に盗み聞きしなくても、質問さえすれば答えてくれたんだろうな。
盗み聞き(笑)しながら撮ったオルゴール達。
ホントはもっとたくさんあるよ。
建物、中庭、
撮影ポイントはたくさんありそう。
たくさん写真を撮ってしまったので、
オルゴールの森美術館、後編に続く。
今回の放蕩ツアーの宿泊地は、16日は所要の為まず大阪で1泊、翌日から御殿場で2泊、豊橋で1泊。
泊まったのは、どちらも頭文字『R』で始まる某ビジネスホテルチェーン。
と言うことは、ポンタカードのポイントは貯まり放題。
この頭文字『R』で始まる某ビジネスホテルチェーンの特色は、基本的に大浴場を備えている事(地域によっては個室のユニットバスだけのホテルもあったが)と、無料朝食バイキング。
無料朝食バイキングをやってるビジネスホテルはあちこちにあるが、大浴場付きというのはあんまり存在しない。
天然温泉でなくても、ノンビリ手足を伸ばしてくつろげるのはありがたいのでここに予約したのだが、この御殿場のホテルの大浴場にはちと問題があった。
つまり、大浴場のお湯が熱すぎたのだ。
ワタクシにとって快適な湯温に比較して、体感湯温で2~3度くらい熱くて、ノンビリ手足を伸ばしているとゆだってしまいそうだったで、すぐに浴槽から出るしかなかった。
ホテルのアンケート用紙にそのあたりをタレこむ手もあったが、ま、いいかとそのまんま後にした。
さて、7月19日、
富士山放蕩ツアー3日目の朝がやってきた。
ワタクシ自身には何も心当たりは無いのに、3日目のこの日も天気予報は曇り空がベースだった。
2泊したホテルをチェックアウトして、荷物を持って駐車場に向かうと、、、、、、
アレレ、、、、、、、、
うす曇の空の向こうに、大部分が雲に隠れた富士山が見えているではないか、、、、、
この御殿場のホテルの駐車場から富士山が見えているとは、御殿場を後にしなければならいこの日になっての大いなる発見だった。
さて、富士山周遊最終日はどこへ行くべきか?
前日の富士すばるライン5合目から富士山の姿が見えた幸運に味をしめて、今度は別方向から富士山に登ってみたくなった。
御殿場側から、南富士エバーグリーンラインという有料道路に乗っかって、富士山スカイラインを攻めることにした。
10:15。
十里木高原付近では、これだけ晴れている。
ところが、11:10。
終点付近に何やらバブリーな施設の残骸(?)があるのが気になる南富士エバーグリーンラインを抜けて、水ヶ塚PAに着くと、しっかり曇っている。
曇り空が見えないふりをしながら、富士山スカイラインを通る。
新5合目PA、標高2400mの富士山表口の駐車場あたりには、一面のガスが出ている、、、、、
何にも見えない、、、、、、、、、
それでも、こんなレトロな記念メダル販売機を見つけて、ネタひとつゲット。
その昔、とある空港でこれに似た機械で記念メダルを刻印したことがある。
まず、左の機械で買ったメダルを右の機械にセットする。
そして、右の機械を操作して、メダルに文字を刻印するわけだが、刻印する文字数と最初にメダルをセットする位置をあらかじめ計算してから刻印しないと、メダルのセンターと刻印した文字列のセンターが合わなくなるので要注意。
(ワタクシがとある空港で失敗したのはかなり昔の話なので、今の機械は改良されているかもしれないが)
前日と同じように、ここでも漢字言語国民集団が大挙してやってきている。
オンナゴコロと同じように変わりやすい山の天候とは言っても、この日のこの様子ではしばらく青空は期待できそうに無いので、長居をせずに下山する。
どうやら今回のハイライトは、前日の富士すばるラインからの富士山の姿だったのか、と考える。
つまり、ここには、必ず、また来なければならないという事だ。
いつか晴れた日に、きっと。
クネクネ道をノロノロスピードで降りていく観光バスの後について下山して、14:04、本栖湖に到着。
富士山に対する方角が変わったからなのかどうなのか、下山してみると下界からは富士山が良く見える。
悔しいほどに良く見える。
ただ、スッキリした青空ではないでボヤけた富士山なのが、ある意味で悔しさを薄めてくれる。
通りがかった富士緑の休暇村の背景もボンヤリと霞み気味に。
さて、この日のうちに最終宿泊地の愛知県豊川市まで移動しなければならない。
残り時間を惜しみながら、次の目的地まで移動を始める。
前回に話したように、23年前にバイク出来て山中湖に2泊したのだが、あの時に泊まった山中湖の簡保センターは今は存在しない。
あの頃の簡保センターは安かったなぁ。
朝夕2食が付いて部屋はツインベッドのシングルユースで、その上館内に大浴場があって、それで1泊¥3,000代で泊まれたのだから。
当時は確か、『簡保センター』と呼ばれていたが、現在は『かんぽの宿』と称しているようで、今回、宿を探す段階でかんぽの宿のサイトで山中湖の簡保センターを調べてみたのだが、今では山中湖にはかんぽの宿は存在しない。
どうしてかんぽの宿が縮小されてしまったのかと言うと、あのわけのわからん郵政民営化のせいなのだ。
郵政民営化の必要があったのかというと、どう考えても全くの疑問だらけだろう。
あの頃、妙に人気があったらしいコイズミとかいう政治家が勢いに乗って民営化をやっつけてしまったが、それで結局、何が良くなったのだろうか?
日本人は、なんであんな政治家どもに票を入れたのだろうか?
あのオッサンについては言いたいことが山ほどあるが、話を元に戻すとして、
その時(23年前にバイクで山中湖にやって来た時)も、それ以前に中学校の修学旅行の時で河口湖にやって来た時もどうにも空模様が悪かった。
時を隔てて、ワタクシが富士山周辺にやってくるたんびに空模様が悪くなるのをぼやいていたら、山中湖の簡保センターのフロントマン氏の、
「ここから富士山が見えない時でも、山に登ってみると見える時がありますから、せっかくお出でになったのですから、5合目まで上がってみてはいかがですか。」
との一言に背中を押されて、5合目まで駆け上がってみた。
あの時は、結局、5合目まで登っても一面の雲の中で、富士山の姿を見ることができなかった。
で、今回の御殿場放蕩ツアー2日目となる7月18日も下界から富士山の姿はその足元を少し見せてくれるだけという状態、、、、、
もしも、今回も23年前と同じように富士山の姿が全く見えない、
そんな圧倒的な曇天だったならば、富士五湖とか白糸の滝とか忍野八海だとかを探索する覚悟でホテルを出たのだが、
今見ている方向からよりも、その逆の富士山の向こう側の空が明るいのではないか?
と、なんとなくその気になってきた。
何よりも、はっきりしない空模様だと言うのに、Tシャツから出した両腕が日焼してヒリヒリしだしたのが気に入らない。
今日だめなら、また明日チャレンジすれば良い。
と、富士すばるラインに乗り込む事にした。
通行料金は往復¥2,000。
富士すばるラインに乗っかってしばらくは、一面の曇り空だった。
標高を上げるにつれて、その雲を突き抜けたのだろう、雲は足元よりも下に下がっていく。
見上げる空には青い色が混じってきた。
河口湖畔の道の駅かつやまを出たのが14時過ぎ。
14:50、標高1,663mの樹海台駐車場に到着。
ふもとの方向を見ると、雲が薄くなってきたのがわかる。
同じく樹海台駐車場から頂上の方向を振り返ると、ようやく富士山が姿を現してくれた。
気分が軽くなってきたぞ。
もう少しで、5合目だ。
このあたりまで上がってくると外気温も下がってくるはずなので、クルマのエアコンを切って窓を開けて走るところだが、空気は妙に湿っぽいのでエアコンオンのままで上昇して行く。
15:34。
富士すばるライン5合目に到着。
左の写真は、駐車場に車を置いた直後で、富士山の頭はこんな風に雲をかぶっていた。
が、上空はかなり風が吹いているようで、どんどん流れ出した雲はあっという間に姿を消して、右の写真のようになる。
ワタクシがここにいた間、何度かそれを繰り返していたが、雨が降りそうな様子が無いのがラッキー。
駐車場からふもとの方向に広がる雲海。
たった今、この雲海を抜けてきたのかと感激のあまりシャッターを押す。
逆光だとはわかっていたのだが、、、、、やはり、ハレーション、、、、、
山頂の気温は6度となっているが、湿度が高くて、そんなに涼しく感じられ無かった。
お馬さんも元気に働いている。
ようやくこうして、念願だった『地面に足をつけた状態で富士山を眺める』事が実現したわけだが、7月下旬の夏の富士山は、ワタクシのイメージしていたのとは少し様子が違った。
夏でももう少し雪をかぶっているものと思い込んでいたのだが、思ったよりも雪の量が少ない。
だから、次回のテーマはそこそこの雪景色の富士山に決定。
5合目にはとにかく人出が多かった。
そのほとんどが漢字言語で話す人達だった。
とにかくあたりかまわず大きな声でしゃべくり倒している、もちろん漢字言語で。
ワタクシがカメラを構えてシャッターを押そうとしているのに、その前を姿勢を下げるとかの気遣いもせずに平気で横切って行くのもかの国の人達で、ま、ここで国際紛争を引き起こすわけには行かないので通り過ぎるのを待つことにする。
1時間近くたたずんで、下界に降りる。
どこまでも澄み渡った青空ではなかったので、満足度は半分くらいか。
下界に向かう途中、『御中道自然探勝路』という歩道の入り口の標識があった。
ここでももう1枚。
青空さえバックにあれば言う事無しだったのに、、、、、
17時過ぎ、下界に到着。
休暇村の背景に見えた富士山は、ややかすんでいる。
夕食までにはまだ時間があるので、西湖を一周してみる。
一周している間に、ガスが出て視界が悪くなりつつあるので、ざっと一周しただけで2日目の行動を終了する。
今回の富士山放蕩旅の初日をアップしてから、ほったらかしのまんま既に1週間が過ぎた。
初日に御殿場にたどり着いた所で、途切れている。
ナマケモノの本領発揮という世論からの責任追及逃れのために、少し話題をそらそうと思う。
今ではすっかり東京ディズニーランド中心になっているらしいが、当時のワタクシの地域の中学校の修学旅行は、伝統的に、初日は河口湖に1泊、翌日は東京に1泊という2泊3日の行程だった。
信じられない事だが、中学生だったのは40年ほど前のことになる。
今でもイナカモノで純朴な人間だが、中学生の頃のワタクシはもっともっと純朴だった。
何しろ、生まれて初めて東海道新幹線に乗って、生まれて初めて実物の東京タワーを目にしたのだから。
その上、東京の夜のオプションとして、生まれて初めて後楽園球場で巨人×阪神戦をナマで観戦するというオマケも味わった。
ナマで観た後楽園球場は、やたら広かった。
ジャイアンツの先発は関本、タイガースは江夏。
江夏は、度重なる球審の微妙なストライクボールの判定にキレてしまって、試合中に球審に体当たりしてそのまま退場になってしまった。
試合結果は2対1でタイガースの勝利に終わった。
当時も今もジャイアンツファンであるワタクシであるからして、ジャイアンツが負けたと言うゲーム内容はともかく、その後楽園で、ワタクシの心を痛める情景があった。
近くの席でビールを片手にしたオッサンが、ジャイアンツ先発の関本に対してやたら大きな声でヤジり倒していた。
ワタクシにとって、生まれて初めてナマで見るプロ野球のゲームである。
ゲーム観戦もそこのけに、一生懸命プレーしている選手を口汚くヤジり倒す、しかも、ワタクシが愛するジャイアンツの選手をヤジり倒すという、信じられない行為が存在しているのを目の前にしたのも初めてであった。
もっと信じられなかったのは、その汚らしくヤジり倒しているオッサンに対して、周りの誰も注意しようとはしない事だった、
こんな大人の世界の汚い一面を知って、小さな心を痛めながら悲しい気持ちでいたら、後半になるとそのオッサンは無口になってしまったので、ゲーム観戦に集中することができたが。
そうそう、試合途中で一時的に雨が降ってきた。
東京ドームではなく屋根の無い後楽園球場なので、皆一斉に傘をさしての観戦となったのだが、後ろの席の人がワタクシの背中をトントンと叩いて、
「君がさしている傘からたれる雨のしずくがすぐ後ろにいる自分の足に落ちてくるので、もう少し傘を低く構えてくれないだろうか」
という意味のことを標準語らしき言葉で話しかけられて、標準語を話せないイナカモノだと見抜かれないように緊張して受け答えをした事も覚えている。
何を言いたいのかと言うと、つまり、中学校の修学旅行の時は、雨模様だったのだ。
初日に泊まった川口湖畔のホテルに着く前も、翌朝も、観光バスの窓からは富士山は見えなかったのだ。
時は過ぎて、今から23年前。
既に社会人になっていたワタクシは、今度はバイクで山中湖に2泊した。
山中湖に到着した夜は雨で、その後の2日間は曇っていた。
曇り空の中、バイクで5合目までたどり着いても、富士山の姿は見えなかった。
つまり、
河口湖畔に泊まった中学生の時も、社会人となって山中湖畔に泊まった23年前の時も、
せっかく富士山のお膝元までたどり着きながら、一度も富士山の姿を見ていなかったのだ。
その後、新幹線の中からだとか飛行機の中から富士山を見たことはあるが、ワタクシは、そういうのは『見た』とは表現しない。
『窓の向こうにたまたま見えた』としか表現してはいけない。
早い話、これまでの人生で一度も、地面に自分の足を着けた状態で富士山を見た事が無いのだ。
なんとかこの状況を打破するために、地面に自分の足を着けた状態で富士山を見たい、と願いながら再びやってきたのだ。
つまり、
これまで、ワタクシと富士山の縁は薄かった。
そんなワタクシの願いを知ってか知らずか、滞在予定中の富士山周辺の天気予報は良くなかった。
うまい具合に梅雨明けのタイミングを掴む事はできたが、どのチャンネルの天気予報を見ても、晴れるとは言ってくれなかった。
2日目の御殿場付近は曇り、富士山は午後から雨が降るかもとの天気予報を前夜に確認していたので、朝早めに出れば何とかなるかもと思い、6時に起床してみた。
6時に起きてホテルのカーテンの隙間に広がる空は、どんよりとした一面の曇り空、、、、、
ホテルの窓から空を見ただけで拗ねてしまって、二度寝を決め込んだ。
8時過ぎに、再び起床したのだが、空模様はさっきより少し明るくなった気がするが、曇っているのには変わりが無い。
雨が降っていないだけマシさ、とポジティブシンキングしながら、さっさと朝食を済ませて出かける支度をしてエコカーのエンジンに火を入れた。
どこをどう周遊するのかは決めていない。
起きるのが遅かったので、とりあえず富士五湖を攻めながら様子を探ろうと思った。
山中湖に着いたのが11時前。
真っ先に目に付いたのが、湖に定番のこんな船。
はいはい、喜んで撮らせていただきますよ。
ホテルを出た時より少々空が明るくなった気がするが、山中湖のビューポイントからは、富士山はほとんど雲の中に潜んでいる。
美しいおみ足しか見せてくれないのがじれったい。
『山中湖花の都公園』あたりの道。
山中湖を一周してしまったら、続いて河口湖へ。
蕎麦屋の看板を見かけて、そばを食したくなった。
看板の指示通りに進んでいくと、花畑が。
『なでしこガーデン』と案内板が立っていた。
う~ん、
また少し空が明るくなった気配が。
河口湖道の駅勝山で休憩。
晴天ではないとはいえ、Tシャツから出した両腕が日焼してヒリヒリしてるのが自覚できる。
もしかすると、雲が多いだけで、そんなに悪い天気ではないのかも知れないぞ。