lizardbrain

だらだらぼちぼち

大銀杏

2015年11月30日 15時38分10秒 | 風景光景

生来のナマケモノゆえ、いつも古いネタばかりアップしているのには我ながらあきれるばかりである。
だが今日は、ワタクシにしては珍しくも、本日ついさっき撮った画像を報告。

この季節になると誰もが気にするのは、やはり宝泉寺の大銀杏である。
一昨年来た時には、読売TVのロケにかち合ってしまった
去年は黄葉の時期に都合がつかなかったのでパスしたが、
過去に何度か足を運んでいるのでもう良いではないかと思いつつも、今日の青空を眺めているうちにいつしかクルマは中辺路町に向かっていた。

この大銀杏を撮るのにいつも気になっていたのが、接近してしまうと必ず銀杏と一緒に電線が写ってしまうことだった。
どう角度を変えてみても、どっかに電線が写ってしまう、、、、、、
そんな事をぼやいていたら、お寺の下の旧道の方から撮れば電線を避けられるとアドバイスを受けたので、今年はまずその撮影ポイントを探してみる。
和歌山市方面から来ると、宝泉寺の境内に向かう道は上り坂が続く途中を左折する事になる。
その手前に旧国道が残っていて、さらにもう少し下に狭い旧道の入り口がある。
そこを下って橋を渡るとちょっとした広場になっている。
広場にクルマを止めてみるが、その場所からは別の電線が銀杏の木の手前に見えている。



なまっていたフットワークを発揮して、電線が写り込まないポジションを探してみると、こんな感じに仕上がった。



気を良くして、宝泉寺の境内で大銀杏に接近。


iPhoneでも接近する。
上の画像とあんまり変わらないように思うだろうが、撮った本人には違いが良~くわかる。

本堂の扉が開いていたので、お賽銭箱にご挨拶しておいて周囲を散策。



大銀杏の幹に生えているのはサルノコシカケ。
はて?
いつもここに生えていたのかなぁ?
と思い出して見るが良くわかんない。
なぜかサルノコシカケの上にもお賽銭が。




お寺の少し上の駐車場で、地元の人なのだろう、小さいテーブルを置いて何やら物販活動をしていた。
お餅とか寿司とか、あと目に付いたのが、いちょうだるまの『いっちょん』というキャラクター。
ワタクシはお初だっただが、黄葉の時期にここだけで販売しているらしい。
『いっちょん』のキーホルダーもあったけど、手作りなので一体一体表情が違うという人形を購入。
良心価格の¥350。




          


『いっちょん』人形には色違いのもあって、やはりペアで買うべきだったかも知れない。



THE TWILIGHT ZONE

2015年11月29日 16時21分38秒 | 映画とかTV

DVDレコーダーやらHDDレコーダーやらが登場して久しいが、ワタクシはつい7年ほど前まで、VHSビデオデッキの留守録機能をフル活用していた。
新聞やTV雑誌の番組表をにらみながら、好みの番組を片っ端から録画していた。
録画していたのは、まず映画。
映画なら何でも良いわけではない。
当時、TVで放送される映画は、放送時間枠に合わせてたいていどっかがカットされていた。
だが、あまり放送時間枠を気にしなくて良かったのだろう、深夜帯に放送される映画はノーカーット(もちろんCMは入るのだが)で放送される物が意外に多かった。
どの監督が作ったのかとかどの俳優が出てるからとかの理由ではなく、ともかく「ノーカットである」事だけにこだわって留守録したので内容が伴わないこともしばしあったが。

映画の次に良く録画したのは、音楽番組。
特にバブル期には野外ジャズフェスの花盛りで、夏場に日本中あちこちで開催された野外ジャズフェスが、秋頃になるとTVで放送されるのだ。

こうして録画したビデオテープは、後で観たくなった時に備えて保存することが多く、どんどんたまる一方となり、テープラックに収まらないのは押入れに保管するしかなかった。
TVのそばに位置するすぐ手の届くテープラックから押入れにしまいこんでしまうと、めったなことで後で観直す機会など訪れなかったのだが、捨ててしまうにはおしかったのだ。

ここからが今回の本題。

映画や音楽以外にも熱を入れていたのが、アメリカ製のドラマシリーズ『ミステリー・ゾーン』の録画コレクション。
原題は『THE TWILIGHT ZONE』なのにどうして『ミステリー・ゾーン』などという面白くも無い邦題になったのだろうかと不満だったのだが、
何度も再放送されるうちに、そして後に映画化された時に原題の『トワイライト・ゾーン』という日本タイトルに落ち着いていた。
もしかすると当時の『ミステリー』という言葉自体には、現在とは違う意味があったのかも知れないが。

この『THE TWILIGHT ZONE』(日本語タイトル『ミステリー・ゾーン』)は、1959年から1964年にかけてアメリカで放映されたTVドラマ。
番組冒頭に脚本家のロッド・サーリングが画面に登場して、これから始まるドラマについて短く語るシーンが有名なので、ドラマ本編よりもそのシーンだけ憶えている人も多いかもしれない。
1959年というと、驚いた事にワタクシが生まれた次の年である。
ワタクシが小学生の頃にもTVでやっていたような記憶がかすかにあるが、その頃はこの番組の斬新さなど理解できなかったのは言うまでもない。
これまでに何度も何度も再放送されているようだが、地上波のKTV関西放送で86年7月から89年5月にかけて、週に一度深夜に再放送されていた頃に意固地になって『トワイライト・ゾーン』を留守録していたのだ。

この頃に録画したVHSテープをDVD化するという、めんどくさい作業がようやく完成した。
数えてみると、録画できたのは88本。
こんだけ録画していればほとんどのエピソードを録画できただろうと思い込んでいたのだが、一説によると、日本で放映されたのは152話もあるらしい。
という事は、全エピソード中、ようやく過半数を超えたに過ぎないのか。

基本的に30分枠だが、シリーズ末期は60分枠(それぞれ実質25分、50分くらいか)に拡大されている。
どちらも1話完結である。
ただし60分枠は、時間をもてあましてストーリーがダラダラと饒舌すぎて面白みが足りない。
ワタクシの場合、初期の30分枠のエピソードのほうが面白く感じられる。

1話完結なので、毎回、時代も場所も登場人物も入れ替わるのだが、世間知らずのワタクシごときでも一見してどっかで見覚えのある俳優が出演しているのも楽しみの一つで、
例えば、後に『スター・トレック(宇宙大作戦)』のカーク船長役が当たり役となる若き日のウィリアム・シャトナー。
別のエピソードになるが、同じくスター・トレックのミスター・スポック役のレナード・ニモイ。

さらにチャールズ・ブロンソンが登場する回もあった。
最終戦争後に生き残った男女の争いを描いたたった二人しか登場しないエピソードなのだが、この時に共演している女性は、後の「奥様は魔女」のサマンサ役エリザベス・モンゴメリーという女優らしい。
「奥様は魔女」も何度も見たコメディー風のTV番組だが、まさか同一人物とは思いもよらなかった。

もう一人、死神役で出演したロバート・レッドフォード。
顔を見ると似ているなぁと感じたが、TV画面ではちょいと上背が足りないしと思っていたら、どうやら若き日のレッドフォードその人らしい。

他にも、後に有名俳優有名女優となる人が、無名時代にもっとたくさんトワイライト・ゾーンに出演しているのかも知れない。
調べてみるのも面白いかもしれないが、無知なワタクシにできる事ではない。

ワタクシの録画コレクション88本の中で、面白さ一番のベストのエピソードを選びたいところだが1本だけには決めかねる。
『キングナイン号帰還せず』と『遠来の客』の2本が出色のできだと思う。

DVDのボックスセットも出ているようだが、今のところそこまでは手が回らないのだ。


泉谷しげる / 春夏秋冬

2015年11月24日 19時11分54秒 | 盤棚一覧

Q盤で再会。
ついこないだブックオフで、1972年発売の泉谷しげるのLPアルバム『春夏秋冬』をCD化されたアルバムを購入した。



だが、このCDのジャケ写にはどうにも違和感がある。



LPレコードの時は、こんなジャケ写である。
つまり、あくまでもこちらがオリジナルのジャケ写である。
何しろ一度倒産してしまったエレックレコードから出た物なので、CD化する時に元データが残っていなかったのかも知れないが、慣れ親しんだアナログ盤のジャケ写の方がうんと好ましい。
ちなみにこのCDは、94年にフォーライフからの発売らしい。

このアルバムについては2006年にこのブログで取り上げているのだが、当時のワタクシは、自分の所有するレコードあるいはCDをブログに残しておこうという熱意に取り付かれていたようで、実際に解説文らしきコメントを付けて何枚かブログにアップした事もあった。
だが、アルバム一枚一枚について解説できるほどの力量も知識も無い事にハタと気づき、その作業は頓挫したままである。
力量や知識を身につけてからではいつまで経ってもブログにアップできない。
とんでもないジレンマである。

とにかく、さっそくこのCDを聴いてみた。
高中正義のエレキベースとエレキギターに導かれて始まる1曲目から、ワクワクしてくる。
泉谷のギターはともかく、加藤和彦のギターのチューニングが甘い箇所が耳についたり、昔、LPレコードで聴いていた時とは違った感想が浮かんでくる。
アナログ盤の方は、カワイイ中学生の時に生まれて初めて買ったLPレコードである。
収録時間はA面B面合わせて40分にも満たないが、こればっかり一日中聴いていた純粋な少年だったのだ。
しばらく聴いていなかったが、愛着があるだけにこのCD盤のジャケ写はどうにかして欲しい。

収録曲

1. 地球がとっても青いから
2. ねどこのせれなあで
3. 狂走曲21番
4. 黒いカバン
5. 鏡の前のつぶやき
6. 帰り道
7. 春夏秋冬
8. 街はぱれえど
9. 化粧室
10. 君の席
11. 出船
12. 行きずりのブルース
13. きせつはずれ


使途不明

2015年11月23日 10時08分29秒 | 無駄話
来るな来るなと願っていたマイナンバーがついに届いてしまった。
現物を前にしてようやく、マイナンバーって何なのだ?という疑問に取り付かれた。
めんどくさいのでこれまで理解しようとしなかったのだが、あれこれネットで検索してみたけど、イマイチわかんない。
マイナンバーが必要になる手続きを取る時には写真付きの身分証明書と一緒に提出するらしいので、現時点では、ナンバーだけを他人に知られて(知らせて)も大丈夫な感触を得たけど、そこまでしか理解できない。

しかし、一番の疑問は、
行政にしろ銀行にしろ会社にしろ、どこかでマイナンバーがらみの情報を売るやつが出てくるのは間違い無いと思う。
こんな制度が始まるなんて、いつ決まったんだろうか?
それが決まった時にはニュースになったんだろうか?
何にも知らなかったのはわたくしだけなんだろうか?

クレジット機能付きのカードなんぞ、絶対に作るまいぞ!

山下清展

2015年11月19日 10時44分38秒 | 風景光景

既に終了している美術展だが、6月9日、佐川美術館で開催されていた『放浪の天才画家山下清展』へ。




ここに来たのは初めてで、どういうわけだかカーナビが駐車場に入る一つ手前の交差点を右折せよと指示を出したため、美術館の裏側のラブホ街に迷い込んでしまった。
右折した時に先行車が2台あったのだが2台とも途中で消えてしまったのには、そうか、そういうわけがあったのか
と、美術館の裏側をぐる~っと一周して、もう一度大きな通りに出てみると佐川急便関連の建物の駐車場の隅っこに一旦クルマを止めて、駐車場入り口の位置を美術館に電話で問い合わせるという不始末を犯してしまった。




予想していた事だが、映画やドラマで描かれた姿は、そのほとんどがフィクションだった。
山下清の貼り絵制作風景を取材した当時のTV番組(たぶんNHKだろうが)が上映されていたが、長岡だったかどこかの花火大会の風景を貼り絵に描いていく様子を捉えたもので、ナレーターが今で言う上から目線で山下清のことを『清君』と何度も言っていたのがどうにも気に障った。
その言葉には敬意がこもっているようには思われなかった。
当時の風潮としてはそんなものだったのだろうか。






西宮御前浜、香櫨園浜

2015年11月18日 11時12分56秒 | 風景光景

          


ほぼ1年前、
ずいぶんご無沙汰してた叔母に会うために、西宮へ。



          


周辺にはマンションが並んでいて道路を走行する間は海は見えないが、コインパーキングに空きを見つけ歩いて堤防を越えてみると意外なことに砂浜が広がっていた。



堤防寄りに、『旧西宮砲台』があった。
海沿いの住宅地や向こう岸のヨットハーバーの風景にはそぐわない。
幕末の京都護衛のために建設されたが、1度も発砲される事はなかったらしい。
だが、どこまでが西宮御前浜でどこからが香櫨園浜なのかがはっきりしない。



          


砂浜を歩いてみると堤防から眺めたよりも広くて、カメラをぶらぶらさせて歩いていると、せっかく早めに到着しながら叔母宅には約束の時間に少し遅れてしまった。
元気な笑顔に会えて安心した。


トミー・エマニュエルと再会

2015年11月17日 11時08分39秒 | 音楽
トミー・エマニュエルとの出会いは、2009年10月、当時の大阪厚生年金会館芸術ホール(つまり中ホール)だった。

失礼ながら、実はトミー・エマニュエルがお目当てではなく、そのライヴに渡辺香津美がゲスト出演するから買ったチケットだった。
季刊のギター雑誌アコギマガジンを購読していたので、トミー・エマニュエルの名前に聞き覚えはあったし、ゲスト出演の渡辺香津美がいったい何曲演奏してくれるのかという懸念は感じつつ、渡辺香津美が出る大阪でのライヴに行こう、という不埒な欲求に支配された行動であった。
つまり、ワタクシにとってはあくまでも渡辺香津美が目的だった。

だが、オープニングで渡辺香津美がソロで3曲演奏した後に登場したトミー・エマニュエルのパフォーマンスにビックリしてしまったのだ。
まさしく、ひっくり返るほどにたまげてしまったのだ。
その時の様子は、ここに記している。
当時の事を思い出そうと過去記事を参照してみたのだが、我ながら熱く饒舌に語っているのにも驚いている。
だが、ワタクシをそんなにエキサイトさせてくれたトミー・エマニュエルはその後も年に1度位のペースで日本でのライヴツアーを行ってきたのに、以来、すっかり疎遠になってしまったのには、理由がある。

こう見えて酒を飲めないノンアルコール体質のワタクシは、酒臭い息を吐き出すヤツ等が集まるライヴハウスあるいはクラブという場所が得意ではない。
さらに、18年ほど前に禁煙に成功して以来、タバコの煙と匂いを受付けない人間に成り下がってしまったのだ。
ライヴハウスあるいはクラブには酒と煙草がつきものであろう、、、、、、、、、
そう思い込んでいたワタクシは、いつかきっとトミー・エマニュエルがホールでライヴを演ってくれる日を待ち望んでいたのだ。
だが、2009年以降にワタクシが情報を得たトミー・エマニュエルのライヴは、ほとんどがブルーノート系列やビルボードライヴ系列のライヴハウスというかクラブでの演奏だった。
仮にホールでのライヴがあったとしても、ワタクシのスケジュールと相容れない日時だったり。
こうして、ホールでのライヴを待ちかねているうちに、いつしか6年も経ってしまった。

だが今年、ここしばらく参加していない寺井尚子のライヴがビルボードライヴ大阪で開催されるのを知って、寺井尚子の演奏を聴きたいあまりにゴールデンウィーク最中の大阪西梅田まで駆けつけてしまって以来、ビルボードライヴ大阪のカジュアルエリアでの観戦がすっかり気に入ってしまい、それ以来出演ミュージシャンの名前に興味が沸くたんびに、ビルボードライヴ大阪のカジュアルエリアに行ってしまった。
こうして、ビルボードライヴ大阪を敬遠していたワタクシの体質はすっかり改善されたのだ。
(相変わらず、酒臭いタバコ臭いライヴハウスは苦手だが)

そのビルボードライブ大阪に、10月27日、あのトミー・エマニュエルがやって来ることを知った時に、予約受付初日に電話した事は言うまでもない。


店内には、6年前の厚生年金会館で感じたのと同様の熱気が開演前から漂っていた。
トミー・エマニュエルが登場するやいなや客席から沸き起こったやんやの歓声と大きな拍手、
まるで、6年前の厚生年金会館にいた人達がそのまんまこの場所に移動してきたような、錯覚に取り付かれてしまった。

相変わらずの熱いギターテクである。
途中、『Let It Rain』『Doc's Guitar』と続く、ワタクシが高校生の頃から敬愛しているDoc Watsonのレパートリーをメドレーで演奏してくれた。
6年前にもDoc Watsonの曲を演奏していたのを思い出した。
あの時は、Doc Watsonの曲を弾いてくれただけで、それまで知らなかったトミー・エマニュエルというギタリストに大きな好感を抱いたのだった。
今回のさらなる高感度アップは言うまでもない。


アンコールが終わってみると、演奏時間はたっぷりと90分を超えていた。
ワタクシがこれまでに体験した(といってもここに来たのは4~5本だけだが)ビルボードライヴ大阪でのライヴでは、最長記録だった。
ニューアルバムを入手すべく、早いとこAmazonに行こう。

そうそう、今回は客席に向かってサムピックを投げるというパフォーマンスはなかった。
6年前にワタクシに投げてくれたサムピックは、いまも大切に保管している。

玉置浩二 故郷楽団

2015年11月12日 22時31分51秒 | 音楽
もう何年も前になるが、玉置浩二がワタクシの町の文化会館でライヴをやった事があった。
玉置浩二がせっかく来てくれたのに、残念ながらワタクシは自分の予定を都合できずに、ライヴを観戦する事はできなかった。
後日、観戦した人に聞いた話では、その夜は空模様が荒れていたらしく、さあこれからアンコールという時に落雷のために停電してしまい、PA装置が全部落ちてしまったらしい。
PAが使えなくなった玉置浩二がどうやってアンコールに応えたかというと、
まず、後ろの方に座っているお客さんに
「良いから良いから、前のほうにいらっしゃい。」
と、座席を移動させて(というか立ち見の状態で)ステージ寄りに観客を集めておいて、マイクを使わずに生ギター1本でアンコール曲を唄いあげたのだという。
その逸話を聞いて、あの時に自分が行けなかった事をどんだけ悔やんだだろうか、、、、、、、

で、その玉置浩二が最近、大阪フェスティバルホールでのオーケストラとの共演ライヴなども完遂し、絶好調のようである。
オーケストラライヴも行けなくて、ほとほと縁が無さを嘆いていると、今年の夏、彼はワタクシの町にやってきたのだ。
チケット一般発売初日に勇躍電話予約したのだが、既にその時点でファンクラブとホール会員先行でかなりの座席が埋まっていたようで、入手できたのは2階席中段だった。
チケットが取れただけ幸運なので、2階席からステージ上の照明の演出などを楽しめば良いや(1階席からは確認できない照明の変化もあるのだ)、と気持ちを切り替えて臨んだのだ。

行って良かった、
ホントに行って良かった。
終盤の『田園』でようやく客席立ち上がり手拍子足拍子の盛り上がりとなったが、総体的に静かな曲が多く、その分、唄の上手さの際立ったステージだった。

さらについ先日、『故郷楽団』ツアーの東京国際フォーラムでの公演がWOWOWで放映されたのだが、それを観て、もっとうれしくなった。
東京国際フォーラムのステージ上のセットは、見たところ、ワタクシの町の文化会館でのライヴの時とおんなじだったし、バックのミュージシャン達の顔ぶれもおんなじで、
詳細な演奏曲目リストは不明だがステージの進行もワタクシの町の文化会館の時とほぼおんなじだったからだ。
地方だからといって手抜きなどしていないのが、とてもうれしかった。

それにメンバー紹介の時に言ってたのだが、バックバンドのチェロ奏者の人は和歌山市に住んでいるのだそうだ。


(開演前の文化会館)

八幡山ロープウェイ

2015年11月07日 12時44分00秒 | 風景光景

嵐山に行ったのとは別の日だが、
10月24日に大津市でヤボ用があったため、苦労してビジホを探し回りまわりようやく予約できた大津市の安ビジホに泊した。
大阪や神戸だけでなく、爆買いツアーとやらの集団はどうやら滋賀県にも触手を伸ばしているようで、ホテル探しはホントに大変なのだが。
だが、何たることか、
遅いチェックインを済ませた後に翌日のヤボ用とやらが消滅してしまった。
ま、こんな事もあるさと気分を切り替えて、近江八幡市に足を延ばした。
元々、近江八幡市へはヤボ用を済ませてから立ち寄るつもりだったので、我ながら落ち着いたもんだ。

八幡山ロープウェイに乗ってみたかったわけだが、
ちなみに、カーナビに『はちまんさんロープウエイ』と入力しても反応してくれない。
試しに『はちまんやまロープウェイ』とすると案内してくれた。
あいまい検索機能に劣るナビを使うと悲しい。

          

土曜日ではあったが、予想以上の人出に現地に着いて驚いた。
駐車場が、まさかの満車状態だったのだ。
奥のほうまでず~っと入ってみたのだが、駐車場スペースに空きが見つからなかったので一度八幡山エリアを出てしまった。
ぐる~っと一周して再度入り口から車を乗り入れてみると、運良くちょうど出て行くクルマを見つけたのでその後にパーキング完了。
駐車場は無料。

          


どうやら、ここのロープウェイは今まで乗ったロープウェイとは地理的構造が違っていて、
一般的に山頂の神社仏閣やら登山口やらに連れて行ってくれるのがロープウェイだと思い込んでいたのだが、ここ近江八幡にはロープウェイ乗り場の麓に近江八幡神社があって、ちょうど七五三の時期と重なったので参拝客がなだれ込んでいたのだ。

          


ともあれ、ロープウェイに乗り込むことができた。
駐車スペースを見つけられなかったら、ここまでたどり着けないところだった。

          


事前にほとんど何も調査しなかったのだが、山上には近江八幡城跡がある。
この時期、黄砂でもなさそうだが、なんとなく空がボンヤリ煙った感じが続いていて、下界の風景の見通しはイマイチ視界が開けない。

かつてのこの城主は、豊臣秀吉の養子であった豊臣秀次だが、秀次は秀吉の命により27歳の時に高野山で切腹させられたという。
誰の作品だったか記憶はあいまいだが、江戸時代の武士を描いた小説に、武士の子供は7歳になった折に切腹の作法をみっちりと教えられるという記述があった。
武士という身分と切腹という制度がない時代に生まれて良かった、などと情けない感想が胸に浮かんで消えた。


再会していたなんて知らなかった

2015年11月06日 11時21分51秒 | 音楽
それまでのガラケーからiPhoneを使うようになって、デスクトップPCが近くにない外出先でも暇なときに手軽にネットできるようになったわけだが、
自宅のデスクトップPCでのネットでのニュース検索とスマホ対応のサイト経由のネット検索とでは、情報の発信元が違っている場合が多々あって、
例えばヤフーニュースなどで総合的に各分野のニュースを知っているつもりになっていると、iPnoneからその前兆さえも知らされていなかったホットニュースをゲットできる事もある。
メインに使っているのがiPhoneならば、当然、その逆のパターンもあり得るのだが。

で、今朝、ちょいとばかり早めに目覚めてしまい、も少し寝ようかどうかダラダラしながらiPhoneで遊んでいたら、何がきっかけでそのサイトにたどり着いたかは良くわからないままとんでもないニュースに出くわして一気に目覚めてしまった。

なんと、あの古井戸が、先月、長野県と東京とで再会ライヴをやっていたという。
加奈崎芳太郎ファンが運営するHPは以前からブックマークしていて、関東での活動が主体なのだと覚悟の上でごくたまに彼のスケジュールをチェックする事もあったのだが、しばらくそれを怠っていたのを悔やんでも悔やみきれない。
それに東京でのライヴ日はワタクシの母親の13回忌があった日なので、事前に知っていても行けなかった可能性は高い。
いや、別の日に13回忌をしていたかも、、、、、

加奈崎芳太郎の姿は、ただ一度だけ、2009年11月、九段会館での『エレック唄の市』というライヴでお目にかかっているが、いまだにチャボのステージは観戦がかなっていない。
その二人が二人きりでやった『古井戸再会』ライヴ。
三度目はないのだろうなぁ、と思いながら、
ワタクシのような軽薄なヤツは別として、古井戸ファンはそんな事望まないんだろうなぁ、と思いながら、
このライヴがアルバムにならないだろうか?
と、かすかに期待してみる。

天龍寺

2015年11月05日 16時15分40秒 | 風景光景

10月下旬、嵐山オルゴール博物館を訪ね、周辺を散策。
昼食時を過ぎたばかりだし、嵯峨嵐山駅から少々歩き続けだったし、渡月橋を渡った所でUターン。
どっかで何か軽食でもと店を探してみたがこの人出なのでどこも満席。
あきらめかけたところに京福嵐山駅近くにタリーズを発見。
注文カウンターにはラテが山積みされている様子からどうやらラテが一押しメニューらしかったが、ワタクシは、スタッフの皆様お忙しいところ豆挽きからやらなければならないらしい通常のドリップコーヒーを所望し、サンドイッチと一緒に昼食とする。

コーヒーに疲労回復効果があるというのは最近とみに実感するところで、少しだけ生き返ったつもりで再度メインストリートに出て、天龍寺の庭園に侵入する。
もちろん拝観料は必要。



          

          

          


やはり、紅葉の時期は11月らしい。
そん時は、もっと混雑するんだろうな。
紅葉の時期だけでなく、京都は四季おりおりいつ来ても混雑しているイメージがある。




天龍寺の敷地外だったと思うが、お行儀良く整列する人力車の客待ちパーキング。



嵐山

2015年11月04日 15時54分42秒 | 風景光景

10月下旬、懸案だった嵐山オルゴール博物館訪問を果たした後、残りの時間を散策した。



          


嵐山に来るのは、なんと10年ぶりで、
前回来たのは4月で、その時は人出も少なくてのんびりしていたのだが、紅葉の時期が近いからだろうかすんごい人出だった。
修学旅行あり外国人あり。



          


確かあの頃は、美空ひばり記念館やら梅宮辰夫の漬物屋やらが出店していたのだが、今は見当たらない。


嵐山オルゴール博物館

2015年11月02日 19時41分10秒 | 風景光景

つい1週間ほど前、ホントに久々に京都嵐山までおでかけした。



目的は京都嵐山オルゴール博物館

これまでに神戸六甲河口湖浜名湖諏訪、それぞれのオルゴールミュージアムを訪ねたのだが、ここ嵐山のオルゴール博物館は他とは運営の趣旨がちょっとちがうように感じられた。
ぐるっと見渡したところ、他所にはある最近の電気仕掛けの大型オルゴールの展示がなく、一昔前のゼンマイ駆動のオルゴール、それもフランス製のコレクションがメインらしい。
スタッフの方のほぼマンツーマンでの解説を聞きながら、どうにもバブリーな(それはそれで面白かったのだが)河口湖のオルゴールミュージアムとは対極に位置する、蔵するコレクションに対する深い愛情を感じた。
しかし、どうして、京都にこのオルゴールミュージアムがあるのか?
という疑問が消えない。
そこに、もっと深いストーリーが隠されているような気がする。

今から8年ほど前、ふと六甲のオルゴールミュージアムに入ってしまい、オルゴールが子供の玩具ではなく、時には高価なオーディオ装置、時には酒場のBGM、はたまた時には無声映画の伴奏楽器として活躍した大小さまざまなオルゴール達の姿に興味を惹かれたのがきっかけだったが、もしかするとまだまだあちこちにオルゴールミュージアムがあるかも知れないと想像するだけで楽しくなってきた。



博物館の裏側はこんな感じ。すぐそばに踏切が。