lizardbrain

だらだらぼちぼち

またもや信州へ (5) 高山~美濃加茂

2006年08月31日 00時27分29秒 | 風景光景

新穂高温泉を離れると、すぐに雨は止み、1時間ほどで高山市に到着。
ロープウェイに乗れない場合に備えて、朝、ホテルのPCで、高山市の映画館のありかをチェック済みだったので、その映画館を探してみる。

高山旭座という、4スクリーンらしいが2棟の平屋建てに分かれた、妙な造りの映画館を探し当てたのは13:00頃。

 



事件は、ここで起こったのだ

劇場版トリック2をやっていたので、立ち寄る事にした。
新穂高ロープウェイに乗って、山上を散策する予定の時間が余ってしまったのだから、ここで映画を1本観たところで、さほどの影響は無い。
(この時点では、まだ、何の疑問も持っていなかった) 

チケット売り場は無くて、自動券売機でチケットを購入。
(この時点では、まだまだ、何の疑問も持っていなかった) 

映画館に入り、座席に座り前を見ると、正真正銘イナカモノであるワタクシの地元の映画館よりも、スクリーンが小さい、、、、、、
観客は、高校生らしいグループや親子連れやらで10人以上はいた。
(この時点では、まだまだまだまだ、何の疑問も持っていなかった) 

予告編が終わり、小さいスクリーンで劇場版トリック2本編が始まったとたんに重大な事に気付いた!!

こ、こ、こ、こ、こ、この映画は、確か2~3ヶ月前に観た!!

何と、
一度も観ていないつもりで、観た事がある映画を観てしまったのだ
どうして、このような事が起こったのだろうか、、、、、、?

トリックという映画は、元々、同名のTVドラマの延長線上にある。
その、TVドラマは、深夜時間帯に放送されたトリックというシリーズがカルト的な人気を博し、好評に答えてトリック2という続編のドラマシリーズが放送された。
その後、さらにカルト的人気は衰えず、映画として劇場版トリックが製作された。
劇場版トリック2は、劇場版トリックの続編に当たり、劇場版トリック2が上映されるタイミングに合わせて、劇場版トリックがTV放映された。
トリックシリーズのファンであるワタクシ自身、このあたりで、何やら混乱をきたしていたのかも知れない。

待て待て、こんな説明をした所で、誰も興味を持たないだろう。
というより、こうして説明しているワタクシ自身、劇場版トリックとTVのトリック2のどちらが先だったのかがわからなくなってきた、、、、、、

問題は、
一体、どうして、意図せずに、同じ映画を2回も観てしまったのだろうか?
という事なのだ。
今まで、どんなに面白かった映画であっても、(後でレンタルビデオで観た事はあっても)映画館でリピーターとして観た事は無いのだ。
感激の余り、同じ映画を何度も観る映画ファンも多いらしいが、それは、貧しいワタクシの主義ではない。

仲間由紀恵に良く似た、誰かの面影を求めたのだろうか?
いや、それは無い。
誰かって誰だ?
それとも、マジシャン役の仲間由紀恵が、劇中、まばらな観客にウケないマジックを披露するシーンで着ている、チャイナドレス姿を潜在意識が求めたのだろうか?
う~~~~ん、、、、、、、
それはありえるかもしれない、、、、、

それとも、
これだけは口にしたくは無いが、
ボケたのだろうか?

それは無い
と、
誰か、否定して欲しい

せめて、映画館に入る前に、じっくりとポスターを見て出演者名を確認しておけば、一度観た映画だと気付いたかも知れない。

途中で席を立つことも考えたが、それはやめた。
チケットを買って入場してしまった以上は、仕方が無い。
2回目とはいえ、最後まで観る事にしよう。
踊る大捜査線シリーズに負けず劣らず、この映画の画面の隅々には、主たるストーリーとは関係無い人物や物事が仕掛けられているはず。
この際、いい機会だ。
その、主たるストーリーとは関係ない仕掛けをじっくりと見つけてやろう。
そう決意して、最後まで見届けた。

小さい仕掛けはいくつか見つける事が出来たが、残念ながら、わざわざ高山市まで来て発見する必要性があるような重大な物ではなかった。



映画館を出ると同時に、事件によるショックからは立ち直った。
何よりも、2時間ほどのんびりと座席に座って休憩できたので、ここまでの2泊3日の旅の疲労感はすっかりと回復していた。

高山市を後にして、この日の宿泊地の美濃加茂市に向かった。
高山市から下呂市、さらに郡上八幡市へと続く国道41号線は、走りやすい道だった。

美濃加茂市に着く頃には、すっかりと暮れた空のあちこちで雷が鳴っていた。
翌日は、ノンビリと帰路に着くだけ。
という事で、今回の信州行きは、実質的にはこの日で終わったのだ。


ワタクシの家から松本市までは約550kmの距離があるので、信州旅行をするとしても、行き帰りに時間がかかり、2泊3日のスケジュールでようやく丸1日自由に動けるという状態である。
この後も、何とかスキを見つけては信州行きを計画したい所だが、今後の予定を考えると、年内に再度信州旅行を出来るという見通しは立たない。
(馘首、あるいは、失業した場合を除いて、、、、、)
どうやら、この続きは来年以降のお楽しみになりそうだ。

それまでは、せいぜい、生命体としての機能を持続しておかなければ、
などと思いながら、ワタクシの8月は終わろうとしている。


またもや信州へ (4) 新穂高~高山

2006年08月30日 22時58分36秒 | 風景光景

8月22日、

信州3日目は、新穂高ロープウェイから空中散歩を楽しむつもりだったが、降水確率は30~40パーセントと、どうにも天気予報が思わしくない。
TVの天気予報も、ケータイサイトの天気予報も、はたまた、ホテルのロビーに設置されたPCでアクセスしたヤフー天気予報も、どの天気予報をチェックしても、当然、結果は同じ、、、、、、
それでなくても、
「新穂高ロープウェイに乗るんなら、午前中にしなさい。晴れている日でも、午後になるとガスが出やすいんで、見晴らしが悪くなるから。」
と、信州行きのベテランからアドバイスを受けていたので、
「この降水確率では無理だろう
と、一旦は、松本市内の観光に切り替えようと決め、博物館にでも行ってみようかな、
と、朝食後、ホテルの部屋でゴロゴロとフテ寝していた。

9時ごろになって、ホテルの部屋の窓から見える空が明るくなって来たので、
「もしかして天気予報が外れつつあるのかも?」
と思い、新穂高ロープウェイの天候を直接問い合わせてみたら
「先ほどまで曇っていましたが、晴れてきました。今は、山が見えています。」
と、オジサンの声がしたので、起き上がり、慌ててチェックアウト
アタフタと新穂高ロープウェイに向かった。

途中までは、上高地へ行くのと同じ道を通る。
5月に上高地へ行った時よりも、断然交通量が多い。
上高地へ行く人がクルマを置いてバスに乗り換える、沢渡(さわんど)近辺の駐車場は大賑わいだった。
5月には、道路沿いのあちこちに
「つぶれたんとちゃうか?」
と思わせる飲食店がたくさんあったのだが、今は、道路沿いにノボリはためかせて、しっかりと営業している。
夏場だけ営業するような蕎麦屋には、入る気も起きないが、夏場だけ来てしまった観光客には、そういう事は一切わからない。
一体、こういう店は美味いのだろうか?

          
11:00。

阿房峠をトンネルで真っ直ぐにブチ抜いた有料道路を過ぎると現れたのはあかんだな駐車場という地名。

関西人なら、誰でもが親密感を抱くに違いない。

沢渡を過ぎると、やや交通量が減ったものの、観光バスが多くてスピードを上げられない

新穂高温泉にさしかかって、そろそろ新穂高ロープウェイの乗り場にたどり着こうかという頃、カーナビの様子がおかしくなってきた。
さかんに、道が無い所を右折させようと指示を出してくる。
頼りのカーナビが道に迷っているのでは、なんとも心もとない。
バス停に車を止めて、この先の地図を確認。
カーナビが不調になった原因がわかった。
電話番号を入力しただけでは、ふもとのロープウェイ乗り場ではなく、山上のロープウェイ降り場の方に目的地を設定していたのだ。

空模様はというと、ここまでは中途半端な曇り空だったのだが、このあたりから、ショボショボと雨が降ってきた。

ホテルから1時間半ほどかかってロープウェイ乗り場に着いた時には、ショボショボどころの雨ではない。
それでも、山上から降りてくるロープウェイには、団体客らしいオバサン達が鈴なりになって乗っているのが見えた。
もしかしたら、地上では雨が降っていても、山上では降っていないのかも知れない?

ロープウェイの駐車場にクルマを停め、ロープウェイ乗り場に電話してみたら今朝ほどと同じオジサンの声で、
「山の上は、ガスで真っ白です。何も見えません。」
との答えが返ってきた

そうか
仕方が無い
さっきホテルから電話で問い合わせてから1時間半ほどの間に、一番行きたかった場所であるここだけが天気予報どおりの天気になってしまったのか

ワタクシの悲しみにとどめを刺すかのように、雨は、さらに強まってきた
せっかくだから、ロープウェイ乗り場の写真だけでも撮ろうかと思っても、クルマを降りて傘を差している間にズブヌレになってしまうような勢いになってきたので、デジカメ撮影も断念。

クルマに閉じこもり、昼食代わりにデイバッグに放り込んだパンをかじりながら、しばし地図とニラメッコ。
今さら松本市に戻っても時間の無駄になりそうなので、このまま高山市方面へ抜ける事にした。


またもや信州へ (3) 車山高原

2006年08月29日 22時00分29秒 | 風景光景

2006年8月21日、

      

           

 

13:00頃。

ビーナスラインの1部を通ると、車山高原まではすぐ。

          

                               

スカイライナーという名の4人乗リフトに乗って、振り返ってみると高原の風景が広がって行く。
とても、いい気分。

          


13:30。

スカイパノラマという名の2本目のリフトには、透明屋根のフードが付いている。
ここも、冬場はスキー場になるんだろうな。



スカイパノラマを降りたあたりから、白樺湖方面の眺め。
相変わらず曇りがちで、天気が良ければもっと遠くの山々が見えるはずだったのだが。
晴れていれば、富士山までが見えるという。

          



スカイパノラマを降りると、頂上まではすぐそこ。
シルバー世代の姿が目に付いたが、装備から察するに、このお元気な先輩方は、リフトに乗らずにここまで徒歩で昇ってきたようだ。
頂上に見える丸いドームは、気象レーダー観測所。

 

 

          


             

この頃、甲子園では、マー君とハンカチ王子の引き分け再試合決勝戦が行われていたわけだ。
さすがに、甲子園までは見渡せない。

15:40

駐車場に戻る。

 

          

17:20

温泉付きの諏訪湖SAで、夕食にそば定食を食し、小まめに給油を済ませた。
この日は、松本市内に泊まった。


またもや信州へ (2) 白樺湖

2006年08月28日 22時47分00秒 | 風景光景

今回の信州行きを計画する段階では、美ヶ原高原一帯を歩いて制覇してみたい、というのが第1希望だった。
だが、体調がイマイチだった。
月初に、腰痛(陣痛ではない)に見舞われたのだ。
シップと痛み止めで、かなり回復したものの、いまひとつ、5月に上高地に行った時のように流麗に歩き回る自信が無い。

ガイドブックによると、美ヶ原高原美術館、あるいは山本小屋から、王ヶ頭を経由して美ヶ原高原まで歩くとすると約90分かかるという。
どうせならば王ヶ頭から王ヶ鼻に立ち寄りたいので、そうなるともっと時間がかかる。
美ヶ原山上の歩行コースは、ぐる~っと回って元の場所に戻って来るリング状になっていないために、自分のクルマで行って駐車場に戻るためには、このコースを往復しなければならないので、美ヶ原高原美術館を除外しても、往復で4時間ぐらいは必要になってくる、、、、、、、、、、、、

ギリギリまであきらめ切れなかったのだが、今回は断念。
どう考えても、4時間以上歩ける状態にまでは回復していない。
どうも、美ヶ原高原を制覇するには、山上までバスで往復した方が効率が良さそうな事に気付いたので、行程については次の機会以降の課題とする。

代わりに浮上したのが、リフトを2本乗り継げば頂上へ上がれるらしい、車山高原征服プラン。

そうなると時間的に余裕がありそうなので、車山高原に行く途中、白樺湖に立ち寄った。

茅野市から白樺湖に向かったのだが、インターを降りてしばらくはクルマが進まない。
さすが、世の中は、夏休み真っ盛りなのだ。




12時前に曇天の白樺湖に到着。

          

ボート料金は、
手漕ぎボート(3人乗り)が、30分¥1,000、60分¥1,500。
足漕ぎの白鳥型ボート(3人乗り)が、30分¥1,800。
遊覧船(このデッカイやつだろう)が、大人¥500。
白鳥ボートは、諏訪湖のシンボルだと思い込んでいたのだが、、、、、?
白樺湖の専属なのだろうか?
それとも、諏訪湖にも棲息しているのだろうか?



中でも目立ったのが、この白鳥さん。
どえらいスピードで、ボート乗り場方面に逃走して行った。
おそらく、時間切れ寸前だったのだろう。
どうやらこのボートは、自転車のべダルを踏む要領で漕がなければならないようだ。
このスピードで漕いでいる人を見るだけでも、治りかけた腰が痛くなってきそう、、、、



お馬さんの姿が見えなかったのだが、この馬車は現役なのだろうか?

          

白樺湖観光に参加するためには、白鳥型のボートに乗る事が不可欠のようだ。
一人で、、、、、、、というのは、いくらなんでもおマヌケ過ぎるので、白鳥さんとお馬さんの疑問を残したまま、白樺湖を後にして車山高原に向かう事にする。



白樺湖を離れようとすると、蓼科テディベア美術館とやらの前を通った。
駐車場整理のガードマンのおじさんに、おそるおそる、
「写真を撮るだけですけど、クルマ置いて良いですか~?」
と聞いてみると、あっさりとOK。
事後調査によると、ここには7,000体以上のテディベアが展示されていると言う。
当然、ワタクシには似合わないが、どこやら、高知県あたりの熊さん好きのオバサ、、、、、いや、オネエサンならば喜んでいただけそうかも?


またもや信州へ (1) 消費者心理

2006年08月26日 22時28分57秒 | 風景光景

上高地の好天気に味をしめて、再度、決行した信州行き。
今回は、3泊4日の行程で20日に出発した。
ところがうっかりしていた。
初日の20日は、お盆休暇明けの日曜日だと言う事に直前になって気付き、高速道路の渋滞予想をチェックしてみると、
大垣IC~一宮IC間で10キロ以上の渋滞が予想される
という、いかにも不安な予言が、、、、、、
しかも、ワタクシの住む和歌山県内の高速道路でも、慢性的に渋滞が予想される区間がある。
盆、正月、ゴールデンウィークの時期には、めったな事で長距離の外出をしないワタクシなので、渋滞という言葉を目にするだけでゲンナリしてしまった。
渋滞なんぞ、冷房の効いた部屋の中で、TVニュースの画面を見て楽しむ物である。
決して、自分がその渋滞の列の中に属しても楽しい物ではない。
今回の信州行きの初日は、松本市内まで500キロあまり一気にを突っ走るつもりでいたのだが、やむなく計画を変更して、渋滞予想区間の手前の大垣市に投宿する事にした。

高速道路のサービスエリアの給油所のガソリン価格は、前月の一般道路沿線の給油所での市中価格の平均値を上限にするというカラクリがあるため、最近のガソリン価格の高騰を受けて、高速道路のサービスエリアの給油所が割安になっているというのは、すっかり有名な事実。
一般道路沿線では、レギュラーガソリン1リットル価格がとっくに¥140台後半を突破しているの対して、高速道路では、レギュラー1リットル¥137という状態になっている。

ワタクシとしても、この機会を逃すわけには行かない。
例え、ホンの10リットルくらいしか減っていなくても、今回の旅路の給油は、最終日を除いて全て高速道路のSAでまかなった。


これは、名神高速養老SAの給油風景だが、いくら日曜日でも、普段はこんなにガソリンスタンドに行列しないものだ。
しかも、ガードマンが出て交通整理までしているし。
お盆まっさかりの混雑時には、場所によっては30分以上の給油待ちをしたというSAもあったらしい。

8月24日の読売新聞の記事に、

東日本高速道路は24日、お盆の期間を含む8月9~20日に高速道路の給油所の売上高が前年同期より81・3%多い50億5000万円となったと発表した。

とある。
なんと、前年より、売り上げが8割以上アップしたというのだ。
そんなに売り上げがアップしているというのに、SAのガソリンスタンドの従業員のオジサン達は、やけに愛想が悪かった。
どこへ行っても。
「ケッ、忙しいばっかりで、原価が上がってるというのに利益が出ないんだぞ~、てやんでぇ、べらぼうめ~、こちとら江戸っ子でぇ~、、、、、、
というのがガソリンスタンド側の本音だろうか?

ただし、レギュラー1リットル¥137と言うのは今月いっぱいまでの話で、来月からは、前月(つまり今月)の一般道路沿線のガソリン価格の平均値の上限である1リットル¥144に値上げされるようだ。

こうやって、チビチビ、チマチマと少しでも安いガソリンを求めながら、初日の宿泊地である大垣市に到着したのが、午後3時前。
大垣ICが近くなっても、交通量は増えたものの、この先で渋滞しているような気配は無かったが。

いくらなんでも、早く着き過ぎたので、ホテルへ行く途中で見かけたブックマーケットに立ち寄り、CDと本を物色。
こんな時の時間つぶしには、ブックオフスタイルの古本屋さんは絶好のターゲット。
店内をぐる~っと回って、島田荘司と岩井志麻子の中古文庫本を合計3冊購入。
ホテルにチェックインして、一旦、横になって休憩。
1時間ほどして起きたのだが、TVをつけると甲子園球場ではまだ決勝戦をやっていたのにはビックリした。

眠気もおさまったところで、大垣コロナワールドに向かう。


下調べはできているので、¥200引きとなるネット割引券を使ってスーパーマン・リターンズを鑑賞。

「これや、これや~
ワクワクするようなオープニングタイトルと、タイトル音楽
音楽だけでワタクシをワクワクさせてくれる映画は、スーパーマンとスタートレックだけだ。
ともかく、ようやく帰ってきたスーパーマン
悪役のキャラが、いかにも昔のコミック原作
エンディングタイトルで、
クリストファー・リーブ夫妻に捧ぐ
と出た時には、ウルウルした、、、、、、


あなたの知らない世界、、、、、、

2006年08月19日 22時40分32秒 | 無駄話
「近いうちに倖田來未のライヴチケットの先行販売が始まるので、手を貸してくれ。」

と、ワタクシより1つ年上の先輩から、ケータイメールがあった。
手を貸す、、、、、
早い話が、チケット買いの名義貸しの依頼だ。

正直、
「またか、、、、、」
と思った。
入手が難しい人気公演のチケットを、誰かに代わって申し込むくらいの事はお安い事だ。
立場が変われば、ワタクシだって誰かの手を借りる時もあるのだから、当然、お互い様だ。
まだジャイアンツナイターのチケットがプラチナチケットだった頃、この人が、東京ドームのジャイアンツ戦のチケットを見事に抽選勝ちして引き当ててくれたので、ワタクシがジャイアンツ戦を観戦できた事もあったのだから。
お互い様なのだが、この人の場合、これまでにもワタクシの好みの音楽とはあまりにもかけ離れたジャンルのチケット買いを依頼して来た。
小柳ユキや濱崎あゆみ、、、、、、あたりにとどまっている間はまだ許せたかもしれない。
だが、この人の嗜好は、あらぬ方向にどんどんエスカレートしていった。
ついに、モーニング娘。とやらに傾いて行ったのだ。
2年ほど前、大阪城ホールでのモーニング娘。の先行販売に名義貸しさせられるハメになってしまった。

何度も言うが、彼はワタクシよりも1つ年上のオジサンである。
(言っておくが、ワタクシ自身はオジサンではない)
今や、どの角度から眺めても、正真正銘、レッキとしたおじさんである。
(ワタクシ自身は、レッキとしたオジサンではない)

恐る恐る、
「モーニング娘なんて、そんなん、見に行って、恥ずかしいないん?」
と訪ねてみた事があった。
「恥ずかしい事ないで~、カワイイもん
と、返ってきた言葉に二の句が次げなかった。

こうして、彼は、一人でモーニング娘。のコンサートに出かけていった。

話を今回のメールに戻すと、
ワタクシは、倖田來未の歌をじっくりと聴いた事が無いが、TVであのビジュアルは何度も拝見している。

「倖田來未、あんなエロ姉ちゃん、見に行って恥ずかしいないん?」

言わないでおこうと思いながら、ついついこんな風にメールで返事してしまった。

返ってきた返事には
「恥ずかしい事ないで~、来月、あややも見に行くんや
とあった、、、、、、、、、

「あやや、って誰や?」

「松浦亜弥

綾戸智絵でなくて良かった、、、、、、
だが、松浦亜弥って誰や?(爆)

「松浦亜弥のどこがエエん?」

「あやや、カワイイもん

「あんたみたいなオッサンが、松浦亜弥なんか見に行って恥ずかしいないん?」

言わないでおこうとすればするほど言ってしまうのが、ケータイメールの気軽さよ、、、、、

「恥ずかしいないで、俺くらいの年のオッサンがいっぱい来てるで、あややの振り付け憶えて、皆で一緒に踊ってるで

背中だけでなく、ワタクシの全身が一気に痒くなってきた、、、、、、、

彼が依頼してくるのは、たいてい、eプラスというチケット販売サイトでの先行販売である。
ワタクシ自身、このサイトで自分が行くライヴのチケットを買った事もある。
だが、先行販売で抽選勝ちしようが抽選に漏れようが、過去に一度でもチケットを申し込んだアーティストのライヴ情報が、このサイトからメールマガジンとして送られてくるシステムになっている。

という事で、いつの間にやら、ワタクシのメールボックスには、モーニング娘。の系統のライヴ情報がどんどん送りつけられてくるようになってしまった、、、、、、

さらに、近日中に、倖田來未のライヴ情報も加わるという訳か

嗚呼、、、、、、、




春夏秋冬 / 泉谷しげる

2006年08月15日 22時06分16秒 | 盤棚一覧

生まれて初めて買ったレコード。



春夏秋冬/泉谷しげる第二集

Side A
1. 地球がとっても青いから
2. ねどこのせれなあで
3. 狂走曲21番
4. 黒いカバン
5. 鏡の前のつぶやき
6. 帰り道

Side B
1 .春夏秋冬
2. 街はぱれえど
3. 化粧室
4. 君の席
5. 出船
6. 行きずりのブルース
7. きせつはずれ

作詞・作曲 泉谷しげる(除く A-4,B-4 作詞 岡本おさみ)

(LP)エレックレコード ELEC-2006 1972年発売

ワタクシが生まれて初めて買ったLPレコードが、これ泉谷しげる2枚目のアルバム、春夏秋冬
当時の(いや、今でも、、、、、)我が家はさほど裕福でもなく、ようやくレコードプレイヤー(ステレオなどという大それたシステムではない、文字通りのレコードプレイヤーであった)を買ってもらったのが、中学校2年生の時だった。
プレイヤーを買ってもらったからには、友達から借りるばかりではなく、当然のごとく、レコードを自分自身で所有したくなる。
が、やはり、中学生の小遣いでは、思うようにレコードを買う事がままならない、、、、、、
当時、LPレコード1枚が、メジャー各社では¥2,500前後で売られていたはずだが、このエレックレコードのLPレコードは、1枚¥1,900という良心価格で販売されていた。
少しでも安いレコードを探していたワタクシにとっては、エレックレコードとは、なんともありがたいレコード会社であった。
その頃、吉田拓郎を筆頭にニュー・フォークとやら呼ばれた弾き語り音楽が大盛況で、そのため、クラスの半分以上がギターを持っていた時代で、同級生達の間で大人気だったのは、やはり吉田拓郎だった。
吉田拓郎も聴いてみたかったのだが、友達と同じレコードを持っていても意味が無いと思い、選んだのが、この泉谷しげるだった。

          

レコードの値段そのものが安かった事に加えて、この頃のエレックレコードは、全曲楽譜付きの歌詞カードが付いていた。
楽譜には、コード進行も書かれていたので、ヨチヨチ歩きを始めたギター少年には絶好の教材となった。
ワタクシが、その絶好の教材を生かしきれずに現在に至った、というのはエレックレコードの責任ではないが。



このアルバムのジャケットを開くと、絶句してしまうような豪華なメンバーが共演している。
ディレクター兼アレンジャー、そして、ギター、ピアノ、マウスハープの演奏に、加藤和彦、エレキベースとエレキギターに高中正義、ドラムスにつのだ☆ひろ、チェレスタという鍵盤楽器に仲井戸麗一、そしてアルバムのタイトル曲である春夏秋冬のストリングスアレンジには、木田高介。
当時と現在では、これらのミュージシャン達の名の通り方も違ってはいるが、アルバムデビューわずか2作目の新人シンガーに加藤和彦が前面バックアップしていたというのが驚きだ。

ジャケット見開きの右側には、演奏中の泉谷しげるの写真が。
さすがに若い。
この頃、一体誰が、シンガーのみならず、俳優やイラストレーターとして活躍する現在の泉谷しげるの姿を想像できたろうか?
泉谷しげるが全曲の作詞作曲をしていたのかと思っていたら、岡本おさみ作詞の曲が2曲あったんだな~。
現在でも泉谷しげるの代表曲である春夏秋冬は、すっかり有名なので、泉谷自身のギター1本での弾き語りによる、A面ラストに収録されたこの曲に一番思い入れがある。



裏ジャケット。くたびれ果てて、ガックリとうなだれている後姿のようにも見える。


憧れのさぬきうどん

2006年08月08日 11時07分20秒 | 風景光景

香川県と言えば、讃岐。
讃岐と言えば、当然、讃岐うどん。

あくまでも、四国旅行のガイドブックなどから得た知識だが、本場の讃岐うどん店といっても、その店構えには大きく分けて2種類あるようだ。

ひとつは、どうみても普通の民家や納屋にしか見えないという、うどん屋さん。
店その物はこじんまりとしているため、地図を見ながら訪ねて行っても道に迷ってしまうような事もあるらしい。
お店のオバサンやオジサンがうどんを作ってくれる所もあれば、客が自分でうどん玉をゆでたり、薬味の大根をすりおろしたり、はたまた店の裏の畑に生えているネギを自分で取ってきて洗って切ったり、、、、、、、といったセルフ店もあるそうだ。
セルフ店も面白そうだが、たいていの場合、こうした店には駐車スペースは少ない。
または、駐車場など無い。
はたまた、駐車場があっても、食事時には地元の人達が行列していてクルマなど置けそうもない。
旅行者にとっては、クルマを置けないとなると不便な話なので、案内してくれる人でもいれば別だが、この手の店には行きたくても行きづらい。

もう一つは、よくあるうどん屋さんの店構えの店舗で、当然、駐車場も備えている。
クルマで移動するワタクシの場合、こちらのタイプのうどん屋さんの方が行きやすいのだ。



今回、高松市内で食した、某店のぶっかけうどん
メニューには、熱いぶっかけと冷たいぶっかけがあったが、冷たいほうを注文
『ぶっかけ』とは、左側の口が大きい徳利みたいに器に入ったタレをうどんにかけて、好みにより各種の薬味を乗せて食べる事らしい。
食べ方としては、麺を箸でつまんでタレにつける『ざるうどん』の逆かとも思うが、『ぶっかけ』のタレは、『ざるうどん』のタレとは違う味のタレだった。
もしや、『ぶっかけ』というのは、讃岐地方独特の食べ方なのだろうか?
確かに、まさしく讃岐うどん
麺はコシが強くて、歯ごたえがある。
だが、麺に大根おろしやネギ等を一度に乗せすぎたからだろうか、『ぶっかけうどん』を食べた感想としては、
いま一つ、、、、、、、
ワタクシとしては、うどんの麺にだし汁をかけてどんぶりに入った、ごく普通のうどんの方が食べたような気にならないようだ。
この店にも、ぶっかけでない、ごく普通のうどんやざるうどんがメニューにあったのが、一度ぶっかけうどんとやらを試したかったのだ。

このぶっかけうどんを食べた店は、ガイドブックにリストアップされていたうどん屋さんのうち、たまたま近くを通りかかったので立ち寄ったのだが、


それに対して、6年前に初めて四国を旅行した時に、ガイドブックなどを見ないで文字通りにたまたま通りがかったのが、このうどん屋さん。
東かがわ市の国道11号線沿い、JR白鳥(しろとり)駅の近くにある権平うどん。

何の予備知識も無く、おなじみさんらしいビジネスマンや、地元の家族連れ、はたまたトラックの運転手さんで混雑した店に入って、出てきたうどんはというと、
どんぶりの縁ギリギリまでたっぷりとダシが入ったその中に、これまたボリュームたっぷりの手打ちうどんが泳いでいた、、、、、、、
ワタクシの町でも、いわゆる「さぬきうどん」の看板を上げたうどん屋さんを見かけるが、あの、割り箸でつかんだだけでプッツリと切れてしまうようなフニャフニャの、看板だけのさぬきうどんの麺とは、全く違っていた。
コシのある麺も美味しいが、関西人には、何よりも薄味のダシが美味しい。
薄味といっても、大阪のうどんとも一味違う。
(関東風の真っ黒いダシのうどんは、あれはいけません。からすぎて、どうにも悲しい。)

この店のきつねうどんには感動した。


一昨年、2004年にも食した、権平うどんのきつねうどんとおにぎり。うどんには「大」「小」があって、このきつねうどんは「小」。昼食ならば、オニギリが無くても「小」うどんだけでたっぷりのボリュームがある。

今回、食した、権平うどんの肉うどん「大」。
相変わらず美味しいダシの味と、細切りのタマネギの甘さがからみあって、絶妙だった
今年買ったガイドブックの讃岐うどん特集に、この店が載っていなかったのは何故?


この歳になっても、ナイフとフォークを使う食事は苦手なので、割り箸1本で食べられるうどんは大好き。
おそらく、もっともっと美味しい讃岐うどんが存在するはずだ
店のテーブルで、料理の写真を撮ると言う行為は、周りの人の目が気になってどうも恥ずかしいのだが、、、、、、、、、、、、、、、

参考になりそうな讃岐うどん関連サイトは、

讃岐うどん遍路

讃岐うどんグルメの旅(こちらのデータは、ちと古そうだが)

ガイドブックやデータに頼らず、飛び込んでみるのも楽しいかも?





BANDOロケ村

2006年08月06日 17時11分57秒 | 風景光景

夕べ放送されていた映画『スイングガールズ』。
既に、映画館で1度、TVでも1度観ているというのに、最後のコンテストでの演奏シーンで、帰りかけて戻ってきた観客達までが立ち上がって踊り出すあたりで、グッと来る物を感じるのは何故だろうか?


そうそう、青春デンデケデケデケには、これまた大林作品の常連の尾美としのりが、ちっくんの兄の役で出ていたっけ。
高校の先生の役で岸辺一徳が出ていたというのも、良~く考えると、くすぐるような配役だ。
蚊取りマットやオートバックスの車検のCMでよく見かけるし、最近ではすっかり俳優ずいている岸部一徳だが、実は、ザ・タイガースや井上堯之バンドで活躍したれっきとしたベーシストなのだ、という事を知っている人も少なくなったのでは無いだろうか?
映画の中では、確か、岸辺一徳が演奏するシーンは無かったはずだが、演奏していたらもっと面白かったかも知れない。
ただし、ちっくん達の高校生バンドのメンバーは、劇中でも吹き替えを使わずに、実際に楽器を演奏している。
そのバンド演奏の指導には、モト冬樹の実兄であるエド山口が当たったという。


ところで、四国の話題が続くわけはというと、四国に旅行してきたわけで。



先週の日曜日の夕方、徳島に渡り、その日は徳島に宿泊だけ。
2日目は、鳴門公園から鳴門大橋を眺め、西に移動しながら、本場のさぬきうどん状況を調査した後、栗林公園を散策し、五色台から夕焼けの瀬戸大橋の撮影にチャレンジして玉砕、、、、、、
坂出市内に泊まり、3日目に観音寺市の有明海岸に立ち寄った後、再度、さぬきうどん状況を調査しつつ、徳島からフェリーで帰路に着いた。
結果的には、ただひたすら高速道路を走り続けてしまった過去2回の四国探検の時に比べて、ゆったりとしたスケジュールで移動できたのが満足だ。
夕焼けの瀬戸大橋の写真が上手く撮れなかったのは、大いに不満だが、、、、、
ウデが悪いのは仕方ないが、天候がイマイチだった事と、三脚バラバラ事件に遭遇したのが少々悲しい。


観音寺市の有明海岸の写真だけで済ませるつもりだったので、ブログの上では、すっかり日付けが逆になってしまうが、今回は、2日目の鳴門公園でのお話をば。

ちょっとだけ鳴門大橋を眺めようと鳴門公園の駐車場にたどり着くと、有料の駐車場しかなかった。
大橋だけを眺めてすぐに帰るつもりだったが、¥410だか¥420だかの駐車料金を支払ったからには、少しでもゆっくりしなければ損だと思い、大橋の道路部分の橋桁に作られた渦の道(これも有料)という遊歩道に立ち寄った。
鳴門のうず潮を見物できる時刻には外れていたが、ぐるっと歩き回ると、出入口の所にこんなポスターが貼ってあるのに気付いた。



そう、先日観たバルトの楽園(がくえん)のポスターだ。
ポスターには、ヒゲのマツケンさんのご尊顔を避けようとしているのか避ける気がなかったのかという微妙な位置に、
バルトの楽園BANDOロケ村
ワタクシの住んでいる辺りでは、さほど長くない上映期間がとっくに終わっていると言うのに、
「徳島では、いまだに映画のロケ地で盛り上がっているのか?」
などと感じながら、BANDOロケ村のチラシを1枚持ち帰った。
「せいぜい看板とパネル写真などを展示しているだけだろう。」
と思い込み、その場でチラシを良く読まなかったのだが、施設維持協力金として大人¥500を徴収し、捕虜収容所のロケセットをそのまま保存して一般に開放しているという。
BANDOロケ村のホームページによると、今年3月の開村以来、入場者数は既に10万人を超えたらしい。
ただし、ロケ村の開村期間は、今年の3月21日から2年間の限定だという。
う~ん、、、、、、、
再来年の3月までか~、、、、、、

日光江戸村(行った事は無いが)や太秦映画村(これまた行った事は無いが)みたいな物なのだろうか?
ロケセットを見たところで、、、、、、、という疑問もあるが、良い映画だったので、次回の四国探検の機会には、立ち寄ってみようかなぁ?

そういえば、どこだったか忘れてしまったが、
徳島から坂出に移動している途中に
世界の中心で愛を叫ぶロケ地』
という案内標識も見かけた。
この手の映画は苦手なので、こちらには、どうも興味は起きない。

          
鳴門公園から見上げた鳴門大橋





夕陽が泣いている

2006年08月04日 08時14分21秒 | 風景光景

6年前の7月、フェリーに乗って初めて四国に渡った。

宿泊料金の安さだけにこだわって、何の下調べもせずに、坂出市の五色台という高台にある簡保センターに泊まったのだが、そのロケーションの良さにはビックリした

確か、簡保センターに到着したのは18時半を過ぎていた。
1階の客室の窓からは、晴れた空に夕陽が沈んでいこうとする景色が広がっていた。
沈んで行く夕陽に照らされながら、瀬戸大橋が大きく見えた。
午後7時から、とフロントで指定された夕食を済ませて部屋に戻ると、沈んだ夕陽の残照の向こう、瀬戸内海をはさんだ対岸の岡山県の街並みの夜景までがくっきりと見えていた。

それまでに、人並に、景色が美しいだとかを感じた事はあったが、この日の夕焼けのように、いつまでも眺めていたい景色というのに出会ったおぼえが無かった。
その頃は、デジカメはもちろん、パソコンも持っていなかったし、フィルム式のカメラを持っていたものの、カメラを持ちまわる習慣はなかった。

いつか、坂出市方面に出かける時には、再び五色台に上って、瀬戸大橋の夕暮れを撮影できればと思っていたら、先日、その機会が訪れた。
順序が逆になったが、観音寺市の有明海岸に立ち寄った翌日の事だ。
今回は簡保センターに泊まらなかったので、簡保センターを通り過ぎて、瀬戸大橋が見通せる場所を探してみたが、結局、五色台の頂上にある国民休暇村の駐車場で撮影する事にした。

休暇村の喫茶コーナーでコーヒーを飲み、宿泊客ではないが駐車場から撮影しても良いだろうか? と、たずねてOKをもらい、駐車場に戻ってめったに使わない三脚をセットしようとすると、、、、、、、、

布製のケースから三脚を引っ張り出したとたん、文字通り3本ある脚のうちの1本の一番下に付いている、地面と接触する部分のゴムが外れた。
あれれ?
と思いながら、なおもケースから三脚を引っ張り出していると、ゴムが外れた脚から、3段階で伸び縮みする一番下の脚が外れて落ちてしまった。

どうして、わざわざ四国までやって来たこんな時、こんな場所で三脚がブッ壊れてしまったのか?
心当たりがあった。

どうやら、このおよそ3週間前にこの三脚を原チャリの前カゴに入れて、ガチャガチャと鳴らしながら走ったのが原因だったのかも、、、、、、?
この日この時のために、家から10分ほど走った海岸で夕陽の撮影の練習をしてみたのだ。
海岸に出る途中、狭い道路を通らなければならなかったので、クルマで行かないで原チャリで出かけたのだ。

バラバラになりそうな三脚をあわてて直そうとしたが、太陽はそろそろオレンジ色に変身しながら水平線に近づこうとしている。
夕陽が沈んでしまっては元も子もない。
外れて短くなった脚に、他の脚の高さを合わせてカメラをセットしてみた。
よしよし、この高さでも、たいして問題は無い。

だが、デジカメの液晶越しに見ると、以前に簡保センターから見た時よりも、休暇村の駐車場から見る瀬戸大橋の方が小さく見える。
つまり、休暇村からの方が遠いという事に気付いた。
今さら簡保センターに戻る時間も無いし、簡保センターの敷地外からでは瀬戸大橋への視界が開けていない事は、ここに来るまでに確認済みだ。

そのまま、撮影を強行する事にしたが、悪い事に、この日の空は、夕暮れ時が近づくにつれて曇りぎみとなってきた。
天気予報は『曇り時々晴れ』夕焼け時に空が晴れてくれる事に期待したのだが、そう期待通りにはいかない。
全くの曇天ではないのでなんとかなるかも?
かえって雲に夕陽が反射するのも美しいかも?
と思いながら撮影してみたが、こんなものしか写せなかった、、、、、、
これよりも太陽の高度が下がる頃には、夕陽は、雲の中に隠れてしまった

          

さて、こちらは、肝心な時にブッ壊れた三脚である。
 



三脚本体の上に、2本のパイプと、黒いゴムやら白黒のプラスティックの部品が写っているのがお分かりだろうか?
これが、坂出市くんだりで外れてしまったパーツである。
家に戻ってから、なんとか自分で直そうとしたのだが、ここを外す事が出来れば修理できるという、一番のポイントになる部品がどうしても外れないので修理不能のまま放り出してしまった。

三脚など、めったな事では使わないワタクシである。
思えばこの三脚、
3年ほど前にヨドバシカメラで購入したものの、以来、ケースに入れたまんまで使った事がなかった。
ようやく、始めて使ったのが、原チャリで夕陽撮影の練習に出かけた時。
つまり、この時、五色台の休暇村の駐車場で使ったのが2回目だった。
高いものでは無いが、さすがヨドバシカメラで売っている商品である。
一人前に保証書が付いているが、保証期限はすっかり過ぎてしまっている、、、、、

買い替えかなぁ、、、、、、
やはり


『青春デンデケデケデケ』の海

2006年08月03日 16時27分12秒 | 風景光景
大林宣彦監督の映画、青春デンデケデケデケの舞台になった香川県観音寺市にやってきた。
7~8年前、偶然に、正しい青春映画の王道を行くこの映画をTVの深夜放送で観て以来、すっかり大好きになってしまった。

原作は、1990年に河出書房の文藝賞を受賞し、さらに翌年の直木賞も受賞したという芦原すなおによる同名小説。



『原稿用紙400枚以内』という文藝賞への応募条件に合わせるために、著者は、いったんできあがっていたこの小説を、およそ半分にまで圧縮したそうだ。
後に、1995年になって、受賞作の元になった圧縮前のオリジナル版小説が私家版 青春デンデケデケデケとして発行され、さらに文庫化された時の新聞広告に飛びついて、ワタクシは購入した。
つまり、この小説には、原稿用紙400枚の物と800枚の物が存在し、後で出た800枚の方が『私家版』として出版されている。
最初に深夜放送で観た時は、大林作品だからという意識は全く無く、ましてや、原作小説が直木賞を受賞しているなどとは、つゆ知らぬ事だった。
特に小説の場合、○○賞受賞作品などという権威付けがなされてしまうと、ヒネクレ者のワタクシが書店で手に取る可能性はほとんどない。
その点において、映画を先に知ったという事は本当にラッキーだった。

時代は1960年代半ばというから、ワタクシは、カワイイ小学生低学年の頃。
観音寺市の高校入学を間近に控えた「ちっくん」が、ラジオから流れてきたベンチャーズのパイプラインに打たれ、高校入学後、バンドを組んで、やがて文化祭のステージに立つという物語。
バンドのメンバー探しから始まって、楽器を買うためにアルバイトに精出して、、、、、、、、
ギター少年なら誰もが通る経験を柱にして、イナカの高校生活の出来事がテンポ良く生き生きと描かれている。
主役の「ちっくん」には、大林作品に何度も登場している林泰文、高校生ながらすでに株をやっているという、ベース担当で寺の住職の息子「合田富士夫」には大森嘉之、リードギター担当の「白井清一」には、映画出演3作目でまだ初々しい浅野忠信、ドラムス担当の岡下巧には永掘剛敏(この人の画像が見つからない)、他のキャスティング。
この作品のワンシーンに、ちっくんが生まれて初めて女の子と2人きりで海水浴に行くシーンがある。
3年生の夏休み、同級生の唐本幸代(とうもとゆきよ)が、ちっくんの家にいきなり訪ねてきて、
「海水浴しにきたん。あんたを誘いにきたんじゃ。」
と誘われて泳ぎに行った海、それが、この有明海岸だ。

          

海水浴場の看板のある脱衣所あるいはシャワールームらしき建物は真新しいので、当然の事ながら当時とは景色がちがっていたのだろうが、一見して遠浅の見渡す限りの広い広い砂浜。
この時、唐本幸代は、ちっくんの分まで弁当を持参していた。
結局、ベースの合田富士夫が、「ちっくんを誘って海へ行け」と、唐本幸代をそそのかしたのだが。

この海水浴場と同じく、県立琴弾公園内に銭型という文化遺産がある。
砂浜の一部を巨大な小判の形に盛り上げて作った、砂絵なのだという。
小説の中でも触れられているが、どうしてこんな物が出来たのかについてははっきりとは書かれていなかった。
が、一方通行の狭い道を上がった近くの山の上に、この銭型を見下ろせる展望台があって、そこに建てられていた案内板に、その由来が記されていた。



展望台から見た銭型。



そう言われて見ると小判の形に見えるが。



近寄って見た銭型。サイズは122m×90mだという。6年前の夏、ちっくん達がバンドの練習のために合宿した祖谷(いや)渓谷付近までクルマで出かけたのだが、渓谷まではたどり着けなかった。