かねてから、ワタクシは、BSなんぞには目もくれずひたすら地上波を溺愛するという生活信条を一心不乱に貫いてきた。
全国各地で地下に潜って、生命財産を投げうって必死の抵抗活動を続けるBSレジスタンスの一員としての誇りを持って、ふんぞり返るくらい胸を張って生きてきた。
だが、
今さら、口に出すのが恥ずかしいのだ。
実は、昨年2月。
ついに、刀折れ矢尽きた。
これまで一心不乱に貫いてきた、BSなんぞには目もくれずひたすら地上波を溺愛するという生活信条を投げ出してしまった事。
そして、投げ出してしまっただけではなく、投げ出してしまったという事を今まで黙秘していた事を、同士諸君に深くお詫びしなければならない。
同士諸君から、どれだけの罵倒を浴びせられるだろう事か、、、、、
その覚悟はできている。
焼き討ちにあったのが、一昨年5月。
いろんな方々から心配され、また応援をいただきながら、ようやく再建して元の住所に移り住んだのが昨年2月。
再建に当たって、再建資金問題に次ぐネックになったのが2011年7月からの地デジ移行だった。
ワタクシにとっては、地上波は従来のアナログで充分なのだ。
なのに、頼みもしないのに、勝手にデジタル化してしまうと言うのだ。
しかも、デジタル化を推し進めた連中の背後には、何やら黒い利権構造が透けて見えるというのに。
黒い利権構造が透けて見える事など、ちょっと想像力を働かせれば初めっからわかっていた事なのに、一部週刊誌の見出しに『地デジマフィア』などという言葉が踊りだすタイミングが遅いのではないか?
今さら、地デジ化に反対しようにも、すでに日本中に地デジ設備が建設されているというのに。
いずれ近いうちにアナログ地上波は停止されてしまうのは、確かな事のようだ、、、、、
それならば、日和ってしまうのも、一つの選択肢だ。
日和ってしまおう。
と、
そんなわけで、地デジ対応のTVとハードディスクレコーダーの機種選定作業に入った。
だが、今時のTVあるいはレコーダーなので、地デジ対応なのは当然の事なのだ。
その上、地デジだけではなく、BSに対応しているのもまた当然の事なのだ。
ここで、ワタクシの心に悪魔が囁きかけてきた。
この上ない、極上の猫なで声で
『この際、BSもやっちゃいなよ』
と。
ワタクシの弱い心は、
悪魔の囁きに抗うことができなかった、、、、、、、
確か3年ほど前に新装なった西梅田のサンケイホールブリーゼが入っているのは、BREEZE BREEZEという名のショッピングビルで。
サンケイホールへ行こうと、ビルに入ると、いつもお迎えしてくれるのはブリchan(ぶりちゃん)。
初めてブリchanを見た方は、もしかすると少々ブキミなオブジェに見えるかもしれないが、暗めのライティングが災いしたのだろうか、ワタクシの撮影技術の未熟さのせいであって、決してブリchan本人は明るいヤツなのだ。
うん、たぶん。
先日、パット・メセニーのライヴの時も、ビルの1階から入場したのだが、
この時は、ちょっと様子が違っていた。
フロアには、なんだか今まで聴いたことがなかった音楽が鳴り響き、
館内にたむろしているお客さん達が、にこやかな顔をしながらブリchanを見上げている。
そう、いつもは静止しているはずのブリChanが動いていたのだ。
えっと思ったワタクシが思わずブリchanに目をやったその先に、こんなご案内があった。
なるほど、いつもじっと立ってるだけなので体脂肪の蓄積を気にしてか、ブリchanは1日にそれぞれ10分間、都合8回だけ動くらしい。
サンケイホールが新装なってから、ワタクシも何度か訪れていたのだが、動くブリchanを目撃するのはこれが初めての事。
この時は、午後6時を少し過ぎたところで、動きを止める規定の10分までにあまり時間が残されていなかった。
あわてて1階フロアから撮影
確かに、左手と左足を上に上げる途中のようだ。
違う角度から撮影しようとエスカレーターで2階に上がる。
さらに3階に上がった直後にブリchanのゼンマイが切れたのか、動きを止めてしまった。
これまでワタクシが目にした時は、たいてい衣装を身に着けていないので、服飾費を浪費するキャラクターではないらしい。
ブリchanの身長は12mらしい。
4月8日、ジェフ・ベックのアルカイックホールでのライヴを観戦。
いやぁ~、まさかね。
このトシになって、生のジェフ・ベックを観ることができるとは思いもよらなかったし、このトシになっても日本でツアーをやってるとは、BBA時代のジェフ・ベック本人も思いもよらなかっただろう。
メンバーは、たぶん、WOWOWでやってたロニー・スコッツ・ライヴの時と同じだと思う。
(と思うっ、、、、、、、、て、無責任な事せずに調べろって、、、、)
中でも注目は、最近、ベック師匠のお気に入りらしい女性ベーシスト、TAL WILKENFELDだったが、ソロアルバムのジャケ写と比べると、メイクしてたんだろうか?妙に日焼けした感じで、サングラスかけてたし、衣装のかげんなのか、マッチョな感じで、この人は白人なんだけど全体的にちょっとばかり黒っぽい雰囲気を漂わせていた。
双眼鏡でのぞいていると、ベース弦をはじく右手の指使いが、アヤシク動いて、なんか艶っぽいと感じたのは、ワタクシの妄想だろうか、、、、
ヴォーカルを取っていたのは、ベーシストのTALちゃんとドラムスのおっちゃんだったと思う。
(と思う、、、、、、、、、、って、、、、)
しかし、どうして、基本的にエフェクター無しの指弾きのギターで、あんなに豊かなトーンが出せるのだろうか。
初めて目の前で見たベック師匠には、ひたすら感服するのみ。
しかも、アルカイックホールが、意外にもこんなに音響の良いホールだった事にも感服するのみ。
そうそう、そういえば、2007年4月の野川さんのライヴ後の打ち上げで、ジェフ・ベックに話が及んで、10代の頃は音楽的にグレていてヘビメタ少年だったという和笛奏者の煌玲さんが、
「ジェフ・ベックは、ピックではなく、指弾きだ。」
という話をしていて、
それに対して、ワタクシは
「いや、ベックは、ピック弾きだろ?」
と思ったものの、あまりにも自信満々に煌玲さんが断言していたので、異論を唱える勇気がなかった。
という、つぼ八での現場を思い出してしまった。
確かに、ブロウ・バイ・ブロウの頃はピック弾きだったはずだが、今は、指弾きギタリストのベック師匠なのだ。
あの時、煌玲さんに愚かにも異論を唱えなくて、ホントに良かった、と思う今日この頃。
終盤、1曲だけギブソン・レス・ポール・ギターに持ち替えて、亡くなったレス・ポールのレパートリーを演奏して、大先輩の功績に対する敬意を表すとは、これまたベック師匠に対する好感度大であった。
こちらは、開場前に、ホール出入り口の一角に設けられた物販コーナー。
普通は、チケットもぎってから入場後の場所で販売するもんだけどね。
と、言いつつ、販売サイドの思惑にすっかり乗せられて、黒いキャップを購入したワタクシであった
「来年あたりにクルマを買い換えようかな」
と、ぼんやり考えていたのだが、
ワタクシの意に反して、これまで以上に車を使わざるをえない状況になったため、ハイブリッド車に乗り換える事にした。
思い切ってというよりも、ついつい思いつきを実行してしまったのだ。
今度のクルマには燃費計がついていて、実は、最近のワタクシ、この燃費計が示す数値が上がる事が、この上ない喜び組となっている。
実際の燃費計はどんなのかというと
こ~~んなの
これは、今日の夕方、念願の25km/lを表示した瞬間を逃さず激写したものだ
この数値が正確だとすると、ガソリン1リットルあたりで25キロ走ったということになるのだが、
燃費計といっても、やはり実際の給油量と走行距離から割り出した実測燃費と比べると、少々の誤差がある。
このあと、ガソリンスタンドに駆け込んで、給油作業を完了。
実際の給油量と走行距離から計算した実測燃費は、23.74km/l
ハイブリッド車購入後およそ3ヵ月半になるが、これまでの最高燃費を記録した。
走行距離が3,000kmを越えたあたりから、いわゆる、
『エンジンにあたりが出てきた』
のだろう。
そのあたりから燃費が伸びだしたので、嬉しくて仕方がない。
ワタクシの当分の人生の目標は、30km/l台を目指したいのだが、その前段階として、28km/lを目指したいと、控えめながら考えている今日この頃なのである。
もちろん、エアコンの使用は極力控えてきたが、こう蒸し暑くなってくるとガマンも限界になる。
エアコンを使いながら、好燃費を計上するにはどうしたらいいのだろうか?
何もライヴ観戦には、大阪市内の大ホールとかぎった訳ではない。
大阪府南部にたくさんの自治体がある。
それらの市営ホールでのライヴというのも、時には思わぬ企画に出くわしたりして、なかなか楽しいものなのだ。
2008年2月、ライヴ観戦の為、大阪狭山市のSAYAKAホールへ行った。
この時、ホールの駐車場から、ちょいと変わったデザインの建造物が見えたのでシャッターを押したらしい
『らしい』というのは妙だが、この建造物は、ホールの駐車場からだけではなく、開場前にホール周辺の飲食店を探してうろうろしていた時に、街中からず~っと見えていたので、その存在感は覚えていたのは確かなのだ。
だが、シャッターを押したはずなのに、その画像をどこのフォルダーに保存したのかが不明となっていたのも確かなのだ。
確かと確かが重なると、もっと確かになるはずなのに、
『シャッターを押したらしい』
としか言えなかったのは、画像の保存先がわからなかったからに過ぎない。
たまたたま、ついこないだ、その保存先が見つかったので、とても喜んだ
そう、飛び上がるくらい。
喜んだものの、撮影したときの疑問が再びワタクシの心に浮かんできた。
画面のほぼ中央、民家の屋根の向こう側にそびえる、この白い塔は、一体なんだろうか
と。
グーグルマップで捜索してみると、なんとなくわかってきたぞ。
たぶん、大規模な花火大会で有名な、某教団の施設らしい
別宅に生活物資を搬入する前に、一応、部屋の掃除をしていた時。
洗面台の下の扉を開けると、こんな物が放置されていたので驚いた
前の住人が置き忘れたのだろう。
手に持ってみると右側のボトルはえらく軽くて、中身はすっかり使い果たされていた。
何を目的として、この薬品を使ったのだろうか?
アリとかダンゴムシくらいなら、何も恐れるには足りない。
だが、これらのボトルに描かれているイラストを見ていると、嫌~な予感に襲われてしまった。
まさか、あの、足がいっぱいついているアイツが出た証拠なのだろうか?
それから少ししてから、幸運な事に前の住人を捜し当てることができたので、本人に尋ねてみた。
彼が住んでいた頃に、やはり、ヤツらが出没したのだそうだ
しかも、大量に
大量に出没したのは、アリとかダンゴムシではなかったそうだ。
例の、あの、足がいっぱいついているヤツらだったそうだ、、、、、
小ぶりのサイズだったが、玄関ドアの前やベランダのあたりにうごめいていたのだそうだ、、、、、
大量に、、、、、、、
それを見て、急いでこれらの薬品ボトルを買ってきて、そのあたりに粉末薬品を撒いてみる
と、ヤツらの姿を見かけなくなったのだそうだ。
足がいっぱいついているヤツらの棲息状況について、ネットで調べる努力はしてみた。
もちろん、その退治方法も。
だが、そういうサイトには必ず、足がいっぱいついているヤツらの原色写真が添えられていて、どうにも正視に耐えられなくなってしまい、すぐにそのサイトを閉じてしまうワタクシである。
特に虫が苦手なわけではないつもりだったが、コイツラだけは勘弁願いたい。
先住者に習って、とりあえず玄関ドアの前とべランダのあたりにこの粉末薬品を撒いておいた。
今のところ、足がいっぱいついているヤツらを目撃していない。
だが、ドアを開け閉めするたんびに、玄関前に撒いておいたこの粉末薬品が、ドアを開け閉めする時に発生するわずかな風に乗って、部屋の中に進入しているような気もする。
何よりも、玄関を入ったあたりに靴を置けなくなってしまったではないか、、、、、
靴を履いたとたんに、中に潜んでいたヤツらに咬まれてしまったはたまったもんじゃない。
脱いだ靴は、いちいち部屋の中にボックスの上に上げている、小心者のワタクシなのだ、、、、、、、、
ついこないだ、15日の出来事。
そろそろJAZZ LIFE誌7月号が発売される頃だと思って、ツタヤの音楽雑誌コーナーを見渡してみたが、見当たらない。
「おかしいぞ、確か6月14日発売のはずなのに、、、、、」
と、ブツブツ独り言を言いながら、捜索範囲を音楽雑誌コーナー以外にも広げてみたが、ぜ~んぜん、全く見当たらない、、、、、、
音楽雑誌といっても、ジャズ周辺に限定された、どちらかといえばコアな雑誌なので、そんなにたくさんの部数が売れる訳でな無く、もしかすると定例入荷分が既に売れてしまったのかも知れない、と、あっさりあきらめる事にした。
別の店を探せば良いさ。
と、帰ろうとしたらば、ワタクシのもう一つの定期購読雑誌であるアコースティックギターマガジンの背表紙が目に留まった。
取り出してみると、表紙は押尾コータロー。
押尾コータローのブログに、次号は自分が表紙になるとあったのを思い出して、迷わず購入。
、、、、、、、、、、、したのだが、
帰ってからパラパラとページをめくっていくと、なんか変なのだ
何が変かというと、記事見出しや広告のあちこちに2009年という文字が目に付く、、、、、、
裏表紙の隅っこをじっくり見ると、なんと、この日に購入したアコースティックギターマガジンは、去年2009年の秋号だった
家の中を探すと、去年買った同じ号がもう1冊出てきた、、、、、
嬉しくなって、同じ雑誌を2冊並べて記念撮影
どうしてこんな事になったのやら、、、、、、
押尾コータローのブログを再度読み返してみたら、コータローが次号の表紙を飾るのはアコースティックギターマガジンではなくて、アコースティックギターブックの方だった、、、、、、、
週刊誌や月刊誌ならば、新しい号が入荷すると、古い号は陳列から外されて返本されるのだが、悲しい事に、アコースティックギターマガジンは春夏秋冬に出る季刊誌なのだ。
だから、いまだに売れ残りが陳列されていたのだろうが、こんなミスを犯すとは、真にもって情けない、、、、
乱丁落丁があるわけでなないので、今さら返品はできないだろう。
同じのを2冊持っててもしょうがないけど、とりあえず1冊は別宅の方に置いておこうか。
ふぅ~
別宅で使っている布団のシーツを交換した。
ワタクシにとって、あのシーツ交換というやつは、何度やってもめんどくさい作業である。
特に、掛け布団のシーツはめんどくさい。
掛け布団の四隅に付いてる輪っかの中に、シーツの四隅に付いている細~い紐を通して、結びつけなければ、シーツの中で掛け布団が移動してしまって、いつの間にか片寄ってしまう。
しかも、シーツの裏側での作業であるので、やりにくいことこの上ない。
ヒーヒー言いながら、汗だくになって、敷布団も掛け布団もシーツの中に収めて、最後の仕上げにサイドのファスナーを締めていると、、、、、、
あらら、、、、、、
掛け布団のファスナーがシーツ生地に噛みこんでしまって、途中から、ウンともスンとも動かなくなってしまったのだ。
上下左右、どっちに動かそうとしても、まったく動かなくなってしまった。
スーパーで買った安物だから悪いのか?
それとも、ワタクシの手先の動きに老化現象の兆しが現れてきたのか?
その夜は、この作業のためにすっかりくたびれ果ててしまったので、ファスナーが締まらないまま眠ることにしたが、そのまんまの状態で使い続けるのはワタクシのプライドが許さない。
結局、さきほど、気を取り直して、もう一度新しいシーツを買ってきた。
今度は、注意しながら作業を続けたので、ファスナーが噛みこむ事もなくシーツ交換を終えることができた。
だが、ファスナーの噛みこんだシーツは、一体どうしたらいいのだろうか?
とりあえず、本宅に持ち帰って、対応を協議しようと思う
アヤシ気な美容師が所有する、売りに出して3年経っても買い手がつかなかった隣のアパートから出火して、ワタクシの家が消失するという、どうにもアヤシ気な火事に遭った後遺症からか、本にしても、CDにしても、新品でなく中古品で購入する機会が多くなった。
どっかへ出かけた時に、時間があればブックオフの店舗を検索して足を運ぶのも、ワタクシのひとつの楽しみとなりつつある。
だが、本はともかく、ブックオフの中古CD販売価格は、ちょっとばかり強気過ぎないだろうか?
気になるアルバムを見つけても、値段シールを見たとたんに陳列棚に戻す事は何度もある。
中古なんだから、もう少し安くしてくれてもいいのに。
と、ブツクサ言いながら、時には内容的のも価格的にも掘り出し物に出くわす幸運も、たまにはあるわけで。
ブックオフではないが、ついこないだ、三宮の中古CDショップゲットしたCDは、そういった意味でも内容充実の3枚。
まずは、フリューゲル・ホルンとヴォーカルのTOKUのアルバム。
そのアルバムタイトルもTOKU。
これが¥980。
そして、ピアニスト山中千尋のLACH DOCH MALが、¥1,280。
そしてそして、こいつが今年一番の掘り出し物
上田正樹のブルースアルバム、NO MORE BLUESにいたっては、なんとたったの¥280
¥2,800ではないよ
¥280だよ
しかも、未開封のピカピカの新品。
しかも、『大阪へ出てきてから』のボーナストラック付き
2月21日 太地町の白鯨に天使のダミ声こと木村充揮が単身乗り込んでくるという口コミ情報が寄せられたので迷わず参戦。
去年の一時期は、体調を壊したのか、ステージ上での飲酒を控えていたというウワサもあったが、なんのなんの、、、、、、
登場と同時に、水割り模様の飲み物を、まずは1杯。
タクラマカン砂漠にじょうろで水を撒くがごとく、グビグビとすんなりと1杯飲み干してから、ライヴ開始。
途中も、何度も水割り模様の飲み物のおかわりがステージまで運ばれてきた。
木村充揮がのどに流し込んでいく様子は、単なる水にしか見えない。
使用ギターはグレコ製。
串本サンマリンライヴの時と同じ物だと推定される。
NHKホールでの30周年ライヴの時には、ハコも仕掛けも大きかったので、たくさんのギターを使い分けてたが
天使のダミ声は健在で、いつかきっと、内田勘太郎との共演をと、夢見るワタクシであった
元町で友人夫妻とランチした。
奥さんが大丸まで案内してくれたのは、料理家栗原はるみがプロデュースするというレストランカフェ
満席の店内を見渡してみると、ワタクシと友人とをのぞいて、お客さん全て女性ばかり
平日の昼間のデパートに来る人って、こういう年齢性別構成になっているのか、と納得。
この人たちのダンナ連中は、きっと、いまどき流行りの¥350くらいの弁当をかきこんでいるのだろう。
それもまた、納得。
いっそ、オーダーした料理を撮っておけば良かったが、アフター・ザ・フェスティバル。
訳すると、後の祭り。
見かけよりももっとヴォリュームがあった、ひき肉と茄子のドライカレーを食して、友人夫妻と別れる。
元町側から三宮センター街を、しばし散歩していると、ネタ発見
アーケードの上空に、青いメッセージボードが上がっている。
メッセージ部分だけズームアップしてみると、『路上喫煙禁止地区で、違反者は過料¥1,000』だと
いつからこうなったのかは知らないが、ワタクシの場合、12年ほど前に禁煙して良かったなぁ、、、、、とホッと胸を撫で下ろす
センター街の三宮寄りの中古CDショップへ。
前回やってきたのは春。
たまたま時間つぶしに立ち寄った時に、ワタクシの興味をそそるCDが並んでいたので、5、6枚買ったらば、次回の買い物に使える¥100割引券を6枚ももらってしまったので、そいつを期限内に使うべく、またもやCD3枚購入。
3枚買ったら、またもや¥100割引券を1枚いただいてしまった。
こうして、自然界の食物連鎖は無限に続いていくのだ。
アーケードを抜けて、三ノ宮駅に向かう歩道橋。
この歩道橋は、『午後11時から午前7時まで通行できない』との、お上からのおふれがにらみをきかしている。
夜間に歩道橋を通行できないというのは、いったいどういう事情があるのだろうか?
この謎には、きっと歴史的な深~い背景があるに違いない、、、、、
1月下旬から6月の声を聞くまで、しばらくの間、失踪を決め込んで、ナマケモノの本領を発揮している近頃のワタクシにとって、ライヴ観戦の翌日にさっそくアップしてしまうとは、自分でも驚きだ
昨夜、6月9日。
サンケイホール・ブリーゼで、すんごいライヴに立ち会えたもので、いまだに興奮を抑えきれない。
抑えきれないが、いったい何に対して、心の中まで汗だくになるほどエキサイトして会場を後にしたのだか、言葉では説明できっこない。
今回のパット・メセニーのライヴについて、某チケット販売サイトのメールマガジンで先行抽選販売の告知を受けた時は、確か、出演者はパット・メセニー・グループとして表記されていたはずだが、それはどうやら誤りだった。
実際、ステージで演奏したのは、パット・メセニーただ一人
ただ一人といっても、単にパットのソロギターだけのライヴではない。
パットの共演者は、『the orchestrion(オーケストリオン)』と名づけられた、自動演奏の楽器の群れ。
この、『the orchestrion(オーケストリオン)』については、JAZZ LIFE誌のインタビュー記事で予備知識を得ていたが、どういう仕掛けでこの無人の楽器の群れが自動演奏しているのかが、ほとんど理解できなかった。
もう一度そのインタビュー記事を読んでみようと、部屋の中をひっくり返してみたが、件のJAZZ LIFE誌は、別宅に置いてきてしまったらしい
例えばYMOがやっていたプログラムされたシンセなどという単純な物ではないと思われる。
実際に、ステージ上では、鉄琴(たぶん)やマリンバ(たぶん)やピアノやベースやガットギターやばらばらにされたドラムパーツ達が、動いているのだ。
その上、ストリングス風のサウンドまで聴こえてきたし、、、、、、
この日の観客のうち、ワタクシを含めた男性陣の興味は、『the orchestrion(オーケストリオン)』の動作原理に向けられ、女性陣の興味は、パット本人とその音楽性に向けられていただろう。
わかんないものは、わかんない、、、、、
ひとつだけはっきりしているのは、使用されたピアノはヤマハ製の自動ピアノで、ホテルのラウンジなどで見かけた事があるタイプらしいという事。
なんとしてでも、別宅のJAZZ LIFE誌を探し出さなければならない。
インタビュー記事を読み返してみても、理解できるかどうか?
たぶん、無理だろうな、、、、、、、
自動演奏楽器との共演といっても、彼ら(あえてこう呼ばずにいられない)の演奏には、熱い血が通っている。
だって、あの(良い意味で)サンケイホールに集まった大阪人達が、熱狂して総立ちになって、ダブルアンコールを要求するわけがない
かねてから、ワタクシの持論として、ホールライヴ会場でのベストな座席位置は1階の前から5~10列目のど真ん中という理論を確信しているが、この『the orchestrion(オーケストリオン)』ツアーの場合、2階席からの観戦をオススメしたい。
というのも、1階席からでは、今、ステージ上のどの楽器が音を出しているのかが良くわからないし、
ステージ照明も凝っていて、演奏中の自動楽器達に、Windows Media Player の視覚エフェクト効果を連想させる幻想的な照明効果が繰り広げられるからだ。
2階席からなら、ステージ上にずら~っと勢ぞろいした自動楽器達の白熱した動きも、美しい照明効果も把握できるだろう。
実際、ワタクシは1階席のそこそこ前の方に着席していたのだが、ステージ右端の方の視界が利かない事に対して悔しくて仕方がなかったからだ。
しかし、ここまで書いても、何がそんなにすんごいライヴだったのかを説明する事ができない。
仕掛けだけではないのだ、ホールに繰り広げられた音楽がすんごかったのだ。
どうすんごかったのかを説明するのはあきらめたので、これ以上はやめておく。
その代わり、現場写真をば
上田正樹が古座川町までやってきたのが去年6月。
あれからおよそ1年後の6月6日、今度は隣の串本までやってきた。
今回は、エルトゥールル号遭難をきっかけに始まったトルコとの交流120年を記念した串本町のイベントの一環で、週末にたくさんのイベントが開催されたその大トリとしてのコンサートだった。
町が主催なので、チケットはたったの¥2,000
とくれば、行くしかないわけで
去年の古座川町ぼたん荘の時は、生ピアノだけがバックだったが、今回はベース、ドラムス、そしてキーボードのトリオ編成と、時々キー坊が弾くアコギと、ゲストヴォーカルが昨年同様Yoshie.n。
去年はこじんまりとした会場で、ステージも小さくて、常に動き回って唄うキー坊にはスペースが狭すぎたが、今回は小さいながらもホールでのステージ。
やはり、ベースとドラムが入ると、すごい迫力だね。
去年のしょぼいアップライトピアノに変わり、キーボードも今回は電気仕掛けだし。
ハモンドオルガン風のキーボードサウンドがかっこ良かったゾ
終盤、ドンドン盛り上がったためか、ステージ前に出て踊りだしたヤツらもいたが、これがまたセンスがなくてただ騒いでいるだけのみっともないヤツらで、、、、
こいつらを見てると、こちらのテンションが下がって下がって仕方がないので、こいつらは視界に入れないように努力しながら、ワタクシもエアードラムスで参加した。
そうそう、アンコール前におばさんがワタクシの足元のバッグを蹴飛ばしながら、これまたステージ前に駆け出した。
と思ったら、キー坊に握手を求めながら、ステージでキー坊が汗を拭いていたタオルをくれと直談判していたのにはあきれたが、、、、、、、
そのタオルは、終演後、おばさんの手元に届いたらしい。
ライヴ終了後は、ニューアルバムにサインしてもらって、こっそり持参した古いLPレコードのジャケットにもサインしてもらって、大満足。
会場を後にしようとしたら、観客の熱気が起こした風に乗ったのだろうか、ワタクシの足元に、なにやら紙切れが飛んできた。
拾い上げてみたら、その日の演奏曲が書かれたステージ進行表だった。
いったい、どうして、ワタクシにとって、去年の鈴鹿F1が面白く感じられなかったのだろうか?
前述したように、やはり、ホンダがレースから撤退してしまった事が一番大きい。
さらに、100年に一度の不況とやらの影が華やかさを奪ってしまったのも大きい。
それでも、同行者達は、宿泊先でドンチャンと飲み明かしていた
ノンベエの同行者達を乗せてクルマを運転しながら、ふと感じてしまった。
「これでは、ノンベエどもを乗せるタクシー代わりにワタクシが運転しているだけの話ではないか、、、、」
とはいうものの、去年は収穫もあった。
ひとつは、偶然にも、予約可能で良心価格の駐車場を発見できた事。
もうひとつは、帰路の渋滞の抜け道を発見できた事。
決勝レース終了後、同行者の一人が、地元のタクシードライバーに聞いたというルートを試しに走行してみた。
これがまた、ビックリするようなルートで、
なんせ、一旦、レース終了直後でごった返しているサーキットに向かって行くというのだから、、、、、
「こんなルート、絶対に大渋滞につかまるに違いない」
と思いながらクルマを進めていくと、一時的な信号待ち渋滞はあったものの、あとはスイスイと西名阪までたどりついてしまい、帰宅したのが9時半ごろという、これまで最短だった10時50分という記録を大幅に塗り替えてしまったのだ
それにしてもやはり、今年はやめておこうという方向にワタクシの心が固まりつつある。
それは決して、去年の鈴鹿には、ハツラツとしたファッションのキャンギャルのお姉さん達の姿が少なかったからではない、決して、、、、、
この風景は、別の機会の撮った、F1レースのない日の鈴鹿市内。
サーキットへ続く道路には違いないが、レースのない日は、レース開催中とはえらい違いで快走できた
撮影場所の具体的な地名は記憶にない。
2004年7月