駒ケ岳ロープウェーから下界に戻って、バスセンターでしばし休息。
4日目の宿は、多治見に予約済み。
駒ヶ根インターから多治見インターまで約140km。
15時40分、駒ケ岳SAでこんな物を見つけた。
ドッグラン。
クルマで一緒に旅行するワンちゃん達のための、お散歩スペースらしい。
ドッグランは、何度か見かけた事があるが、実際にワンちゃん達が駆け回っているのを目撃したのは初めて。
利用者もいるんだね。
この日は日曜だったので、どっかで渋滞に出くわす事も予測して早めに多治見に向かうが、こんなときに限って、どこも渋滞していない
だから早めに多治見のホテルに到着してしまった。
夕食の飛び込んだ蕎麦屋で予想よりも分量が多くてせっかくのそばを残してしまった、この多治見での一夜のアヤマチを悔やみつつ、就寝。
5日目、最終日の9月13日は、寄り道せずにひたすら帰宅族に徹して、自宅までの約360kmを走破する。
最終日に、ちょっとだけ雨に降られたが、ワタクシの旅にしては珍しい事に、ほぼ好天に恵まれたのが奇跡のようだ。
このシリーズのタイトルに冠したように、ひと時の『天空人』気分を味わおうと敢行した彷徨だったが、この5日間をまとめてみると
総走行距離 およそ1,400~1,500km
平均燃費 ほぼ20km/l前後
撮影枚数 たぶん1,000枚近く(フィルムでなくデジカメで良かったなぁ、ホント、、、、、、)
いつもと違って、今回は日程に余裕があった上、あれもこれもと走り回らなかったので体力的にも楽だっだ。
ようやく、旅人としてのペース配分がわかってきたような気がするが、そろそろ一箇所に滞在しての旅行というのもやってみたいなぁ。
ワタクシの友達の話だが、そいつは何度かの転職経験があって、何度目かの転職の合間の無職の時代に、
「せっかくやから、旅行でもしようや。お前も仕事辞めたらどうよ」
と、奥さんを説得して仕事を辞めさせて1ヶ月かけて北海道を回ったり、結局3ヶ月ほど旅ざんまいの日々を送ったというヤツがいる。
そういうのも、ありやね。
心肺機能が健全なうちに
いよいよ名残惜しくも諏訪湖にさらばした9月12日。
(しかし、9月の話をいまだに引きずっているというワタクシのだらしなさったらありゃあしない、、、、、、)
その諏訪湖の行きか帰りか、、、、、?
とある踏切で、とんでもなくビックリした事件が起こった
そこはS字状になった道路で、S字の真ん中あたりで線路を直角に横断する踏切だった。
踏切を渡った向こう側がT字路になっていたかも知れない。
例によって、地名はわからない。
もしかすると、この表現で地元の方には場所が判別するかも知れないが。
いや、ホンマに半端じゃなくビックリした。
その踏切を渡ろうとしたら、向こう側から妙な乗り物が走ってきたのだ、、、、
その乗り物の体形、色合いからして、どう見ても船にしか見えない。
ジョン・レノンを思い浮かべながら、ここで想像してほしい。
もしも、もしも、あなたが道路をクルマで走っている時に、向こう側から船が走って来たとしたらどうするだろうか?
陸上を船が走って来たら。
そして、その船には、乗客が乗っていたとしたら、、、、、
そして、そいつが、踏切の向こう側からどんどん近づいてきたとしたら、、、、、
いったい何事が起こったのかと、ついにパニック症候群に陥ってしまったかと覚悟せざるを得ないような勢いで、背筋に走る冷たいものを感じたワタクシであった
唖然としてハンドルを握りながら踏切の真ん中に差し掛かると、その妙な乗り物とすれ違った。
そいつは、確かに船だった。
大きめの観光バスくらいのサイズで、船にしてはちと小柄な印象を受けた。
そりゃあそうだ、踏切の中ですれ違える程度のサイズだ。
だが、すれ違いざまに観察したところ、船の車体(船体?)の下にはたくさんのタイヤが付いていて、そのタイヤで道路を走っているがわかった。
しかも、そのタイヤときたら、車体(船体)のサイズに似合わない、チンケな小径のタイヤだった。
良かった、これでホッとした
ついにワタクシに幻覚症状が現れたわけではなかったのだ
もし、この時に、列車が近づいていて踏切の遮断棒が降りた状態だったならば、落ち着いてカメラを構える余裕もあっただろうが、道路交通法に従って一旦停止して走り出した直後だったもんでカメラに手を伸ばす時間も無かった。
だから、残念ながら、この時出くわした水陸両用船の証拠写真は無い。
証拠写真は無いのだが、後に消息筋からの情報により、ダックツアーなる存在を知った。
そうだ、こいつだ、このサイトに載っている船体だ。
だが、あの時諏訪市で遭遇したのは、もっとたくさんタイヤが付いていたはずだが、、、、?
でも、このサイトに載ってるヤツの亜種には違いないだろう。
しかし、こんな物が一般国道を白昼堂々と走行するのならば、もっと早く告知しといてもらいたかった。
と、一時は憤慨したワタクシであった。
だが、この時、諏訪湖でファーストコンタクトを果たしていた事が、後日役に立ったのだ。
縁は異なもの。
9月19日、今度は神戸で、再びこの水陸両用船と出くわしたのだ。
そん時は、友人と三宮あたりを歩いていて、友人の方が「あの船、なんで道路を走ってるん?」と盛んに驚いていたのだが、ワタクシは「ああ、あれね、あれは、水陸両用船でっせ。なんや、君は知らんかったんかい? いったい君はどこの学校を出たん?」と、同級生に対して、涼しい顔で知識人振りを見せ付ける事ができたからだ
さて、ワタクシの居住地では、プリペイドカード価格でレギュラーガソリンがリッター¥120を切るというのに、どうしてこの辺のガソリンはこんなに高いんだろう?
とぶつくさ言いながらも、インター近くで見つけたセルフスタンドで行列して燃料を補給。
そう、この日は日曜日だったのだ。
10時半ごろ、次なる目的地、駒ケ岳ロープウェーに向けて出発した。
諏訪インターから駒ヶ根インターまで50km足らず。
インターを降りて、時流に乗って走っていると、11時39分、菅の台バスセンターに到着。
ここで、クルマを置いてバスに乗り換える。
バス停に止まっていたバスはもうすぐ発車しそうだったので、次の便にしようと乗車券売り場周辺の写真を撮っていたら、「ご乗車できま~す」と、乗り場の係員から声をかけられたのであわてて、チケットを購入する。
わざわざ発車時刻を遅らせてワタクシ一人を待っていただいた身としては、ひたすら恐縮して、バスに乗り込んだが、空いてる席はタイヤハウスの上の足元の狭~い席しか無かった。
12時10分、ロープウェーのしらび平駅に到着。
駅に入ると、こんな告知が。
やはり、ヤツらは居るのだ。
ふもとのしらび平駅でさえ、既に標高1661mもあるらしい。
ここから2,611.5mの千畳敷駅まで上昇する。
千畳敷駅まで上昇したものの、あらら、お山ではガスが発生して、視界は不良。
ただし、雨は降っていない。
それでも、登山グループの皆さんは、手馴れた雰囲気で輪になってストレッチ運動を始めている。
ストレッチするのは大賛成だが、この人たちのストレッチが終わるまで、ワタクシは通せんぼされてしまった。
も少し、他の人達の事も考えて、人一人が通れるくらいのスペースを空けてくれればいいのに、と思いながら、この輪を横切って遊歩道に向かう勇気は無かった。
ようやくストレッチの輪が解けて、しばし歩いてみる。
写真ではかなり濃いガスに写っているが、実際のところ、肉眼ではもう少し視界が良かったのだ。
だから、メガネや衣服が濡れることも無かった。
これはズームアップした画像だが、頂上を目指して登山ルートを上がっていく人も多かった。
遊歩道と登山ルートとは別物で、登山するにはきちんとした装備が必要。
きちんとしていないワタクシは、遊歩道を歩いてみるだけにとどめた。
ちと容器がさびしい山菜そば¥500を食す。
視界が良ければもっとおいしかったろうが、見た目とは違って、意外と旨かったな。
山菜そばを味わうワタクシの近くで、他のお客さんが売店の女性スタッフとこんなやり取りをしているのが聞こえてきた。
「このままここで待っていると、時間が経てば晴れてくる可能性はありますか?」
「いえ、今日は朝からこんな感じなので、回復は無理だと思いますよ。」
ワタクシも晴れてくる可能性に期待していたのだが、この会話を聞いて、下山を決意。
14時18分、しらび平駅に到着。
もう一度バスに乗り換える。
14時50分、クルマを置いた菅の台バスセンターに帰ってきた。
下界は、こんなに良い天気である
美ヶ原高原から諏訪市のホテルに戻ったその夜、ビジネスホテルの大浴場に入った時、異変に気づいた
ザブンとお湯に飛び込んだものの、肘から先がヒリヒリしてヒリヒリして、お湯につける事ができない。
大浴場の薄暗い照明の中で見ると、肘から先がまっ赤っ赤に日焼けしてしまったのだ。
下界よりもうんと過ごしやすい外気温だったもので、高原にいた間はほとんど気にならなかったのだが、日焼けしてしまったらしい。
鏡に映して見ると、顔も日焼けしている。
メガネをかけていたその下あたりから、特に鼻先がまっ赤っ赤になっている。
これが顔全体だとか上半身全体が均等に日焼けしているのなら、ま、カッチョ良いと思えなくも無いが、いかにも中途半端な生焼け状態なので、みっともないことこの上ない、、、、、
帽子(キャップじゃなくてハットね)を被って、マフラー状にタオルを首筋に巻いていたのは正解だったが、歩いているとどんどん暑くなってきて、無意識に長袖シャツの袖をまくり上げてしまったのが、うかつだった、、、、、
ここで、これまでの人生をよくよく振り返ってみると、日焼け止めクリームを使ったことも買ったこともない。
だから、夏のお山行きのために日焼け止めクリームを用意するという発想は全く無かった。
前日の新穂高ロープウェーの時から、じんわりと紫外線攻撃にさらされてしまったのだろう、顔もヒリヒリ、腕もヒリヒリ状態は、翌朝になっても続いていた。
唇までもがヒリヒリして、まるでアンジェリーナ・ジョリーの唇がワタクシの唇に乗り移ってしまったではないか?
と疑ってしまって、鏡を見てみたが、そこに映っているのはいつもの自分の唇だったので、少々ホッとした。
さて、翌日。
オルゴール博物館へ行こうかとも迷ったが、別の所に行きたくなった。
その前に、せっかく諏訪市に2泊していながら、諏訪湖にご挨拶せずにこの地を後にするのはあまりにも失礼だと思い、諏訪湖にご挨拶。
確か、かつて、諏訪湖SAで休憩した記憶はあるが、諏訪湖を間近に眺めたことはまだ無いのだ。
9月12日(日)、10時10分。
だだっ広い諏訪湖の、ここがそのどこに位置するのかがわからないまま、湖に到着。
公園になっているそのスペースでは、何やらイベントの準備中らしく、PA機材をセットしたステージを組んで、青少年達がバンド演奏のリハーサルに余念が無かった。
青少年ミュージシャン達の演奏が気に入らなかったわけではないが、次なる目的地、いよいよ今回の最終目的地に向かうために、諏訪湖を後にするワタクシであった。
結局、諏訪湖の滞在時間が、たった10分足らずだったのはホントに申し訳ないが
ところで、チケット当選による急遽の東京行き発生のため、少なくとも28日まではネット不能状態になるので、更新はさらに滞るという噂が絶えないが、、、、、、、
今回の飛騨信州への彷徨の大きな目的地は、まず新穂高ロープウェーと美ヶ原高原の2本立てだったので、これで大きな目的地はクリアーした。
大きな目的地の他に、小さな目的地として下調べしておいたのが、高山陣屋や松本城などで、この2箇所は実際に行く事ができた。
3日目のこの日、美ヶ原高原を征服した後の小さな目的地として予定していたのは諏訪湖オルゴール博物館だった。
だが、この時点ですでに時刻は午後3時前。
これから諏訪市に戻るとすると、博物館の閉館時間が気になってくる、、、、、、、
残り時間と協議の上、小さな目的地の一つとして考えていた、美ヶ原高原美術館へ行ってみようかと思いついたのだ。
あそこなら、いったん諏訪市に戻るよりも、今いる山本小屋ふるさと館からほど近いそれで、美ヶ原高原美術館の標準的な所要時間を知る方が良いと思ったので、美術館に電話で問い合わせてみた。
問い合わせてみると、
「本美術館は、屋外に作品を展示した美術館ですので、お客様の鑑賞の仕方によって、例えば1日中居られるお客様もおいでですので、特に標準的な所要時間を一概にはご案内できません。ですが、仮に、ざ~っと観て回るとすると、1時間程度あればひととおり鑑賞できるでしょう。」
との回答を得たので、美ヶ原高原美術館へ行く事に決定。
ホントは、この美術館へは4日目に行く予定だったのだが、それを変更。
気まぐれに行き先を変更できるのが、これぞ、単独行の醍醐味だ。
3時きっかりに、美ヶ原高原美術館に到着
ところが、美術館の空はこんなすごい曇り空。
さっきまでいた美ヶ原高原でも、ワタクシが帰る頃には雲が出てきたが、そんなに離れた場所ではないのにこちらの空の方が不穏な悪意を感じた。
オンナゴコロとお山の天気の複雑怪奇さを、ひしひしと実感するワタクシであった。
幸いな事に、これ以上の黒雲が広がる事がなかったので、ほんとに良かった。
ワタクシが美ヶ原高原に滞在していた頃、この美術館の上の空がしっかり踏ん張って、美ヶ原高原の好天を守ってくれたのだと解釈しよう。
ご覧のように、屋外に立体作品が展示されて(というか建築されているというか)いて、鑑賞する場所や角度を変えると、ひとつの作品の背景や前景に他の作品や風景が現れてはまた視界から消えていく。
敷地も広く、場所によってはアップダウンもある。
さっきまでの美ヶ原高原ウォーキングで疲れた老いたる下半身をいたわりながら、かといって、のんびりし過ぎて時間オーバーにならないようにしての鑑賞となった。
元来、審美眼には自信もセンスも無いワタクシなので、作品の前に立ち止まってはしばし眺めて、次の作品の前に立ち止まってはまたしばし眺めて、の繰り返し。
なので、こうやってひたすら画像を並べるだけである。
動物モノあり。
はたまた分割モノあり。
さては集合モノあり。
指と足が一番インパクトあったけど。
失敗写真だが、あえて名付けるとすると『逆光仮面』。
展示作品はもっともっとたくさんあって、冬季は閉鎖されているようなので詳細は公式サイトでよろしく。
季節や天候、背景となる空や山の配色が変われば作品から受ける印象も変わるだろうから、機会と体力があればまた来ようかな。
展示作品の入れ替えもやっているのだろうか?
という疑問も感じながら、16:30頃まで滞在してしまった。
諏訪市に戻って、すっかり冷えたみそ汁とご飯でワタクシを歓迎してくれるお好み焼きと遭遇したのは、この夜の出来事だった。
王ヶ頭ホテルのテラスに腰掛け、直産牛乳を味わって休憩しながら、『王ヶ頭』とは良くぞ名付けたもんだと感銘に浸っていた。
『王』=『神』と解釈すると、神様の山の頂上が『王ヶ頭』頂上よりは標高は落ちるが、その頂上からちょこっと飛び出した見晴らしの良い場所が『王ヶ鼻』とは、いつごろからこの地名が使われだしたのか知れないが、この地に暮らす昔の人々の秀でた言語感覚には脱帽してしまう。
日除けのために、脱帽した帽子を被りなおして、13時40分頃、名残惜しいが、そろそろもと来た道を戻る事にした。
帰り道、気が付くと、いつの間にか雲が出てきた。
雲のせいでちょっと空が暗くなって、シャッターを押したときはこの写真はボツだなと思ったのだが、こうしてワタクシのPCのモニターで見る限り、ナカナカ雰囲気のある写真になっているぞ。
と悦に入るのは、左に醤油、右にソース、向こうにポン酢、いや、手前味噌、、、、、、、、
雲影のおかげでコントラストが強調されて、空の表情に力強さを感じてしまうのは、左に醤油、右にソース、向こうにポン酢、いや、手前味噌、、、、、、、、
いかん、今日はちと壊れ気味になってきた、、、、、、
あくまでもワタクシのPCモニターで見る限り、であって、これを読んでいるアナタの安物のPCモニターでどう見えるのかまでは責任を負えないが、上の2枚が今回の彷徨のベストショットだろう。
こんな事ならば、帰りがけにもっとたくさん撮っておけば良かったなぁ
だが、それにしてもこの空の近さはどうだろう?
これだけ空が近くて、これだけ大がかりに雲が広がりだしても、雨の匂いはしてこない。
デイバッグの中には、まだ使った事が無いレインポンチョも放り込んでいるので、いざとなればそいつを引っ張り出せばよいわけで、急ぐ必要も無い。
画面真ん中の右端あたりに豆粒みたいに写ってるのが、遊歩道を歩く人。
縮尺確認にはちょうど良い。
実は、ここだけの話、信じてはいただけないかも知れないが、帰り道にちょっとばかりジャンプして手を伸ばしたら、雲のかけらを3つばかりつかんでしまったのだ。
つかんだ雲のかけらを、デイバッグに入れて持ち帰ってきた。
その雲のかけらをご覧に入れたいところだが、家に帰った頃には、消えていた。
どっかに落っことしてしまったのだろうか?
まことにもって申し訳ない。
そのうち、孫悟空が拾って届けてくれるかもしれない。
で、14時45分。
クルマを置いた、山本小屋ふるさと館に戻ってきた。
お土産を物色しながら、デイバッグを背中から下ろすと、デイバッグと接触していた長袖シャツの背中のあたりが、汗びっしょりになっていた。
アンダーウェアには速乾性の高い素材のTシャツを着ていたので、内側のシャツが乾いてしまって、その上に着たコットンの長袖シャツに浸透した汗だけが残ってしまったのだろう。
なんか、妙に背中の辺りが気持ち悪い。
かといって、着替えのシャツを持ってきていないので、自然に乾燥するまでは背中の気持ち悪さを道連れにしなければならない。
う~ん、何度時計を見ても午後3時前。
これからどうしようか?
しばし考えて、とある場所に問い合わせてみようと、ケータイを取り出してガイドブックにあった電話番号をプッシュしてみるワタクシであった
こうして9月11日(土)11時50分、美ヶ原高原の頂上、標高2,034mの王ヶ頭に到着。
ここが、新穂高ロープウェーと並んで、今回の彷徨のもうひとつの目的地だったのだ。
あれはいつの事だったろうか?
信州のガイドブックに載っていた、雲海に浮かぶ王ヶ頭ホテルの広告写真を見て以来の憧れの地であった。
今回はこんだけ晴れ上がった真夏の青空の下だったが、いつかきっと雲海に浮かんでみたい。
ワタクシがガイドブックで目撃した雲海に浮かぶ王ヶ頭ホテルの画像をネットで探すことができなかったが、王ヶ頭ホテルのホムぺの『施設と観光のご案内』というコンテンツの項目をクリックして行くと、このあたりの色とりどりの風景を知る事ができる。
王ヶ頭からもう少し足を伸ばして、王ヶ鼻まで。
このあたりで標高2,008m。
石仏群から先に行くと、すんごく見晴らしが良いのだが、足元の岩が脆いので、あんまり前に行って足元がズルズル滑ってしまうと、ちと怖いかも。
王ヶ鼻から王ヶ頭に戻る帰り道、行きとは違う遊歩道ルートを通る。
一旦、下ってから再度上っていく、アップダウンがある分ちょっと遠回りになる遊歩道だったが。
画面真ん中右寄りに、こちらに向かってチャリンコを押している少年がわかるだろうか?
高校生くらいの3人組で、チャリンコを押してゼイゼイ息を切らしながら登っていた。
徒歩のワタクシが追いつきそうになると、チャリンコを脇にどけて道を譲ってくれた。
「こんにちわ~」と、屈託無く挨拶してくれたので、「どっから来たん?」と、話しかけると、ふもとからやってきたと答えた。
彼らがやってきた『ふもと』とは、足元はるか下である。
なんという冒険心あふれるチャレンジャーであろうか?
実際のところ、こんだけスケールの大きな風景を体験してしまうと、写真でしか知る事ができない現地に行った事が無い人には、この画面の中の縮尺がどんだけ伝わるだろうか?
彼ら3人組の少年達は、無事にホテルまでチャリンコを運搬することに成功して、美ヶ原高原を縦横無尽に走破する権利を得たのである。
まるでホテルの回し者のような事を書いてしまったが、王ヶ鼻から再び憧れの王ヶ頭ホテルに戻り、高原牛乳を味わいながら休憩する。
コップに並々と注がれた牛乳は、ご覧のように逆光を受けているものの1杯¥200。
こうして、諏訪市の国道沿いのホテルに宿泊。
ホテルの近くで夕食をと思い、カーナビの案内でバーミヤンに向かったが、ナビが指示する場所には何故かバーミヤンが無い、、、、、
花の金曜日夕方のラッシュ帯を、諏訪市から茅野市を行ったり来たり、飲食店を探して走行してみたが、イマイチ興味をそそるお店が見つからない。
そんじゃラーメンでもと思って入ったラーメン店で、生まれて初めて『つけめん』とやらをオーダーしてみた。
が、これはミステイクだった。
冷えた麺とつけ汁の脂っこい具がからまると、もっと脂っこくなってしまう。
これならば、普通に熱々のラーメンをオーダーすれば良かった、と反省しながら食するつけめんは、さらにワタクシの味覚とのミスマッチ度を高める。
今後、この先、どこの街へ行っても、つけめんをオーダーする事は絶対にしないと誓って、
大浴場付ビジネスホテルで休養を取る。
翌日、3日目となる9月11日は、美ヶ原高原に向かう。
新穂高ロープウェーの時とは違って、特に早起きする必要も無いが、手持ち無沙汰なので8時ごろにホテルを出発。
ホテルから美ヶ原高原の駐車場まで、一般道を通っておよそ42km。
前日の新穂高ロープウェーで日焼けしたのだろうか、何故か唇がヒリヒリするので、コンビニに立ち寄ってリップクリームを購入。
9時過ぎ。
高原に向かう上り道を走行中、山々の向こう側に雲海が見えた。
画面真ん中から右よりの白い塊である。
肉眼ではもっとはっきり雲海が見えていたのに、写真ではぼんやりしているのが悔しい。
しかし、この撮影ポイントは、どこだったのだろう?
地図を見直してみると、和田峠の可能性が大だが、今となってはわからない
さっきの雲海写真を撮った近くの展望駐車場にあった、古びた案内看板。
これでは、さっぱりわかんないが、あきれる前にほのぼのとしてしまう。
これは、ある種のクイズなのだろうか?
9時45分。
美ヶ原高原ホテル山本小屋ふるさと館に到着。
ここの駐車場は町営で、ホテルに宿泊しなくても駐車場が無料なのは調査済み。
ワタクシは、精神も皮膚もヤワな体質なので、日焼けが気になってきた。
前日の新穂高ロープウェーでは帽子(キャップじゃなくてハットね)を被って対応したが、この日は首筋にタオルを巻いて、さらに装備を万全にする。
半袖Tシャツでもいけそうな気温だが、長袖シャツを着込んで、メロンパンの入ったデイバッグを背負って、準備万端
ふるさと館からすぐ近く、少し歩いてみると、標高1990mの牛伏山頂上に。
牛が伏せている姿に似ているから牛伏山と命名された、というのは、ワタクシの近くを散策していたグループの会話からの情報。
10時17分。
牛伏山を降りて、歩き出す
放牧されている牛たちが、のんびりごろごろしているのを横目に歩いていく。
美しの塔に到着。
濃霧や悪天候で視界が利かない時に、この塔の鐘を鳴らして方向を知らせるのだそうだ。
これまでの落雷のため、この塔は磁力を帯びてしまい、磁石が狂うという。
塔の内部の写真を撮り忘れてしまったのが気がかり。
どなたかご協力を。
11時5分。
塩くれ場に到着。
美ヶ原牧場では、5月から10月にかけて放牧される。
昭和45年に牧場が整備されるまでは、このあたりの岩の上に塩をまいて、放牧した牛馬に塩をくれた事から、『塩くれ場』と呼ばれるらしい。
大きな岩のところどころが凹んでいるのは、牛馬が岩の上の塩を舐めた痕跡らしい。
さほどのアップダウンは無く、天気は上々。
心地よい風もあるので、長袖シャツを脱ぐ事は無かった。
塩くれ場までの途中で見えた風景。
画面中央、かすむ大きな山のシルエットは、誰もがみんな知っているあの山に間違いない。
このアングルで、夕陽か朝陽か雪景色で、良いカメラと良い腕があればうんと良い写真になりそう、、、、
まだ写真が残ってるので、次回に続く
いつも存在を感じる事はできるけど、こことは遠く隔てた場所に旅立ったやつもいるが、安全に、出発した自分の家に戻る事が今のワタクシの旅のひとつの目標である。
なぁ~んてね
駐車場のクルマの中で眠ろうとしたが、なかなか眠れない。
いや、眠れないと思っていたのに、いつの間にか眠ったのだろう。
大型バイクのエンジンが始動する音に目が覚めた。
ワタクシのクルマの隣の駐車スペースに置いていた、姫路ナンバーの2台の大型バイクの持ち主がエンジンをかけたらしい。
確か、1台はヤマハXJR1300だった。
眠りすぎないうちに目覚めさせてくれた姫路からのライダー達に小さく感謝しつつ、次の場所を目指す事にした。
ここにいた時間は4時間ぐらいか。
もう少し長く居ても良かったかと思いつつ、ちがう季節にまた来ようかとも思いながら。
岐阜県から長野県に入る。
安房峠道路は、無料化の社会実験中で有料道路だが無料になっている。
無料化社会実験という恩恵を受けた事が無かったのに、この地で遭遇するとは、ものすごく得した気分になる。
野麦街道を通って、『風穴の里』という道の駅で休憩。
ここには見覚えがある。
上高地へ行った時にも通ったし、そのあとまたもや信州へ行った時にも通った道だから。
松本市に到着。
松本市には、これまでに都合4日ほど宿泊しているが、ホテルに泊まっただけで市内観光らしい場所に行った事が無いので、松本市のワンポイント観光として、松本城を攻める事にした。
メインの目的地ではなかったので、充分に駐車場情報を調べているわけではなく、高山陣屋みたいに賛同できかねる駐車料金を払うのもいやだったが、カーナビが指示する、松本城に一番近い駐車場に停めた
松本城に着いたのが4時過ぎ。
入城口で料金を払うと「4時半までに天守閣にお入り下さい。出入り口は5時に閉まります。」と言われた。
なので、ちょっとばかり急いで天守閣に向かった。
鉄砲やら鎧兜やらの展示品の説明文をじっくり読んでいる間を惜しんで、
天守閣目指して、バリアフリーの時代にこれはないだろうと毒づきたくなるような上りにくい階段を上っていく。
ま、上りやすい階段なら、敵が攻撃してきた時に困るもんな。
天守閣の開け放たれた窓に吹き込む風が、涼しくて気持ち良い。
なので、ここに座り込んでしばし松本市の風に吹かれてみる。
もしも、まだ名も無く若かりし頃のボブ・ディランがこの場所で風に吹かれたとしたら、どんな歌ができたのだろうか?
とか考えながら、四方向の窓から外の景色を撮影。
一方向だけ、どうしても逆光になったんで、三方向しかないが。
お城とは縁のなさそうな、『宇宙つつじ』という案内板があった。
日本人初の女性宇宙飛行士、向井千秋さんと一緒に宇宙を旅したつつじの種から発芽した物だそうだ。
あわただしく松本城を見回って、無事に5時前に城外に出る事ができた。
門を締め出されて篭城する気は無かったので、ほっと一息。
この日の宿泊地、諏訪市に向かう。
今回の旅のもうひとつの重要な目的地が、諏訪市の近くにあるのだ
そんな遠く離れてるわけじゃないから、必要があればいつでも会えるもんだと思ってたけど、どうしてだろうね、5年ほど会っていなかったよね。
4月。
君が自宅で療養してるらしいという噂を聞いて、昔の仲間とお見舞いに行こうやと相談してたんだ。
そしたら、その相談がまるで聞こえたかのように、君の奥さんから、そっと連絡があったんだ。
「会ってあげてほしい」
と
「できるだけ早い方が良いです」と。
5月。
仲間たちと一緒にお見舞いに行った。
「薬のせいで髪の毛が抜けて抜けて、、、、、」
中学の野球部以来の坊主頭を笑って見せながら、出迎えてくれた。
帰りがけにはエレベーターで下まで降りて、見送ってくれたっけ。
6月。
疲れさせちゃいけないから、あまり行かない方がいいだろうと思ってたけど、君の所へ、今度は一人で行ってしまった。
駅で待ち合わせたら、歩いて来たんでビックリしたよ。
笑顔は元気だけど、大丸でランチしてる間も、時々、大きく肩で息をして、すっかり痩せてしまった姿を見て、
「こいつも、70~80歳くらいの爺さんになったら、こんな風に枯れた良い爺さんになるんだろうな」と思ったんだ。
あの時はごめんな、やはり疲れさせてしまったみたいで。
高校生の時、君の下宿で良くたむろしたもんだ。
下宿に行けば、スズキの安物のギターがあって、陽水やかぐや姫やNSPのLPレコードも何枚か持ってて、良く聞かせてもらったっけ。
弦も交換しないあのギターは、弦高が高くて、とても弾きにくかったんだ。
それに、君はギターは下手くそだったし。
君の下宿は、何よりも、いつも誰かに会える場所だったんだ。
今思えば、政治や経済や世界情勢や将来の夢を熱く語る事はほとんど無くて、激論を交わすのはせいぜいジャイアンツかタイガースの話題くらいだったよな。
長嶋ジャイアンツが最下位になって、その翌年にはリーグ優勝した、あの頃。
あの頃、自分でも気づいてたんだ。
自分の中に小さな闇の部分があった事に。
その小さな闇が大きくならずに、押さえ込むことができたのは、きっと、あの下宿でゴロゴロしながら、顔を会わせると皆で笑いあってたからだろう。
仲間達の内で君が一番自然に恵まれた所で育ってきたんだから、なんとなく自然児のイメージがあった君が病んでしまった事は、皆、ショックだったよ。
君の病状を知って以来、あの頃のたくさんの出来事を、どんどん思い出してきた。
すっかり忘れていた事も、突然、湧き出すように、思い出してしまうんだ。
時間も場所もかまわずに湧き出してくるもんだから、仕事中に破綻をきたさないようにしようと、随分と大変だったんだ。
8月。
仕事の都合がつかなかった。
葬儀の翌日、小さな箱におさまってしまった君の笑顔にお別れを言った。
旅立つ前日に、夢に現れたのは偶然かい?
そういう時は、なんか言い残すもんだろ?
君の家の方角を背中に感じながら、駅までの坂を下りて行くと、青空。
どうしようもなく、青空。
すごく暑かったからとか、そういう事じゃなくて、あの時の青空は、忘れない。
今まで一番悲しい気持ちでシャッターを押した写真。
写真なんて、どうしてこんなに薄っぺらいんだろう。
9月。
こくさいホールでのコンサートに行く前に、時間を合わせて、茨木市に住むあいつを呼んで、奥さんとでランチしたよ。
そしてその夜、達郎が歌っていたバラードの『さよなら夏の日、、、、、、、』という歌詞に、泣きそうになった。
普通のラブソングだと思っていたこの曲の歌詞が、8月の青空を思い出させたからだ。
ついこないだの青空を。
こんな事を言うと、きっと君は笑うだろうけど、ありがとうな。
また会おうや、どっかで。
ほら、ほら、笑っただろ?
今、君のいつもの笑い顔が見えたよ。
しかし、いったいどういう事だろう?
すでにこのシリーズは5回目だというのに、まだ2日目の報告が終わっていない、、、、、
今回はとにかく、バカみたいに写真を撮りまくったので時間が経つにつれてわけわかんなくなってきたという、最近のワタクシの脳内メモリーも原因しているのだが、、、、、、
さて、新穂高ロープウェイの続きを。
西穂高口駅から登山口までの間に、遊歩道があって、千石園地あたりの散策路。
植物の名前も良くわからないまま写真を撮っていたら、ワタクシの近くで同じように写真を撮っていたおばさんに「何という花かご存知ですか~?」と聞かれたので「わっかりませ~ん、すみませ~ん」と、笑いながら返事すると、「そうですよねぇ~」と、先方も笑いながら返してきた。
この青空の下、この場所にいると、どんな会話も笑い声になってしまう
西穂高口登山届出所という小屋。
登山した事が無いワタクシだが、こんな施設があるのは知らなかった。
ここから先へは、ちゃんとした装備で登山届けを出さないと入ってはいけないらしい。
この景色との別れを惜しむように、もう1度、展望台に戻る。
こんなところに郵便ポストがある1日に1度、ちゃんと集荷してくれるらしい。
郵便屋さんも、ロープウェーに乗ってやってくるのだろうか?
10時50分ごろ。ロープウェーの到着時間の関係だろう、人出が減ったので、もう一度撮っておく
来た時よりも、空の色が濃くなった気がする。
このロープウェーは、上り?下り?左右どちら通行だったのかが思い出せない、、、、、
11時20分ごろ、第2ロープウェーに乗って、しらかば平駅まで降りる。
駅の建物の中で『アルプスのパン屋さん』が営業してたので、思わず買ってしまう。
こんなところでパン屋さんをやっているというのは、反則やね。
誰しも、ついつい、買ってしまうじゃないか
朝方たらふくホテルでバイキングを食したので、あんまり空腹ではないが、クロワッサンと、バニラなんとかっていうパンとコーヒーで一休み
ぽっかりと口を開けているように見える真ん中の建物がしらかば平駅。
右端にロープウェーのケーブルが写りこんでいるのが、邪魔だなぁ
今度行った時はうまく撮ろうっと
しらかば平駅の近くにはビジターセンターがあって、温泉にも入れるらしい(上の写真の左下、青っぽい屋根の建物)
このあたりで、テントを張って、シンセサイザーの生演奏をしていた。
音色的には喜太郎的な感じのゆったりしたテンポの騒々しくない演奏で、休憩の邪魔にはならないが、本音を言わせてもらうと気になった。
例え生演奏であっても、こんな素晴らしい景色が臨める場所に、BGMなんぞ必要ない。
駅でも商店街でも、日本人は、とにかくところかまわずBGMを流すのが好きなのだが、聴きたくない場所で音楽を聴かされるのが苦痛になる、ワタクシのような繊細な心の持ち主もいるのだ。
どいつもこいつも、まるでそうしないと検察に逮捕されるかのように、夏にはハワイアン、暮れにはジングルベル、、、、、、何とかして欲しいなぁ、、、ま、ここでハワイアンのスチールギターを聴かされるよりは、うんとマシだが。
そういえば、シンセサイザー演奏の事は、ふもとの新穂高温泉駅のメッセージボードにも書かれていたっけ。
ハイキングコースの案内があったので、短い方の自然散策路とやらを歩こうとしたが、よくわかんなくなって中止した。
実は、この頃、やたら眠たくなってきたのだ。
前日も、この日の朝も、このナマケモノのワタクシが、いつもの休日には起き出さない時刻に起きて行動しているので、くたびれたのだろう。
その上、悲願の新穂高ロープウェーを征服した安心感に浸ってしまったのだろう。
シンセサイザーの音色も関係付けられると思う。
なので、12時40分頃、ふもとの新穂高駅の駐車場まで降りた。
エアコンを入れて、シートを倒して少し昼寝をしようとする
だが、フロントウィンドウから猛暑の陽射しが攻撃してくるので、まぶしくてたまらない。
クルマを動かして、前後の方向を逆にしてみたが、今度はリアウィンドウから猛暑の陽射しが攻撃してくる、、、、、、
ね?暑そうな空でしょ?
とにかく、横になってじっと目を閉じているのだが、ひんぱんに駐車場に出入りするクルマの音で、なかなか寝付かれないでいた
予想外の曇天とシルバー団体のバイキングマナーに心を乱されたため、当初の予定よりも1時間ほど遅れてホテルを出発した
気になって気になって仕方がない空模様の方だが、走り出してものの15分も経たない間に、どうした事だろう?いつの間にかスッキリと青空に包まれているのに気づいた
ホテル近辺の空の色とは打って変わった抜けるような青空に感激して、車を止めてシャッターを押した
この地点の地名はわからないが、どうやら絶好の好天気。
ワクワクしてきた。
クルマの外気温計によると、8時過ぎの気温は22度。
下界では30度半ばを超える猛暑の日々が続いているが、午前中だとはいえ、この過ごしやすい気温はどうだ。
温泉街のあたりはちょっと狭めの道だったが、そこを抜けると快適なコーナーと適度なアップダウンを楽しめる道路が続く。
どこへ行くのか知れないが、ワタクシの前を走るステップワゴンが、安全かつ快適なペースで走っているのでその後を追走する。
どうやら目的地は違ったようで、途中の分岐路で先行のステップワゴンは左折してお別れ。
このあたりでは、東西南北どちらへ分岐しても、良好なロケーションの観光地に出られるんだなと思うと、うらやましい限りだ。
新穂高温泉駅に着いたのが、9時前。
駐車料金終日1台¥500の駐車場にはすでにたくさんのクルマが並んでいたが、このくらいのクルマの台数ならばさほどの混雑は無いと予想されるので、どうやらのんびり楽しめそうだぞ。
新穂高温泉駅のメッセージボードには、頂上の天候は晴れ、気温14度とある。
第1ロープウェーで鍋平高原駅に。
鍋平高原駅で第1ロープウェーを降りて、ちょっとだけ歩いて、しらかば平駅から第2ロープウェーに乗り換える。
第2ロープウェーに乗って、頂上の西穂高駅へ。
西穂高口駅に着いたのが9時54分。
西穂高口駅の建物の屋上に展望台がある。
標高2,156mの展望台からの眺望が、上の4枚。
ね?すんごく気持ち良い場所でしょ?気持ちよすぎて、水平が取れていないのがあるけど、、、、、、、
写真を撮りすぎたので、残りは次回に繰り越し