寺山修司記念館に入館。
寺山食堂とあるが、実際に食堂として営業する事はあるのだろうか?
館内の写真撮影がOKなのでかなり撮りまくったのだが、あえて展示は公開しないよ。
実のところ、TVでタモリがよくモノマネしていた人だとか、浅川マキの楽曲の歌詞を何曲か書いた人という以外は寺山修司についてほとんど知らないままにここにやって来たのだ。
館内展示を見た後は、このドアを開けて散策。
寺山修司顕彰文学碑に続いている。
湖なのか沼なのか、良い景色に出た。
文学碑を見つめるワンコ。
HMVにならったのか?
屋外を通って記念館に戻る。
足跡を残して、
14:40
もう一度、牛さん達にご挨拶して。
途中のブックオフを何軒か冷やかした後、青森に戻った。
TEXTエディターの不具合が解消されている。
昨日は基本的にさほどの違いがなさそうなHTMLエディターを使ってみたのだが、やはり慣れないので使い辛い。
やれやれ。
10月23日、13:20。
さっきまで良い天気だったのに、寺山修司記念館に接近するにつれて雨が降り出して、到着の頃にはほぼドシャ降りの状態になってしまった。
すぐそこに駐車場があるのは目に入っていたのだが、記念館入り口正面に路肩が広がっているのか記念館の敷地なのかクルマを置けそうなスペースがあったので、なんとかその中に駐車しようと何度もハンドルを切り替えしていたら、館内から女性が出てきて
「記念館にお越しですか?」
と尋ねられ、
わかっているのに、思わず
「駐車場はあちらですね?」
と返してしまった。
移動しようとすると、さらに
「傘はお持ちですか?」
とも尋ねられた。
どうやら正面入り口で不審な動きをするドライバーと怪しまれたわけではなく(イヤイヤ怪しまれたのに違いない w)、親切に案内するために出てきてくれた、もしくは所用があって外に出たら目に入った不慣れな(あるいは怪しい w)ドライバーに一声かけてくれたスタッフだったらしい。
正規の駐車場に止めて、少し雨宿り。
雨はすぐに止んでくれたので傘も持たずに車から離れる。
記念館の向かい側の草地に牛の集団が放牧されていて、しばしそちらに接近してカメラを向けて交流を深める。
ワタクシが近づくと、目が合った1頭がもそもそとワタクシの方に近づいてくる。
見慣れぬ侵入者として警戒されているのか、それとも単に人懐っこいのか。
そんな事は起きないとは思いつつ、いつ突進されても逃げれるように知らず知らずの間に後ろ足体重でカメラを構えながら。
計画段階ではこの記念館の存在を知らなくて、たまたま気づいてやって来たのだが。
こいつを入力している現在、スタッフブログによると、TEXTエディターにおいて、プレビュー時に改行が反映されない不具合(投稿後は、改行が反映されます)が発生しているようで、下書き記事の編集がやりにくくって仕方がなくて、早いところ復旧してもらいたいもんだ、と願いながら、東北のつづきをば。
12:30
道の駅おがわら湖。
良い天気。
『グルメシップかみきた』という名の小川原湖の遊覧船が余生を送っていた。
このの船に注目して近づく人は見当たらないので、近寄ってみた。
所々しか文字が読めないほどにボロボロになってしまった案内板に、『ふるさと創生事業』の文字が読み取れた。
遊覧船を浮かべる小さな水域には、たくさんの鯉がいた。
ひっきりなしに米軍機が飛んでいく。
道の駅から小川原湖畔キャンプ場を通過する。
そういえば、嫌な雲が映っているのだが、この時には全く気づいていなかった。
10月22日(火)
前日に去年からの悲願だった八甲田丸をクリアできたので、青森から十三湖を経由して龍飛崎に向かってみる。
なぜだか途中に『和歌山』という屋号のラーメン店があったが、撮りそこなった。
風雨にさらされたのだろう、まるで古文書のような案内板に迎えられたのは12:25。
中の島ブリッジパークに繋ぐ橋は、なんか趣がある。
12:50
道の駅こどまりでは、店頭でさざえかなんかを焼いていて、香ばしい煙が立ち込めていた。
13:30
龍飛崎に到着、適度に荒れた感じの遊歩道。
龍に守られた橋を渡るのだが
その途中にこんな注意書きがあって、かすかに不安がよぎる。
展望所から少し下に降りてくると、ああ、これがあの有名な階段国道か。
と思ったら、階段村道まであった。
八甲田丸についての続きである。
画像は、展示順路の通りではない。
当時の写真もたくさん展示されている。
プレートもたくさん。
ある種の人達にとってはついつい手を伸ばしたくなる物体らしいが、間違ってもお持ち帰りは厳禁である。
ブリッジ。
この人は人形であり、カーク船長は登場しない。
無線通信室。
ダルマさんは縁起物?
甲板。
1Fの車両甲板。
郵便車のような貨物車は別として、ここに展示されているディーゼル特急やディーゼル機関車は、燃料の軽油を大量に搭載しているために、実際には、船内には搭載できなかったのではないだろうか?
この連結器で車両を船内に固定していたのだろうなぁ?
貨車引き出し作業の様子。
決して静止してくれずに揺れ動く停泊時の船と地上を、どうやって線路でつないでいたのか、その原理がわからないぞ。
と思ったら、この可動橋という設備が必須らしい。
写真を見ただけでは可動橋のメカニズムが良く分かんないのが、じれったい。
と思ったら、可動橋の仕組みについての解説が。
エンジンルーム。
17:25、
八甲田丸から下船すると、世界はすっかり暗くなっていた。
青森には、この日から3泊した。
青森駅のすぐそばに青森港があって、あてがわれたビジホの窓からは青森港の風景が見えている。
ところで、2年前に北海道を放浪した時に行ってみた函館港で、さほどの期待を持たずに、かつて青函連絡船で活躍した摩周丸という船を見物してみたら痛く感動した事があった。
なんか、摩周丸の船内に漂う昭和感にしみじみと浸ってしまったのだ。
函館港に摩周丸が浮かんでいるように、青森港にはこれまたかつては青函連絡船として頑張った八甲田丸という船が公開されているとの噂を耳にして以来、ず~っと八甲田丸に乗り込みたいという沸き上がるような欲望を胸に抱えてきたのだ。
無事に早めの時刻にチェックインできて、空模様は曇り空だが雨の予報は無いし、ビジホから歩いてすぐの所だという事は、八甲田丸に乗りこみたくて仕方がないではないか。
10月21日、15:40頃、暗くなる前に八甲田丸をめざして歩き出した。
地上からその雄姿を視界におさめた後、JAF割引¥460を支払って、メモリアルシップ八甲田丸に潜入した。
入館するなり、船内に充満する青森に圧された。
かつてよく目にしたような光景も。
八甲田丸とは別の青函連絡船『羊蹄丸』のグリーン座席。
知識は少ないが、写真だけはたくさん撮ってしまったので、次回に続く。
うっかりとiPhoneの機種変更をしたらそっちにかかりっきりになって、更新が滞ってしまったが気にしてはいけない。
さて、10月21日(月)。
鶴岡まで来ているので、あと約320km走行すると青森港に辿り着く。
途中、男鹿半島あたり、八郎潟あたりに立ち寄るプランもあったが、青森までほぼ直行する事にした。
12:00頃
八郎湖PAで一休み。
窓を開けていると茶色い虫が飛んできて、助手席に着地してしまった。
刺したり噛んだりする虫ではなくても、このままクルマの中に居座られて走行中に車内を飛び回られたりすると面倒なので、あっちへ行けと言ってみたが出て行ってくれない。
つかんで外に逃がさなければと、除菌シートを使って虫をつまんでみるが逃げられてしまった。
何度か反復するうちに、助手席シートの座面と背もたれの接合部分の隙間に入り込んでしまった。
あ、これは捕獲するのは難しいな、と思っていたら、助手席あたりから妙な臭いが漂ってきた。
明らかにカメムシの発する臭気が車内に充満しようとしている、、、、、、
どうやらこいつは、ワタクシの居住地で見慣れた緑色ではないカメムシだった。
という事は、男鹿半島八郎潟に立ち寄っていたら、こんな悲劇には出会わずに済んだかもしれない、とひたすら反省してみたが時すでに遅かった。
13:10
『大太鼓の里』という道の駅で休憩。
大太鼓の館という施設があって、入りかけたのだが有料らしかったので入り口でUターンしてしまう。
しかしどうしてここが『大太鼓の里』なのか?
入っていたらその謎が解けたと、容易に想像がつくが。
岩木山。
15:00頃、青森港のビジホに到着。
カメムシの臭いは、そのまんま車内に残っていたが、この日の行動はまだ終わったわけではない。
そうそう、先日、『ブラタモリ』で男鹿半島をやっていたので、やっぱりあちらにも立ち寄っておくべきだったかな。
去年、信州を経由して青森港に辿り着く旅程を組んでいた。
しかし、あろうことか、10月というのに、季節外れのまさかの台風上陸に邪魔されて青森港行きをあきらざるを得なかった。
泣く泣くスケジュールを縮小して、青森方面をきっぱりとカットしてしまった。
だが、あきらめたわけではない、復讐の機会を探り続けるうちに1年が経過して、もうすぐ冬がやって来る。
一応冬用のタイヤは所有しているが、東北の雪景色の中をクルマで走る力量は無いと思われるので、今この時期を逃すと来年の春以降になってしまう。
来年といっても、ワタクシの身の上も、この国に、あるいはこの世界にどんな事が起こるやも知れないわけで、気力体力のあるうちになんとかたどり着きたいとNAVITIMEと相談して、10月中に10泊のスケジュールを組んでみた。
まず10月19日には、前日に所要のために宿泊した堺から富山までおよそ400kmの移動で、ほとんどそれらしき写真は撮っていない。
翌20日は富山から新潟を通過して鶴岡まで、これまたおよそ400km弱の行程だった。
10月20日、13:30
村上あたりで休憩。
周囲ぐるりと遠くまで見渡せる。
14:30
府屋駅の近くに壁画。
かねてからのワタクシの主義としては、クルマで長距離移動する時の目安として、一日当たり500km代(つまり500kmから599kmね)に抑えるようにしている。
だが、何しろ一番の目的地である青森は遠くて、最短距離をとっても1200kmに及ぶ。
その気になって一日に600km走行すれば2日で着ける計算になるし、もっとブッ飛ばせば1日半くらいで着いてしまうかも知れないのだが、どこで渋滞に巻き込まれるかも知れず、さらに予約しているホテルでは駐車場の予約ができない先着順なので、うっかりと夜遅くに到着するとホテルの駐車場が満杯という悪夢が待ち受けているかも知れない。
色んな事を心配してしまって、現地に到着してからの体力を温存するべく、一日当たり400km代(つまり400kmから499kmね)の走行に抑えるという、どうにも臆病なプランを立ててしまった。
という事で、この日の宿泊地の鶴岡には、やたらと早く着いてしまったのだが。
1999年7の月
空から恐怖の大王が降ってくる
一時はあれだけ世間にはびこっていたのに、今となっては、ほとんど目にしないし耳にもしなくなったこのフレーズ、
その名もおどろおどろしいアンゴルモアの大王とやらが降ってくるらしいと噂されていた頃。
当時、ワタクシを取り巻く環境は一気に風雲急を告げていた。
告げられた風雲急の影響を最小限に留めるために、熟慮を重ねた挙句に取った手段が、この1999年7の月から1年ほどの間の隠匿生活だった。
(言っておくが、決して、ムショ入りしたわけではない。)
翌年、奇跡的に風向きが変わった事でなんとかかんとか社会復帰を果たした後、気晴らしに出向いたのが、11月に開催された神戸での綾戸智恵(当時のステージネームは綾戸智絵だった)のライヴ。
それにうっかりと感激してしまい、居住地を離れた場所でのコンサート鑑賞に目覚めてしまった。
神戸の綾戸智恵から半年ほど後、2001年4月15日、
1日だけの休日でも行ける奈良市内での昼間開催のコンサートの告知を見つけて、出かけたのが寺井尚子のグループだった。
幸いにも前から5列目という好位置、ステージから20mほどの位置にバイオリンを手にした寺井尚子が現れた瞬間に、ホールの空気が一変した。
なんと表現すべきか、とてもいい香りとリラックス感を一身に感じてしまったのだ。
たぶん、その時以来、こうしてライヴ観戦に息抜きを見出してしまったのだと思う。
やがて、時の過ぎゆくままに2018年2月14日、
あの時の寺井尚子のライヴ以来、久々に、しかも2度目にやってきたいかるがホールでの昼間の公演。
前回は電車で来たが、今回はクルマでの参加。
この年、いかるがホールは20周年だったそうで。
チケットの入手はホールに電話予約しておいて当日支払って受け取るという手順で、振込手数料も送料もチケぴやローチケに上納する各種手数料も不要なので、随分とありがたいシステムだった。
グループ名から察する通り、ウェザー・リポートの楽曲をアコースティックピアノとアコースティックベースとドラムスの3人で演奏する展開。
終盤に演奏された『バードランド』の後半では、なぜだかワタクシの耳にはマンハッタン・トランスファーのコーラスが聴こえてきた。
終演後のサイン会でピアニストにその事を話したかったのだが、嫌がられたらどうしようかと心配したので話せなかった。
話した方がよかったかな。
何年前だったろうか、まだZEPPが南港近くにあった頃、ペットボトルのドリンクを買ったらボトルの首につけてぶら下げる事ができる、ペットボトルホルダー(ホントはどういう名前だかわからないので仮にこう呼ぶ事にしょう)をおまけにもらったのだが、例の、アヤシゲな美容師達が所有する長年買い手のつかないボロアパートからの出火で我が家が類焼した時に、焼失してしまった。
で、先月、初めてZEPPなんばに行ったら、ドリンクのおまけにペットボトルホルダーを付けてくれた。
どうせ使い道が無いだろうとは思いながら、なんか得したように気になってしまったのだが、
開演前のヒマつぶしに狭いロビーを探検していたらこの掲示物を見つけて、愕然とした。
チケットとは別に徴収されるドリンク代金が、¥100も値上げしてたのだ。
ああ、そういやぁ、入場時に別途ドリンク代金¥600を徴収されたよ。
消費税増税のタイミングであるが、増税については一切触れていないのだが、時期的にピッタシとその事を想像させるではないか。
でも、消費税8%の時に¥500だったのが10%になったら¥600とは、どうみても計算が合わないよねぇ?
落ち着いて計算してみると、¥500から¥600に値上げするという事は、一気に20%の値上げだよ!
これはいわゆる
便乗、、、、、、?
WOWOW録画なので、いつものように俳優陣以外の情報をエンドロールを点検してみると、
『ベース演奏指導』が、最近アヤド姉さんのライヴで良くお目にかかる鈴木正人。
ベーシスト役の中村梅雀は、実際にベーシストとしてアルバムも出してる人なので、梅雀本人が演奏しているらしいが。
『トランペット演奏』が、今年春に山下洋輔のバンドにいた類家心平とある。
劇中のトランペット音源はこの人が実際に演奏したものらしい。
それから、少年時代の主人公にドラムを教えた米兵役は、どっかで見覚えがある人だと思ってたら、『もんた&ザ・ブラザース』のドラマー、マーティー・ブレイーシーだったら。
4年前の温泉旅館の宴会場でのBOROのライヴでお目にかかっている。
演奏シーンでの映像と音声に大きな違和感を感じる事は無かったが、やはり先の展開が読めてしまった。
さて、関門海峡を後にした8月2日から3日までは大したネタも無かったので、海響館を出た後の写真は残っていない。
足取りをざっと回想しておくと、
8月2日夕刻、再度チェックインした徳山のビジホで、前回忘れ物をしたピルケースを無事に受け取り、
翌3日は小野市に宿泊。
そして、最終日となった8月4日は、SAYAKAホールでの『SAYAKAジャズラウンジスペシャル 古谷充 & ネイバーフッドビッグバンド』に参戦。
残っているデジカメのデータによると、ワタクシが最初にSAYAKAジャズラウンジを知ったのは、2012年6月だったらしい。
アルトサックスとヴォーカルの大ベテラン、古谷充がリーダーとしてピアノ、ドラム、ベースと女性ヴォーカルが2人入るバンドが、毎回テーマに沿った選曲を演奏してくれる、肩の凝らないライヴがすっかり気に入っていたのだが、このイベントがこの日で最終回を迎える事になった。
10年継続したというこのジャズラウンジにはその半分も参加できていないはずで、も少し早く知っていたらとの後悔は残る。
最終回として、ネイバーフッドビッグバンドとレギュラーバンドが勢ぞろい、しかも、いつもとは違い大ホールでの公演であるからには、早くからチケットを確保しておいたのは当然の事である。
日曜日なので、15時開演の公演で、本来ならばじゅうぶんに自宅から日帰り可能なのだが、梅雨明けにどっかに出かけたいという欲望に負けて、最終日にSAYAKAジャズラウンジという、やや変則的な旅程になってしまった。
秋吉台をぐる~っと経由してSAYAKAホールに立ち寄るというルートなんざ、誰も考えつかないだろう、どうだ。
ジャズラウンジ終演後はりんくうイオンでお好み焼きを食して、のんびり帰宅。
こうして7日間の旅は無事に終了した。
第三者から見ると、何の脈絡もないルートだろうが、ワタクシ自身にとっては、十分に意味のある時間だったのだ。