【 第三砲台跡のメイン通路 】
【 2023年10月19日 】
午前6:30自宅出発-7:00京都駅ー(新快速)-7:46大阪・梅田-(大阪地下鉄)
ー8:18ナンバー(南海)-10:00加太着-(加太の街内散策)-11:00フェリー乗船
-11:30友の島着-島内観光:第三砲台跡・タカノス山展望台・池尻広場・友ヶ島灯台
ー(往路と同じ山頂経由で桟橋に)-13:30フェリー乗船-(加太散策・食事)-16:00
和歌山市駅前徘徊-17:00和歌山市駅出発-(南海特急・大阪地下鉄)-18:20阪急梅田
-19:20京都烏丸着
前日、思い付きで急遽、友ヶ島行きを決定。和歌山まで行くのは大阪や神戸に比べればかなり遠い。さらに島に渡る時間を考えれば、朝はゆっくりはしていられない。島までのフェリーの時間も限られていて、島内では2時間しか時間が取れず、かなりハードな行程が計画される。
どちらにしても11時の加太発フェリーに乗らなければならないことが分かったので逆算する。家の最寄りのバス路線の始発が6時38分だったので、それに合わせ、経路や乗継便を確認し、朝6時半に自宅を出発することに。
【 朝焼けの加茂川 と バス停から見る比叡山 】
市バスと地下鉄を乗り継ぎ京都駅へ。7:17発の姫路行き新快速で大阪にでて、そこから地下鉄で難波へ。JR大阪駅を降りてから御堂筋線の梅田駅ホームに出るのにも手こずったが、慣れない大阪はややこしい。地下鉄を降りた難波でも迷路のような地下街を潜り抜け、8時15分ようやく南海なんば駅にたどり着く。
【 大阪・南海なんば駅 】
どうにか当初計画していた8:22分発の「和歌山行き準急」に間に合った。ここまでは京都から大阪に通勤する(働く人たち》のラッシュ・アワーと重なって、新快速の中も地下鉄も超満員で座ることもできず、とても旅行気分を味わうどころではなかった。
それに比べて、難波からの南海電車はがらがらの空き状態。これで採算がとれるのかと心配になってしまう。
9時半過ぎに和歌山市駅に到着し、ここで加太線に乗り換える。
10時にしなびた雰囲気の加太駅に到着。ここからフェリー乗り場までは下地図の点線に沿って約1.2kmの道のりを歩いて移動しなければならない。
【 加太市街図 加太駅からフェリー乗り場まで 】
9時のフェリーの第1便にはどうにも間に合わなかったが、次の11時発の第2便までには充分時間があるので、街並みを眺めながらブルブラ歩くことに。
小さな改札口を出て、駅舎の隣にある「観光案内所」に早速立ち寄り、人はいないのかと確認するがやはり無人。地図だけをゲットして歩き始める。しばらく進むといきなりモダンな建物が目に入る。案内書を見ると「旧加太警察署の建物」で現在は個人の家だそうだ。
【 旧加太警察署のモダンな建物 】
裏道に沿って古い町の中を探りながら進む。
【 加太春日神社と隣り合わせの稍念寺 】
【 この廃墟はいったい何だ! 】
【 阿弥陀寺山門 】
途中、フェリー乗場のほど近い所にある、案内にあった美味しい「ヨモギ餅」が名物という店に寄って、土産用にと一包購入。
【 よもぎ餅の「小嶋一商店」 】
狭い路地を抜け、赤い加太大橋の下を抜けてフェリー乗り場に10時半すぎ到着。切符売り場では、「帰りの便は午後4時30分が最終で、絶対遅れないで、島は無人島で宿も食堂もない。」と何度も念を押される。
【 島に渡る小型のフェリー 】
【 友ヶ島と遠くに淡路島の影 】
11時半、友ヶ島・野奈浦桟橋に到着。午後の帰りの便は13:30と16:30の2本だが、後の便では家に帰るのがかなり遅くなってしまうし、島内に5時間も閉じ込められては食事もできないし他にできることもないので退屈すると思い、先の便にすることにする。しかし、そうすると島内を観光する時間は2時間しかないことになる。しかも事前に調べた情報では、フェリー発着の野奈浦桟橋から海岸線を西に行く道は災害復旧工事で《通行止め》となっているので、行きも帰りも標高100m超えの大展望台経由の道を通らなけらばならないので、体力も時間も余分にかかることになる。かなりのハードスケジュールだがそうすしかない。
【 友ヶ島全体図 】
【 友ヶ島西部拡大図 】
【 野奈浦桟橋前の広場 】
時間の制約もあるから到底全部の史跡は回れない。まずは広場でもう一度地図を確認して、早速広場の左側を迂回して進むとすぐに島の東方面に行く道と中央部の山道を行く道に分かれる(道標18)。はじめから島巡りは島の西の一部分だけと決めていたから右の道を進む。
【 道標 18 】
暫く行くと道がまっすぐ進む道と山に登る左手の道と二股に分かれていたが(標識16番あたり)、左方向の『第三砲台跡」と書かれた方に進む。かなりきつい登りで汗をかく。山道は左右に曲がりながら高度を上げていく。ようやく登り切ったあたりで(道標15)の交差路にたどり着く。時計を見ればもうすでに12時5分前である。『探照灯跡』はすぐに諦めて、右手の『第3砲台跡』に向かう。
【 道標 15番 】
しばらく進むと(道標14)があり、そこが『第三砲台跡』の入口だった。角を曲がると石垣の向こうに建物が目に入る。兵舎跡だ。
【 標識14番 】
【 朽ちかけた兵舎跡と発電所跡の建物 】
発電所跡の建物を回り込むと、例の景色が飛び込んできた。
【 第3砲台跡のメインストリート 】
【 地下通路入り口 】
第3砲台跡あたりは迷路のように地下道が張り巡らされていて、とても短時間では見て回れない。ゆっくり見たいが先を急かされる。方向が分からず、適当に近くの登り口から上へ行くと、メインストリートの突き当りの、大広場に至る階段の上に出た。
【 (道標 13番)より階段下を望む 】
下を行く人を眺めながら大展望台に進む。
【 紀淡海峡から淡路島・神戸方面 】
タカノス山展望台(大展望台)は開けた広場で、紀淡海峡から淡路島から神戸方面の海が一望できる。これから行く灯台もはるか下の方に小さく見える。
時計を見るととっくに12時を回っていた。お腹もすいた。朝6時におにぎりを食べて以来、水以外何も口にしていない。ベンチに腰掛け、土産に買ったはずのヨモギ餅をほお張る。
【 砲台の跡地 】
12時20分、大展望台を後に灯台を目指す。大急ぎで急な坂道をかけ下る。帰りにこの道をまた登り返さねばならないと思うと気が重くなる。
池尻広場まで下ってきて、今度は灯台への道をまた登る。ようやく灯台に到着。上に登る時間はない。ぐるっと回りを見てから135度子午線広場に降りて、そこで写真を撮り、すぐに引き返す。
【 友ヶ島灯台と子午線 】
ハアハア言いながら大展望台の丘をめざし歩を早める。池尻広場まで下りここからがのぼり道。海岸線を行けばらくんに桟橋まで行けるところ、山頂近くまで登っていかなければいけない。あと30分で行けるだろうか、不安がよぎる。ピッチを上げるが足がいう事をきかない。
【 道標 9番 13時通過 】
小展望台の分岐を過ぎ、ようやく(道標12)の分岐にたどり着く。ここからは来た道ではなく、桟橋まで700mの表示。ゆったりとした下りの道が(道標16番)まで続いていて、桟橋の出航案内の声が届く。10分前、何とか間に合ってほっとする。
【 道標 12番 13時10分通過 】
13:30のフェリーに乗って加太に戻り、島ではとれなかった昼食をしようと、見適当な店は無いかと淡路神社の方へ裏通り沿ってに足を進める。
【 淡島神社周辺 】
少し行ったところに「役行者ゆかりの地」の案内があったが、階段を上る元気がなく、通り過ぎる。
【 役行者神社 】
せっかく魚の美味しいところに来たのだから、刺身や貝の美味しいのを味わおうと思い、店を探しながら進んでいるうち、案内図のゴールである『淡島神社』の前まで来てしまった。地図を見てみたら主だった店は表通り側にあったのだ。
鳥居の前まで来たたら土産物屋が数件並んでいる。見るとどの店も店先から美味しいにおいが漂ってくる。そのうちの一軒に入る。
【 先田商店 】
【 貝の焼き物 と マグロ丼 】
【 鯵の干物の焼き物 】
当てずっぽに入ったが、ここに嵌ってしまった。出されてくる物がみんな美味しく、生ビールを二人で3杯もお代わりしてしまった。
思いのほか時間をつぶしてしまった。当初の予定では食事の後、和歌山市に出て城でも見学してから5時の特急で京都に戻ればいいと思っていたのが(そうすれば7時半には家に帰れるはずだった)。加太駅で1分遅れて電車を見逃した後、30分待ちぼうけを食ってしまった。乗り過ごしたおかげで1日に4本しか走っていないという「めでたいでんしゃ」に出会えたのだが。
【 楽しい電車 】
和歌山市に着いたのは4時半。和歌山城に行く間もなく、駅前でコーヒーを飲んだだけで和歌山市観光は終わり。
【 和歌山市駅の駅前より 】
夕方5時の特急に乗って大阪に戻り、JRにするか阪急で帰るかを梅田で迷った挙句、特急を乗り過ごし、ようやく7時半、京都烏丸に到着。遅い帰宅になってしまった。
【 2023年10月19日 】
午前6:30自宅出発-7:00京都駅ー(新快速)-7:46大阪・梅田-(大阪地下鉄)
ー8:18ナンバー(南海)-10:00加太着-(加太の街内散策)-11:00フェリー乗船
-11:30友の島着-島内観光:第三砲台跡・タカノス山展望台・池尻広場・友ヶ島灯台
ー(往路と同じ山頂経由で桟橋に)-13:30フェリー乗船-(加太散策・食事)-16:00
和歌山市駅前徘徊-17:00和歌山市駅出発-(南海特急・大阪地下鉄)-18:20阪急梅田
-19:20京都烏丸着
前日、思い付きで急遽、友ヶ島行きを決定。和歌山まで行くのは大阪や神戸に比べればかなり遠い。さらに島に渡る時間を考えれば、朝はゆっくりはしていられない。島までのフェリーの時間も限られていて、島内では2時間しか時間が取れず、かなりハードな行程が計画される。
どちらにしても11時の加太発フェリーに乗らなければならないことが分かったので逆算する。家の最寄りのバス路線の始発が6時38分だったので、それに合わせ、経路や乗継便を確認し、朝6時半に自宅を出発することに。
【 朝焼けの加茂川 と バス停から見る比叡山 】
市バスと地下鉄を乗り継ぎ京都駅へ。7:17発の姫路行き新快速で大阪にでて、そこから地下鉄で難波へ。JR大阪駅を降りてから御堂筋線の梅田駅ホームに出るのにも手こずったが、慣れない大阪はややこしい。地下鉄を降りた難波でも迷路のような地下街を潜り抜け、8時15分ようやく南海なんば駅にたどり着く。
【 大阪・南海なんば駅 】
どうにか当初計画していた8:22分発の「和歌山行き準急」に間に合った。ここまでは京都から大阪に通勤する(働く人たち》のラッシュ・アワーと重なって、新快速の中も地下鉄も超満員で座ることもできず、とても旅行気分を味わうどころではなかった。
それに比べて、難波からの南海電車はがらがらの空き状態。これで採算がとれるのかと心配になってしまう。
9時半過ぎに和歌山市駅に到着し、ここで加太線に乗り換える。
10時にしなびた雰囲気の加太駅に到着。ここからフェリー乗り場までは下地図の点線に沿って約1.2kmの道のりを歩いて移動しなければならない。
【 加太市街図 加太駅からフェリー乗り場まで 】
9時のフェリーの第1便にはどうにも間に合わなかったが、次の11時発の第2便までには充分時間があるので、街並みを眺めながらブルブラ歩くことに。
小さな改札口を出て、駅舎の隣にある「観光案内所」に早速立ち寄り、人はいないのかと確認するがやはり無人。地図だけをゲットして歩き始める。しばらく進むといきなりモダンな建物が目に入る。案内書を見ると「旧加太警察署の建物」で現在は個人の家だそうだ。
【 旧加太警察署のモダンな建物 】
裏道に沿って古い町の中を探りながら進む。
【 加太春日神社と隣り合わせの稍念寺 】
【 この廃墟はいったい何だ! 】
【 阿弥陀寺山門 】
途中、フェリー乗場のほど近い所にある、案内にあった美味しい「ヨモギ餅」が名物という店に寄って、土産用にと一包購入。
【 よもぎ餅の「小嶋一商店」 】
狭い路地を抜け、赤い加太大橋の下を抜けてフェリー乗り場に10時半すぎ到着。切符売り場では、「帰りの便は午後4時30分が最終で、絶対遅れないで、島は無人島で宿も食堂もない。」と何度も念を押される。
【 島に渡る小型のフェリー 】
【 友ヶ島と遠くに淡路島の影 】
11時半、友ヶ島・野奈浦桟橋に到着。午後の帰りの便は13:30と16:30の2本だが、後の便では家に帰るのがかなり遅くなってしまうし、島内に5時間も閉じ込められては食事もできないし他にできることもないので退屈すると思い、先の便にすることにする。しかし、そうすると島内を観光する時間は2時間しかないことになる。しかも事前に調べた情報では、フェリー発着の野奈浦桟橋から海岸線を西に行く道は災害復旧工事で《通行止め》となっているので、行きも帰りも標高100m超えの大展望台経由の道を通らなけらばならないので、体力も時間も余分にかかることになる。かなりのハードスケジュールだがそうすしかない。
【 友ヶ島全体図 】
【 友ヶ島西部拡大図 】
【 野奈浦桟橋前の広場 】
時間の制約もあるから到底全部の史跡は回れない。まずは広場でもう一度地図を確認して、早速広場の左側を迂回して進むとすぐに島の東方面に行く道と中央部の山道を行く道に分かれる(道標18)。はじめから島巡りは島の西の一部分だけと決めていたから右の道を進む。
【 道標 18 】
暫く行くと道がまっすぐ進む道と山に登る左手の道と二股に分かれていたが(標識16番あたり)、左方向の『第三砲台跡」と書かれた方に進む。かなりきつい登りで汗をかく。山道は左右に曲がりながら高度を上げていく。ようやく登り切ったあたりで(道標15)の交差路にたどり着く。時計を見ればもうすでに12時5分前である。『探照灯跡』はすぐに諦めて、右手の『第3砲台跡』に向かう。
【 道標 15番 】
しばらく進むと(道標14)があり、そこが『第三砲台跡』の入口だった。角を曲がると石垣の向こうに建物が目に入る。兵舎跡だ。
【 標識14番 】
【 朽ちかけた兵舎跡と発電所跡の建物 】
発電所跡の建物を回り込むと、例の景色が飛び込んできた。
【 第3砲台跡のメインストリート 】
【 地下通路入り口 】
第3砲台跡あたりは迷路のように地下道が張り巡らされていて、とても短時間では見て回れない。ゆっくり見たいが先を急かされる。方向が分からず、適当に近くの登り口から上へ行くと、メインストリートの突き当りの、大広場に至る階段の上に出た。
【 (道標 13番)より階段下を望む 】
下を行く人を眺めながら大展望台に進む。
【 紀淡海峡から淡路島・神戸方面 】
タカノス山展望台(大展望台)は開けた広場で、紀淡海峡から淡路島から神戸方面の海が一望できる。これから行く灯台もはるか下の方に小さく見える。
時計を見るととっくに12時を回っていた。お腹もすいた。朝6時におにぎりを食べて以来、水以外何も口にしていない。ベンチに腰掛け、土産に買ったはずのヨモギ餅をほお張る。
【 砲台の跡地 】
12時20分、大展望台を後に灯台を目指す。大急ぎで急な坂道をかけ下る。帰りにこの道をまた登り返さねばならないと思うと気が重くなる。
池尻広場まで下ってきて、今度は灯台への道をまた登る。ようやく灯台に到着。上に登る時間はない。ぐるっと回りを見てから135度子午線広場に降りて、そこで写真を撮り、すぐに引き返す。
【 友ヶ島灯台と子午線 】
ハアハア言いながら大展望台の丘をめざし歩を早める。池尻広場まで下りここからがのぼり道。海岸線を行けばらくんに桟橋まで行けるところ、山頂近くまで登っていかなければいけない。あと30分で行けるだろうか、不安がよぎる。ピッチを上げるが足がいう事をきかない。
【 道標 9番 13時通過 】
小展望台の分岐を過ぎ、ようやく(道標12)の分岐にたどり着く。ここからは来た道ではなく、桟橋まで700mの表示。ゆったりとした下りの道が(道標16番)まで続いていて、桟橋の出航案内の声が届く。10分前、何とか間に合ってほっとする。
【 道標 12番 13時10分通過 】
13:30のフェリーに乗って加太に戻り、島ではとれなかった昼食をしようと、見適当な店は無いかと淡路神社の方へ裏通り沿ってに足を進める。
【 淡島神社周辺 】
少し行ったところに「役行者ゆかりの地」の案内があったが、階段を上る元気がなく、通り過ぎる。
【 役行者神社 】
せっかく魚の美味しいところに来たのだから、刺身や貝の美味しいのを味わおうと思い、店を探しながら進んでいるうち、案内図のゴールである『淡島神社』の前まで来てしまった。地図を見てみたら主だった店は表通り側にあったのだ。
鳥居の前まで来たたら土産物屋が数件並んでいる。見るとどの店も店先から美味しいにおいが漂ってくる。そのうちの一軒に入る。
【 先田商店 】
【 貝の焼き物 と マグロ丼 】
【 鯵の干物の焼き物 】
当てずっぽに入ったが、ここに嵌ってしまった。出されてくる物がみんな美味しく、生ビールを二人で3杯もお代わりしてしまった。
思いのほか時間をつぶしてしまった。当初の予定では食事の後、和歌山市に出て城でも見学してから5時の特急で京都に戻ればいいと思っていたのが(そうすれば7時半には家に帰れるはずだった)。加太駅で1分遅れて電車を見逃した後、30分待ちぼうけを食ってしまった。乗り過ごしたおかげで1日に4本しか走っていないという「めでたいでんしゃ」に出会えたのだが。
【 楽しい電車 】
和歌山市に着いたのは4時半。和歌山城に行く間もなく、駅前でコーヒーを飲んだだけで和歌山市観光は終わり。
【 和歌山市駅の駅前より 】
夕方5時の特急に乗って大阪に戻り、JRにするか阪急で帰るかを梅田で迷った挙句、特急を乗り過ごし、ようやく7時半、京都烏丸に到着。遅い帰宅になってしまった。