【 ディアボレッツァ展望台からベルニナアルプス 】
スイス旅行【 2019年8月21日~29日 】
9/21 ■関空出発-(JAL直行便)-ミラノ・マルペンサ空港(ミラノ泊)
9/22 ■ミラノ-(コモ湖畔)-ティラーノ(昼食)-(ベルニナ線・ループ橋)-ディアポレッツァ-(ロープウェイ)-ディア
レッポレッツァ展望台から(ベルニナ・アルプス、ピッツァ・ベルニナ展望)
-(バス)-サンモリッツ(泊)
9/23 ■サンモリッツー(アルブラ線・ランドバッサー橋)-クール(昼食)-(バス)-ベルン(旧市内観光)-(バス)
-ラウターブルネンー(登山電車)-ヴェンゲン(泊)
9/24 ■ヴェンゲン-(登山電車)-クライネ・シャイデック(乗り換え)-(登山鉄道)-ユングフラウヨッホ(スフィンクス展望台)
へ、ユングフラウ、メンヒ、アイガー等パノラマ展望を満喫)-(登山鉄道)-アイガー・クレッチャー駅-(ハイキング)
-クライネシャイデック(昼食)-(登山鉄道で下山)-ヴェンゲン(自由行動、街を散策後、連泊)
9/25 ■ヴェンゲンー(登山鉄道)-ラウターブルネン-(バス)-アンデルマット(昼食)-(バス・フルカ峠)-サースフェー
(ケーブルカーでパンニック展望台(サースフェーの山々、ドーム峰)へ)-(バス)-テーシュ-(鉄道)-ツェマット(泊)
9/26 ■朝焼けのマッターホルンを見に外へ-(登山電車)-ゴルナーグラード(展望台からマッターホルン、モンテ・ローザ展望)
-(登山鉄道)-ローデンボーデン駅-(ハイキング)-リッフェルベルク駅-ツェルマット(昼食)-自由行動-(地下ケーブルカー)
-スネガ展望台(別角度からマッターホルンを眺める)-ツェマットに戻る(連泊)
9/27 ■ツェルマット-(鉄道)-テーシュ-(バス)-シャモニー(フランス)-(ロープウェイ・途中乗り継ぎ)-エギーユ・ド・ミディ
展望台(モンブラン、グランド・ジョラス展望)-(バス)-ジュネーブ(泊)
9/28 ■午前中自由行動でジュネーブ市内散策-(バス)-バーゼル-(ユ-ロ空港から直行便)-帰国へ
9/29 ■午後、関空到着-京都自宅へ
スイス旅行は長年思い描いていた旅だった。というのも、国内の山と違って、スイスの山々は自分の足で歩かなくてもケーブルカーやらロープウェイで山の頂上付近まで運んでくれるから、体力的に考えて《もう少し先延ばししても、いつでも行ける所》くらいに思っていた。日本の山に少し飽きたら、その時行けばいいくらいに思っていたら20年以上がたってしまっていた。もちろんスイス・アルプスも《登山する山》ではあるけど、大きなリュックを担いで登ることは念頭になかった。国内の山は《登山の対象の山》だが、スイスの山は《観光の山》と勝手に決めていた。だからまだまだ先でいいと。
最初にスイスに憧れを持ったのは、今からかれこれ30年以上前になるだろうか。パソコン(当時はマイコンと言っていた)が普及し始めたころ、CDのソフトで(まだDVDは出ていなかった)世界の山々を紹介したものがあった。もちろん動画などではなく静止画の画像に解説が書きくわえられたもので写真も解像度の粗いものが20枚ほど納められていただけで、今から考えればかなりお粗末なものだったが、インターネットもない時代、本以外では貴重な情報源だった。その中の1つに、ベルナール・オーバーランド地方の山々を納めた”ソフト”があった。これはただ静止画を次々めくって表示する単なる写真集ではなく、表示画面の一部をクリックするとリンクした別ページが開き表示させるもので、当時にしては画期的なものだった。ホーム画面の下部に「インターラーケン」の街があり右手には「ラウターブルネン」。そこから崖の上の街「ミューレン」も描かれていた。中央中段には「クライネ・シャイデック」があってその上に「アイガー」「メンヒ」「ユングフラウ」の3山がどんと描かれている。「グリンデルバルト」や「シーニゲ・プラッテ」という地名もその中に記載されていて、位置関係も含めその時に記憶されていたように思う。こんな高い山々のあいだに、よくもこの様な登山鉄道網を張り巡らせたなと感心するばかりだったが、何よりも驚いたのは、100年以上も前に-日本ではちょんまげを切ってようやく文明開化を迎えようとしていた時期に-アイガーの横っ腹をくり抜いてトンネルを掘り、富士山の標高に近い3400m超の尾根まで鉄道を通してしまう発想の大胆さだった。
でも、当時は海外旅行など夢のまた向こうの話で、ディスプレイの上だけで楽しんでいただけだ。スイス行きが現実のものとなったのは、20年ほど前からか。海外旅行もそんな珍しいものではなくなり、職場の先輩や同僚も新婚旅行ではそれが当たり前の時代になっていた。旧友がスイスに行ったという話も何件か聞いて、マッターホルンの写真などを見せてもらったものだった。
前置きはこのくらいにして今回の旅行の話に移ろう。
【スイス旅行・第1日~第2日目 出発からサンモリッツ到着まで 】
9月21日(水)、乗り合いタクシーが朝7時に玄関前に迎えに来る。市内の客を拾って関空4Fの出発ロビーまで連れて行ってくれるから、大きな旅行バッグを引きずって移動する煩わしさがなく楽だ。時間も見計らってくれるからこちらで計算する必要がない。海外旅行の際は毎回利用させてもらっている。ただ今回は途中渋滞に巻きこまれて集合時間に遅れ、ヒヤリとさせられた。
今回のツアー(団体旅行)の参加者は39名で、添乗員2人を加えると総勢41名の大世所帯だ。これは、チャーター機を占拠する一団の1グループで、他に若干日程を入れ替えた同じ旅行社のグループが4つあるらしい。
午後12時25分、ほぼ定時に離陸。一路、イタリア北部の都市ミラノへひとっ飛び。直行便で多少時間は短縮されたにせよ、やはり12時間は長い。どのようにして時間をやり過ごすのか悩ましい。やはり機内の楽しみは食事と映画だ。
第一回目の食事は離陸して間もなくスナックとビールが出た後1時間ほどたってから提供された。いつものようにワインもいただく。小さなビンだが、これがまたおいしい。食事もチャーター便のせいなのか、その後もおやつが出たりと、いつもより上等に感じた。気のせいか? 食事の後はめぼしい映画がないか、画面のページをめくり物色する。これはというのがない。何かわけの分らないものを見たりニュースを見たり、ルートマップを見て時を稼ぐ。
ミラノ到着の2時間ほど前に2回目の食事が出る。こちらも美味しくいただく。座っているだけなのに、口にするのはいつも以上なのだからカロリーオーバーが懸念される。
(現地時間)同日午後5時20分、ミラノ・マルペンサ空港着陸。時計上では5時間だが、時差が7時間だからやっぱり12時間かかっている。
この空港に降りるのは2回目だ。15年前、初めての海外旅行のイタリア周遊旅行で到着した場所で「ああ、とうとう外国に来たしまった!」初めて異国の雰囲気を味わった所だ。その時も、夕方に着いてすぐにホテルに行き当日は寝るだけに日程だったように記憶している。
空港近くのホテルに入り、その日の予定はそこまで。時計は午後7時だが、まだ外は明るい。窓の外を見るとプールがある。せっかく用意した水着があるので、運動不足解消のためにも、ひと泳ぎすることにする。
到着の時間の関係か、当日の夕食はついていなかった。8時過ぎプールから上がった後、日本から持参したインスタント・ラーメンと機内でもらったパンをかじる。
9月22日(木)
昨日は機内の疲れもあって、ぐっすり寝た。10時過ぎには寝入ってしまったのか、今朝は6時に目が覚めてしまった。7時半、朝食。ヨーロッパの朝食は全般に簡素なものだ。日本の和洋中華を取り混ぜた品数豊富な朝食バイキングに比べたら物寂しいというか貧しいイメージがあるが、どうもそれが当たり前のようだ。そういう予想で臨んだから、ヨーグルトもスクランブルエッグもベーコンも野菜もある朝食にちょっと驚いた。
【 ホテルでの朝食 】
8時半、ミラノのホテルを出発する。今日の日程はミラノから北に向かい、コモ湖畔を通り国境の街ティラーノまでバスで移動し、そこからレーティッシュ鉄道ベルニナ線に乗り国境を越え、ベルニナ・ディアボレツァまで行く。そこでロープウェイに乗り換え展望台まで行き、最初の大きな目的地ベルニナ・アルプスのピッツァ・ベルニナを始めとする雄大な山々の姿を眺める。再びロープウェイでふもとのディアボレッツァ駅まで戻り、そこからはバスでサンモリッツまで行く予定だ。このコースのハイライトはベルニナ線てティラーノを出てすぐ国境を越え、しばらく走ったところにある-観光写真にもよく載っている-『オープン・ループ橋』だ。それとベルニナ・アルプスの眺め。
バスはイタリア北部の山間を軽快に走る。イタリアには過去3回来ているが、この地を走るのは初めてだ。奇岩が林立するドロミテの山にも惹かれるし風光明媚と言われるコモ湖周辺にも、どの様なのか1度見てみたいと思っていたが実現せずじまいだった。
【 高速道路-レッコへ 】
コモ湖はもっとのどかな所と思っていたが、険しい岩山が湖岸までせまり、想像していたのとは違っていた。10時少し前、レッコ近くの湖畔のサービスエリアでトイレ休憩。周りを見渡すとドロミテの延長と思わせるぎざぎざの岩峰が迫っている。ゆっくり観察する間もなく、すぐに出発する。
【 険しい岩山 】
ここからはトンネルの連続である。湖岸をジグザグに走る道路を避け山肌をくり抜いた直線で進むものだから風情も情緒もない。その辺の事情は日本の新幹線や最近の高速道路の殺風景な車窓風景とあまり変わらない。ともかく《速さ》が唯一の価値基準なのだから。
コモ湖から離れ、斜面の段々畑に看板を掲げたワイナリーの建物が丘の上に点在する北イタリアの谷あいの道を進む。
12時前、国境の街・ティラーノに到着。昼食は今回唯一のイタリアの街での食事で、ピッザ。その大きさにびっくりだが、味はイマイチ!
周りを見渡すとほとんどの人が半分以上、残していた。「量より質」というか、もうちょっと何とかならないかと思う。
【 食べきれないほどの大きさのピッザ - 味はもう一つ 】
ティラーノの街を少し見てから、レーティッシュ鉄道・ベルニナ線に乗り込むために駅に向かう。ここから鉄道で国境を越え、最初の目的地ベルニナアルプスに向かう。いよいよ、スイスに入国だ。・・・とは言っても、入国審査があるわけでもパスポートを見せるわけだもない。イタリアのミラノですでにユーロ圏に入っていて、そこで手続きを済ませているから、ユーロ圏内は自由に移動できる。ただ、スイスはEUに加盟しておらず、通貨も別だが、EU諸侯に周りを囲われているためか入国に関してはそんなに厳しくないらしい。『今のが国境でした!』というところを列車で通過するだけである。そういえば今回の関空での出国の際、今までならば入出国審査官がパスポートの写真と対面する顔を見比べおもむろにっページをめくってから出国のスタンプを押していたのが《電子入出国手続き》とやらで、それ用のゲートの前でパスポートの写真面を機械にかざし、顔写真を撮れれてゲートを通過した。だから出国のスタンプは押されずじまいである。どこかに記録されたのだろうか?
【 ティラーノ駅 】
発車後、添乗員から、下の「ベルニナ線」の気の利いたイラストが配られた。わかり易く描かれていて、このコースの見どころの「開架式ループ橋」の位置や線路の状況や見どころがよくわかる。
最初の見どころは国境を越え間もなく訪れた。ベルニナ線と言えばこの「オープンループ橋」。付近に近づくと電車の中は、みな席を立って窓際に寄り、カメラを構える。私もそれに倣う。
実は、この鉄道路線の圧巻はこの先にあった。湖畔のミララーゴの駅を過ぎしばらく進むと、3つの塔の見える街・ポスキアーボから急勾配の登りが始まる。上の地図を見るまではじめは状況がよくわからなかったが、先ほど右側の車窓に見えた雄大な山の風景と似た景色が左の車窓に見えるではないか。なぜ同じような雪渓をいただいた山の景色が両方の窓から見えるのか最初は分からなかった。2度3度同じことを繰り返しているうちに地図を見てやっとわかった。ヘアピンカーブを繰り返しそのたびに列車の進行方向が180度入れ替わっていたのだ。
【 険しい山間をグングン登る 】
ぐんぐん高度を上げ、先ほど車窓の横に広がっていた村が遥か下方に見える。ループ橋はビューポイントではあるが、わずか6kmの区間で1000mの上がるこの迫力はすごい。田園風景が一気に雪山の世界に変わる。
湖の横をとおりこの路線の最高地点2253mを通過するとほどなくベルニナ・ディアボレッツァの駅に到着した。まるほど実際に来てみないとわからない。スイスの鉄道のものすごさを実感した。
【 ディアボレッツァ駅 】
時刻は午後3時半、駅から緩やかな坂を上りロープウェイの発着所まで歩く。ここからゴンドラに乗れば、最初の展望台・ディアボレツァ展望台2978mに10分ほどで連れて行ってくれる。わきの道を見ると果敢にもマウンティンバイクで上を目指す人がいる。どこまで行けるのだろうか?
【 マウンティンバイクで山に登っていく人たち 】
ロープウェイから下を見ると、車の通れる道が頂上に向かって続いている。一般旅行者の車ではなく管理関係者のものと思われるが、のろのろと坂を上て行く様子が見えた。ロープウェイは上からそれを追い越していく。
展望台駅を降りて、向こう側はもう別世界だった。3000mに近い稜線まで一気に登り、そこから見る4000m級の雪山には圧倒される。足元には左手の山から流れ出た氷河が緩やかに弧を描き横たわっている。その向こうに4043mのピッツァ・ベルニナ。時刻はもう夕方に近かったが、太陽はまだ高く、気温はどのくらいあるのだろうか、特に寒いこともない。それに高山病の気配もない。こんなに簡単に、こんな景色が見られていいのかと思う。
【 ピッツァ・ベルニナと鏡に映る山並み 】
30分ほど展望台周辺で過ごした後、再びロープウェイで下山する。
【 ロープウェイの下りから 】
観光第一日目のハイライトは終了した。あとは、駅から回送されたバスに乗って今日の宿泊地であるサンモリッツまで移動するだけだ。1時間ほどでサンモリッツの街に到着する。
【 サンモリッツの宿泊ホテル 】
ホテルに荷を下ろした後、近くのレストランでの夕食夕食後、近くを散策する。いつかオリンピックも開催されたりして、日本でもよく耳にする都市であるが、思ったよりこじんまりした静かな街である。
【 サンモリッツは高級別荘地 】
それより、こちらでは高級別荘地で名が通っているらしい。有名人の住まいが点在しているそうだ。湖が近くにあり湖岸まで行く。振り返ると2000m級の山が街のそばまで迫り、街を囲むようにそそり立っている。やはり日本にはない風景だと思う。
【 きれいな公衆トイレ・・しかし 】
公園の一角に、外国では珍しい公衆トイレがあった。しかも、清掃が行き届いてきれいだ。それに不似合いな青い照明で、トイレというよりキャバレーかばーの入り口のようである。なぜあんな派手な照明を施しているのか尋ねたら、《静脈注射》が打てないようにするための対策だと言っていた。幸せそうな国でも、やはり市民の所まで《クスリ》が浸透しているのかと思い、豊かな国の裏の一面を覗いた感じだった。
出発前、天候の事が気になっていたが、来てみればスイス初日は晴天に恵まれた。 翌日もその後も、ずっと晴天に恵まれるように念じながら宿に戻る。
【 連載第1回、終了 】
スイス旅行・連載第2回へジャンプ
2019年スイス旅行1・2日目サンモリッツまで
スイス旅行【 2019年8月21日~29日 】
9/21 ■関空出発-(JAL直行便)-ミラノ・マルペンサ空港(ミラノ泊)
9/22 ■ミラノ-(コモ湖畔)-ティラーノ(昼食)-(ベルニナ線・ループ橋)-ディアポレッツァ-(ロープウェイ)-ディア
レッポレッツァ展望台から(ベルニナ・アルプス、ピッツァ・ベルニナ展望)
-(バス)-サンモリッツ(泊)
9/23 ■サンモリッツー(アルブラ線・ランドバッサー橋)-クール(昼食)-(バス)-ベルン(旧市内観光)-(バス)
-ラウターブルネンー(登山電車)-ヴェンゲン(泊)
9/24 ■ヴェンゲン-(登山電車)-クライネ・シャイデック(乗り換え)-(登山鉄道)-ユングフラウヨッホ(スフィンクス展望台)
へ、ユングフラウ、メンヒ、アイガー等パノラマ展望を満喫)-(登山鉄道)-アイガー・クレッチャー駅-(ハイキング)
-クライネシャイデック(昼食)-(登山鉄道で下山)-ヴェンゲン(自由行動、街を散策後、連泊)
9/25 ■ヴェンゲンー(登山鉄道)-ラウターブルネン-(バス)-アンデルマット(昼食)-(バス・フルカ峠)-サースフェー
(ケーブルカーでパンニック展望台(サースフェーの山々、ドーム峰)へ)-(バス)-テーシュ-(鉄道)-ツェマット(泊)
9/26 ■朝焼けのマッターホルンを見に外へ-(登山電車)-ゴルナーグラード(展望台からマッターホルン、モンテ・ローザ展望)
-(登山鉄道)-ローデンボーデン駅-(ハイキング)-リッフェルベルク駅-ツェルマット(昼食)-自由行動-(地下ケーブルカー)
-スネガ展望台(別角度からマッターホルンを眺める)-ツェマットに戻る(連泊)
9/27 ■ツェルマット-(鉄道)-テーシュ-(バス)-シャモニー(フランス)-(ロープウェイ・途中乗り継ぎ)-エギーユ・ド・ミディ
展望台(モンブラン、グランド・ジョラス展望)-(バス)-ジュネーブ(泊)
9/28 ■午前中自由行動でジュネーブ市内散策-(バス)-バーゼル-(ユ-ロ空港から直行便)-帰国へ
9/29 ■午後、関空到着-京都自宅へ
スイス旅行は長年思い描いていた旅だった。というのも、国内の山と違って、スイスの山々は自分の足で歩かなくてもケーブルカーやらロープウェイで山の頂上付近まで運んでくれるから、体力的に考えて《もう少し先延ばししても、いつでも行ける所》くらいに思っていた。日本の山に少し飽きたら、その時行けばいいくらいに思っていたら20年以上がたってしまっていた。もちろんスイス・アルプスも《登山する山》ではあるけど、大きなリュックを担いで登ることは念頭になかった。国内の山は《登山の対象の山》だが、スイスの山は《観光の山》と勝手に決めていた。だからまだまだ先でいいと。
最初にスイスに憧れを持ったのは、今からかれこれ30年以上前になるだろうか。パソコン(当時はマイコンと言っていた)が普及し始めたころ、CDのソフトで(まだDVDは出ていなかった)世界の山々を紹介したものがあった。もちろん動画などではなく静止画の画像に解説が書きくわえられたもので写真も解像度の粗いものが20枚ほど納められていただけで、今から考えればかなりお粗末なものだったが、インターネットもない時代、本以外では貴重な情報源だった。その中の1つに、ベルナール・オーバーランド地方の山々を納めた”ソフト”があった。これはただ静止画を次々めくって表示する単なる写真集ではなく、表示画面の一部をクリックするとリンクした別ページが開き表示させるもので、当時にしては画期的なものだった。ホーム画面の下部に「インターラーケン」の街があり右手には「ラウターブルネン」。そこから崖の上の街「ミューレン」も描かれていた。中央中段には「クライネ・シャイデック」があってその上に「アイガー」「メンヒ」「ユングフラウ」の3山がどんと描かれている。「グリンデルバルト」や「シーニゲ・プラッテ」という地名もその中に記載されていて、位置関係も含めその時に記憶されていたように思う。こんな高い山々のあいだに、よくもこの様な登山鉄道網を張り巡らせたなと感心するばかりだったが、何よりも驚いたのは、100年以上も前に-日本ではちょんまげを切ってようやく文明開化を迎えようとしていた時期に-アイガーの横っ腹をくり抜いてトンネルを掘り、富士山の標高に近い3400m超の尾根まで鉄道を通してしまう発想の大胆さだった。
でも、当時は海外旅行など夢のまた向こうの話で、ディスプレイの上だけで楽しんでいただけだ。スイス行きが現実のものとなったのは、20年ほど前からか。海外旅行もそんな珍しいものではなくなり、職場の先輩や同僚も新婚旅行ではそれが当たり前の時代になっていた。旧友がスイスに行ったという話も何件か聞いて、マッターホルンの写真などを見せてもらったものだった。
前置きはこのくらいにして今回の旅行の話に移ろう。
【スイス旅行・第1日~第2日目 出発からサンモリッツ到着まで 】
9月21日(水)、乗り合いタクシーが朝7時に玄関前に迎えに来る。市内の客を拾って関空4Fの出発ロビーまで連れて行ってくれるから、大きな旅行バッグを引きずって移動する煩わしさがなく楽だ。時間も見計らってくれるからこちらで計算する必要がない。海外旅行の際は毎回利用させてもらっている。ただ今回は途中渋滞に巻きこまれて集合時間に遅れ、ヒヤリとさせられた。
今回のツアー(団体旅行)の参加者は39名で、添乗員2人を加えると総勢41名の大世所帯だ。これは、チャーター機を占拠する一団の1グループで、他に若干日程を入れ替えた同じ旅行社のグループが4つあるらしい。
午後12時25分、ほぼ定時に離陸。一路、イタリア北部の都市ミラノへひとっ飛び。直行便で多少時間は短縮されたにせよ、やはり12時間は長い。どのようにして時間をやり過ごすのか悩ましい。やはり機内の楽しみは食事と映画だ。
第一回目の食事は離陸して間もなくスナックとビールが出た後1時間ほどたってから提供された。いつものようにワインもいただく。小さなビンだが、これがまたおいしい。食事もチャーター便のせいなのか、その後もおやつが出たりと、いつもより上等に感じた。気のせいか? 食事の後はめぼしい映画がないか、画面のページをめくり物色する。これはというのがない。何かわけの分らないものを見たりニュースを見たり、ルートマップを見て時を稼ぐ。
ミラノ到着の2時間ほど前に2回目の食事が出る。こちらも美味しくいただく。座っているだけなのに、口にするのはいつも以上なのだからカロリーオーバーが懸念される。
(現地時間)同日午後5時20分、ミラノ・マルペンサ空港着陸。時計上では5時間だが、時差が7時間だからやっぱり12時間かかっている。
この空港に降りるのは2回目だ。15年前、初めての海外旅行のイタリア周遊旅行で到着した場所で「ああ、とうとう外国に来たしまった!」初めて異国の雰囲気を味わった所だ。その時も、夕方に着いてすぐにホテルに行き当日は寝るだけに日程だったように記憶している。
空港近くのホテルに入り、その日の予定はそこまで。時計は午後7時だが、まだ外は明るい。窓の外を見るとプールがある。せっかく用意した水着があるので、運動不足解消のためにも、ひと泳ぎすることにする。
到着の時間の関係か、当日の夕食はついていなかった。8時過ぎプールから上がった後、日本から持参したインスタント・ラーメンと機内でもらったパンをかじる。
9月22日(木)
昨日は機内の疲れもあって、ぐっすり寝た。10時過ぎには寝入ってしまったのか、今朝は6時に目が覚めてしまった。7時半、朝食。ヨーロッパの朝食は全般に簡素なものだ。日本の和洋中華を取り混ぜた品数豊富な朝食バイキングに比べたら物寂しいというか貧しいイメージがあるが、どうもそれが当たり前のようだ。そういう予想で臨んだから、ヨーグルトもスクランブルエッグもベーコンも野菜もある朝食にちょっと驚いた。
【 ホテルでの朝食 】
8時半、ミラノのホテルを出発する。今日の日程はミラノから北に向かい、コモ湖畔を通り国境の街ティラーノまでバスで移動し、そこからレーティッシュ鉄道ベルニナ線に乗り国境を越え、ベルニナ・ディアボレツァまで行く。そこでロープウェイに乗り換え展望台まで行き、最初の大きな目的地ベルニナ・アルプスのピッツァ・ベルニナを始めとする雄大な山々の姿を眺める。再びロープウェイでふもとのディアボレッツァ駅まで戻り、そこからはバスでサンモリッツまで行く予定だ。このコースのハイライトはベルニナ線てティラーノを出てすぐ国境を越え、しばらく走ったところにある-観光写真にもよく載っている-『オープン・ループ橋』だ。それとベルニナ・アルプスの眺め。
バスはイタリア北部の山間を軽快に走る。イタリアには過去3回来ているが、この地を走るのは初めてだ。奇岩が林立するドロミテの山にも惹かれるし風光明媚と言われるコモ湖周辺にも、どの様なのか1度見てみたいと思っていたが実現せずじまいだった。
【 高速道路-レッコへ 】
コモ湖はもっとのどかな所と思っていたが、険しい岩山が湖岸までせまり、想像していたのとは違っていた。10時少し前、レッコ近くの湖畔のサービスエリアでトイレ休憩。周りを見渡すとドロミテの延長と思わせるぎざぎざの岩峰が迫っている。ゆっくり観察する間もなく、すぐに出発する。
【 険しい岩山 】
ここからはトンネルの連続である。湖岸をジグザグに走る道路を避け山肌をくり抜いた直線で進むものだから風情も情緒もない。その辺の事情は日本の新幹線や最近の高速道路の殺風景な車窓風景とあまり変わらない。ともかく《速さ》が唯一の価値基準なのだから。
コモ湖から離れ、斜面の段々畑に看板を掲げたワイナリーの建物が丘の上に点在する北イタリアの谷あいの道を進む。
12時前、国境の街・ティラーノに到着。昼食は今回唯一のイタリアの街での食事で、ピッザ。その大きさにびっくりだが、味はイマイチ!
周りを見渡すとほとんどの人が半分以上、残していた。「量より質」というか、もうちょっと何とかならないかと思う。
【 食べきれないほどの大きさのピッザ - 味はもう一つ 】
ティラーノの街を少し見てから、レーティッシュ鉄道・ベルニナ線に乗り込むために駅に向かう。ここから鉄道で国境を越え、最初の目的地ベルニナアルプスに向かう。いよいよ、スイスに入国だ。・・・とは言っても、入国審査があるわけでもパスポートを見せるわけだもない。イタリアのミラノですでにユーロ圏に入っていて、そこで手続きを済ませているから、ユーロ圏内は自由に移動できる。ただ、スイスはEUに加盟しておらず、通貨も別だが、EU諸侯に周りを囲われているためか入国に関してはそんなに厳しくないらしい。『今のが国境でした!』というところを列車で通過するだけである。そういえば今回の関空での出国の際、今までならば入出国審査官がパスポートの写真と対面する顔を見比べおもむろにっページをめくってから出国のスタンプを押していたのが《電子入出国手続き》とやらで、それ用のゲートの前でパスポートの写真面を機械にかざし、顔写真を撮れれてゲートを通過した。だから出国のスタンプは押されずじまいである。どこかに記録されたのだろうか?
【 ティラーノ駅 】
発車後、添乗員から、下の「ベルニナ線」の気の利いたイラストが配られた。わかり易く描かれていて、このコースの見どころの「開架式ループ橋」の位置や線路の状況や見どころがよくわかる。
最初の見どころは国境を越え間もなく訪れた。ベルニナ線と言えばこの「オープンループ橋」。付近に近づくと電車の中は、みな席を立って窓際に寄り、カメラを構える。私もそれに倣う。
実は、この鉄道路線の圧巻はこの先にあった。湖畔のミララーゴの駅を過ぎしばらく進むと、3つの塔の見える街・ポスキアーボから急勾配の登りが始まる。上の地図を見るまではじめは状況がよくわからなかったが、先ほど右側の車窓に見えた雄大な山の風景と似た景色が左の車窓に見えるではないか。なぜ同じような雪渓をいただいた山の景色が両方の窓から見えるのか最初は分からなかった。2度3度同じことを繰り返しているうちに地図を見てやっとわかった。ヘアピンカーブを繰り返しそのたびに列車の進行方向が180度入れ替わっていたのだ。
【 険しい山間をグングン登る 】
ぐんぐん高度を上げ、先ほど車窓の横に広がっていた村が遥か下方に見える。ループ橋はビューポイントではあるが、わずか6kmの区間で1000mの上がるこの迫力はすごい。田園風景が一気に雪山の世界に変わる。
湖の横をとおりこの路線の最高地点2253mを通過するとほどなくベルニナ・ディアボレッツァの駅に到着した。まるほど実際に来てみないとわからない。スイスの鉄道のものすごさを実感した。
【 ディアボレッツァ駅 】
時刻は午後3時半、駅から緩やかな坂を上りロープウェイの発着所まで歩く。ここからゴンドラに乗れば、最初の展望台・ディアボレツァ展望台2978mに10分ほどで連れて行ってくれる。わきの道を見ると果敢にもマウンティンバイクで上を目指す人がいる。どこまで行けるのだろうか?
【 マウンティンバイクで山に登っていく人たち 】
ロープウェイから下を見ると、車の通れる道が頂上に向かって続いている。一般旅行者の車ではなく管理関係者のものと思われるが、のろのろと坂を上て行く様子が見えた。ロープウェイは上からそれを追い越していく。
展望台駅を降りて、向こう側はもう別世界だった。3000mに近い稜線まで一気に登り、そこから見る4000m級の雪山には圧倒される。足元には左手の山から流れ出た氷河が緩やかに弧を描き横たわっている。その向こうに4043mのピッツァ・ベルニナ。時刻はもう夕方に近かったが、太陽はまだ高く、気温はどのくらいあるのだろうか、特に寒いこともない。それに高山病の気配もない。こんなに簡単に、こんな景色が見られていいのかと思う。
【 ピッツァ・ベルニナと鏡に映る山並み 】
30分ほど展望台周辺で過ごした後、再びロープウェイで下山する。
【 ロープウェイの下りから 】
観光第一日目のハイライトは終了した。あとは、駅から回送されたバスに乗って今日の宿泊地であるサンモリッツまで移動するだけだ。1時間ほどでサンモリッツの街に到着する。
【 サンモリッツの宿泊ホテル 】
ホテルに荷を下ろした後、近くのレストランでの夕食夕食後、近くを散策する。いつかオリンピックも開催されたりして、日本でもよく耳にする都市であるが、思ったよりこじんまりした静かな街である。
【 サンモリッツは高級別荘地 】
それより、こちらでは高級別荘地で名が通っているらしい。有名人の住まいが点在しているそうだ。湖が近くにあり湖岸まで行く。振り返ると2000m級の山が街のそばまで迫り、街を囲むようにそそり立っている。やはり日本にはない風景だと思う。
【 きれいな公衆トイレ・・しかし 】
公園の一角に、外国では珍しい公衆トイレがあった。しかも、清掃が行き届いてきれいだ。それに不似合いな青い照明で、トイレというよりキャバレーかばーの入り口のようである。なぜあんな派手な照明を施しているのか尋ねたら、《静脈注射》が打てないようにするための対策だと言っていた。幸せそうな国でも、やはり市民の所まで《クスリ》が浸透しているのかと思い、豊かな国の裏の一面を覗いた感じだった。
出発前、天候の事が気になっていたが、来てみればスイス初日は晴天に恵まれた。 翌日もその後も、ずっと晴天に恵まれるように念じながら宿に戻る。
【 連載第1回、終了 】
スイス旅行・連載第2回へジャンプ
2019年スイス旅行1・2日目サンモリッツまで